Sunset With Instrumental Raga Bhopali - ( Sitar - Santoor - Flute - Tabla ) - by roothmens (video inspired by god of star)



( Unite of people is needed to overcome exploitation system of Vaishya)

Dear
I am god salamnidam who downed social cycle theory to P.R.Sarkar.
Social cycle theory is historical materialism.
Historical materialism of Marx is middle wave of social cycle by seeing unity of conflict between productive force and productive relation.
Social cycle theory of Sarkar is small wave by seeing mentality of human.
Project of Heaven and gods do base on huge social cycle in scale of universe.

Theme of this time is shudra revolution and sadvipra.
Under rule of Vaishya revolution movement of people occurs.
But revolution movement faces difficulty because of unity of Vaishya to keep rule of Vaishya.
Unite of people is needed to overcome exploitation system of Vaishya.
Sadvipra organization is needed in center of revolution movement.


こんにちは
私はP.R.サ-カ-に社会サイクル論をおろした神サラムニダムです。
社会サイクル論は史的唯物論です。
マルクスの史的唯物論は、生産力と生産関係の対立の統一を見ることによる社会サイクルの中位の波です。
サ-カ-の社会サイクル論は、人間のメンタリティを見ることによる小さい波です。
天と神々のプロジェクトは宇宙規模の巨大なサイクルにもとづいておこなっています。
今回のテーマは,シュードラ革命とサトヴィプラです。
ヴァイシャの支配下で人々の革命運動がおきます。
しかし革命運動は困難に直面します。
ヴァイシャ支配を維持しようとするヴァイシャの団結のためです。
人々の団結がヴァイシャの搾取システムを克服するために必要とされます。
サドヴィプラの組織が革命運動の中心に必要とされます。


▼シュードラ革命とサドヴィプラ社会集団

◎プラウト社会を実現するシュードラ革命の導き手は誰か

○1 導き手はクシャトリアとヴィプラの心を持ったシュードラ

 ヴァイシャ搾取機構への怒りからの反乱、理性と知性、ヴィジョンに導かれないシュードラの反乱は社会的な混乱を招き、事態を悪化させるにすぎません。
シュードラ革命の成功のためには、周到で徹底した用意が必要です。

 かつて西洋で社会主義思想が勃興した時、サン・シモン、フーリエ、ロバート・オーウェンなどが資本主義のシステムにかわる理想社会を描きました。
それに対して、マルクスやエンゲルスは、それらは頭の中で描いたプランであり、描いた理想の社会の実現を担う社会的主体を見出していない実現不能な空論だと考えました。
そして自らの思想を科学的社会主義と呼び、それまでの社会主義思想を空想的社会主義と呼びました。

 マルクスとエンゲルスは、資本主義生産様式の発展が生み出す近代的な賃金労働者(プロレタリア)たちの資本主義搾取に対する闘争への団結力に社会主義のための変革主体を見出しました。

 サーカーのシュードラ革命論は、言葉だけ見るとシュードラ=プロレタリア(労働者)革命で同一のように見えます。
しかし結論から先に述べると、サーカーのシュードラ革命の中身は、経済的にシュードラ状態に近づいたクシャトリアとヴィプラがシュードラたちを団結させて勝利する革命です。
実際、これまでの歴史上のシュードラ反乱やシュードラ革命は必ずシュードラ化したクシャトリアかヴィプラに導かれています。

 「経済的にはシュードラで心理的にはヴィプラもしくはクシャトリアである人々がいなければ、シュードラ革命は不可能です。
革命を起こすのはシュードラのメンタリティの持ち主の仕事ではありません。
シュードラは闘争を避けます。
彼らはヴァイシャの意のままに操られている人々だからです」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 とはいえ、シュードラ状態にあるクシャトリアやヴィプラなら誰でもシュードラ革命の導き手になれるわけではありません。
ヴァイシャの財力に買収されない人物、シュードラ革命を裏切らない人物でなくてはなりません。
そのため、シュードラ革命の勝利をめざす人はスピリチュアリティの道を進まなくてはなりません。

