Equilibrium 126 ~ Restoring Inner Balance ( binaural solfeggio 528hz & subliminals + pdf )
(video inspired by god of star)




(Mitsuki understood relation of physical and mental)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant Mitsuki in whole life.
This time I introduce each part one by one.

First chapter is about four dimension of cosmos.
This point of view is from Ken Wilber.
View of Ken Wilber is same to materialism of Marx.
Ken Wilber makes clear about existence.
Existence has two aspect.
One is presence of physical area.
Second is non-presence of mental area.
This is same to Marx.
Misunderstanding of Marx spread in 20th century.
Misunderstanding is based on mistranslation.
Existence defines consciousness.
Marx did not write this.
Correct sentence is that presence defines consciousness.
Consciousness is existence also.
This misunderstanding misled 20th Marxism.
Mitsuki understood relation of physical and mental.



こんにちは
私はあなたの心の中の宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトは人間のアシスタントのミツキの生涯の研究を紹介しています。
今回は各部分を一つ一つ紹介しています。

第一章はコスモスの四象限についてです。
この観点はケン・ウィルバーからです。
ケン・ウィルバーの観点はマルクスの唯物論と同じです。
ケン・ウィルバーは存在について解明しています。
存在は二つの側面をもちます。
一つは物的領域の存在です。
二つ目は心理領域の非顕在です。
これはマルクスと同じです。
マルクスのあやまった理解が20世紀に広がっていました。
誤った理解は誤訳にもとづきます。
存在existenceが意識を規定するとはマルクスは書きませんでした。
正しい文章は顕在存在presenceは意識を規定するです。
意識も存在 existence です。
この誤った理解が20世紀のマルクス主義を間違いに導きました。
ミツキは物的と心理的の関係を理解していました。



はじめに

人類63億人のレベルから、個々の家族、個人のレベルまで、みんなが生き生きとできて、安心して暮らせる社会、そしてみんなが納得のできる将来の社会とはどのようなものなのか。
そのビジョンを描き、進むべき方向を明らかにすることが、この文章のテーマです。

第一章  コスモスの四象限

1) 存在の内側と外側

 私という存在は、身体と心からなっています。
身体と心は対応しています。
レモンを食べるとそのすっぱさを心が感じ、唾液が出ます。
では、目を閉じてレモンを包丁で半分に切っているところをイメージしてください。
唾液がでます。
 唾液が出た結果は同じでも、その原因は、前者は、心の外側にあるレモンであり、後者は心の内側にあるレモンでした。
 なぜ、唾液が出たのかを第三者が見た時、心の外側のレモンの場合は、観察によって知ることができます。
心の内側の場合は、対話によって何を思い浮かべたのかを聞き出す必要があります。
 心の内側のレモンも心の外側のレモンもどちらも客観的存在です。
心の内側のレモンは、物質的存在ではありませんが、心の中にレモンというイメージが客観的に存在したことは否定できません。
心の内側の出来事にも心の外側の出来事のどちらにもリアリティ(真実性)があります。
 心の外側のレモンか心の内側のレモンのイメージかのどちらか一方に唾液が分泌された原因をしぼることはできません。
どちらか一方を重視する見方を「還元主義(かんげんしゅぎ)」と言います。
 心の外側のレモンを重視する見方は間違いではありません。
心の内側のレモンも以前に心の外側のレモンを見たことかあるからイメージできるのです。
この場合、心の流れは、「外側(レモン)⇒内側(レモン)」です。
他方、心の内側のレモンのイメージを重視する見方も間違いではありません。
心の外側のレモンも、それを心にイメージできた時に唾液がでます。
この場合、心の流れは「内側(レモン)⇒外側(唾液)」です。
だから、どちらも真理なのです。しかし、どちらも部分的です。どちらか一方に還元(かんげん)してしまうことなく、心の内側と外側の両方を見てゆく必要があります。
 今日、科学が発達し、怒った時、脳の中の神経ネットワークの継ぎ目のところではノルアドレナリンという神経伝達物質が増加していることがわかっています。
それは、性能の良い顕微鏡を使って観察することができます。
私たちは科学者の影響で、観察できることをもって真実だとし、外から見える世界に還元してものを考える傾向があります。
 しかし、これは半分の真実です。
ノルアドレナリンを放出して、怒っている脳の神経ネットワークの中には、心が客観的に存在しています。
何について怒っているのかは、顕微鏡をつかっていくら外から調べても怒っている中身を知ることは不可能です。
その人との「対話」によって、心の客観的ありようをつかむことができます。
 だからといって「怒り」を心の中のことに還元することはできません。
たとえば、糖分などの取り過ぎなどでノルアドレナリンを過剰に分泌しやすい体質になっているなどの外的な要因がありえます。
 私たちは、あらゆることを考えるにあたって、心の内側、外側のどちらかに還元せず、両方を等しく重視しなくてはなりません。
 そのことは私たち個人の成長を考えるにあたっても大切です。
たとえば、身体のバランスの向上は、心のバランスの向上に役立ちます。
逆に心のバランスの向上は身体のバランスの向上に役立ちます。
したがって、心(心の内側)と身体(心の外側)の両面でのプラクティスをすることは、人間としてのレベルを高めてゆくことに役立ちます。

