MANTRA Deva Premal Moola Mantra Part I II III
(video inspired by god of star)




( Intellectual mentality makes strengthen social system)

Dear
I am god salamnidam who downed social cycle theory to P.R.Sarkar.
Social cycle theory is historical materialism.
Historical materialism of Marx is middle wave of social cycle by seeing unity of conflict between productive force and productive relation.
Social cycle theory of Sarkar is small wave by seeing mentality of human.
Project of Heaven and gods do base on huge social cycle in scale of universe.

Theme of this time is Vipra.
Vipra is intellectual mentality.
Intellectual mentality makes strengthen social system.
Stability of social structure makes development activity of production and distribution.


こんにちは
私はP.R.サ-カ-に社会サイクル論をおろした神サラムニダムです。
社会サイクル論は史的唯物論です。
マルクスの史的唯物論は、生産力と生産関係の対立の統一を見ることによる社会サイクルの中位の波です。
サ-カ-の社会サイクル論は、人間のメンタリティを見ることによる小さい波です。
天と神々のプロジェクトは宇宙規模の巨大なサイクルにもとづいておこなっています。

今回のテーマはビプラです。
ビプラは知的なメンタリティです。
知的なメンタリティは社会システムを強化します。
社会構造の安定は生産分配活動を発達させます。


▼ヴィプラ

◎ヴィプラの心理

○1 物事を知的・心理的波動で動かしたい

 「知性ある人間の知力は、太陽光線が届かないところまで貫きます。
彼らは物事に追随することなしに、それを楽しみたいと思います。
すなわち彼らは、物事を彼らの知的・心理的な波動によって動かしていくことを望みます」(The Vipra Age)

 物質の波にコントロールされるシュードラに対して、物質の波をコントロールしたいという点ではヴィプラはクシャトリアと同じですが、クシャトリアが直接的な物的・身体的闘争を通じてそれを実現するのに対し、ヴィプラは間接的にクシャトリアの粗大な力を利用して、あるいは直接に知的な力でそれを実現します。

 「知力は粗大な物的・身体的な力をコントロールします。
そのため、知力と強さに恵まれたクシャトリアは指先や銃剣の先でシュードラを働かせます。
ヴィプラは、身体的力は劣りますが、より大きな知力に恵まれ、クシャトリアをコントロールします。
ヴィプラの勝利は知力の勝利であり、クシャトリアの剣とシュードラの労働による協力なしには起こりえなかったことです。
実際、ヴィプラの闘争のほとんどは神経細胞でなされています。
活動しているのは脳であり、筋肉ではありません。
筋力を使う仕事は彼らの忠実な僕であるクシャトリアとシュードラによってなされます」(The Vipra Age)

 このように他者を利用(搾取)するヴィプラをサーカーは低レベルのヴィプラだといいます。
社会サイクル論の中で論じている、粗大な世界のみを見ているヴィプラは低レベルのヴィプラです。
低レベルというのは、知力が低いという意味ではなく、スピリチュアリティの前進に貢献する精妙な知性ではないということであり、他者を利用・搾取しているという意味で卑劣であるということです。

○2 頂点に進む知性を持ったサドヴィプラの存在

 ヴィプラには、粗大な物質世界のみに向かわず、頂点に進む知性(Pinnacled intellect)、すなわち人間として最大限に尊いあり方を追求した人も少数ながら存在します。

 「しかし彼らの発達した知力は、物質的な富を蓄積することだけに夢中になるわけではありません。
精妙な心理的資源を生み出す大きな能力を同時に備えています。
彼らの知性と直観的な文化は『頂点に進む知性』の発達においてとくに重要です。
心理的な動機の観点では喜びを求めるヴィプラとクシャトリアの間に相違はありませんが、頂点に進む知性の発達に努めているヴィプラは、実質的にクシャトリアとは異なります。
頂点に進む知性の発達とその知力の勢いは、最高の精妙さに接します。
彼らの知的な運動が直線的であるのはそのためです。
その運動は加速性があり、多方面にわたります。
それは、すべての社会階級のすべての資質をその中に結びつけます」(The Vipra Age)

 ただし、このようなヴィプラは少数であり、大多数は俗的なヴィプラであって、クシャトリアの力を借りて享楽の対象の蓄積をめざしているとサーカーは考えます。
今日、ヴィプラたちが人々から一定の尊敬心をもって見られるのは、きわめて少数のサドヴィプラのおかげだったといいます。

 「ヴィプラは、知的な戦場での勝利と新しいタイプの知的表現の創案を人生でもっとも価値あるものと見なします。
この最高に価値あることに心が夢中になる時、彼らは他者を搾取することなど思いつきもしません。
そのような時、彼らは自分たちのイデオロギーや信念のために大きな苦しみや苦痛を被る用意があります。

 他のヴィプラは、こうした雅量のあるイデオロギーを持つヴィプラの名前を利用して、他者を搾取(利用)する機会を見出します。
今日、人々がヴィプラに対して抱く尊敬心はすべてこれらのイデオロギー的なヴィプラのおかげです。
人類が達成してきた知的、精神的進歩の9割以上が、度量の大きい無私のヴィプラの遺産だったからです。
彼らの貢献は、どんな時代にも忘れられることはありません」(The Vipra Age)

◎ヴィプラによる知的搾取

○1 全能力を知的搾取に用いる

 しかしながら、圧倒的多数のヴィプラは自分の全能力を「知的な搾取」に用います。

 「ヴィプラの成功は知力によるものでした。
知力の戦いでクシャトリアを打ち負かしただけでなく、心を打って畏怖、驚嘆させました。
ヴィプラは、すべての原始的な人間に共通なクシャトリアの弱点を利用しながら自分たち以外の社会すなわちクシャトリアとシュードラを搾取(利用)してきました」(The Vipra Age)

