Gayatri Mantra (video inspired by god of star)
(In age of Vaishya wealth is centered to Vaishya so much)
Dear
I am god salamnidam who downed social cycle theory to P.R.Sarkar.
Social cycle theory is historical materialism.
Historical materialism of Marx is middle wave of social cycle by seeing unity of conflict between productive force and productive relation.
Social cycle theory of Sarkar is small wave by seeing mentality of human.
Project of Heaven and gods do base on huge social cycle in scale of universe.
Theme of this time is Vaishya.
Vaishya is commercial mentality.
Commercial mentality exerts in production and distribution.
In age of Vaishya wealth is centered to Vaishya so much.
People become poor.
Life of people becomes difficult.
Revolution movement of people occurs.
こんにちは
私はP.R.サ-カ-に社会サイクル論をおろした神サラムニダムです。
社会サイクル論は史的唯物論です。
マルクスの史的唯物論は、生産力と生産関係の対立の統一を見ることによる社会サイクルの中位の波です。
サ-カ-の社会サイクル論は、人間のメンタリティを見ることによる小さい波です。
天と神々のプロジェクトは宇宙規模の巨大なサイクルにもとづいておこなっています。
今回のテーマはヴァイシャです。
ヴァイシャは商業的メンタリティです。
商業的メンタリティは生産と流通に活躍します。
ヴァイシャ時代に,富があまりにヴァイシャに集中します。
人々は貧しくなり,生活が困難になります。
人々の革命運動がおきます。
▼ヴァイシャI am god salamnidam who downed social cycle theory to P.R.Sarkar.
Social cycle theory is historical materialism.
Historical materialism of Marx is middle wave of social cycle by seeing unity of conflict between productive force and productive relation.
Social cycle theory of Sarkar is small wave by seeing mentality of human.
Project of Heaven and gods do base on huge social cycle in scale of universe.
Theme of this time is Vaishya.
Vaishya is commercial mentality.
Commercial mentality exerts in production and distribution.
In age of Vaishya wealth is centered to Vaishya so much.
People become poor.
Life of people becomes difficult.
Revolution movement of people occurs.
こんにちは
私はP.R.サ-カ-に社会サイクル論をおろした神サラムニダムです。
社会サイクル論は史的唯物論です。
マルクスの史的唯物論は、生産力と生産関係の対立の統一を見ることによる社会サイクルの中位の波です。
サ-カ-の社会サイクル論は、人間のメンタリティを見ることによる小さい波です。
天と神々のプロジェクトは宇宙規模の巨大なサイクルにもとづいておこなっています。
今回のテーマはヴァイシャです。
ヴァイシャは商業的メンタリティです。
商業的メンタリティは生産と流通に活躍します。
ヴァイシャ時代に,富があまりにヴァイシャに集中します。
人々は貧しくなり,生活が困難になります。
人々の革命運動がおきます。
◎ヴァイシャのメンタリティ
○1 享受よりも所有そのものを楽しむ
「物的対象の楽しみの味わい方は異なりますが、クシャトリアとヴィプラはどちらも物的富の享受を好みます。
しかしヴァイシャは、物的富を享受することよりも所有することに、より関心を向けます。
自分の所有物を眺めたり、それについて考えたりすることが彼らの心に平穏をもたらします」(The Vaesha Age)
富の享受を好むメンタリティの場合は、その富自体が持つ値打ちが発揮されます。
名画を壁にかけて楽しむとき、その名画は値打ちを発揮しています。
しかし富の蓄積と所有を好むメンタリティの場合は、名画を集めて財産を築いたこと自体が喜びであるため、その名画自体の値打ちは発揮されていません。
「ヴァイシャ時代では、物的財の実質的値打ちが他のどの時期よりも低いのです。
財は次第に活用されなくなり、価値を減じます。
これがヴァイシャ時代における最大の災いの種です」(The Vaesha Age)
○2 蓄積するという意図を隠さない
ヴァイシャもヴィプラも、他人の知力や身体的労力を利用する点では同じです。
違いは、ヴィプラは楽しみの対象を欲していることを率直にいわずにいろいろな理屈をつけますが、ヴァイシャは自分が富の蓄積をめざしていることを率直に口にする点にあります。
「ヴィプラは、楽しみの対象を得る時に他人には自分の意図を知らせません。
彼らはさまざまなロジックや経典からの引用、無関心のふり、その他のいろいろなテクニックを用います。
ヴァイシャはそのようなことをしません。
少なくともこの点では、彼らはヴィプラよりも率直です。
彼らは自分の意図、すなわち楽しみの対象の数を増やし、蓄積するという意図を隠しません」(The Vaesha Age)
ヴィプラの場合は知性が邪魔をし、楽しみの対象を得るためだと率直にいえないということです。
○3 どんな時でも富の蓄積は忘れない
ヴィプラが良心を発達させると、自分の知力を自分の喜びのためだけに費やすのが嫌になり、無私の精神で社会変革や奉仕に携わる人が出てきます。
レベルの高いヴィプラ(サドヴィプラ)です。
しかし、そのようなことは決してヴァイシャには起こりません。
ヴァイシャはどんな時でも富の蓄積を忘れず、すべてを営利の目で見ているとサーカーはいいます。
「ヴァイシャは貪欲な目で世界を見ていきます。
完全に正確にこの世の問題を見ている能力を持っておらず、物事の経済的価値以外は何も理解しません。
彼らの営利本位の見方は物質世界に限らず、知的な世界と精神性の世界をも含みます」(The Vaesha Age)
ヴァイシャは人の尊厳までもお金の見地から評価します。
それは社会のすべてに深い影響を及ぼしています。
○4 物的対象の観念化によって粗大な性質を身につける
サーカーによれば、心の求めるものを「パブラ」といいます。
パブラが物質的なものであれば、その人の心は次第に粗大になります。
パブラが精妙なものであれば、つまりその人が精妙な喜びを求める人であれば、その心は精妙な優しいものになります。
ヴァイシャの心は財の蓄積を常に念願します。
たとえば名画を眺めて満足する心は精妙な方向に導かれていますが、その名画でどれだけ儲かるかを考えている心の中は、外見と異なり、次第に粗大化して、優しさを失っていきます。
「物的な楽しみの対象を蓄積した後は、ヴァイシャとヴィプラとでは異なります。
ヴィプラはより高い追求(研究、仕事)について考えるので、楽しみの対象を観念化しません。
一方、ヴァイシャは楽しみの対象を観念化するため、やがて粗大な物質の性質を身につけます」(The Vaesha Age)
お金を追い求めて粗大になった心は不正直でゆがんだ心でもあり、お金儲けのためには良心やモラルを捨ててしまうようになります。
私たちはバブル期の金融界の最高責任者たちの中にそのような心を見ました。
サーカーは、資本主義の最後の段階になるとヴァイシャはヒューマニズムのかけらも持たなくなると、さらに厳しい言葉で表現しています。
