There is Only One Planet We Call Home! (video inspired by god of star)


(Engels wrote that dialectical philosophy see not individual organ separated, see as one whole entity)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant Mitsuki in whole life.
Study of Mitsuki includes whole area in human life.
This time is attitude to western science and eastern philosophy.

Mitsuki experienced that cure of disease is done by eastern medicine.
This had big effect to thinking of Mitsuki.
Doctor who treated disease by Chinese medicine saw whole body as one, not individual organ.
Mitsuki thought this is same to philosophy of Engels.
Engels wrote that dialectical philosophy see not individual organ separated, see as one whole entity.
View of this Engels is come from recognition system from true gods in base of universe.
Philosophy of Marx, Engels includes both western science and eastern philosophy.
Mitsuki noticed this.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトは人間のアシスタントのミツキの全生涯の研究を紹介しています。
ミツキの研究は人間生活の全領域を含んでいました。
今回は,西洋科学と東洋哲学への態度です。

ミツキは,病気が漢方で治癒した経験をしました。
これはミツキの思考に大きく影響をしました。
漢方で病気を診た医師は、個々の臓器ではなく身体全体をひとつのものとして見ました。
ミツキは,これはエンゲルスの哲学と同じだと思いました。
エンゲルスは、弁証法的唯物論は個々の臓器を切り離して見ず、ひとつの全体として見ますと書きました。
このエンゲルスの観点は、宇宙根底の真の神々の認識システムからきています。
マルクス、エンゲルスの哲学は、西洋科学と東洋哲学の両方を含んでいるのです。
ミツキはこのことに気づいていました。



(人類進化の観点におけるサーカーの先見性について)

サーカーは、別のところで、このような有限の世界の知識はかならず変化すると言っていますから、研究の深まりに つれてここでサーカーが述べていることが部分的に否定されるのは当然だと考えていたと思います。
大事なことは、サーカーがここで述べている根幹の部分です。
私は、サーカーの先見の明に驚かずにはいられませんでした。
サーカーは、現生人類の一グループが、世界中に広がったという観点を確信をもって論じています。
そしてそれを現生人類に優劣の差がないことの証明にしています。

実は、私の記憶では、サーカーが死んだ1990年当時でも、学問界では二つの説があったと思います。
つまり原人の段階で、地球各地に散らばって、そして中国に住んでいた原人がモンゴロイド型の旧人、新人(現生人類)へと進化した。
中央アジアのあたりの原人が現生人類のコーカソイド(白人)へと進化したという多系発展説がありました。
それと原人、旧人は滅び、一つの現生人類が世界中に広がったというこのサーカーの説との二つです。

現生人類は、アフリカのアダムとイブの夫婦から始まり、世界中に広がったということが1990年代半ばからの遺伝子の研究で明白になってきました。
このサーカーの講演で述べられている根幹のことが、遺伝子という科学的研究の進展で明白となっているのです。
明白になるずっと前にサーカーが自信をもって論じていることに驚かざるをえません。
おそらく彼は両説を知っていて、その一つが直観的に正しいと感じてその論で講演したのだと思います。

科学的に証明されたことにもとづいて教えなくてはならない私たちの立場から見ると学問的に誠実な態度ではなくやってはいけないことです。
その時点では、多系説の方が後に科学的に証明されてゆく可能性もあるわけですから。
私自身は両論を述べて、どっちが正しいだろうかと生徒に尋ねたことはあります。
サーカーは直観科学と称して瞑想の中で真理をつかめると言っていますから、その直観科学で自信をもって言っているのだろうと思います。

(全体性ホーリネスについて)
wholiness全体性とbiological diversity生物学的多様性の問題ですが、私は中村クリニックの本棚でホーリネス医学について知りました。
そして昨年と一昨年の6月に関西総合医学会の講演会に参加させてもらいました。
この総合医学の総合の意味もホーリネスの観点を含んでいるように思います。
私は、喉が弱く扁桃腺を手術しました。
その後も熱は出ないが常に喉がおかしくなり、授業を休みたくなかった私は抗生物質ですぐ治るので多用していました。その後、下痢をよくするようになりました。
痔にもなりました。胃潰瘍にもなりました。
中村先生に最初に見てもらった時、「あなたは、口から肛門への管が弱いですね」とおっしゃられました。
そのような見方をするお医者さんははじめてでした。
痔になったら痔の薬、下痢になったら下痢の薬、喉がいたいと喉の薬を使っていました。
もう身体はへとへとでした。
中村先生は、身体を木、金、土、水にたとえ、「あなたは土がおかしくなっている。すなわち身体を98?%を占める体液のバランスがおかしくなっているのです」と言われました。
いろいろ中村先生のところの本を読ませてもらった今、考えると本当に正確な観点でした。
そしてその処方として出された漢方で本当に楽になりました。
西洋医学(近代科学)のおかげで、今までの病気を克服してきたわけですから、西洋医学のお医者さんを別に悪く思っているわけではまったくないわけですが、中村先生の全体医学、総合医学(近代科学をふまえつつも漢方やインドのアーユルヴェーダ医学や民間療法や心の問題も視野に入れた立場に私の世界観が変わるほど影響されたわけです。

もともと私が青年期にひかれた弁証法的な見方は、ものごと孤立的にではなく、相互に関連しあったものとしてとらえるところ特徴がありました。
エンゲルスの文章に「胃なら胃を孤立的に解剖して分解してそれぞれが何であるかを解明する科学の段階を背景にして形而上学的なものごとを孤立的に見る見方があったが、胃や腸、心臓、血管、生きたままとらえるにはそれぞれの相互作用の中でとらえる必要がある。
そのような総合的なとらえ方が弁証法だ」というような趣旨のことを言っていたことを覚えています。

大学時代に国際政治学の先生の理論にひどく引き付けられました。
それは国際政治をトータルに全体として相互に関連をもって見る視点を提供してくれたからでした。
ですから、ものごとを全体としてみることを引かれる性向をもっている点で、中村先生がおっしゃるように私は「全体主義者」(ファシズムの全体主義とは別の意味で)だと思います。
自分がそのように物事を見ることができているかは別として、ものごとをトータルに見る見方に引きつけられる性向をもっているという点です。
この全体医学、総合医学の全体、統合医学でいう観点は、教育や私の担当する社会科学の分野でもありうるのではないか。

社会科学も教育も西洋近代が全部正しいという観点で私たちは見ている。
もちろん西洋近代医学がたいへん重要なものであるように、それを否定するわけではないが、実際に中村先生の漢方やインドの古代のアーユルヴェーダ医学が健康回復に役立つように、人類的な遺産である東洋の英知を教育や社会科学に組み入れることはできないかと考えていました。
そのような問題意識をもっていた時、このサーカーの説に出会ったのです。
サーカーによれば、大きな視野でものごとを把握したいというのは、私の個人的な性向というより、すべての人間がその性向をもっており、その方向に進むだろうというのです。

サーカーの議論は、150億年前の宇宙の創生からミクロの精妙な世界からマクロの世界まで、人類が問題にしうるかぎりの最大の視野、すなわち全体から物事を見ていると思います。
サーカーは西洋的な近代的合理的思想を前提にしながら、東洋的なものを導入してゆく視点を提供してくれていると思うのです。

(ナショナリズムについて) 
この講演の最後にサーカーは、
「ナショナリズムの時代遅れの理想は、今日、こなごなに砕けつつあります。」
「すべての国々の高貴で公正な人物は、友愛の絆に結ばれて、一つの声、一つの心、同一の調子で、人間社会は一つで分割不能であることの強く主張することを熱望しています。」
と述べています。

人類のアイデンティティは、最初は氏族的なものにしばられ、次には身分や藩という地域にしばられ、そして近代になってネイション(国民国家)という領域にしばられています。
江戸末期に脱藩した坂本龍馬などが藩というアイデンティティを越えて、日本人のアイデンティティをもったように、今、クリシュナセヴァナンダさんたちサーカーの弟子たちは、国民国家のアイデンティティを越えて、人類意識、宇宙意識の覚醒をもって活動しています。
サーカーは「ナショナリズムの意識が残る限り民族間の紛争はなくならない」というようなことを述べていました。
このサーカーの国民国家の枠を越える人類、生命、宇宙意識を覚醒してゆくイデオロギーは、次の時代を準備する最終イデオロギーのような気がします。
今は、わずかの支持者しかなくても、あと100年後には、あるいは人類が最終的に到達せざるをえないアイデンティティだとサーカーが言うように私もそう思います。
そういう理想を前提とした上で、ナショナリズム論を科学的に探求してゆくことが必要だと思います。
最近をそう思ってきました。



H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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