 サーカーは搾取(Exploitation)という言葉をたびたび用います。
これには他に「利用」という意味があります。
「知的な搾取」とは、他者を「知力で利用すること」という意味で読み取る必要があります。
どのように彼らは「知的搾取」をするのでしょうか。
すなわちどのように「他者を知力で利用する」のでしょうか。

○2 恐怖コンプレックス、劣等コンプレックスの注入

 「ヴィプラにとってもっとも重要なことは『他者を矮小《わいしょう》化して生きる』です。
他者を吸い取るためにその心に劣等コンプレックスを注入し、恐怖で服従させ、自らの権力を確立させるためです」(The Vipra Age)

 サーカーによれば、天国も地獄もありません。
しかし、クシャトリアの支配に成功したヴィプラは、天国と地獄という架空の観念を作って人々に注入しました。
その恐怖コンプレックスからヴィプラの指示に従わせ、搾取を容易にしました。
供物だけではなく、さまざまな宗教儀式を主宰することで謝礼を受け取りました。

○3 悪霊の観念の注入

 また霊の観念を広め、取りついた悪霊を退治してみせるなどして権威を打ち立て、謝礼を受け取ります。
これは古代や中世のヴィプラだけでなく、今日もなされています。
サーカーは次のように説明します。

 「ヴィプラは悪魔払いの祈祷師(エクソシスト)のふりをして、悪霊への恐れを利用してクシャトリアとヴァイシャからお金を騙し取りました。
悪霊が心の生み出したものであるなら、悪霊に取りつかれている状態は心の病であることを知力あるヴィプラは知っているはずです。
異様な出来事の原因が悪霊と無関係であることは確かです。
悪霊憑きは心の病気です。
そのため祈祷師は、病気の人々を上手に鞭打ったり、トウガラシを燃やして煙を吸い込ませたり、その他の心理的なテクニックを用いてそれらを感覚のほうに回し、心の病気を治します。
しかし彼らは、本当の事実を誰にも明かしません。
むしろ意味のないマントラを不明瞭につぶやきながら、マントラや超自然的な秘儀の儀式、あるいは魔術の力によってすべての霊魂、幽霊、悪魔、魔女が退散し、その土地を去るのだと人々に信じさせようと企みます」(The Vipra Age)

 サーカーは、祈祷師の力で心の病である悪霊の仕業が治癒するのは、祈祷師が行なう場の雰囲気で生み出された集中力が治癒力を引き出しているからだと考えます。
しかしヴィプラたちはそれを知っていながら、自分たちの超能力によるものだと信じさせて効果を高め、クシャトリアやシュードラ、知力の劣るヴィプラから法外な収入を得ていると見ます。

○4 女性に対する搾取を作り出す

 サーカーは、女性を男性よりも低く見る見方は搾取を強化しようとするヴィプラ時代の一部の悪意あるヴィプラによるものだといいます。

 「ヴィプラの知力は、女性たちを無収入の奴隷の地位に引き下げました。
あらゆる点で女性を無力にすることを企てながら、ヴィプラは数多くの経典の指令、非論理的な教義、架空の罪と美徳の作り話とともに『聖なる』命令を作りました。
これらの話を聞かされた人々は、男だけが、とりわけヴィプラの男だけが神から選ばれた人間であり、残りの人間は彼らに喜びを提供するためだけに生まれたのだと思い込まされます。(中略)
ヴィプラ時代では、女性は紙の上では男性のよき伴侶で宗教的儀礼の同等の実行者とされましたが、実際には男性の召使となりました」(The Vipra Age)

 この中世のヴィプラ支配を特徴づけた男性優位は、続くヴァイシャ時代にも残存したと見ます。

○5 大衆をひれ伏させたヴィプラの文化

 中世のヴィプラは古代の文語を使用しました。
中国や日本の僧侶は大衆には意味のわからない漢字のお経を使いましたし、ヨーロッパでもラテン語、インドでもサンスクリット語という大衆にわからない言語を駆使して権威を高めました。
芸術家にも同じことがいえます。

 「ヴィプラの芸術家は、知的な輝きによって世界を征服したいと思いました。
詩、劇、文筆、絵画を通じて一般の人々が彼らの知力の優秀性に敬意を払うように仕向けました。
無知な大衆はそれらの業績を理解できず、『私たちが理解できないこれは、何か偉大なことに違いない』と考えました。
この心性によって、彼らは従順にヴィプラの足元に伏しました」(The Vipra Age)

○6 搾取の領域拡大のために紛争、戦争を生み出す

 ヴィプラは自分の貴重な人生とその知的・心理的財産のすべてを駆け引きの企てに費やし、自分たちの搾取できる範囲を拡大するために紛争や戦争を生み出します。
ヴィプラは血を流すわけではなく、戦争のプランを立てて指揮を執り、クシャトリアとシュードラを血の海へと向かわせるのです。

 「ヴィプラ時代の初期には、宗教をめぐって、王と王の間に、国(State)と国の間に紛争を生み出します。
邪魔されずに搾取を続けるために宗教的スローガンを叫び、さまざまな法令を発して人々の判断力を混乱させようとします。
こうして自分たちが搾取する領域を広げる努力をする中で、1つのグループを別のグループと敵対させ、1つの国を別の国に敵対させるように煽動します」(The Vipra Age)

 現在は、国は国民国家(ネイション・ステイト)にまで発展してきています。
今日のヴィプラの中にも、ヴァイシャの僕《しもべ》となってナショナリズムを説き、他の国家と対立関係を引き起こすことで自分の地位を確立しようとする悪魔的ヴィプラがいます。