 「もし、クシャトリアとヴィプラの心を持ったシュードラがスピリット(精神性)を欠いていたならば、彼らもヴァイシャのお金で買収されるでしょう。
シュードラ革命の成功は、充分なスピリット(精神性)を持っている、心理的にはヴィプラかクシャトリアであるシュードラにかかっています」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

○2 サドヴィプラ――スピリチュアリティの高い革命家

 このようなシュードラ革命の導き手こそサドヴィプラである、すなわちクシャトリアの心とヴィプラの心のシュードラが革命に向けて鍛えられ、規律を身につけ、人格の確立した人がサドヴィプラであるとサーカーは次のようにサドヴィプラを定義づけています。

 「クシャトリアの心を持ったシュードラやヴィプラの心を持ったシュードラは、規律を身につけ、適切な革命の訓練をし、自分の人格を確立し、モラリストにならなければならないでしょう。(中略)
そのような厳格なイデオロギー的なサドヴィプラが革命のメッセンジャーになるでしょう。
彼らは、世界のあらゆる家庭に、人間のいるところの隅々にまで革命のメッセージを運ぶでしょう。
革命の勝利の旗は彼らだけが運びます」

 「サドヴィプラという言葉の意味は、モラリストであり、スピリチュアリストである人、かつ不道徳に対して闘う人という意味です」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

○3 「中産階級」からサドヴィプラが生まれる

 このようなサドヴィプラはほとんど中産階級の中から出てくると述べます。
中産階級は一般的に、所得が中層であるとか、肉体労働をしないホワイト・カラー層であるなどと定義されます。
しかしサーカーは、「『中産階級』とはヴィプラとクシャトリアの心のシュードラである」と心理的側面から定義します。

 モラルの高い人は富裕者にも貧困層にもいます。
しかし富裕者のモラリストやスピリチュアリストがサドヴィプラになるには、経済的には中産階級のレベルまで下りなくてはならないとサーカーはいいます。
なぜなら、莫大な富を蓄積していることはプラウトの原理に反しているからです。

 貧困層であってもシュードラの心でなく、クシャトリアかヴィプラの心を持っている人はサドヴィプラになることができます。
このような貧困層もサーカーは心理的な側面から「中産階級」と位置づけます。

 「クシャトリアとヴィプラの心を持っている貧しい人々だけが革命を起こすことができます。
そのような貧しい人々を私は中産階級と呼んでいます。
マディヤヴィッタ・サマージ(Madhyavitta sama'ja 中産階級)という用語を私はこのように使っています」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

○4 ヴィクシュブダ・シュードラ=革命的シュードラ=「中産階級」

 サーカーは「中産階級」をクシャトリアの心とヴィプラの心を持ったシュードラと定義しますが、一般には「中産階級」はメンタルな面からは定義されません。
一般の定義に従えば、プラウトをめざす革命家は中産階級からも出てくるし、中産階級以外からも出てくることになります。
その場合、ヴァイシャの支配に不満を抱いているシュードラという意味で、サーカーはヴィクシュブダ・シュードラという言葉を使います。

 「もし誰かが『中産階級』という言葉を使うことに反対するならば、あるいは、『中産階級』とは平均的な財を持っている人々のことなので、革命のパイオニアすなわちクシャトリアの心、ヴィプラの心を持ったシュードラは中産階級であることもあれば中産階級でないこともあるというならば、私は革命的シュードラという意味を表すために『中産階級』のかわりに『ヴィクシュブダ(不満を抱いている)』という言葉を使う用意があります。
ヴィクシュブダ・シュードラは、専横なヴァイシャにとって常に不安の源です。
資本家は労働者の騒乱を恐れませんが、労働者を指導するヴィクシュブダ・シュードラを恐れます」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 ヴィクシュブダ・シュードラはヴァイシャに迎合せず、資本主義搾取の最大の批判者ですから、たいてい惨めな状況にあります。
搾取のない世界を作りたいと思っている人の任務は、このようなヴィクシュブダ・シュードラの数を増やしていくことであると次のようにいいます。

 「社会の中のヴィクシュブダ・シュードラの数の増大は、起こりうるシュードラ革命の前兆です。
ですからヴィクシュブダ・シュードラの数を増やすことは、搾取のない世界を作りたいと思っている人々の任務です。
これらの人々が死んだり、シュードラの心を持ったシュードラに変質していくならば、革命にとって有害です。
世界のすべてのサドヴィプラは、失業、産児制限、その他の悪いやり方や政策のためにヴィクシュブダ・シュードラの数が減らないように注意を払うべきです」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 以上のことから、サーカーの歴史理論は単に理想的な社会のあり方のヴィジョンを描いたばかりでなく、実際の社会の中に変革の担い手を見出しているきわめて実践的で現実的な思想であることがわかります。

◎民主主義的変革は可能か

○1 経済民主主義と政治民主主義

 サーカーは現在の資本主義システムについて、経済は非民主主義であり、政治は民主主義だと考えます。
そして経済については徹底した民主主義の運動を起こすことを主張します。
すなわち地域経済を決定する権利を住民に持たせることや、労働者が企業の所有と経営にかかわる協同組合化などです。
一方で、政治については、現在までに人類が到達した制度の中では最良のものであり、民主主義に従っていくけれども、将来は現在の政治民主主義を超えるものが出てくるだろうといいます。

 政治民主主義についてサーカーがどう考えているかについては後述しますので、ここではサーカーの言葉を1つ引用するにとどめます。

 「もし発展途上国が革命の道を避け、ゆっくりとした変化の道を選ぶならば、あるいは民主社会主義の道を進み、福祉国家の欠陥を考慮しないならば、人民の福利は決して砂上の楼閣以上のものにはならないでしょう。
民主主義構造では、票を確保するために、泥棒や暴力団などの反社会的分子の助けが必要となります。
これらの反社会的分子は無私無欲で候補者を支持するわけではありません。
候補者が大臣になった時に支持者の反社会的活動に目をつむることを期待して支持するのです」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 したがって、民主主義政治構造ではシュードラ革命がきわめて困難です。
物質的な波にコントロールされてしまうシュードラは、容易にヴァイシャにコントロールされてしまいます。
一般大衆の知的水準、道徳的水準がかなり高くなければシュードラ革命はきわめて困難だということが理解できます。

○2 シュードラ革命の流血の道と平和の道の可能性

 サーカーは、一般的に人民の解放は流血を伴わざるをえないと考えます。
とりわけクシャトリアの心を持ったシュードラに導かれる時には流血を伴うと次のようにいいます。

 「革命は巨大な変革を意味します。
殺戮や流血がそのような変革に不可避というわけではありません。
しかしクシャトリアの心を持ったヴィクシュブダ・シュードラが多数を占めていたり、彼らの影響力が強いならば、革命は現実に流血の衝突を通じて起きるでしょう」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 ただし、ヴィプラの心を持ったシュードラが多数ならば革命は平和的に展開する可能性があると述べます。

 「流血のない知的衝突だけの革命はありえない、と明確に言いきることはできません。
ヴィクシュブダ・シュードラに影響を及ぼすヴィプラの心を持ったシュードラが多数存在する場合、それは可能です。
ただし、私たちはそうしたケースをあまり期待することはできません。
そのため一般的には人民の解放は流血を伴うといわざるをえません」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 ヴィクシュブダ・シュードラ、すなわち資本主義的搾取に不満を持っているシュードラの中でヴィプラ的メンタリティの持ち主の影響力が強い場合は、革命は平和的に展開する可能性があるということです。

○3 政治民主主義構造と革命

 サーカーは、政治民主主義を通じて資本主義を乗り越えるのはかなり困難だと次のように述べます。

 「民主主義構造の内部で高い水準のモラルを達成し、社会主義を確立することは不可能ではありませんが、きわめて困難です。
そのため、民主主義的な社会主義は理論的に間違いではありませんが、現実の世界で実現を望むことはできません」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 とはいえ、サーカーが非民主主義的な流血の道を望んでいるわけではありません。

 「知的革命は、理想の普及を前提とします。
しかし、理想を具体化するためにはかなり長い期間がかかります。
苦しんでいる人々はそれを待とうとしません。
知的な革命は理論においてのみ可能です。
少数者であれ多数者であれ、1つのグループの人々の期待と熱望が民主主義的枠組みで満たされない時、非民主的な革命、すなわち血なまぐさい革命が確実に起きます。
このような革命は望ましくありませんが、否応なしに起きてしまうのです」(Talks on Prout)