「自分の知力を長期間にわたって物的な富の蓄積のみに用いる時、人々の知力は次第にその方向に発展していきます。
この種の思考を自分たちの心理体(この概念については別冊のサーカーの心理学のところで説明します)に吹き込むからです。
最終的には『どうすればもっと蓄積できるか』が彼らの唯一の思考になります。
社会的精神やヒューマニティの感覚は次第に消え、最後はまったくの吸血鬼になります。
彼らはほんのわずかのヒューマニティのかけらも保持していません」(The Vaesha Age)
いかに蓄積するかだけを考え、それによって世界の人々がどれほど飢えるかは考慮に入れないヴァイシャ経営を、グローバル経済の多国籍企業の中に私たちも見出すことができるのではないでしょうか。
○5リスクを負ってお金を手に入れる勇気
「ハイリスク・ハイリターン」という言葉がよく使われます。
起業家精神を育てようというスローガンが教育の中に持ちこまれています。
教育は本質的にヴィプラが担当しているものです。
教育は粗大な心から精妙な心へと精神性と道徳性を培うところであり、物的対象を観念化させる教育は人間性の低落を引き起こすことになります。
しかし現在、それが公然と唱えられ、教育界の中に影響を及ぼしていこうとしています。
いかにヴァイシャのメンタリティが社会に大きな影響を及ぼしているかがわかります。
このハイリスク・ハイリターンの考えこそヴァイシャを勝利に導いた資質です。
サーカーは次のように言及します。
「ヴァイシャは、どんな栄光も生活のリスクをかけて手にします。
この点ではヴィプラよりも明らかに優れており、クシャトリアよりも優れているかもしれません。
ヴァイシャは常に生活と個人的な利益と損失の浮き沈みの可能性を心に留めているので、あらゆる事態に適応する能力を広範に身につけます。
とりわけ贅沢に引きつけられず、苦難に退きません。
それが彼らの成功への鍵です」(The Vaesha Age)
○6 本物のヴァイシャは窮乏に耐え、蓄積を楽しむ
ヴァイシャは贅沢な生活を楽しむのではなく、蓄積と所有を楽しみます。
そのため、彼らを贅沢な浪費家だとイメージするのは間違いです。
「禁欲的エートス」をもって自らの生活を律し、財の蓄積に全力を尽くします。
日本でも著名なヴァイシャがメザシを食べ、質素な生活をしていることが報道されましたが、それは本物のヴァイシャのメンタリティだと考えられます。
「ヴァイシャは単に富を蓄積することで満足し、蓄積した財宝について考えることを楽しみます。
それゆえ大富豪のヴァイシャでも、時にはギリギリの生活必需品まで軽視します。
彼らは、お金を数えている時には空腹を忘れます。
蓄えた富を見る時、彼らの心はそれに没頭しています」(The Vaesha Age)
しかしヴァイシャの子孫たちは質素な生活を忘れ、次第に生活面でも貪欲になっていきます。
○7 ヴァイシャ・メンタリティの起源
マルクスの『資本論』では、サーカーのいう「物的財の実質的値打ち」は「使用価値」と表現されています。
富の蓄積と所有を追求するヴァイシャのメンタリティは、「交換価値」の変じた貨幣に対して「物神性」を見ることとして表現されています。
マルクスは「存在が意識を規定する」という唯物論の命題どおり、経済的諸関係の中からそのようなメンタリティが発生するという見方をします。
サーカーの理論では、ヴァイシャのメンタリティはもともとそうした資質の持ち主が、経済諸関係の中でそうしたメンタリティを発達させるということになります。
すなわち、ヴィプラ時代にクシャトリアの人格的・身体的パワーとヴィプラの知力に敗北した人々が別の社会的認知を得る努力をする中で(心理的衝突の中で)お金を作る知力を発達させたのだといいます。
「ヴィプラ時代に、身体的な力や勇気、知的な能力がないために敗北した人々は、別の生き方を発見し、社会的認知を得ようとしました。
自分たちを確立する努力を継続する中から生じた特定のタイプの心理的衝突が、彼らの中にお金を作る知力を発達させました。
この手腕は、彼らが強者の強さや勇者の勇気、知識人の知力を利用するうえで役立ちました」(The Vaesha Age)
◎ヴァイシャの搾取と搾取構造
○1 より厳しいヴァイシャの搾取
ヴァイシャの心は財の蓄積を目的とするため、クシャトリア支配やヴィプラ支配よりも他者の搾取(利用)が一層厳しくなります。
サーカーは、ヴァイシャ搾取の厳しさを繰り返し述べます。