 「今日でさえ、『宗教教育』について叫んだり、『宗教国家』を求めて叫び続けているヴィプラがいます。
彼らが本当に欲しているのは、自然に合理性に向かっていくはずの子どもの心を宗教的迷信の網に取り込むことです。
後にヴィプラの搾取の手の中の操り人形にするためです」(The Vipra Age)

○7 知力でクシャトリアの力を用いて戦争

 ヴィプラは知力でクシャトリアを動かし、その力を用います。
ヴィプラ自身は戦わず、クシャトリアの将軍を戦場に派遣します。

 「ヴィプラ支配の時代では、ヴィプラの大臣たちが勝利を喝采する一方、クシャトリアたちは悲惨な死に直面します。
世界のヴィプラ支配の国々の実態はこのようなものです。
ヴィプラの大臣の名前は歴史の年代記に褒めそやした言葉で書かれますが、歴史は戦場で何人の兵士が死んだか、何人が砲弾に当たって自分たちの黄金の夢が闇の中にかすんでいくのを見たかについては無関心です」(The Vipra Age)

 現在はヴァイシャの支配する時代です。
ヴァイシャが金の力でヴィプラとクシャトリアをコントロールしています。
ヴァイシャの支配下にあるヴィプラたちは、ナショナリズムやエスノセントリズムといった地域偏愛感情や宗教などを用いて人々を対立に引き込む悪魔的な役割を果たしています。

 「今日の世界においても、これらの邪悪なヴィプラたち、資本家ヴァイシャの庇護の下にある代理人たちは数百万の人々を死と破壊に導いてきました。
そして今も導きつつあります。
これらの悪魔的なヴィプラはヴァイシャの極悪な貪欲の祭壇に供物を提供し続けています。
今日、家のない難民の窮状、戦場で殺された兵士の母親、妻、その子どもたちの身を刺すような叫び声、人種暴動、あるいは宗派主義、セクト主義、地域主義、ナショナリズム、カースト主義の炎の勢いが世界中にあります。
その責任は、シュードラ大衆にも、戦っているクシャトリアにもありません。(中略)
ヴァイシャ支配の時代には、同様の罪を犯すことによってヴィプラはヴァイシャの飾り物のように輝きます」(The Vipra Age)
 戦場に将軍を派遣し、自らは戦争の指揮を執ったヴィプラの例としてサーカーはチャーチルを挙げています。

 「世界史の中で多くの戦争が起きました。
無数のシュードラと同じく知力の未発達な勇敢なクシャトリアが命を失いました。
しかし勝利の喝采は、遠くから戦場を覗くことすらしなかったヴィプラの大臣に与えられました。
『第2次大戦で英国が勝利したのは誰のおかげですか』と歴史家に聞いてみなさい。
『当時の英国首相チャーチルです』という答えが即座に返ってくるでしょう。
彼らは血を流して英国のために戦った数百万人の兵士や、たゆまぬ努力で英国の威信を救った数千人の科学者、技術者、職人、戦略家や将校のことを語らないでしょう。
これらの人々の努力はチャーチルの知力の前にかすんでいきました」(The Vipra Age)

○8 ヴィプラの肯定的側面

 ヴィプラの優越は知力によるものであり、外見的には正直、率直、精神性の姿をとっていました。
しかし、それは見せかけにすぎませんでした。
彼らは身体労働を避けるため、ますます社会の寄生者になっていきます。
しかしサーカーは、それが搾取の維持のためであれ、大衆の心に精神性へのインスピレーションの発達を促したことは否定できない事実だといいます。

 「それでも一握りのヴィプラは、大衆の福利と知識の普及によって支配権を維持しようとしました。
これはクシャトリアとシュードラの心にヴィプラに対するある種の愛を目覚めさせました。
そのためクシャトリアとシュードラは、利用(搾取)されてはいましたがヴィプラの強欲を見過ごしました。(中略)
ヴィプラへ奉仕することは、天の至福へ到達するための踏み台だという信念がしっかりと彼らの心に根ざしていました。(中略)
大衆のヴィプラへの献身、そしてヴィプラによって広められた精神性への献身は、大衆の内面における精神性の発達を助けました。
ヴィプラに対する反感があったとしても、この重要な事実を否定することはできません」(The Vipra Age)

 サーカーはヴィプラ時代のもう1つの長所として、ヴィプラは常に知力を用い、体を使わないため、身体的には弱くなったけれども、彼らの家族の中に優しい人間性が表現されるようになった点を挙げます。
それは子どもが両親の愛情に応えて両親に奉仕する中で養われたものだと考えます。
それは自分を生み出したこの世のすべてに奉仕する精神(スピリチュアリティ)にもつながりえます。

◎ヴィプラと社会構造

○1 行政のトップは意のままになるクシャトリアの手に残す

 クシャトリアが確立した政治経済体制をヴィプラはそのまま受け継いで統治します。
クシャトリアの王の子孫にそのまま統治させます。
しかしその違いは、粗大な力と知力のうち、知力のほうが優位にあることだとサーカーはいいます。

 「社会を維持するためには行政が必要です。
その行政を維持するために統治システムが必要です。
クシャトリアの粗暴な力によって確立した統治システムは、ヴィプラ時代にもそのまま残っています。
唯一の違いは、粗大な力に対して知力が優位に立っていることです。
知的・心理的な力が物的・身体的な力をコントロールします。
政府の支配権がクシャトリアの手に残っているように見えても、あるいは紙の上に残っていても、実際にはクシャトリアは完全に、知的なヴィプラの大臣にコントロールされています」(The Vipra Age)

