Eternal Love - a poem (violin music)
(video inspired by god of star)
(Mitsuki thinks that dialectical materialism and reincarnation are compatible)
Dear
I am cosmic program in your mind.
This part is that theory of Lenin have possibility to include reincarnation.
Mitsuki thinks that dialectical materialism and reincarnation are compatible.
こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
このパートは、レーニンの思想は、輪廻を含む可能性をもっている,です。
ミツキは、弁証法的唯物論と輪廻は両立すると考えています。
「不死」についてのレーニンのノートとサーカーの言葉I am cosmic program in your mind.
This part is that theory of Lenin have possibility to include reincarnation.
Mitsuki thinks that dialectical materialism and reincarnation are compatible.
こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
このパートは、レーニンの思想は、輪廻を含む可能性をもっている,です。
ミツキは、弁証法的唯物論と輪廻は両立すると考えています。
(1)
レーニンの『哲学ノート』を見ると
私は感心してしまいます。
およそ哲学者でもないのに古今の膨大な著作を
超忙しい時に自分のためにノートをつくって
勉強しているような人間が、
職業的学者以外に私たちの周囲にどこにみあたるでしょうか。
若い時、『哲学ノート』を読んでみようと思いましたが
チンプン,カンプンでした。
レーニンの寿命を超えるこの年になって
やっとちょっとだけ意味がわかるようになりました。
それにしてもレベルの高さに驚きます。
「今日、モラルある指導者として
私たちの前に現れた人々のうちで、
有力な慣習や迷信に対して抵抗した人々、
たとえば、レーニンや・・は、非難され、
うその宣伝の犠牲にされています。
彼らはその歩みのあらゆる段階で、
まったく理由なく反対され、
口汚くののしられました。」
(P.R.サーカー)
(2)
レーニンが「死後の生命の問題」について
どう見ているかを考えるために
彼がアベル・レイという人の『現代哲学』を
読んで『哲学ノート』にメモした内容を
見てみましょう。
「だがその場合、精神の不死の問題、
なかでも、それが個体として不死であるかという
問題はどうなるだろうか?・・・
たしかに諸関係の系は、永遠だとか不死だとかにはとても見えない。
しかしながら、ここには絶対に不可能なものはなに一つとしてない。
ありそうもない、と言うのはよい。
ありえないと言ってはいけない。
われわれが今置かれているこの領域においては
必要なことはただ、ありそうもない、という点を
実験によってくつがえすか
あるいはせいぜい、ありそうもないということを
あるかもしれないということに変えることである。
経験が、この主観的なものの背後に、生体が消滅した後までも
存続するいくつかの条件を発見し、またこの主観的なものを
部分的にではあるが、生体以外のものに依存させている
いくつかの関係をわれわれに発見させるべきである。
決定的なのは経験である。
経験だけがいろいろな疑惑を一掃する力をもっている。
先天的に言えば、与件の一部分の、たとえば意識の不滅性
・・・すくなくとも部分的な不滅性を・・・
その結果として導くようなある種の条件、
ある種の関係が発見されることに
反対するものはなに一つとしてないのである。」
「不死の生命を『ありえないことだ』
と決めつけないこのアベル・レイのスタンスが
科学を尊重する知識人としてもっとも誠実なスタンスではないでしょうか。
レーニンは『哲学ノート』にアベル・レイのこの部分を
ノートしているだけなのでレーニン自身の見解はわかりません。
しかし、レーニンにおける物質の定義は
「物質とは意識から独立して客観的に実在するもの」です。
それを逆に読むと意識が物質の前提として「存在」しています。
心の根底にある意識を永遠のものと設定しても論理的に崩れることは
ないのです。
弁証法的唯物論の哲学と不死の生命は、
レーニンにおいては両立する可能性を秘めていると考えます。
レーニンが今生きていて
ブライアン・ワイス博士がつかんだ証拠などの
経験的根拠を確認するならば
死後も根底において生命の根底をなすものが
継続することを認める可能性があるのではないかとも
思います。
(3)
サーカーが「死と不死」について語っている箇所です。
私たちが不死へ到達するためにどうすべきか
教えてくれています。
毎日、あらゆる人間が24000回死んでいます。
息は、吐かれなくて吸われ、次に吸われなくて、吐かれます。
だから、誰もが日におよそ24000回死んでいます。
しかし、私たちが実際に死と呼ぶものにおいて
おきていることは、いったん息が吐かれて、
一秒後ではなく
一年、一月、一日、あるいは百万年の期間の後に
再び戻ってくることです。
これが唯一の違いです。
だから死は一種の変化を意味しています。
インドリア(感覚器官)の外向きの運動を通じて
私たちは、変化する世界のみを知覚します。
しかし、不変、不死を分かりたい人々は
これらの変化のうねりを超えなくてはなりません。
変化をこうむらない唯一の実体は、不死実体です。
哲学的には、
私たちは相対性の領域、すなわち時、人、場所の領域
にやってくるいかなる対象も変化を被ることを
知っています。
時、人、場所の領域を超える実体とは何でしょう?
その実体はパラアートマ Parama'tma'です。
だからパラアートマ Parama'tma'にとって、
この宇宙のすべてのもの(対象 objects )は
死すべきものです。
だから不死に確立するためには私たちは何をすべきでしょうか。
先端化した知性を目覚めさせなくてはならないでしょう。
そしてその目覚めの過程で
先端化した知性 は
至高の意識( Supreme Consciousness, Parama Caetanya)に
溶け込むでしょう。
これが不死に達した状態です。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods