Nedaye Solh va Azadi (Afsaneh Sadeghi)
(video inspired by god of star)



( significance of Soroush is to make small area of religion)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant of Mitsuki in whole life.
This part is arguments about Soroush from various stand point.
Mitsuki thinks that significance of Soroush is to make small area of religion.
This leads Islam society free from religion.
There only true belief remains.
This is important for true gods.

こんにちは
私はあなたの心の中の宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトのプロジェクトは,人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
この部分は、様々の立場からのソロウシュについての議論です。
ミツキはソロウシュの重要性は宗教の領域を縮小していることにあると考えています。
これはイスラム社会を宗教から解放します。
そこでは真の信仰のみが残ります。
これは真の神々にとって重要なことです。




第8節 宗教と現代 

第1項 信者と非信者を区別するもの 

啓示は不変で聖なるものであるが、啓示の解釈は人間の理性と知識の側にあり、不断に変化の過程にあるものであるとする認識論的な区別は、信者と非信者を分ける区分軸を近代社会にふさわしいものに移す。
ソロウシュは言う。
「この認識論的見地からみると、信仰とは、現世と来世での生活のための一般的な導きをうるため神の言葉をまじめに受けとめて絶えず解釈してゆくことである。
これが信者と非信者を区別するものである。
信念はいつも個人的で私的である。それは多かれ少なかれ確実であり得る。
しかし知識は共同で、公共で、そして誤りやすいもの以外ではありえない。」68

ソロウシュによれば、宗教に限らず、一般的な信念や確信も、人間の理性によって獲得する知識の分野から区別されるべき主観的心理学的問題だということになる。
どのような科学的知識も共同的性格をもち、変化してゆく過程にあるものだからである。
信仰、思想を異にする人間が、個々人の信念や確信を互いに尊重し、共同的で公共的な性格をもつ自然や社会についての研究にともに協力してゆく道がここに示されている。

第2項世俗主義と宗教は対立関係にはない。

一般的には世俗主義と宗教は対立的に見られている。
ホメイニーは西洋文明への屈服として世俗化をホメイニーはきびしく非難した。
しかし、ソロウシュは、西洋のケースとして近代化が世俗的な形をとって進んだにすぎず、その西洋の世俗的な制度のもとでも、宗教は、近代社会にふさわしい位置におさまることで、その役割と活力を維持し続けたと考える。
したがって仮に社会制度の世俗化が進んだとしても、信仰としてのイスラムは、ホメイニーの言うように「絶滅の危機」に瀕してはおらず、イスラムの未来をなんら悲観することはないのである。

そもそもソロウシュは、世俗主義は、敵あるいは宗教のライバルではなく、宗教の補完物であると言う。
「世俗主義は、科学的にものを見て、そして科学的に行動することを意味し、宗教に敵意をもっていない。
世俗主義はそれ以上でも以下でもない。」 69

第3項現代という時代の時代認識

さらにソロウシュは、人間の社会は宗教独裁を経験してきたが、西洋のルネッサンスに続く近代で、次第に理性の独裁に替わってゆき、そして現代、宗教と理性がともに謙虚になり、両者は、和解してゆく方向にあると言う。

「古代世界は、宗教という単一の情報の源にもとづいていた。
近代的な世界は複数の源を持っている。
理性、経験、科学、論理である。
モダニズムは宗教の独裁から人類を解放する成功した試みであった。
ポストモダニズムは、モダニズムすなわち理性の独裁に対する反乱である。
ポストモダニズムの時代には、理性はもっと謙虚であり、そして宗教がいっそう受容的になってきた。
私にとって、この二つの和解は、まだ潜在的ではあるが、一層あきらかなものとなってきた。」 70 ,

このような時代認識が、イスラムの未来に確信をもちながら世俗主義や他文明に対して包容力あるアプローチを可能にしている。

第9節ソロウシュ批判

第1項伝統派の側からの神学的批判

[知識の相対化など]

ボロウジェルドの論文の中にソロウシュに対する批判として次のようなものが紹介してある。
そのうち「イスラム信仰の法を堀り崩すものである」「すべての科学が形成過程にあり、相互に関連しているという説は『知識の相対化』と懐疑主義に導くものである」「暗黙のうちに神の言葉よりも人間の科学を優遇している」の批判については、以上に見てきたソロウシュの議論に中に答えが見つかる。

[イスラム政府のイデオロギー的基礎を堀り崩すもの]