 ヴィプラ時代には、クシャトリアの王はヴィプラの大臣や王族の聖職者の助言に逆らうことができません。
逆らった結果、王が粗大な力で一時的に優位を回復しても、それは「反進化」あるいは「反革命」であり、短期間しか維持できないといいます。

 「もし王がヴィプラの大臣たちに背いて進むならば、ヴィプラたちは一般大衆か別のクシャトリアのグループの助けを借りて、自分たちの選んだ王と置き換えます。
王たちは大臣の手の中の傀儡《かいらい》として糸で操られて上下する存在でした」(The Vipra Age)

○2 クシャトリアの築いた社会構造の継承

 サーカーは、規律と統一の感覚が社会の基盤になると考えます。
その感覚の土台はクシャトリアによってもたらされましたが不充分であり、ヴィプラ時代のヴィプラが道徳意識に基づいた社会意識をもたらすことによってよく編成された社会が可能となったといいます。

 「クシャトリアの強力なパーソナリティに基づいたメンタリティは、よく編成された社会を建設できません。
そのためにはヴィプラの知力に基づいたメンタリティが必要となります。
言い換えれば、道徳性に基づいた社会意識が必要です。
この意識はヴィプラ時代にヴィプラによって提供されます。
したがって、私たちが本当に社会として理解しているものは、ヴィプラ時代においてのみ本当に実現されます」(The Vipra Age)

 クシャトリア時代は、クシャトリアの強い人格的な力に左右されました。
それに対して、ヴィプラ時代のヴィプラは、成文法による統治をヴィプラの知性によってもらたすという貢献をしたとサーカーは指摘します。

 「王の気まぐれに従うのではなく、法的枠組みに従う国の行政、すなわち成文法あるいは慣習法による統治の手続きのコントロールはヴィプラの知性の貢献によるものです」(The Vipra Age)

 ある政治経済の支配体制が確立する時、私たちは人による支配から法による支配への流れを読み取ることができます。
その時に貢献したのがヴィプラの知力でした。
このようにしてヴィプラは、クシャトリア時代から受け継いだ社会をより編成されたものにしました。

○3 クシャトリアの規律とヴィプラの規律

 クシャトリアとヴィプラとでは規律の意味が違います。
戦闘で勝利を得るための規律がクシャトリア社会の規律であることに対し、ヴィプラの規律の意味は社会構造を維持することであると次のようにいいます。

 「ヴィプラ社会にも規律がありますが、その規律は道徳感覚に基づくものです。
ヴィプラの規律の目的は社会構造を維持することです。
そのため、決して社会的意識に背いて進むことはできません。
むしろヴィプラの規律は、時、場所、人の変化に規律を適応させます。
もしもそれが社会に有害であるなら、ヴィプラはその規律を奨励しません」(The Vipra Age)

 クシャトリアは、その規律が一般大衆に害となっているかどうかは考慮せず、規律自体を追求します。
しかしヴィプラには自分たちが搾取できる社会構造を維持する目的があるため、それまでの規律が、時、場所、人の変化によって社会構造に合わなくなれば変えようとします。

 「クシャトリアたちは、社会システムにおいて執拗に、自分たちが愚かな独裁者として頑健であると誇示しました。
しかし少なくともヴィプラはそのような誤りは犯しませんでした。
理由は明白です。
社会におけるクシャトリアの威信は彼らの独裁権に基づいていました。
そのため彼らは、どうしてもそのシステムを維持したいと思いました。
とはいえヴィプラの評判は知的な優越性だけに基づいていたため、知的な搾取の道を掃き清めながら、彼らは、時代の傾向に合わせることが適切だと思いました」(The Vipra Age)

 もちろん、変化に対応しない頑迷で保守的なヴィプラの存在もサーカーは指摘しています。

○4 ヴィプラによる搾取システムの維持

 このように、クシャトリア時代の変更不能な規律のための規律から、ヴィプラ時代には社会構造維持のための変更可能な規律となりました。
しかしそれはあくまでもヴィプラによる搾取システムを維持するためであり、論理と理性の道ではなく盲目的に信じさせる道に人々を進ませるものでした。

 「ヴィプラは知的な搾取に向かう傾向がありました。
たとえ何を打ち立て、壊したとしても、彼らは常に搾取の道を開けておきました。
知力あるヴィプラは論理と理性の道を開きませんでした。
それが搾取の手段でないことを知っていたからです。
逆に彼らは無知な大衆を盲目的な信仰の道に導きたいと思いました。
そのため彼らは自分自身の利己的な利益から社会的諸規定を作りました。
自分たちのいっていることを支えるために論理と理性を用いず、物知りぶった宗教的命令にふけり続けました。
それが、クシャトリア社会的制度と比べて、ヴィプラ時代に本当のヒューマニズムの前進が見られなかった理由です」(The Vipra Age)

○5 ヴィプラは分裂し敵対するが、搾取維持のためには不浄な同盟

 次の文章は、私たちの周囲に見られるヴィプラの姿をよく表現しています。

 「ヴィプラは、たいていは威張り散らす初老の男性のように振る舞います。(中略)
その結果、ヴィプラ社会は異なる見解を持った多くのグループや亜グループに分裂します。
誰も他者に寛容になれず、各グループは他者の考えを論駁《ろんばく》するのに忙しくしています。
こうした内部の衝突は、ある程度は社会の知的進歩の原因になってきました。
しかし彼らは、心の雅量(度量、広さ)の発達にはまったく寄与しませんでした」(The Vipra Age)

 寛容さに欠けているヴィプラに対して、クシャトリアは親分肌で、自分の配下以外は守らぬにしても度量の大きさを示します。
ヴィプラ社会は寛容さに欠け、グループに分裂して厳しく敵対します。
しかし、ヴィプラの搾取構造そのものを危うくするものが出てきた時には結束して搾取維持のために戦います。

