さとうきび畑 / 森山良子 ♪石崎睦子 (video inspired by god of star)



(Mitsuki thought that this miracle was caused by surrender to law of universe worked force of base of universe)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant Mitsuki in whole life.
This corner, we introduce view of health of Mitsuki

Health is not aim of life.
Significance of life of human being is quality of VO activity.
Teaching of negative gods ignore quality of VO activity.
Quality of VO activity is represented in doing accordance to providence.
To live anti-war is highest doing accordance to providence.
Mitsuki respects Miyamoto Kenji who was in jail 12 years for anti-war stance.
Miyamoto Kenji was on verge of dying in torture.
When he prepared for death, life force was strengthened.
Mitsuki thought that this miracle was caused by surrender to law of universe worked force of base of universe.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトは,人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
このコ-ナ-ではミツキの健康観を紹介しています。

健康は人生の目的ではありません。
人生の意義は高いVO活動の質にあります。
ネガティブ神の教えは、VO活動の質を無視します。
VO活動の質は,摂理にそったおこないにあらわされます。
戦争反対を生きることは摂理にそった最高のおこないです。
ミツキは,戦争反対のスタンスのために
12年間獄中にあった宮本顕治を尊敬しています。
宮本顕治は、拷問で死の淵にありました。
彼が死ぬ覚悟をしたとき、生命力が強化されました。
ミツキは,この奇跡は宇宙根底の法則にゆだねたことによって宇宙根底の力が作動したととらえました。


「拷問」と「飢えと寒さの獄中12年」を生き抜かせたもの

(1)
保健思想研究者の汲田克夫が『宮本顕治の保健思想』という本を書き
拷問と長期にわたる飢えと寒さの獄中12年を
何度も大病になりながらも生き抜くことができた背景を論じています。

汲田氏は、この本で、心身一元論の立場から、健康にとって
情動などの第一心理層と考え方などの第二心理層が
重要性であることを説いているわけですが
私は、それに加えて
自己を究極に委ね、自己の属性を無にする境地
すなわち高い精神性という意味でのスピリチュアリティを
あわせもつことの重要性を事実上教えてくれていると考えます。

(2)
この本の中で汲田氏は、12年の獄中生活は
いつ死んでしまってもおかしくない
過酷な状態だったことを宮本の言葉だけでなく
読売新聞社の解説部長の飯塚繁太郎の
次の発言で補足しています。
「今でも宮本は足を冷やすと拷問のあとがうずくという。
私は一度だけ、宮本の太もも近くをみることができた。
そこには宮本のいうように軽いへこみがあった。
当時の拷問による内出血の多かったところなのだという」

実際、当時の共産党幹部が獄中でいきのびることが困難だったことは
有名な小林多喜二のみならず
幹部の岩田義道、野呂栄太郎が、逮捕後に拷問死していることを考えればわかります。
また三木清という哲学者は、刑務所の生活が劣悪で病気になり
日本の敗戦直後に獄中で死にました。

治安維持法による犠牲者(衆院予算委員会での不破哲三氏の総括質問、1976.1月から
逮捕者総数, 数十万名 … 逮捕され拷問で殺された者, 65名.
逮捕が原因で獄死した者, 114名. 逮捕の後病死などでの死者, 1503名 …

(ちなみにサーカーのスピリチュアリティ論では
頭の中に理想主義的で普遍的な観念形態をいだき
その実現に殉じた人々を評価します。
ただし、獄中で不幸にして亡くなった人より
宮本顕治の方が、精神性が高いとかとは別の論点です。
そして100才以上の長寿の人が、若くしてなくなった人よりも
精神性が高いかというとそれもまったくの別問題です。
長寿自体が自己目的ではなく
物的肉体をもっているこの人生で何を貢献して
去るのかが問題なのだと思います。
本当のスピリチュアリティ(精神性)の高さは、
日本のちまたで繁盛している
営業スピリチュアリティとカルト系スピリチュアリティとは
無縁だなあと思います。
サーカーは、
お金をたくさんとるところ、
超能力をすごいだろうと宣伝する団体には近づくなと
述べていました)

(3)
汲田氏は、宮本顕治の次の証言を引用しています。

「特高課長毛利や特高警察の山形、中川らが来て
『世界一の警視庁の拷問を知らないか、知らしてやろうか』
『この間、いい樫の棒があったからとってある』と言いながら
椅子の背を後手にくくりつけ、
腿を乱打する拷問を繰り返し
失神しそうになると水をかけた。
そして『岩田や小林のように労農葬をやってもらいたいか』
とうそぶきながら拷問を続けたが、
私は一言もしゃべらなかった。
歩けなくなった私を
看守がとらえて留置場に放り込んだ。・・
その後も拷問はつづけられたが、
私が、一切口をきかないので、
彼らは『長期戦でいくか』と言って
夜具も一切くれないで
夜寝せないという持久拷問に移った。・・・
その後、移された警視庁で、私は高熱を出し
猩紅熱として市ケ谷の秒病監に送られた。」