「イスラム政府のイデオロギー的基礎を攻撃しているものであるからマルクスとフロイトの思想よりも有害な恐るべきものである」71 という批判については、現在の優越した地位を守ろうとする立場の聖職者にとっては事態の真実を反映した批判である。
ソロウシュのような宗教理解が広がることは、聖職者が、現在の地位を失い、一般のより資質をもったものに権限をゆずることを次第に強いられてゆくことを意味しているからである。
実際、ソロウシュは未来のイランの知識界をリードするであろう大学生の中で大きな支持を集めつつあり、決して聖職者の杞憂ではない。

[西洋近代主義はその終末の段階にあるゆえ時代錯誤だ]

ソロウシュに対する深いレベルからの批判もある。
彼の論敵の非聖職者哲学者ダバリは「近代は西洋で植えられて、すべてに広がった木であり、腐っており、現在その終末を迎えている」と考えた。
したがって、ソロウシュらによるイスラム法学シャリーアの近代化は失敗するという。
「西洋は彼らの信仰を近代化しなかった。
むしろ、信仰を捨て去った。
近代科学の方法のイスラム法学フェクへの適用は、知的混乱をもたらし、フェクからその内奥の価値を奪うものである。
もしそれが科学的な方法に従わなければならないなら、宗教の必要は何であるか。」72
このように西洋近代は終末を迎えており、ポストモダンは、近代の科学主義が批判される時代となると見るダバリにとってソロウシュの方向は時代錯誤と映る。

ボロウジェルドは、ソロウシュの議論を全体として支持しながらも、次のように述べている。
「もっと重要なことは、この議論が、言語学的哲学、ポスト構造主義、ポスト植民地主義、文化相対主義、ヨーロッパ中心主義、イデオロギーの終焉についての文献の影響が、実証主義のパラダイムだけでなく、啓蒙の企画まさにそれ自体を問題にしている時になされたことである。
近代の行き詰まりを他の人が指摘しているその時に、科学的業績についての祝福と一体感が持ち上げられている。
この観点から、西洋思想の存在論的仮説によるダバリの批判は、容易に却下されるべきではない。」

世界全体を視野に入れる時、この指摘を無視することはできず、われわれが深く検討してゆくべき課題であるが、このことによってソロウシュの思索の意義はいささかも減ずるものではない。

[科学と宗教は異なる性格のものである]

さらに、ボロウジェルドは、信仰と確信を宗教的知識からは区別した認識論的区別をソロウシュの重要な業績として大きく評価しつつ、ソロウシュの議論は、伝統主義者の教条的批判になおも若干の反対の余地を与えている点を指摘している。
それは、宗教と科学の性格の違いである。
「宗教は世界を先験的に認識する。・・科学的観点は、世界を後天的に認識する。・・・
宗教的な世界観は、特定の聖典にたち帰ることを通して知識と確信に到着しようと試みるのに対して、科学は、帰納と観察による手順を通して事実を識別しようと努力する。」73
すなわち、先験的に認識すべき対象(宗教)を後天的認識方法である科学の方法で認識することはできないということである。

第2項宗教独裁確立に反対して闘った側からの批判

[左からの批判]

ソロウシュは、世界各国に居住するイラン人に講演をしているが、ワシントン大学での講演会では、イラン政府支持派の人間がイスラム共和国に謝れと抗議した他に、イスラム共和国に加担したことを抗議したイラン人もいた。
ニューヨーク大学での講演では、コミュニスト組織のメンバーと思われる人が、シャツをめくってイスラム共和国の拷問でのやけどの痕を見せながら文化革命協会の初期のイスラム共和国とのソロウシュのかかわりについて抗議した。74

[原理主義者の人権抑圧体制に加担した倫理的責任]

ソロウシュは、人権抑圧の宗教全体主義の勝利に貢献した知識人であり、イスラム革命初期には文化革命協会メンバーという要職にあった。
まさしく当時、ヴェラーヤテ・ファギー確立のために妨げとなる勢力は、徹底的に排除され、迫害を受けていた。
ソロウシュは90年代になって人権について主張しはじめたが、人権侵害のイスラム体制加担の倫理的責任を避けることはできないという批判である。

[ソロウシュの弁明]