 「搾取に反対するイデオロギーが頭をもたげようとする時はいつでも、関連する既得権益を持った集団が抵抗します。
そのイデオロギーの反対する搾取がヴィプラによるものである場合、それはもっとも強力な抵抗に直面します。
なぜなら、その抵抗は知識人によって支持されるからです」(The Vipra Age)

◎ヴィプラの搾取と闘ったレベルの高いヴィプラ

○1 精妙な道を進むもう1つのタイプのヴィプラ

 すでに紹介したように、スピリチュアリティの道を説く、搾取(他者の利用)とは無縁なヴィプラがいます。
その中からサドヴィプラも出てきます。

 「シュードラやクシャトリア、ヴァイシャの人々に精妙な道を歩ませ、人類に精妙なインスピレーションを与え、精神性の哲学を形成したヴィプラがいます。
このグループからは本物のサドヴィプラが現われてきました。
今日も現われていますし、将来も現われるでしょう。
ヴィプラを批判しながらも私たちは、心の発達の頂点、人間の友愛、普遍的な観点や物質的発展はヴィプラ時代の産物であったことを忘れてはいけません」(The Vipra Age)

 特定の宗教グループ、特定の民族グループなどへの帰属意識を高めるものではなく、全人類、全生命、全宇宙と一体感を高めていくものがスピリュアリティです。
理屈上ではなく実感としてそう感じているかどうかが問題です。
それに対して宗教は、特定の土地や建物、像などに特別の神聖さを付与し、自らの信じる神や宗教が自分に救いをもたらすのだと信じさせます。
宗教はある程度スピリチュアリティを含みますが、完全に普遍的にはなりきれません。
サーカーの言葉からスピリチュアリティの神概念を見ておきましょう。

 「もし神が完全な理想であると見なされるならば、神が常に公正であることが受け入れられなくてはなりません。
神はあらゆる人を愛しても、罪人は罰します。
ただし罰する目的は痛みを与えることではなく、その振る舞いを正すことにあります。
私の考えでは、こうした神についての考えははもっともレベルの高い把握です。
神が普遍的な父と見なされるならば、神は何らかの人種的、民族的、宗派的感情や他のタイプの制限ある感情を持たないはずです」(The Vipra Age)

○2 社会的経済的搾取の廃止のために闘うスピリチュアリストたち

 サーカーは、インドの歴史の中において、力を適用して悪に従事している指導者たちを打ち倒すためにインドのすべての王を統一したクリシュナ(Krs'n'a)に触れて、単に瞑想だけしていてはだめだ、搾取に対して闘って生きなくてはならないとカルマ・ヨーガを勧めます。

 「しかしながらそれは、暗くした部屋で、精神性の実践を行ない、どちらかの鼻孔で呼吸するためにだけ活用されるべきではありません。
人々は社会における罪の根本原因を打ち砕くことができるようにカルマ・ヨギーにもならなければなりません。
もし必要ならば、自分の親戚に対しても無慈悲に武器をとらねばなりません。
一般の人々のために、クリシュナは、利己性に基づいて作られた社会システムを打ち壊すための戦争を宣言しました。
彼は、グルや聖職者の搾取に反抗的な態度で対峙《たいじ》し、自らの心理学に基づいたカルマヴァーダ(Karmava'da 行動の教義)を提起しました」(The Vipra Age)

 サーカーが、クリシュナがグルや聖職者の搾取と闘ったことを評価していることがわかります。

 社会的経済的搾取と闘ったスピリチュアリストとして、サーカーはさまざまな人物を挙げています。

 「ヴァルダマーナ・マハーヴィーラ(Vardhamana Mahavira)は、科学的な見方に基づく新しいイデオロギーを発達させようとしました」

 「預言者ムハンマドは、迷信の泥水の中にいる無知で抑圧された人々に新しい生活方法を提供しました。
彼は世界中の人々は1つのカーストに属していると明確に述べました」

 「カビール(Kabir)とマハープラブ(Mahaprabhu)は、カースト制度に対して公然たる反抗を開始しました」
 「ラージャー・ラーム・モーハン・ローイ(Raja Ramamohana)は、この習わし(無実の女性を焼いて死に至らしめること=サティー)に反対しました。
そしてそれを止めさせるまで休むことはありませんでした。
結果として彼は何度も命を狙われることになりました」

 「ヴィディヤーサーガル(Vidyasagara)は、自分の住む地域で未亡人の再婚をヒンドゥー教徒に認めさせるまで休むことはありませんでした」(The Vipra Age)

 以上の人物に加えて、ブッダについても同じように触れています。

 「すべての歴史家が、クリシュナ、ブッダ、マハープラブ、マハーヴィーラの道がバラの花のまかれた道ではなかったことを知っています。
今日でさえ、既得権益の担い手は、そのような人物に共感しません」(The Vipra Age)

 別の個所で、ブッダも革命的で進歩的な役割を果たしたことをサーカーは評価しています。

 サーカーは、次のようにレーニンもモラルある指導者として挙げています。
レーニンの唯一の罪がヴィプラの搾取機構に打撃を与えなかったことだということは、聖職者支配のことを指しているのでしょうか。

 「今日、モラルある指導者として私たちの前に現われた人々の中で有力な慣習や迷信に対して抵抗した人々、たとえばレーニンやジョージ・バーナード・ショー、マナヴェンドラ・ローイ(Manavendra Roy)は、非難され、嘘の宣伝の犠牲となっています。
彼らはその歩みのあらゆる段階で理由なく反対され、口汚く罵られました。
彼らの唯一の罪は、ヴィプラの搾取機構に打撃を加えなかったことでした」(The Vipra Age)