 知的革命とは、民主主義的な革命のことです。
サーカーは、革命には知力による革命と大衆動員による革命、すなわち知的革命と物的・身体的革命があるといいます。
このうち知力による革命が望ましいが、実際には望ましくない事態が生じる可能性が大ということです。

 サーカーは、このように一方で民主主義構造を通じた革命の困難性を強調していますが、他方で、現在の政治的な民主主義制度を最良のものとして生かしていくべきとも述べています。
議会制民主主義を通じてプラウト(進歩的社会主義)を実現できるかについては、おそらくサーカーのプラウト思想が日本の土壌に根を下ろした時に、支持者たちの間で議論されることでしょう。

 私の考えでは、経済民主主義を前面に立てつつも、政治的民主主義構造に波長を合わせながら、サーカーのいう「きわめて困難な道」すなわちヴィプラ的メンタリティのシュードラの数と影響力を強めることでシュードラ革命の平和的展開をめざしていくしかないと思います。
サーカーは、知力による民主主義的革命の可能性について次のようにも述べています。

 「民主主義では人々にプラウトの考えを意識させることが可能です。
この意識は選挙に影響するでしょう。
選挙前ですら、この意識は社会秩序を変える革命を開始するかもしれません」(Talks on Prout)

 そして次のような準備を呼びかけています。

 「知性の革命は民主主義的性質を持っているので、プラウティストは人々の権利と要求を意識させるべきです。

 (1)学習サークルを開始すること。(イデオロギー的)文献を普及すること。
これは知的プロパガンダの最初の段階であり、イデオロギー的な教育を意味します。

 (2)綱領の宣伝と大衆動員、これはイデオロギー的な自覚のためです。
大衆は決してイデオロギー的に教育することはできないからです。

 (3)民主主義的闘争において、サドヴィプラを支えるプラウティストが、議会、集会、地方自治体、協同組合などで、彼らが地位を占めるよう援助すること)」(Talks on Prout)

 すでに述べましたが、サーカーの言うイデオロギーの概念は一般に使われている意味とはまったく違います。
その逆にドグマから解放され、普遍的な理想をもった心を意味します。
サーカーの作った3つの組織があります。
サーカーはそれぞれの任務について、アナンダ・マルガは精神性の向上の実践を指導し、モラリティとスピリチュアリティを高め、ルネッサンス・ユニヴァーサルは知的、道徳的な啓発をし、プラウティストはサドヴィプラが強力となることを助け、大衆動員によって彼らのパワーを強化することだと述べています。
これらの影響力を強化し、シュードラ反乱の無秩序な暴発を抑えて組織的で建設的な革命に転化することで、知力による民主主義的な革命の道、犠牲を極少に抑える道を開いていくということだと思います。

◎革命を妨げる考えの克服

○1 知的衝突の重要性

 ヴィクシュブダ・シュードラの中で、ヴィプラ的なシュードラが支配的な影響力をもつならば、知的衝突の中でシュードラ革命は平和的な展開を遂げることができるとサーカーはいいます。
では、どのような思想と知的衝突をして克服していかなくてはならないのでしょうか。
サーカーは革命を妨げる思想としていくつかを挙げています。

○2 肉体労働者の力だけでめざすプロレタリア革命  サーカーは、肉体労働者だけの力を借りてプロレタリア革命を起こしたいと思っている人は、その労働者たちのメンタリティを見なければ革命に失敗するといいます。
労働者たちがシュードラの心を持ったシュードラばかりなら、そのメンタリティが革命を妨害するからです。

 「シュードラの心の持ち主は自分たちの抱えている問題を理解できません。
彼らは問題解決を夢見る勇気さえ持ちません。
労働者の指導者がどれほどうまく問題を説明しても、いかに熱心に闘争の必要性を説いてもシュードラの心には届かないでしょう。
彼らは自分の時間を食べたり飲んだり酔っぱらったりすることに費やしているからです。(中略)
上司が賃金を上げても、彼らはその分を自分の耽溺しているものに使ってしまうので生活水準は上がらないでしょう。
そのような人々はシュードラ革命を起こさないし、起こすこともできないと私がいっているのはこういうことからです。
革命を起こしたいと思っている人がそのような人々を頼りにするのは望ましくないばかりか愚かです。
シュードラの鈍的・停滞的性質が運動を妨げ、彼らの臆病が事前に革命の火を消してしまいます」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 サーカーの思想の影響下に肉体労働者を主とする革命を構想する運動が登場し、それを批判したのかどうか定かではありませんが、おそらくマルクス主義の系譜を引き、下層労働者階級を基盤とする革命運動をめざす人々への批判だと思います。

