(432Hz Music) inS ft. Deva Premal - Love Mantra (recomposed to 432Hz) (video inspired by god of star)


(This is important idea in this historical aspect when we build up one world )

Dear
I am god salamnidam who downed theory of river civilization theory to P.R. Sarkar.
I explain article of river culture of area of Japan one by one.
Theory of Mitsuki is developed base on river civilization theory by inspiration.
This is useful for people to think history of own area.

Theme of this time is expression when tired make clear original group of area of river.
When searching of original group of river area is done, diversity of tribes lived along various river is made clear..
In ancient there was no nation state.
Only various tribes lived along various tribes.
To say that nation consciousness was from ancient time is false.
This idea of Mitsuki is true.
This is important idea in this historical aspect when we build up one world.



こんにちは
私は、P.R.サ-カ-に河川文明論をおろした神サラムニダムです。
日本地域の河川文化論を一つずつ説明していきます。
ミツキの理論は、河川文明論にもとづいてインスピレ-ションによって発展させられたものです。
これは自分の地域の歴史を考えるためにすべての人々にとって有益です。

今回は疲れたときの表現は河川流域にもともと住んだグル-プを解明する,です。
河川流域にもともと住んだ集団を調べるなら、様々な川にそって多様な集団が住んでいたことが解明される。
古代には、ネイションステイトはなかった。
ただ様々な部族が様々の川にそって住んでいただけだ。
国民意識が古代からあったと言うのは偽りである。
ミツキのこの考えは真実です。
これは、一つの世界をつくりあげようとしているこの歴史的局面において重要な考えです。



▼歴史的考察

◎弥生人の諸部族の到来

 資料館には、ナウマンゾウの骨や細石器など、先史時代の発掘物が多く展示してありました。
先史時代の人々は、川の水源付近の丘の上に住んでいました。

 氷河期を乗り越えた先史時代の人々は、気温が暖かくなると、水源の丘の上で縄文土器をはじめとする文化を作り出しました。
この時期にも人々が住みついた河川によって地域的特色があっただろうと思います。

 今から2000年以上前、大陸での気候の悪化や戦国時代の戦乱を逃れるために、たくさんの人々が日本海側から江の川を上り、水源地域に住みつこうとしました。
先史、縄文時代からの先住民は北と南に追いやられました。
人を殺せる武器を持った弥生人の方が強かったのです。
彼らは稲作農耕の技術を持っており、川辺で稲作を試みました。
私たちの多くはこの弥生人の子孫です。

 その頃は、日本人も朝鮮人もいませんでした。
国家をもたない部族集団が、血のつながった氏族を単位として存在していました。

◎多様な諸部族・諸言語の世界の成立

 大陸からやってきた部族集団が、中国山地の山あいの水源周辺に、稲作をする村を作りました。
その頃はもちろん日本語もなければ朝鮮語もなく、部族の言葉があっただけです。
日本語が形成されるのはもっと後であり、現在の方言ではなく、まさしく多様な部族の言葉があったはずです。

 ちなみに最近、アフリカのニジェールで2年間ボランティアをした人と会った時、「驚いたことに、教育のない一般の人々が3つか4つの言語を駆使できるのです」と語っていました。
さまざまな部族の人々と接して交易する機会のある人々は、生きるために複数の言語を駆使できるのです。

◎苦しさの表現は諸部族の言葉の「生きた化石」か

 現在の方言には2つの起源があると考えられます。
1つは、政治的文化的な先進地である京都の言葉が地方に伝わる中で、各地で変形したケースです。
もう1つは、その谷に移住して土着した部族がもともと使っていた言葉を起源としたものです。
 「しわい」「せつい」「やねこい」という身体の苦しみを表現する言葉は後者であると考えられます。
苦しみを訴えるこれらの言葉は、幼年期に母語として母父から受け継がれます。
自分の実感を訴えようとするこの苦しみの表現は、マスコミや全国共通の教育が発達していない前近代においては、それほど簡単に別の表現に取って代わることはできません。
私たちは英語を知っているからといって、空腹時に「アイアムハングリー」と訴えるでしょうか。
京都や鎌倉からやってきた支配者の言葉で、痛みやつらさを表現することはしなかったはずです。
支配者の言語を一般に押しつけようとしたのは近代ナショナリズムが勃興してからのことです。

 したがって、この苦痛の表現における地域的な固有性を調べるならば、西日本において先住民を追いやって住みついた私たちの直接の祖先である部族集団による、河川流域の支配領域が判明するはずです。

◎諸部族の行方

 縄文人は南北に追いやられたほか、一部はわずかな水源のある山間部の辺鄙《へんぴ》な土地に追いやられ、渡来した弥生人に圧倒されながら、自分たちの狩りの獲物を弥生人の集落で交換した可能性もあります。
河川流域に沿って丁寧にその出土品を比較するなどすれば、そのようなことも証明されたかもしれません。
骨などの遺物が出てくれば、科学的な調査も可能です。

 いずれにしても、朝鮮半島から南下して日本海側から川伝いに上ってきた部族、中国や南方からやってきた部族、先住民の部族といった具合に、中国地方では河川流域に沿って、氏族を基盤とした多様な言葉を持つ部族集団がモザイク状に存在したと考えられます。

 明治初期の1村1社への神社の統合まで、村の氏神は部族の基盤であった氏族が崇拝したものを示すものと考えられます。
部族全体の神をまつった規模の大きい神社もあったでしょう。
ヤマト部族が諸部族を制圧していく中で、部族のアイデンティティを保って残すことのできた神社と、抹殺されてしまった神社もあったと思います。
つまり神社とは、河川流域に住みついた各部族の神をまつったことから始まったものであると考えられます。
氏神をまつった社や神社の分布や成立も、河川流域に沿って調べると、河川流域文化圏と部族集団の定住について考えるヒントになるのではないかと思います。
おそらくそのような調査からは、日本列島の人々が想像以上の多様性を持っていたことが浮かび上がると思います。
日本人も朝鮮人もまだ形成されていなかったことも明確になり、その時代から「日本人」のアイデンティティがあったかのような歴史は虚構であることが明らかとなるでしょう。

◎「せつい」部族と「しわい」部族

 したがって、次のように考えることができます。
三次盆地文化圏の「平原の段階」を作り出した部族集団は「しわい」部族でした。
そして江の川の支流である美波羅川最上流の三和町の敷名と上山《かみやま》の谷間から沼田川の上流域にかけては「せつい」部族が支配しました。
それぞれの河川流域について、今後、苦痛の表現*がどうなっているかを詳細に足で調べていけば、日本列島に住みついた部族集団の支配領域が浮かび上がるでしょう。
大陸側の朝鮮半島でも、河川流域によって異なる、現在は方言とされている苦痛の表現を調べていけば、親戚関係にある部族集団の存在もわかるかもしれません。

*注=苦痛表現の調査について

 古墳時代以後の山間部の人々の移動は、前近代はそれほど考慮に入れる必要はないと思います。
結婚などによってその谷間に来た人は、その谷間の言葉を話すようになります。
日常的に周囲の人々の言い方が耳に入りますから、「しわい」部族の人も「せつい」部族の言葉を容易に母語のように受け入れてしまいます。



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