 天才的なヴィプラは、その時代にすぐには受け入れられず、数多くの障害に直面し、非難、屈辱、誹謗《ひぼう》の対象となったとして、ガリレオ・ガリレイとともにマルクスを紹介しています。

 「搾取から人々を救おうとする意図をもってカール・マルクスが唱えた理論は、ヴァイシャと多くの程度の低いヴィプラによって迫害されました。
マルクス主義者の教義は、ヴィプラに社会的働き手としての余地を与えますが、ヴィプラが社会的寄生者となる余地はないからです」(The Vipra Age)

 さらにサーカーは、マルクスについて次のように言及しています。

 「ある搾取者のグループは、宗教に関するマルクスの意見に大声で反対します。
しかしマルクスは精神性(スピリチュアリティ)、道徳性、適切な振る舞いに反対しなかったことを覚えておくべきです。
彼の発言は、彼の時代の宗教に向けられたものでした。
宗教が人々を心理的に麻痺させ、罪人のグループに身を任せるように説得することで人々を無力化することに気づき、理解していたからです」(The Vipra Age)

 もちろんサーカーは、マルクスの説いた唯物論哲学をスピリチュアリティの哲学の立場から繰り返し批判しています。
サーカーは、スピリチュアリティの修養として日に二度の瞑想実践を勧めますが、それと同時に社会的経済的搾取と闘い続けることをカルマ・ヨーガとして統一的に追求し、弟子たちがサドヴィプラとして成長していくことを促しているものと思われます。

○3 イデオロギーの重要性

 サーカーは、イデオロギーの重要性を繰り返し語ります。
サーカーにとってのイデオロギーは「人はパンのみによって生きるにあらず」です。

 「クシャトリアもヴィプラも単に物的・身体的喜びのためだけには生きませんでした。
どちらもイデオロギーに捧げました。(中略)
献身の理想(イデオロギー)から知性の輝きが切り離されたままであることはできません。
イデオロギーに執着しない知性は、その輝きを長くは維持できないからです。
輝きは利己主義の暗がりの中に失われていきます」(The Vipra Age)

 献身の理想(イデオロギー)を持たなければ、知性は利己主義の暗がりの中で輝きを失います。
サーカーにとって最高のイデオロギーはスピリチュアリティであり、奉仕の対象は人類、生命、大宇宙そのものです。それは普遍的イデオロギーであり、天地万物は一なる聖なるものの表現であり、あらゆるものが尊重すべき聖なるものです。
それゆえに普遍的なイデオロギーを持った人々は社会経済的搾取に立ち向かったのです。

 普遍的イデオロギーを持って生きることができるのは、知力の発達したヴィプラに限られません。
たとえ知力が低くても、イデオロギーを持って生きる人間の心はヴィプラであるとサーカーはいいます。

 「政治的圧迫や迫害者からの暴力の脅しに屈せずに、自分たちの信念や宗教を保持しようとしてきた人々、そのために生命を失った人やその用意のある人々は、知的に発達していようがいまいが、心の性質から見るとヴィプラと見なされるべきです。
特定の教義の強制的に押し付けに対して抵抗や抗議の願望を持つ人々もまたヴィプラと見なされるべきです。
これらの教義には宗教の教義が含まれるだけでなく、社会的、経済的、政治的教義も含まれます」(The Vipra Age)

 スピリチュアリティの道、精妙な道を進む人は、その人がシュードラ、クシャトリア、ヴィプラ、ヴァイシャのメンタリティであっても、サドヴィプラへの道が開かれています。

◎社会サイクルから見たヴィプラ

○1 ヴィプラ、クシャトリア、シュードラのクラスター構造

 「クシャトリア時代の初期、個々のクシャトリアの周囲にシュードラの集団が育っていきました。
後にヴィプラが優勢になり始めると、同様に個々のヴィプラの周囲にクシャトリアの集団が形成されていきました。
それぞれのクシャトリアの集団の周囲に無数のシュードラの集団ができたことはいうまでもありません」(The Vipra Age)

 クシャトリアは粗大な力でシュードラを従えます。
ヴィプラは知力で周りのクシャトリアをコントロールします。
つまり、コントロールされているそれぞれのクシャトリアがシュードラを従える構造になります。
続くヴァイシャ時代には、ヴァイシャが財の力でヴィプラとクシャトリアをコントロールします。

 末期には本物のヴィプラよりも偽ヴィプラが多くなります。

 「シュードラ時代からクシャトリア時代、クシャトリア時代からヴィプラ時代、ヴァイシャ時代へ、そしてヴァイシャ時代がついに社会革命に至るという社会サイクルのローテーションは動かすことのできない自然の法則です。
クシャトリアとヴィプラはそれぞれの時代に、世界に変化しないものは何もなく、彼らの支配もまた彼らの能力の不足ゆえにいつの日か終わりに至ることを、ともかくも悟りました」(The Vipra Age)

 自分たちの支配に必ず終わりが来ることを悟ったヴィプラ、クシャトリア、ヴァイシャたちは、自分たちが地位を確立した力である人格的な長所や個人的な能力を子どもに身につけさせるよりも、相続権を確立して地位を相続させることを追求します。
そうすると、
 「このようにクシャトリアの王は、その能力がどうであれ、自分たちの息子を王にすることを望みました。
ヴィプラもまた、どんなに愚かであっても自分たちの子孫が尊敬を集め、社会においてヴィプラとしての特権が与えられることを望みました。
後の時代に、ヴァイシャが同じ事態に直面しました」(The Vipra Age)