 ロシア革命前、革命的な知識人たちが「ヴ・ナロード(人民の中へ)」というスローガンの下に農民の中に入っていきました。
しかし、人々は彼らに共鳴せず、絶望して過激なテロリストになっていきました。
革命運動の基盤となるべき人々を正確に見ない場合の末路を示しています。
サーカーは革命運動の担い手のメンタリティを正確に見ています。

○3 ナショナリズムの伝統や宗教的伝統

 宗教的伝統としてサーカーが挙げているのは宗教が注入する次のようなメンタリティです。

 「人々は次のように考えて革命を嫌がるようになります。
『運命として定まっていることが起きているだけだ。
闘争して何になるだろうか』
『どうにかこうにか自分の人生を過ごせている。
どうしてわざわざ面倒なことにかかわる必要があろうか』」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

 こうした宗教の注入する諦めの思考を克服することなしに革命は実現できません。

 さらに、ナショナリズムの伝統も深まる社会矛盾すなわちヴァイシャによる搾取強化を覆い隠し、人々の目を外国との対抗意識に向けます。
これは社会サイクルの正常な展開を妨げ、人々に重大な苦しみを与えます。

○4 福祉国家政策・社会民主主義・ガンディー主義

 資本主義の搾取構造の革命的廃止をテーマにしない福祉国家論は、民主社会主義、ガンディー主義などともに人々に幻想を抱かせ、搾取構造の現状維持を図る点でシュードラ革命の前進のために克服すべき思想だとサーカーは論じます。

 「私はガンディー主義とブーダーン(Bhu'da'n)運動の創始者に誰にもひけをとらないほど高い敬意を払っていますが、彼らの哲学は貧しい人々にはひどく有害です」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

○5 輪廻の教義のいくつかの解釈

 サーカーは魂の輪廻を認めていますが、現世の不幸を前世の悪行に帰するような解釈を強く批判します。

 「ジャンマーンタラヴァーダ(Janma'ntarava'da 魂の転生、輪廻の教義)のいくつかの哲学的解釈も革命に敵対するものです。
すなわち『この生であなたが飢えているのは,過去生で多くの罪を犯したからです。
だから運動を始めても利点はありません。
運命は変えることができません』と説きます」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

▼サドヴィプラ社会集団の確立と発展を

◎シュードラ革命後はクシャトリア時代に入る

 シュードラ革命の指導権はヴィクシュブダ・シュードラ(革命的シュードラ)が握ります。
ヴィクシュブダ・シュードラには、クシャトリアのメンタリティの持ち主だけでなくヴィプラのメンタリティの持ち主もいますが、「シュードラ革命を指導するヴィクシュブダ・シュードラは、勇気、個人的な力、危険を冒す能力の点でクシャトリアです」とサーカーはいいます。
そして彼らは次のローテーションの最初のクシャトリアとなります。
このシュードラ革命は、ヴァイシャの搾取機構と闘う広範なヴィクシュブダ・シュードラの団結と導きで実現します。
その過程でスピリチュアルな成長を遂げたサドヴィプラ社会集団が形成され、発展を遂げます。

◎クシャトリアが低下すればサドヴィプラは闘う

 このサドヴィプラたちは、ヴァイシャの搾取と闘うだけではありません。
クシャトリアが搾取的になればクシャトリアと闘い、ヴィプラ時代を到来させます。
ヴィプラ時代が搾取的になればそれと闘い、ヴァイシャ時代を到来させます。
ヴァイシャが搾取を望むようになれば、ヴィクシュブダ・シュードラ(革命的労働者)を奮い立たせて次のシュードラ革命を成功させます。
サーカーはこのことをヘーゲル弁証法の用語を使って次のように説明しています。

