AP Indus River Valley Civilization Project (video inspired by god of star)



(In this process people made developing original culture in living area)

Dear
I am god salamnidam who downed theory of river civilization theory to P.R. Sarkar.
I explain article of river culture of area of Japan one by one.
Theory of Mitsuki is developed base on river civilization theory by inspiration.
This is useful for people to think history of own area.

This time theme is what river civilization theory is.
River civilization theory is view of area history in human world.
Human being needs water to drink.
Water is in river or lake.
At first human being lived on hill to avoid flood of water.
Then human being lived in plain to plant food.
Then human being lived near river and under river by using developed tool.
In this process people made developing original culture in living area.
This is river civilization theory.



こんにちは
私は、P.R.サ-カ-に河川文明論をおろした神サラムニダムです。
日本地域の河川文化論を一つずつ説明していきます。
ミツキの理論は、河川文明論にもとづいてインスピレ-ションによって発展させられたものです。
これは自分の地域の歴史を考えるためにすべての人々にとって有益です。

今回のテ-マは、河川文明論とは何かです。
河川文明論は、人間界の地域の歴史の見方です。
人間は飲み水を必要としています。
水は川か湖にあります。
最初人々は水の氾濫を避けるために丘の上に住みました。
それから食べ物を植えるために平原に住みました。
そして発達した道具によって川の傍や下流に住みました。
このプロセスで人々は住んでいる地域でオリジナルな文化を発達させてきました。
これが河川文明論です。



River civilization of culture trial discourse
河川流域文化圏論試論――広島県を例に

   ▼はじめに

 サーカーの古代「河川流域文明論」によると、河川流域文明には丘の段階、平原の段階、三角州の段階の3段階があり、文明は、河川の合流による複合文明と、河川が合流しない原文明とに分類されます。
サーカーはインドやイギリスに例をとり、このことを詳細に説明していました。
 サーカーは「文明」という言葉を彼特有の意味で使っており、一般の日本語では、文明というより文化と訳した方が適切と思われます。
そこで、彼の説を「河川流域文化圏」論として日本列島の場合を考えると、今までの古代史では見出せなかったものが見えてくる可能性があります。
 ここでは、広島県の北部に位置する三次《みよし》市の県立歴史民俗資料館とその周辺地域を「古代河川流域文化圏論」の立場から論じてみました。

▼広島県の川と「河川流域文化圏」の可能性

 広島県では、多くの人が集住できる平地を流域内に持つ、河川流域文化圏を作りうる川が3つ考えられます。
広島市の三角州に流れ込む太田川、福山市に流れ込む芦田川、三次盆地に支流が集まり日本海に流れる江《ごう》の川です。
 そこで、サーカーの古代「河川流域文明論」を下敷きにした古代河川流域文化圏論から、広島県*には「太田川文化圏」「芦田川文化圏」「江の川文化圏」があるという仮説が引き出されます。

*注=広島県の河川流域文化圏
 このほか、三原市に流れる沼田《ぬまた》川がありますが、尾道も含めて沼田川文化圏が設定できるかどうか、つまり沼田川と芦田川、太田川の流域文化に相違があるかどうかはフィールドワークが必要です。
実証できれば、「沼田川文化圏」も入るかもしれません。
▼県立歴史民俗資料館の展示から

◎展示の特徴

 展示物を見て、まず確認できたのが、古代史を河川と結びつけた形で発掘物の説明をしていないことです。
四大文明という場合には大河が前提となりますが、日本列島の小さな川の流域にも文化的な独自性があるという発想がないのではないかと推測されます。
河川流域文化圏の視点から展示されていないので、河川とのつながりがわかりにくい展示でした。

◎サーカーの3段階説

 サーカーの説では、河川流域文明は丘、平原、三角州の順に文明が発展していきます。
日本の河川は小さいので、三角州の段階での文明成熟とまではいかないかもしれませんが、丘の段階から平原の段階における文化圏の形成はあったはずです。
実際、弥生時代までの住居跡は丘にありました。
平原の段階に進むには、相当の治水技術と地域氏族集団の統率力と組織化が必要となります。
 三次市にある県立歴史民俗資料館の隣にある七塚原《ななつかはら》のたくさんの古墳群は、川と平地を見下ろす丘の上にありました。
住居がどこにあったのかは定かでありませんが、古墳の近くに住居があったとすれば、やはり丘の上です。
そうだとしたら古墳時代までをサーカーのいう河川流域文明の丘の段階ということができます。
この場合、今後、全国各地の実際の発掘場所に行ってその地形を確かめてみる必要があります。

◎河川流域文化圏説を示唆する古墳

 それでも展示の中には、はっきりと河川流域文化圏の所在を暗示しているものがありました。
 まず古墳です。
資料館の周辺には七塚原古墳群があります。
その多くは円墳ですが、資料館内の説明によると、出土する土器のタイプと古墳の形から、広島県の古墳には県の北部タイプ、西部タイプ、東部タイプがあるそうです。
なんと北部タイプは山陰側と共通していました。
広島県の北東部には高い中国山脈がありますから、山陰側とつなぐものは江の川しかありません。
先史、縄文、弥生、古代の遺跡は、広島県の三つの河川の流域に集中していることが、出土した場所を説明する地図からもわかります。
 したがって仮説どおり、広島県には「太田川文化圏」「芦田川文化圏」「江の川文化圏」があったと考えられます。



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