Kaushiki Chakrabarty - Singer Par Excellence - Raga Multani (video inspired by god of star)



(Social cycle theory is dialectical materialism same to Marx )

Dear
I am god salamnidam who downed social cycle theory to P. R. Sarkar.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant Mitsuki in whole life.
Mitsuki translated almost books of Sarkar.
Mitsuki understands theory which I downed Sarkar more than other people.
I downed theory to Sarkar for preparation of project of Heaven and gods.
We gods of star earth had not communication with gods of Heaven.
I knew by future reading.
Translating of assistant Mitsuki has become huge significance.
Mtisuki downed documents of Heaven.
Gods of heaven and gods of star earth share both theory and understand each other deeply.
This makes strengthen our unity.

Theme of this time is review of social cycle theory.
Social cycle theory is dialectical materialism same to Marx.
True meaning of dialectical materialism is that presence world is flow of subtle energy.
Law of flow of subtle energy is law of dialect.
Subtle energy means material world.
Whole of this world is moving following law of dialectical materialism.
Human mental is made by flow of subtle energy.
Collective human mental is moving following law of dialectical materialism also.
Social cycle theory is based on dialectical materialism which gods of Heaven downed.



こんにちは
私はP. R. サ-カ-に社会サイクル論をおろした神サラムニダムです。
私たち天と神々のプロジェクトは人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
ミツキはサ-カ-の本をほとんど訳しました。
ミツキは私がサ-カ-におろした理論をほかの人々よりもよく理解しています。
私は天と神々のプロジェクトの準備のためにサ-カ-に理論をおろしました。
私たち地球の星の神々は天の神々とコミュニケ-ションがありませんでした。
私は未来リーディングを通じて知っていました。
アシスタントミツキが訳したことは巨大な意味をもつようになりました。
ミツキは天の文書をおろしました。
天の神々と地球の星の神々が両方の理論を共有し、相互に深く理解しました。
これは私たちの団結を強化しています。

今回のテ-マは社会サイクル論の復習です。
社会サイクル論はマルクスど同じ弁証法的唯物論です。
弁証法的唯物論の真の意味は、顕在世界は精妙エネルギ-の流れであるということです。
精妙エネルギ-の流れの法則が弁証法の法則です。
精妙エネルギ-は物質世界を意味します。
この世界全体が弁証法的唯物論の法則に従って動いています。
人間の心理も弁証法的唯物論の法則に従って動いています。
集合的な人間の心理も弁証法的唯物論法則に従って動いています。
社会サイクル論は、天の神々がおろした弁証法的唯物論にもとづいているのです。


Japanese history by social cycle theory
日本史における社会サイクル試論

▼まえがき

 この文章を書いたのは99年で、まだニューヨーク・プラウトのホームページの社会サイクル論しか読んでいない段階でした。
02年11月の現段階では、サーカー自身の社会サイクル論の著書を読み終えています。
そこで、ニューヨーク・プラウトのホームページにはない視点として次の点に気づきました。

 それは、武→知→財という支配階級の展開の中で、武の末期には偽の武(偽クシャトリア)が増加すること、知の末期には偽の知(偽ヴィプラ)が増加すること、財の末期には偽の財(偽ヴァイシャ)が増加するというサーカーの考えを日本史において具体的に分析していないことです。
たとえば、明治初期の指導者のメンタリティは本物の武(クシトャリア)でした。
しかし、後の日本軍国主義という反動的な時代に威張っていた軍人指導者たちは、偽の武(偽クシャトリア)でした。
日本軍国主義が崩壊する時、沖縄で守るべき住民たちを巻き添えにし、住民たちに銃を向けさせた軍事指導者たちの行状は、明らかに偽の武(偽クシャトリア)のメンタリティでした。

 本物の武(クシャトリア)のメンタリティは死を恐れずに立ち向かっていきます。
それに一般大衆(シュードラ)が従います。
そしてクシャトリアとシュードラを血の海に駆り立てるヴァイシャに奉仕する悪魔的ヴィプラ(民族主義的知識人)たちがいます。
これがサーカーの見方です。
本稿ではこうした視点から最初の原稿を若干訂正しました。

▼サーカーの社会サイクル論

 ベンガル人社会思想家のサーカーは、社会サイクル論を提起しました。
この社会サイクル論(らせん史観)の背後にある哲学は次のようなものです。

 全宇宙に存在するあらゆるものは生成、発展、消滅を繰り返しながらより高次なものへ発展していく弁証法的過程にあります。
社会の動きもその例から外れません。
あらゆるものは回転あるいは波打っている動的な形をとって存在しています。
社会サイクル論は、社会発展における波動、回転を見ていきます。

 徳川の最後の将軍である慶喜が抵抗せずに、次の時代の武勇派に江戸を明け渡したのは、社会サイクル史観から見ると賢明でした。
社会サイクルにおいて歴史的根拠を失った勢力が主導権を握ると社会に多大な犠牲を強いることになります。
あるいはその派が発揮すべき時期に充分にその力を出さないと問題が起こります。
たとえば室町期では、武勇派が完全に日本全体の指導権を確立しませんでした。
安定した体制が未確立でしたから、知力派もその力を政治の場で充分に発揮することができませんでした。
義満による統合の時期を除いて、すぐに蓄財派のメンタリティを持った者が各地で己の土地、財産を追求し、庶民の反乱も激化します。
その後、戦国時代に突入し、次第に武勇派が主導権を握る時代となるわけです。
室町期のサイクルの特徴は、最初に武勇派が充分に社会統合をする役割を果たさなかったこと、時期尚早に蓄財派が主導権を握ったことにあります。
そのことは庶民に大きな苦しみを与えることになりました。

 江戸末から1945年の敗戦までの1サイクルにおいても、武勇派、知力派、蓄財派の正常な展開が妨げられました。
歴史から消え去るべき段階の武勇派が、この蓄財派の段階に前面に出てきたのです。
これが未曽有《みぞう》の惨禍を生んだことは周知のとおりです。
その時期に本来、存在根拠のない階級は人民に被害を与えた後、短期間で歴史の舞台から去ることになります。

 とはいえ、いったん支配的地位に就いたそれぞれの階級は、権力や既得権益を手放そうとしません。
そのため、社会サイクルにおいて支配的な階級が搾取的になれば、革命や刷新によって次の時代を導かなくてはなりません。
現在の資本主義社会に代わり、サーカーはプラウト社会に移行することを提起しています。
彼のプラウト経済論についてはすでに紹介しました。
プラウト社会になっても武→知→財の回転は続きます。
プラウト社会を築く過程で、社会サイクルの回転の中心核に位置するところに、支配階級が搾取的になったときに回転を早めて次の時代を導くことのできる強大なスピリチュアリストの革命家集団を登場させることは、日本史の今後の課題です。

 では具体的に社会サイクル論(らせん史観)の立場から日本の歴史を見てみましょう。



H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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