「クシャトリア時代とヴィプラ時代には、倉庫で穀物が腐っていたとしても一般の人々が飢えて死ぬことはまれです。
これらの時代には富の不均衡がありますが、クシャトリアとヴィプラは、自分の財を享受したとしても、他の者を窮乏や貧困、飢餓の状態には蹴落としません。(中略)
ヴァイシャにとっては、シュードラやクシャトリア、ヴィプラは搾取のために用いる道具であるだけでなく、搾取の源泉でもあるのです」
「ヴィプラとヴァイシャは、いずれも社会を搾取します。
しかし、ヴィプラ搾取者はヴァイシャ搾取者ほど恐ろしくありません。
ヴァイシャは、その生命の樹液を吸い尽くして社会という木を枯らせてしまおうとする寄生植物のようなものです。
木が枯れると寄生植物も死にます。
ヴァイシャという寄生植物はそれを知っているので、いくらかの寄付をすることによって社会の存続を確保しようとします」(The Vaesha Age)
サーカーは、このようにして社会の存続を確保するヴァイシャは、レベルの低いヴァイシャではないが高いレベルともいえないとして、こう付け加えます。
「しかし、低級ではないヴァイシャを『レベルの高い』ヴァイシャと呼ぶつもりはありません。
彼らが搾取とともに寄付をすることで社会に恩恵をもたらしたとしても、それが彼らの搾取によって死んでいった人々の生命を生き返らせるものではないからです」(The Vaesha Age)
○2 ヴァイシャ時代の終わりには社会的意識を失う
このように動機が何であれ、つまり自分の寄生する木(社会)を枯らさないためであれ、ヴァイシャはいくらかの社会的精神を持っていました。
しかし最後にはそれも失うとしてサーカーは次のように述べます。
「彼らの社会的動機が何であれ、ヴァイシャは時に社会奉仕や慈善活動のためにお金を費やします。
しかしヴァイシャ時代の終わりには、彼らは社会意識の最後の痕跡すら失い、その無謀さの結果としてシュードラ革命が起こります」
「ヴァイシャ時代の初期には、ヴァイシャは蓄財と社会奉仕の両面においてお金を作るための知力を用い、これらの問題について社会のメンバーから助言を受けます。
しかしヴァイシャ時代の末期までには、彼らは蓄積に酔い、あまりに無責任になり、誰からも助言を受ける用意がなくなります。
彼らは社会を搾取するためにだけ、お金を作る知力を用います」(The Vaesha Age)
○3 ほぼすべての社会悪がヴァイシャによる搾取から生じる
サーカーは、ほとんどの社会悪がヴァイシャによる搾取から生まれていると指摘します。
ヴァイシャが利益獲得に走る結果、大衆の生活必需品が不足し、強盗や闇商売などの犯罪行為を生み出します。
根本原因はヴァイシャの搾取にあるのに、ヴァイシャは社会の指導者として道徳を説きます。
「ヴァイシャの銀行預金残高を増やすために、ヴァイシャは食べ物や衣服などの生活必需品の欠乏を人工的に引き起こし、闇市場で儲けます。
法外な価格で商品を買う力のない人は最低限の生活必需品を得るために盗み、凶器を持った強盗その他の犯罪行為にかかわります。
衣食に恵まれない貧しい人は貪欲なヴァイシャの手先として闇商売や密輸に手を染めます。
捕まって罰を受けるのはこれらの貧しい人々です。
ヴァイシャは財力のおかげで逃れます。
不運な貧しい人々は良心を失って一層罪深くなり、社会はこれらの罪人をとがめます。
豊かなヴァイシャは罪人たちを煽動したにもかかわらず、公共の指導者としての役割を演じます。
花輪をつけ、熱烈なスピーチをして大衆にもっと大きな犠牲を勧めます」(The Vaesha Age)
売春を完全になくす方法も、ヴァイシャ支配の社会システムをなくす以外にないとサーカーはいいます。
「売春という厭うべき社会の病気もまたヴァイシャの作ったものです。
富が過剰になった結果、ヴァイシャは自制心と品性をなくします。
その一方で、貧困によって多くの不幸な女性がこの罪深い仕事に身を落とすことを余儀なくさせられます」(The Vaesha Age)
サーカーはインドを例に、法的には売春が禁止されるようになったが、以前には制限されていた売春地域が実際には広がってしまっていることを指摘します。
そして売春をなくすためにはヴァイシャ支配という経済的不公正をなくすことだと強調します。
「この罪深い職業をインドで根絶するためには、ヴァイシャの社会システムを廃止することが必要です。
売春事例の80%は経済的不公正が原因だからです。
もちろん、間違った教育や卑しい性向のために売春や買春にふける男女がいる限り、経済的不公正が根絶された後も続くでしょう。