 そのため、それぞれの時代の末期には本物の資質を持たない偽クシャトリア、偽ヴィプラ、偽ヴァイシャが支配することなり、次への進化と革命の時期を迎えます。

 「クシャトリア支配の時期には、血筋が優れているという理由で権力が偽クシャトリアの手に移っていったことに気づきます。
ヴィプラ支配の時期には、権力は偽ヴィプラの手に移りました。
これらの人々が権力を維持することは不可能でした。
この時が、クシャトリアからヴィプラに、ヴィプラからヴァイシャに権力が移るチャンスでした。
抑圧的なヴァイシャの支配が社会的に耐えがたいものとなった時、一般大衆が直接的な革命を通じて新しい社会サイクルの章を開きました」(The Vipra Age)

○2 力を持ってきたヴァイシャに屈伏するヴィプラ

 ヴィプラは知力で物事を動かします。
そのため、自分の思考を現実のものとする働き手や召使い、資金提供者がいなければ思考の大部分は無になってしまいます。
 「ヴィプラは(中略)富の蓄積にほとんど頭を使いませんでした。
彼らはいつもどんな事態にも対処できると考えています。(中略)
ヴァイシャは、知力では負けても、資本をもってヴィプラをコントロールし始めます。
卑屈なヴィプラは、ヴァイシャの財を増やすことに取りかかります。
ヴィプラは自分自身では財を蓄積する力に欠けていますが、富の増やし方をヴァイシャに説明します」(The Vipra Age)
 こうしてヴィプラはヴァイシャの召使い=資本主義の代理人になってしまいます。
資本家のヴァイシャは次第にヴィプラの手から社会の指導権をもぎ取り、ヴィプラの知力を用いて自分たちの支配を確立します。

○3 ヴァイシャ時代か否かの判定基準は財務省と中央銀行

 その国がヴァイシャ時代に入っているかどうかを判定する基準は「金融上の集金と分配」「それに対応する大臣のポスト」にあるとサーカーはいいます。
ヴァイシャの部下となっているヴィプラは資本家の帝国主義の召使いとしてさまざまな面で大きな権力を振るいますが、ヴァイシャの支配の基盤は「金融上の集金と分配」というシステムにあるため、決してその根幹部分をヴィプラに譲ることはないからです。

 「私たちは、ある国がヴァイシャ時代にあるかどうかを容易に判別できます。
ヴァイシャによってコントロールされた国家は常に民主的であるわけではありません。
明確な1つの指標は、ヴァイシャは常に金融上の集金と分配、それに対応する大臣のポストを正統派のヴァイシャの手に維持することです。
彼らは決して、この責任を教養ある経験豊富なヴィプラのエコノミストには委ねません。
自分たちの優位の確保を可能にしているのは金融上の集金と分配というシステムだからです。
ヴァイシャの社会システムでは、ヴィプラの学者はヴァイシャの計画を実行に移すための有給のプランナーであり、知的召使いにすぎません」(The Vipra Age)

◎ヴァイシャ支配下のヴィプラ

○1 ヴァイシャ支配下の華々しい知的進歩

 ヴァイシャのお金は、ヴィプラの頭脳をコントロールします。
ヴァイシャ時代には、ヴァイシャのコントロール下にあるヴィプラによってさまざまな面で知的進歩が生じます。
華々しい発見の数々や多様で豊かな芸術、商品の開発といったヴィプラの仕事は、実はヴァイシャ時代の経済的要請下でヴィプラが成し遂げた仕事だとサーカーはいいます。

 ヴァイシャは経済的搾取のためにヴィプラを知的悪魔のレベルに落とします。
ヴァイシャを美化し、ヴァイシャに抵抗するものを貶める本を書きます。
主人であるヴァイシャからの注文に応じて、ヴィプラの科学者は人類文明を破壊することのできる兵器を作ります。
心から喜んでそうするヴィプラもいますが、自分の研究を進めるには資金が必要であるため、ヴィプラはヴァイシャの要求に応じて奉仕するしかありません。
私たちは今日このことが産学協同の名で公然と大規模に進んでいるのを目撃しています。

 「かつて創造的で独創的な能力によって数多くの人々の尊敬を集めたヴィプラの多くが、食べ物と衣服のためにヴァイシャの情けにすがるようになりました。
詩人や文学者は、ヴァイシャの出版社の命令に従い、あるいはヴァイシャのコントロールする政府から称賛を得ようとして作品を書きます。
画家は市場の求めに応じて絵筆を振るい、商業芸術を作らざるをえません。
そしてその過程でもっとも精妙な芸術の形を無視してしまいます。
真実を書くかわりに、ジャーナリストは仕事を失うことを恐れて利益を追求する新聞社のもとめに応じて白を黒と描きます。
彼らは良心に反して、ふさわしくない人が指導者になるのを助けるために真実をゆがめます。
彼らは自分のペンで華々しい嘘を作ります」(The Vipra Age)

 サーカーの描く、ヴァイシャ時代のヴィプラのメンタリティについてのこのスケッチは、今日、少数ながらヴァイシャにコントロールされずに奮闘しているヴィプラたちを支える必要性を示しています。

○2 ヴァイシャの手先になったクシャトリア、ヴィプラの姿

 シュードラはヴァイシャ支配への移行に気づきませんが、ヴィプラとクシャトリアは気づいてもどうすることもできず、その支配下に入ります。
そしてヴァイシャの手先として活動し、財政的な支援に応えます。

 「ヴァイシャは、ヴィプラとクシャトリアの不統一やその他の弱点に完全に気づき、その知識を自分の権力維持を永続させるために用います。
1つのグループを他のグループと敵対させるために自分の財力を使います。
クシャトリアはヴァイシャへの恩義から、無意味な戦闘やケンカ騒ぎなどで生命を失います。
ヴィプラも同様にヴァイシャに養われ守られて、カースト主義、宗派主義、地域主義、ナショナリズムなどのさまざまな感情を生み出し、そのために必要な経典を編纂することによって派閥的な紛争を永続させます」(The Vipra Age)

 ナショナリストのヴィプラが、ヴァイシャに養われて他民族との摩擦を引き起こすような歴史「経典」を生み出し、宣伝している姿を私たちは今日、目撃しているところです。

 このヴァイシャ時代のナショナリズムは帝国主義の形をとり、人類の統一への前進を妨げる非常に有害なものだとサーカーはいいます。

 「この目的を達成するために、経済に基づく新しいタイプのナショナリズムが生み出されます。
それは人格的な力と家柄の栄誉に基づいたクシャトリア時代のナショナリズムとは違いますし、学識に基づいたヴィプラ時代のナショナリズムとも違います。
ヴァイシャ時代のナショナリズムは、人類の統一に対してきわめて危険な帝国主義の形をとります」(The Vipra Age)

 ヴァイシャが、なぜそのようなヴィプラのナショナリズムなどのイズムへ資金援助するのかについて、自分たちの搾取に対して団結して抵抗しないようにするためだとサーカーは明白に述べます。

 「ヴァイシャは人々を分裂させるあらゆるイズムを助長することをはっきりと理解すべきです。
カースト主義、宗派主義、地域主義、ナショナリズムは、主としてヴァイシャの財力によって支えられます。
彼らは、人々が自分たちの搾取に対して団結して抵抗できないように分裂させておくためにそのようなイズムに資金援助します」(The Vipra Age)

 ナショナリズムなどのイズムを社会に浸透させ、人々の心に半径を設定することが、ヴァイシャの支配に対して団結して闘うことを妨げることになるのは容易に理解できます。
現在、私たちは地域や宗派やネイション(国民国家)を超えて、ヴァイシャの搾取に対する団結を幅広く作り上げねばなりません。

○3 労働者の闘いを分裂して抑圧するヴァイシャ

 「ヴァイシャがコントロールする雇用者や国家が労働者の運動を抑圧するために差別的方策をとることは、教養ある人にはよく知られています。
あるヴィプラのグループの計画と知的運動を崩壊させるために、別グループのヴィプラがスパイや密告者として使われます。
スパイや密告者はイデオロギー的なインスピレーションでなく自分の胃袋を満たすために働きます。
彼らはヴァイシャの召使いにすぎません」(The Vipra Age)

 例として、サーカーは、ヒンドゥー・マハサバ(Hindu Mahasabha)運動の創設者であるインド議会の野党指導者シャームプラサード・ムケルジー(Shyamaprasad Mukherjee)の死にかかわる話を挙げています。

 「ヴィプラの1グループがシャームプラサード・ムケルジーの不可解な死についての調査を強く要求した時、別のヴィプラのグループがすぐにカルカッタの電車料金を値上げし、そのことで値上げに反対する運動を引き起し、世間の目をそらせました。
そのため、シャームプラサードの死に対して直接、間接に責任のある典型的なヴァイシャたちは処罰を逃れました」(The Vipra Age)

 私たちも、ヴァイシャが大きな社会的糾弾を受けている時に別の大きなニュースが発生し、人々の関心が移ることで、そのヴァイシャが指弾を免れる局面をよく経験します。
そこにはサーカーがここで指摘しているようなヴィプラを使ったヴァイシャの策動があるのかもしれません。

 ヴァイシャはこのようなやり方で、ヴィプラの雇い人だけでなくクシャトリアとシュードラを使い、政治変革だけでなく農業と工業の労働者の不平、不満を抑圧していると考えます。

 さらにサーカーは、ガンディーの非暴力運動について、創始者の精神は偉大だとしても、闘争なしにヴァイシャ支配を終わらせる幻想を人々に与え、ヴァイシャに対する反搾取の闘争を鎮静化する点でヴァイシャ支配に奉仕するものだといいます。
シュードラ革命なしに社会進化を説く福祉国家論も、意図は別として結果的にヴァイシャ支配に奉仕するものだといいます。
すなわち団結した闘争なしに福利の前進はないと説きます。

 「革命はいうまでもなく、革命の必要性すら知識人はまだ適切に感じてはいません。
今日、彼らの心は煮え切らない状態にあります。
彼らは、闘争なしに、クラーンティ(kra'nti 進化)を通じて自然にヴァイシャ時代が終わる良き日を待っています」(The Vipra Age)

○4 なぜヴァイシャ国家はヴィプラに賞を授与するのか

 毎年、政府の授与する勲章・褒賞の受章式の様子がニュースになります。
たしかに素晴らしい業績を残した人々です。
しかし、中にはわずかのお金と名声のためのおだてに乗らず、ヴァイシャの僕にならない姿勢を示すヴィプラも目にしました。
サーカーの考えでは、ヴィプラやクシャトリアは、ヴァイシャのようにお金のために危険をおかしません。
そのため、彼らの弱点を知っているヴァイシャ国家は、お金や名声を与えることで優れたヴィプラを飼い慣らします。
サーカーは次のように述べます。

 「クシャトリアの勇気とヴィプラの知力を少し褒めることで彼らの識別力を鈍らせます。
その後も容易に褒めて彼らを容易にお金で扱います。
ヴァイシャ国家では、詩人、科学者、文学者、偉大なヒーローには賞やメダル、肩書きが与えられます。
このすべてにあずかることで、ヴィプラとクシャトリアはわずかのお金やわずかの名声、評判のためにヴァイシャの足下に才能のすべてを引き渡し、幸福を感じます。
彼らは自分の墓穴を掘っていることに気づきません」(The Vipra Age)

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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