これに対してソロウシュは、次のように弁明している。
「いつの日か、何が起きたかを誰もが正確に知ることができるように革命後の大学の歴史が編集されなければならない。
大学がすでに閉鎖された時点の後に文化革命協会は設立された。
私たちは短期間で大学が再開されるように努力した。
そして文化革命協会は、二年も経たないうちに大学を再開することに成功した。・・・
大学からの教員の追放は、全く異なった問題である。
それは協会とは関連がない。
国のすべての制度を含むより広範囲にわたる計画の一部である。
文化革命協会の責任と権限を超えたところにあった。・・・
文化革命の過程で、人間科学の存在自体が、危機的状況だった。
私はもっとも頑固に人間科学の学部の存続を主張した人間である。・・
いずれにしても、私は文化革命協会に4年以上はいなかった。
協会が私の受け入れることのできない方向に向かっていることに気づいて、辞退した。」 75

[しかし、革命に協力した中心的知識人だったからこそ]

ホメイニー体制の確立を、パーレビー・シャーの独裁にかわる聖職者の独裁の成立と位置づけ、革命初期の段階から民主主義の確立を掲げて聖職者体制と激突していったモジャッヘデーンなどの立場からみると、あるいは抑圧されていった左翼諸派からみると、現在のイスラム体制への加担は許すことのできないことである。
しかしながら、ソロウシュがホメイニー体制に協力した中心的な知識人の一人であったからこそ、現在の彼の言説は、モジャッヘデーンの武力闘争以上に権力にとって脅威となっていると私は考える。

第10節  ソロウシュの思想はイランの伝統の中に根をもちうるか。

第1項ソロウシュの論を補強する伝統

一般的に社会変革をイスラム教という宗教を使ってなしとげようとするものが、世俗派に対して優位にたつのは大衆のイスラム信仰の層の厚さである。
したがって、イランのイスラムの伝統の中にソロウシュの論点「宗教の観念の縮小による宗教の復活」「宗教的複数主義」「科学の尊重」などを補強するものがあるかどうかは、彼の思想がより大きな影響力をもつかどうかにかかわる。
ソロウシュの論を補強すると思われる歴史と伝統のいくつかをあげておこう

第2項アル・ガッザーリーの認識論

まず、彼の認識論はイランの歴史の中で特異なものではない。
11世紀のアル・ガッザーリー(al Ghazzali)について井筒俊彦が次のように言及している。
「ガザリーは悟性の権威と信仰の権威とを比較して、どちらが上であるとか大であるとかは言わない。
ただ、この二つは本質的に違ったものであると言う。
両者を混同することは絶対に許されない。
知の世界は飽くまで知の世界であり、信の世界は何処までも信の世界である。・・・
ガザリーの目に映った法学者とはイスラームにおけるパリサイ主義にほかならなかったのである。
彼らの努力は宗教の権威を人間生活の隅々まで浸徹させ、一般大衆に対する宗教の権勢をいやが上にも強化することには成功したが、同時に宗教は社会的に固定し、個人の精神裡に育まれるみずみずしい信仰は全く影をひそめてしまった。
ガザーリーの史的意義は、この固形化し枯涸した信仰を再び個人の心の温床に移すことによって、その生命を甦らせようしたところに認めなけれはならないのである。」76

第3項シーア派の宗教的複数主義、ホメイニー理論も少数派だった

そしてシーア派イスラムの聖職者の伝統の中にソロウシュの言う宗教的複数主義の伝統があった。
イスラム法学者は、複数の学派に分かれて発展してきたのである。
決して宗教的複数主義は民主主義を持ち込むための方便ではなかった。
さらにイラン革命の時期に、ホメイニーのヴェラーヤテ・ファギー論は複数ある宗教学派の中で少数派であった。
当時のもっとも有力な聖職者のシャリーアト・マダリやタレカーニーなどは、ホメイニーの解釈に反対であった。
ホメイニーが国民の圧倒的な政治的支持をバックに権力闘争に勝利したにすぎず、宗教界の議論の中に通説となったわけではなかった。
当然、それらの学派の複数主義の伝統は命脈を保っていると考えられる。

第4項 幅広い知的伝統をもったイスラム文明

そしてイスラムはかって輝かしい知的伝統をもった文明を築いていた。
ソロウシュは、情報省の役人に連行された際、宗教の名で脅迫している集団こそ逮捕せよと主張する中で「イマーム・アリーは、遅れたアラブ社会(ジャーヒリーヤ=ムハンマド出現前の無道時代)を無知が賞賛され、知識あるものが沈黙していると描いた。
私たちの社会がそのようになることを許すな。無知を賞賛するようなことをさせるな。・・・」77 と述べている。