ですから、法律を制定するかわりにヴァイシャの搾取システムが廃止されなくてはなりません。
そして法的に何かを禁止するかわりに健全なものの見方が助長されるべきです」(The Vaesha Age)
○4 ヴァイシャの搾取構造
ヴァイシャは、お金でシュードラの労働力やクシャトリアの人格的パワー、ヴィプラの知力を買って富を増やします。
クシャトリア時代、ヴィプラ時代と比較しながらサーカーは次のように述べます。
「ヴァイシャは自分たちの必要に応じてシュードラの労働力やクシャトリアの力強い人格性、ヴィプラの知力を買い、富を増やします。
シュードラはちょうど家畜のように、単に生存のためだけに身体労働を売ります。
彼らが労働力を売るゆえに、社会は存続して前進します」
「力強い人格をもつクシャトリアは、シュードラから引き出す労働で社会構造を打ち立て、維持します。
ヴィプラは知性によってクシャトリアの人格的な力を役立たせます。
ヴァイシャはお金と資本家的メンタリティによって、ヴィプラの知性を自分たちの富を増やすのに役立たせます」(The Vaesha Age)
ヴァイシャは、自分のために財を増やす機械のように社会をとらえ、社会という機械を自分の所有物であるかのように考えます。
「もちろんヴァイシャは社会的ボディの一部ですが、彼らは社会的ボディ内のお金を作る機械の一部分ではありません。
彼らは分離しています。
彼らは油や水や燃料を機械に供給しますが、機械の中で過ごしているというよりも、機械からずっと離れています。
彼らは考えます。
『機械が動くようにと、私が油や水、燃料を供給したので、その生産物のすべては私のものだ。
私のお金で機械を作った。
私のお金でその機械を壊すこともできる。
必要なら、油、水、燃料をもっと供給して、機械をさらに働かせることもできる。
必要がなくなれば、廃品置き場に送ることもできる』」(The Vaesha Age)
○5 国家資本主義
サーカーは、国家資本主義も本質的にヴァイシャの搾取システムだと見ます。
国家は資本を投資して国民的富を増加させなければなりません。
しかし、この場合の国民的富の増加は、一部の国民の富の増加を意味します。
国家資本主義における平均収入の統計にはごまかしがあります。
富裕者の平均収入が増加していれば、貧しい人の平均収入は増加していなくても、国民全体としての平均収入は増加したように見えます。
私たちは「開発独裁」と呼ばれた発展途上国の経済成長スタイルの中にこのような国家資本主義を見てきました。
「この種の国家資本主義を支持することはできませんが、国家が、国家の富を増やすために資本を活用しなくてはならないことは否定できません。
もし国家資本主義が搾取することを絶えず追求せず、一人当たりの収入を増加させようとするならば、私たちは国家資本主義を称賛せざるをえません。
私たちはそれを模範的な社会主義と見なすことができます」(The Vaesha Age)
一部の人の収入増だけでなく、一般の人々が1人当たりの収入を増加させているかどうかが経済的搾取の有無を判定する重要な基準となります。
シュードラ革命への用意をしつつも、ヴァイシャ支配構造の下で、一般の人の収入の増加、購買力の増加を求めて、すなわち搾取の緩和を求めて運動する必要があります。
○6 ヴァイシャから偽ヴァイシャへ――搾取の強化
サーカーは経済的知力の下で何人かのヴィプラが経済的な知力を発達させるといいます。
私たちの社会でもエコノミストの学者ヴィプラが経済の担当大臣になっていますが、このような人々は偽ヴァイシャであり、ヴァイシャの良さもヴィプラの良さも持っていないといいます。
ヴィプラは知を追求する人ですが、財を追求するメンタリティを持つことで人間として低下している上に、リスクを厭わない本物のヴァイシャとは違って安全な地位を確保しているからです。
その上で、労働者のリストラが必要であることをマスコミで説くのです。
サーカーは次のように表現しています。
「ヴァイシャ時代の終焉に向けて、偽ヴァイシャが社会を支配していることが明らかになります。
ヴィプラのゆがんだ思考が、これらの偽ヴァイシャのヴァイシャのような経済的な知力と混ざります。
しかし偽ヴァイシャはヴァイシャとヴィプラのどちらの良い資質も持っていません。
そのため、ヴァイシャ時代のまさしく最後までヴァイシャから受け継いだものを彼らは実行しますが、最終的にはまったくの悪評と恥辱の中に陥ります」(The Vaesha Age)
○7 偽ヴァイシャへの厳しい言及
「偽ヴァイシャは、自分たちの子孫が能力不足によって将来、財政的な困難に直面するかもしれないという不安から、社会全体を搾取し続けるだけでなく、子孫のために莫大なお金を蓄えておきます。
そのお金は、部分的にもしくは完全に活用されないままになります。
資本の非活用は経済的搾取の最悪の成り行きです」(The Vaesha Age)
日本でも、ここでサーカーの言う学者ヴィプラの偽ヴァイシャにあたる大臣が大臣就任期間中に投機活動をしていたことが肯定的に報道されていましたが、ここでサーカーが述べているような心理が働いたのでしょうか。
そういえば、破綻したロングターム・キャピタル・マネジメント社というアメリカの大手ヘッジファンドは2名のノーベル賞経済学者を抱えていました。
優秀なヴィプラの頭脳が財の蓄積のために知力を使い、偽ヴァイシャになりました。
起業家育成と称してヴィプラの卵である学生を偽ヴァイシャとして育てようとする取り組みが広がっています。
このようにして育つ偽ヴァイシャの時期がヴァイシャ時代の終末で、社会は混乱に陥ります。
「自分たちによる搾取を妨害なしに永続化させようとして、偽ヴァイシャは自分たちの経済的な知力だけなく、自分たちの持つ他の知力すべてを使います。
彼らは是が非でも政府権力さえ握ろうとします。
そしてその権力を搾取の道具、社会全体を粉々にする冷酷な機械として用います」(The Vaesha Age)
そこでシュードラとシュードラ状態に低下したクシャトリア、ヴィプラの反乱、反抗が起きます。
「搾取されて踏みにじられた人々や、搾取されて死ぬことを欲しない人々は反乱を起こします。
シュードラ革命は不正直なヴァイシャに支配されたヴァイシャの時代に起きます」(The Vaesha Age)
ただし、後述するようにヴィジョンなき反抗は社会をさらに悪化させるだけです。
資本主義を廃止し、新しい時代を築くには人々の心を変える容易周到な準備が必要だとサーカーはいいます。
◎ヴァイシャの短所の中の長所
○1 必要な財を生み出した
ヴァイシャ時代の直中にいる私たちは、ヴァイシャの搾取に対するサーカーの厳しい指摘にもかかわらず、その生産や科学技術の進歩などに実感として長所を感じてきました。
サーカーは、「この世に善だけ、悪だけというものはありえない」と述べ、ヴァイシャの長所についても正当に指摘しています。
「こうしたすべてにかかわらず、私は、この世にまったくの善やまったくの悪は存在しないと主張します。
いかなる個人的な試みや集合的な試みをするにも、最初は、お金か資産の形のどちらかの資本を必要とします。
そのような資本を大量に非常に多様な方法で作り出す機会は、ヴァイシャ時代にやってきます。
そのような資本の助けで、個人と集団の両方に必要な財が生み出されていきます」(The Vaesha Age)
○2 資産の管理運用能力の高さ
ヴァイシャの財産管理能力は優れているため、それを政府や協同組合、一般大衆の代表者に任せると間違った使い方や非活用が生じるとサーカーは指摘しています。
「国の内部の資本であれ、外部からの資本であれ、全般的な生活水準を向上させるためには資本が必要です。
資本は、部分的に、あるいは全面的に個人によって管理されなくてはなりません。
もちろん管理する個人はヴァイシャです。
もし、どのように用いられるべきかを検討することになしに、資本の使用や管理を政府や協同組合、あるいは一般大衆の代表者に任せたら、資本の非活用や間違った活用がどんな状況でも必ず生じます。
これは、資本主義諸国が物質的領域できわめて急速に発達する理由です」(The Vaesha Age)
このヴァイシャの長所が、民営化の中で公共部門をどんどんヴァイシャの私的経済活動の中に移すことを人々が支持する根拠ともなっていると思います。
実際、道路建設が非常に非採算的になされるようなことはヴァイシャの管理下ではありえなかったでしょう。
集団経営の管理権をヴァイシャの手から国家に移した旧ソ連の失敗の主な理由がここにあるとサーカーは考えます。
「もし富の所有権が個人から取り上げられ、国家の手に置かれたら――言い換えれば、もしヴァイシャ・システムが力によって廃止されたら、経営者たちは私的所有者と同じ程度には資産の管理を行なうことはできないでしょう」(The Vaesha Age)
ただしサーカーは、将来的には経営をヴァイシャの手から協同組合に移すことを支持しています。