たいていのケースではここで死んでも
おかしくないと思われます。

「戦争の進展によって・・・
監獄の収容者に対する待遇はいよいよ悪化してきた。
私は市ケ谷刑務所に送られた時
一年間の留置場生活の中で健康をこわし・・・
発熱がだいぶつづいて、やってレントゲンで肺にかげがある
ということで病監にうつされた。
私は盲腸炎、腸チフスにかかった。
1937年には腸結核で腸出血をおこした。
体重は40キロに減り、衰弱のため
髪の毛もパラパラだった。・・・
たとえ、そのまま死んでも未来の革命運動の歴史は
原則的な態度を貫くことが最大の闘争であるとする
私の態度を理解するだろうと考えた。
ところが、私が覚悟を決めて過ごしたそのうちに
腸出血もとまり、やや快方に向かいはじめた」
『宮本顕治の保健思想』15、16ページ

「覚悟」を決めた時に、
腸出血がとまり、やや快方に向かいはじめたとあります。
どんな「覚悟」だったのでしょう。

「わたしは監獄に入った時、一番考えたのは、
死なきゃならない時はじたばたしないで死のうということです。
だからむかしの人、・・・とくに殺された人の伝記を読みましたね。
吉田松陰と大石内蔵助とかを読みましたよ。
だから急に病気になって、そういうことを考えたんじゃなく
ずっとそういう考えがあったわけです。・・・
ところが不思議なもので、腸結核でだめだといわれていたのですが
急に下痢がとまってね。
看守が窓からのぞいて『まだ生きている』というんですよ。
それからはだんだん回復しましてね。
もし、あの時調書をつくって出してもらおうなんて考えて
ジタバタしていたら、
かえって病気で死んじゃったと思います」」同書34ページ

「覚悟」とは、
「死ななきゃならない時は、じたばたしないで死のう」
という覚悟だったことがわかります。

宮本顕治が「私意識=自我」の中心点を
享楽を楽しむ人生観の第一層の物的肉体的層に
おいていないことはもちろんですが
「死ぬ」という覚悟は、
②の第一心理層、③の第二心理層をもって
物的肉体をもってこの世にあらわれている
この人生への「執着」を手放すことです。
さらに大きな大宇宙の「法則」にゆだねる
という覚悟でもあります。
つまり、物的肉体層と心理層への
執着を離れる「覚悟」によって
かえって、心理層が安定し、
さらには物的肉体層の生命力の回復力を
高めたとのではないかと思います。

作家の宮本百合子との往復書簡の『12年の手紙』の中で
「精神上の確固とした安定性が、健康の前提条件である」
と述べています。
精神が健康(物的肉体層)を規定していることを
宮本顕治がきわめて強く認識していたことがわかります。

「治癒力も盛んな面があるから、しばしば奇跡的といっていい位
悪化の淵から力強く盛り上がって来るものだと大いに思っている。
それに肉体的条件に関せず、
根本的に日々是好日に境に安座すれば、病気もまた修練の一道場になるからね。・・・
面白いことは、永く病むと病気に対する一種の精神的圧倒力が強くなり
慣れた強さというような抗素を感ずることだ。」

ここでは、宮本顕治は、獄中と病気を、精神鍛練の道場として
位置づけていたことがわかります。
獄中生活をサーカー的な意味での
スピリチュアルのレッスン(修行)の場に
事実上、自分の心の中で位置づけていたと思われます。
そして宮本顕治は、そういう精神状態になることで
自然治癒力が発揮され、自分の肉体が「奇跡的」に回復するのを
目撃します。

(4)
もちろん死の「覚悟」をしたからといって
物的肉体層のバランス維持の努力や
知的心理的領域の拡張の努力を
やめたわけではありません。

『12年の手紙』をよめば
宮本百合子に本をさしいれてもらった
古今東西にわたる本を読み
自分の知性を磨いていったことがわかります。

(『12年の手紙』を読んだ人のブログ)

物的肉体層のバランス維持の努力については
次のように述べています。

「自分はよく食事をかむこと、
冷水摩擦、できるだけ姿勢を正しく
丹田に力を入れて座ることを心がけた」

「からだはどうもだるいが、乾布摩擦は
どんな寒い日も欠かさず励行しており、
幸いたいした風邪もひかない。」

「今年も、新しい肉体の経験を
自然治癒力の威力を、その進行をおもむろに興味深くながめつつ
いろいろのことを学ぶつもりだ」

私は『赤旗』を読んできましたが、その中で
宮本顕治は、社会変革においても
「深部の力」がはたらくことへの確信を語っているのを
何度か見ました。
それは獄中生活で得た、物的レベル、知的レベルを超えた
深い存在領域から肉体回復の奇跡が生じたことの
体験にもとづく確信だったと思います。

(日本共産党という政治指導者だった人なので
政治の領域ではいろいろ意見があると思いますが
やはり日本の歴史上傑出した人物だったと私は思うのです)



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