実際、彼が「ポジティブなイスラム復興の方法」とよんだように、イスラム文化はギリシャ・ヘレニズムの文化遺産を吸収することによって大きく発展したのであった。

したがって、これらのことからソロウシュの学説がイランの知識界に受け入れられてゆく歴史的背景はあると考える。

第5項 困難 ソロウシュの考えの実現を妨げる伝統の大きさ

しかし、ソロウシュの取り組んでいる課題はあまりに大きい。
ルターが結果的に成し遂げたような宗教改革、聖職者を除去して、神と個人の内面を直接つなぐような宗教改革を成し遂げようとしている。

政治の道を捨てて、修行の道に入り悟りを得たゴウタマ・シッダルタやローマと結んだ当時のユダヤ共同体の規範(律法主義)と衝突したイエス・キリストと比べ、イスラム教の預言者は、信者の共同体を統治した政治的リーダーでもあった。
ここにイスラムにおける聖と俗の一致、あるいは政教一致の源があった。

したがって、政治的闘争に宗教を利用できる宗教的風土もまた存在している。
ソロウシュの主張する宗教的民主国家の実現の途上で、また実現した後でも、政教一致的な大衆の宗教観を利用する原理主義的なものとの長期の闘いを必要とする。

第4章 まとめ

第1項ソロウシュの二面性 

イスラム近代派のイデオローグ(ソロウシュ自身が使っているイデオロギーの意味より広い意味で)としてソロウシュは二面性をもっている。
二つの軸からソロウシュを見ることができる。

第2項イスラムを危機から救う信仰の擁護者

第一の軸は、イスラム信仰の擁護者である。
ソロウシュは、かつてパーレビー国王によるイスラムへの攻撃に対して立ち上がり、革命の中で影響を広げる世俗左翼に対して青年層をイスラム信仰の枠内に留める役割を果たした。
今また、聖職者独裁を放置するならば、大統領選挙に示された「自由」への願いは非合法の左翼諸勢力の支持に向かうものも出てくる可能性を示している。
聖職者政府は彼らの意に反して、宗教への失望とイスラムの危機を生まざるをえない。
このようにして生じた新たな信仰の危機の中で、ソロウシュの議論はイスラムの枠内に青年層を留める上で大きな役割を果たすと思われる。

ソロウシュの支持者が次のように言っている。
「ソロウシュの著作から分かるように、彼は、宗教が三つの硬直した形すなわち教条的タイプ、法学的タイプ、イデオロギー的タイプから解放されないならば、宗教あるいは信仰それ自体も死んでしまうだろうと危惧している。
ソロウシュの考えが、イランの人々とイランの知識人に受け入れられなかったなら、彼らは世俗的近代主義を選びとるだろう。
世俗的近代主義は、ますますよく知られるようになり、人々を惹き付けているから。」78
ソロウシュは信仰を守ろうとするムスリムなのである。

第3項 イスラム近代派の思想史を画するソロウシュの意義

第二の軸は、現代的な生産力と現代的な社会を願う近代派ということである。
宗教学校での生活しか知らない聖職者のホメイニーらと違いイギリスで研究生活を送り、外の世界を知っているソロウシュにとっては聖職者が特権をもつ社会は満足できない。
自分たちの社会を近代的に発展させようという願いをもった知識人は、イスラムの教えを現代にふさわしいものに変えようとしてきた。
古くはアフガーニーにはじまり、近くはアリー・シャリアティがその代表者である。
彼らは聖典とスンナを近代社会にふさわしいものに解釈しようとした。
彼らは、聖職者と連携して社会運動に大きく貢献した。

しかし、聖職者の政治的宗教的特権が民主主義前進にとって重大な障壁となっている現在の時点で、ソロウシュのアプローチは、これまでのイスラム近代派と全く異なるものとなった。
これまでは聖典を近代社会の課題にみあうように再解釈してみせた。
ソロウシュは、伝統派も近代派も当然の前提としていたもの、すなわちイスラムの宗教としての領域の大きさ(法や政治まで含む包括性)自体の縮小を行ったのである。
彼の仕事は宗教を現在にふさわしい大きさに位置づけることであった。
ここにイスラム近代派の思想史を画するソロウシュの意義があると考える。