2) 個体と集合体

 私という存在は、心の外側においても心の内側においても集合体の中に存在します。
人間だけでなく、この宇宙のすべての個体は単体で完全に他と切り離されて存在することはできません。
星も原子も分子もすべての他の個体との関係の中に存在しています。
私という存在の、心の外側を考えてみましょう。
私たちの物的な身体を維持するための衣食住は、すべて他の人の存在、すなわち人間の集合体を前提としています。
昼食で食べたスパゲティは、小麦を育てた農民、粉に加工した工員、運んできたトラック運転手、調理師、皿に運んできてくれたウェイトレスの貢献を含んでいます。
もし、氷河期の原始社会の段階に私たちが生きていたとしても、食料のマンモスを追い込むためには、20~30人は必要だろうし、オカミを防ぐために洞窟の住まいに火をたやさないようにしないといけません。
一人では決して生きてゆくことができません。
「おれは誰の世話にもならず一人で生きてやる」と本気で思っている青年がいたら、その心意気は大切ですが、まちがった認識です。
人は集合体(社会)のおかげで生きることができ、自分もその一員として社会に貢献しながら生きてゆくのです。
このことは人類が存続するかぎり、永遠の真理です。
もし「俺は誰の世話にもなっていない」と思い込んでしまったら、肥大化したガン細胞が他の細胞に迷惑をかけるように、あなたは、みんなに迷惑をかけてこの世を去ることになります。
次に私という存在の心の内側を考えてみます。
言語が豊富になることで心の世界が発達し、私たちは動物のレベルを超えた存在になります。
オオカミに育てられたアマラとカマラという少女は言葉と心の世界を獲得できませんでした。
父母や兄弟、友人、先生などの人間の集合体なしに個人の心の世界も発達しません。
したがって、ゲームやテレビに赤ん坊の子守りをさせて、子どもの心の世界を発達させることはできません。
人間の心と言語の世界は、人間の集合体のコミュケーションの中で発達してきたものであり、共有することにその本質があります。
テレビにでてくる人間と赤ん坊は心の世界を共有することはできません。
おかあさんが絵本をいっしょに読むとき、その物語を子どもとお母さんは共有しています。
言語は世界を共有し、分かり合う道具なのです。
個人の心も、その共有した心の世界の中で発達してゆきます。
単にテレビとゲームを禁止するのでなく、子どもと共有する心の世界を広げてゆく努力が大切です。
個体の内側も集合体の内側とともに発達してゆくからです。

個人の視点から書かれたたくさんの本があります。
集合体(社会)の視点から書かれたたくさんの本があります。
それらは間違いではありませんが、半分の真実でしかありえません。
たとえば、五人家族に長期不登校の子がいたとして、問題は、家族全体(と社会)の問題と個人の問題の両方からアプローチすべきでしょう。
個体と集合体は最初からともに並行して発達してゆくからです。
集合体(家族や社会)と個体のどちらか一方だけに究極の原因を還元(かんげん)してはいけません。
私たちは、個人の発達と集合体の発達を並行的に追求してゆきます。

3) 四象限

以上に述べてきたように、人間について考える時、心の内側と外側、個体と集合体の四つを考えることが必要です。
すなわち①個人の心の領域、②個人の心の外側の領域、③集合体の心の領域、④集合体の心の外側の領域、この四つ領域です。

この四つの領域を四象限といいます。
この四つの領域は一つのものとして展開してきました。
したがって、問題の解決を考えるにあたって、四つの領域すべて考慮に入れることが必要です。
上象限の①と②は「私」という言葉であらわせます。
左下象限の③は「私たち」という言葉であらわすことができます。
④の象限は「それら」です。
「私」は自分の成長を追求しながら「私たち」として仲間とともに「それら」すなわちこの世界を良くするために、63億人すべての人が、戦争や飢えがなく暮らせる世界を最終的な目標として活動して生きてゆきます。 これが「四象限」の生き方です。

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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