ここではサーカーがヴァイシャの資産管理運用能力の高さだけ評価していることを指摘しておきましょう。
充分な心理的用意なしに協同組合化を実施すると社会的損失まで引き起こすゆえに、心理的準備ができるまでヴァイシャに経営を任せるほうがいいですよと読み取りました。
◎搾取の永続化の努力
○1 社会的寄生者としてのヴァイシャ
生活必需品の生産、貯蔵、分配はヴァイシャの所有権と部分的な管理の下でなされていますが、そのための労働、知力を提供している人々はヴァイシャではありません。
ヴァイシャは、ヴィプラ、クシャトリア、シュードラの助けなしに搾取機構を回していけないことを知っているので、ヴァイシャとそれに奉仕するヴィプラは心理的操作を行なってヴァイシャの搾取機構を守ります。
「大言壮語の裏で、ヴァイシャは自分の資本主義的支配を永続させるために心理的な操作(ごまかし)を続けています。
そのプロセスによってシュードラとクシャトリアは容易にヴァイシャの奴隷になります。
ヴィプラは何が起きているかを理解していますが、短期間の闘いの後、クモの巣にかかったハエのように彼らもヴァイシャに屈伏することを余儀なくさせられます」(The Vaesha Age)
○2 ヴァイシャ搾取機構維持のための心理的操作
ヴァイシャ搾取機構を維持するためには、まずお金でヴィプラの知力、クシャトリアのパワーを買収し、シュードラを味方につけ、大多数の人々に世の中というものはこういうものだと諦めさせなくてはなりません。
そこでヴァイシャの僕となっているヴィプラたちは「諦めの哲学」を説きます。
そのためサーカーは「あらゆることが運命として定められている」という宗教の克服を重視し、その文脈からマルクスの「宗教は民衆のアヘン」という説も擁護します。
宗教が、民衆の搾取と闘う意識覚醒を妨げる側面があるからです。
第2に、団結してヴァイシャ構造に立ち向かわないよう、人類の間に紛争を起こさなければなりません。
そこでヴァイシャに買収されたヴィプラは人類の間を分裂させるさまざまなイズム(ナショナリズム、宗派主義、宗教)などを説き、ヴァイシャの搾取から人々の目をそらします。
「いかなるタイプの宗派的な紛争やあらゆる煽動された紛争において、対立する双方の背後に富裕なボスがいることは明白です。
ボスたち自身が槍や楯を持って立ち向かうことは決してありません」(The Vaesha Age)
第3に、ヴァイシャへの尊敬心がさまざまな手段で人々に注入されます。
雇われヴィプラたちが書くヴァイシャ美化の本、コマーシャル、公共施設にヴァイシャの個人名をつけるなどです。
ホールなどの建物にヴァイシャの個人名が冠せられていることがありますが、その事情についてサーカーは次のように述べます。
「時には、ヴィプラ、クシャトリア、シュードラが、いくつかの価値ある公共施設を維持するために尊敬に値しないヴァイシャの助けを求めることがあります。
そしてお金のために、そのヴァイシャの名前を施設につけることを余儀なくされます」(The Vaesha Age)
第4に、搾取機構維持のためにヴァイシャは投資として慈善的な行ないをします。
ただし、その投資は心理的満足だけでなく、後にそれだけの利益は必ず回収します。
「時にヴァイシャが引き受ける慈善的な仕事は、彼らの搾取を維持するための単なるトリックにすぎません。
彼らのほとんどの活動は、ヒューマニズムによって思い浮かべたものではありません。
彼らの唯一の目的は搾取の機構を維持することです」(The Vaesha Age)
以上の4点にとどまらず、自分たちの地位を維持するために常に新しい、一層手の込んだ形の欺瞞的なやり方をヴァイシャは考案していきます。
ただし、ほんのわずかながら正直なヴァイシャもいることをサーカーは指摘しています。
◎ヴァイシャの搾取の抑制
○1 ヴァイシャの貪欲さを物的強制力で規制する必要
サーカーは、ヴァイシャに搾取(利用)されたシュードラ、クシャトリア、ヴィプラを救うためにはヴァイシャからお金を取り上げるしかないといいます。
「彼らはお金であらゆることを果たそうとするので、お金が彼らの活力の源になります。
それゆえ彼らはお金を蓄積するために生活の中であらゆる種類のリスクをかけます。
お金のために彼らはいつでも良心、善悪、正邪の感覚を犠牲にすることができます。
ヴァイシャから搾取されたシュードラ、クシャトリア、ヴィプラたちを救うためには、ヴァイシャの力の源泉であるお金を取り上げなくてはなりません」(The Vaesha Age)