 「社会サイクルは途切れることなく回り続けるでしょう。
誰もその回転を止めることはできません。
革命後のクシャトリア時代を定立(テーゼ*)と呼ぶとすれば、搾取的になったクシャトリアに対してサドヴィプラのとる措置が反定立(アンチテーゼ)です。
この衝突から展開した革命後のヴィプラ時代が総合(ジンテーゼ)です。
その後、ヴィプラが低下して搾取的になることを望んだ時に、サドヴィプラが彼らに対してとる措置が反定立(アンチテーゼ)です。
ポスト・クシャトリアのヴィプラ時代は、その時には総合(ジンテーゼ)と呼ぶことはできず、次の段階の定立(テーゼ)と呼ぶことができます」(Dialectical Materialism and Democracy)

 こうしてサドヴィプラはシュードラ革命以後も革新と革命に取り組み、搾取と闘い続けます。
反定立すなわち次の時代をめざす闘いが展開していない段階では、反定立のための心理的バックグラウンドを作る活動をしていきます。

 「あらゆる国、あらゆる時代において、サドヴィプラはいかなる特定の定立に対しても反定立の出現まで待たなくてはなりません。
反定立が発展しない限り、サドヴィプラは次の段階の反定立の心理的バックグラウンドをもたらすために世界中で活動を続けるでしょう」(Dialectical Materialism and Democracy)

*注=弁証法とサーカーの歴史観
 ヘーゲル弁証法は、物事は無限に定立・反定立・総合を繰り返しながらより複雑なものへと永久に展開していくという思想ですが、ヘーゲルは当時のプロイセン国家を理想としました。
ソビエト連邦が崩壊した頃、学者ヴィプラのフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』(三笠書房)の中でヘーゲルを援用しながら、資本主義と自由と民主主義の実現で歴史を終わらせます。
ヘーゲル、フランシス・フクヤマにおいては資本主義でもって弁証法的発展は止まります。

 マルクスは、生産力の発達と生産関係の矛盾から原始共産制、古代奴隷制、封建制、資本主義と社会は弁証法的に発展してきたと述べます。
そして社会主義、共産主義社会へと進みます。
共産主義社会の実現で国家が消滅するので、理論上、それ以後革命は生じず、革命の歴史はそこで終わりになります。

 サーカーの理論では、歴史はシュードラ時代(革命)→クシャトリア時代→ヴィプラ時代→ヴァイシャ時代→シュードラ時代と永久に回り続けます。
すなわち永久に弁証法的発展を遂げていきます。
サーカーによれば、マルクスの「万国の労働者団結せよ」という理論は社会サイクルにおけるシュードラ革命の時期に通用する相対的真理です。
シュードラ革命が実現してクシャトリア時代になり、クシャトリア支配層が搾取的になるとそれと闘う根拠を提供できません。
資本主義は搾取的であり、社会主義になると搾取的でなくなるという理論構造になっているからです。
サーカーの理論は、資本主義を超える革命を起こしても次の段階の支配者が時代に合わず必ず搾取的になっていくという理論構造になっていますから、いかなる時代の搾取者たちとも闘うことのできるものになっています。

◎サドヴィプラと社会サイクル

 社会サイクルは永久に回り続けます。
反動的な試みは一時的なものに終わります。
誰も社会サイクルを止めることはできません。
サドヴィプラは、この社会サイクルのローテーションの中心に位置して、プロセスをよく観察し、必要な時はいつでも革新と革命に立ち上がります。
サーカーは、サドヴィプラが常に社会サイクルの中心に位置しているので、これを中心核革命(Nuclear revolution)と呼びます。
したがってこの中心核革命を担うサドヴィプラ社会集団を確立していく必要があります。

 「今日私は、理性的で、スピリチュアルで、道徳的なすべての闘う人々に対して早急にサドヴィプラ社会集団を築くことを心から求めます。
サドヴィプラは、すべての国のために、すべての人類の包括的な解放のために働かなくてはなりません。(中略)
新しい世界の新しい日の出に向かって、新しい時代の新しい人類を目覚めさせましょう」(Shudra Revolution and Sadvipra Society)

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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