しかしヴァイシャのメンタリティは、自分たちのお金を失ったからといってなくなるものではありません。
なおも貪欲にお金を作ろうとし続けます。
したがって、資本主義の次に来る社会構造は、ヴァイシャの貪欲さに物的強制力を課すものでなくてはなりません。
「社会の構造がヴァイシャの貪欲にお金を作るメンタリティを無力にするような方法で確立され、社会がその方法で(時、場、人とのバランスを維持しながら)維持されなくてはならないでしょう。
これは、説得や哲学的議論によっては成し遂げることができません。
物理的な力によって彼らのお金を作る知力を無力にしなくてはなりません。
彼らに聖なる真実を示し、座らせ、彼らの頂点に進む知性を目覚めさせるために精神性の実践を実行させなくてはなりません」(The Vaesha Age)
物的強制力とは、特定の人数を超える従業員を働かせている私企業は協同組合化とするという法律の制定などのことだと解釈します。
現在は、このサーカーの主張とはまったく反対にお金を作る知力が全面的に開花する方向に改革がなされています。
すなわち経済自由化の掛け声の下で、課せられていた営利活動への制約が解かれ、より広い領域がヴァイシャの営利活動の対象となりつつあります。
サーカーのいう「物理的な力」とは、人々を守るためにヴァイシャの無制限な営利活動に対して必要な規制をかける運動や法律のことだと理解しました。
○2 絶望した多数者の反ヴァイシャの反乱は未来を開かない
多くの者が搾取に耐えることができず他に出口を見いだせない時、絶望的になって行動に移す時に、ヴァイシャ時代は終わります。
しかし、絶望した多数者が反乱に立ち上がったからといって良い時代が到来するわけでありません。
新しい社会への周到な準備なしには、一層の混乱がもたらされます。
「その時には彼らは絶望的で盲目的で心ない人々になり、良心と知性と理性を完全に失っています。
ある日彼らはヴァイシャ構造を容赦なく粉砕します。
なぜこんなことをするのか、新しい構造はいかなるものであるべきかという考えは決して彼らの心に浮かびません。
彼らはただ生き延びるために闘争に立ち上がるだけです。
『どうせ生きられないのだから、早く死のう』と考えます。
この方向性のない革命が進行するうち、シュードラ、クシャトリア、ヴィプラの心の状態はほとんど同じものになります。
人類にとって価値あるものを彼らに期待することはできません」(The Vaesha Age)
私たちは理性と知性に導かれたシュードラ革命のために徹底した準備をしなくてはなりません。
「ヴァイシャが社会の寄生者であることを踏みにじられた人々が理解するには長い時間がかかります。それゆえ、ヴァイシャ時代を終わらせるには徹底した準備が必要です」(The Vaesha Age)
○3 ヴァイシャ構造終結への苦難の道
より人間的な原理に基づく社会をめざして改革を試みる人は、これまでも苦難に直面してきたことはよく知られています。
サーカーはヴィプラ時代の社会構造を改革しようとする人々は筆舌に尽くしがたい社会的な責め苦を受けたけれども、ヴァイシャ構造を打ち壊したいと思う人にはそれ以上の困難があるといいます。
「ヴィプラ構造を打ち壊したいと思った人々は、ヴィプラとその保護下にあるクシャトリア、シュードラとも闘わなければなりませんでしたが、ヴァイシャ構造を打ち倒したい人々は、ヴァイシャに従うヴィプラ、クシャトリア、シュードラの3つのタイプすべてと闘わなくてはならないからです」(The Vaesha Age)
ただし、ヴィプラ構造を打ち壊そうとする人とヴァイシャ構造を打ち倒そうとする人には、どちらも一般の人々から理解されないという共通性があるといいます。
「しかし、両者の間には共通性があります。
一般の人々は、自分たちのために努力している偉大な人々を理解できません。
もし理解したとしても支持しようとはしません。
人々の神経、勇気、労働をヴァイシャが金で買っているからです」(The Vaesha Age)
では、ヴァイシャの搾取構造を廃止しようとしている人間はどのような準備をしていかなくてはならないのでしょうか。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)
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