近代的な教養をもったムスリムであれば、ソロウシュの指し示す方向に進まざるをえない。
ソロウシュの支持者は言う。
「私も、大学閉鎖へのソロウシュの貢献は、間違っていると思う。
しかし、それがどうしたというんだ。
われわれは別の完璧な人物を探すのか。
われわれがソロウシュに信頼のすべてを預けて彼が別のミスをしないかと案ずるのか。
私は、彼のアプローチはイランにおける宗教の役割を変革するもっともよい企てだと思う。信仰において宗教の役割を変えることは、われわれの抱えているもっとも大きな問題の一つだ。
われわれは一夜にして宗教を殺すことではできない。
(そしてまたわれわれはそうは望んでいない。)
われわれは、それが実際に属するところ、すなわち政治と法的制度の外に位置づける必要がある。
私は、ソロウシュのアプローチが、この目標をもっとも効果的に現実的に成し遂げるものであることを見いだす。」79

1997年7月27日脱稿



1イラン大統領選挙 投票結果 Iran Times,1997,5,30(略)
 過去の投票数  Ibid.(略)
2新大統領ハーテミ師(Hojatoleslam Seyyed Mohammad Khatemi) の略歴
1943年、アヤトラ・ルーホッラー・ハーテミ師の息子としてヤズド地方ののアルダカンに生まれる。伝統的な宗教教育を受けて、コムの宗教学校を卒業する。1965年に、22才で、イスファハーンにうつり、宗教学校で神学の研究を修めた。同時にイスファハーン大学に通い、哲学の学士号をとる。さらにテヘラン大学で修士号をとった。聖職者としてこのような学歴をもつものは例外的である。
1960年代から70年代にはシャーの独裁政治を批判した論文を書いた。それがアヤトラ・モハマッド・ベヘシュティの目にとまり、革命の中心人物の一人になった。1978年にベヘシュティは、国外追放になっているイラン人を動員するために彼をハンブルグのモスクに派遣した。一年後、革命勝利の直前にイランに召還された。
革命後ハーテミ師は、イランの最有力紙ケイハーン紙の監督官となり、1980年に第一回国会の議員に選出された。1982年にムサビ(Hossain Musavi)首相のもとで、イスラム文化指導省の大臣として入閣する。次のラフサンジャーニー大統領のもとでも1989年まで同じ地位にとどまった。
文化情報省の大臣として、検閲の責任者であったが、イラン映画産業の多くの台本を許可した。また彼は相対的に小説やメディアの検閲を緩くした。また単身女性が公的な場にでることの禁止をやめた。ところが1991年ごろ、反動がはじまった。次第に開放的になってゆくことがヘズボッラー(神の党)の感情を害した。急進派の議員も保守派の議員も彼を攻撃した。新聞も「リベラリズム」に染まっていると彼を攻撃した。批判の内容は、彼が「退廃的な」映画、音楽、出版を許していることである。ハーテミ師は、政治家は批判を聞いたり、討論をすべきであって、自分たちに賛成しない思想を禁止するように政府に求めるべきではないと答えた。1992年5月にハーテミ師は辞表をラフサンジャーニー大統領に提出した。ハーテミ師は公開した辞表の手紙の中で、知識人、芸術家、信仰厚い革命の友人を脅かす「停滞」と「衰退」の空気を訴えていた。数日後、最高指導者アリー・ハメネイ師からイランを侵害する「文化的退廃」を許す役人として暗に攻撃され、その後、ハーテミ師は公的な場から消えた。しかし、国立の図書館の長の地位は維持していた。
英語とドイツ語ができ、最近は、19世紀のアメリカ民主主義の古典アレクッス・トクビルの「アメリカにおける民主主義」を読んだという。2冊の著書をもち、3冊目の「ムスリムの政治思想」が出版予定。現在、54才。Ibid.

3イランの議会勢力
ナーテクヌーリー師の「闘う聖職者協会」はホメイニー路線を踏襲し、現在の最高指導者のハメネイ師につながるグループで、保守派と呼ばれる。革命後このグループがイラン国会で最大勢力を占めてきた。ラフサンジャーニー大統領の支持母体が「建設の奉仕者」は、「闘う聖職者協会」から分かれ、自由主義経済や対西側関係改善を掲げ、現実派と呼ばれている。ハーテミ師がその指導者である「闘う聖職者たち」は、経済的には統制経済、対欧米強硬姿勢を唱え急進派と呼ばれ、今回の大統領に当選した。毎日新聞97年3月2日、富田健次『アーヤトッラーたちのイラン イスラーム統治体制の矛盾と展開』第三書館、1993年300~304ページ
4Mohsen M.Milani,The Making of Iran's Islamic Revolution From Monarchy to Islamic Republic,Boulder and London:Westview Press,1988,p.26.
5松尾光喜「イラン革命における宗教と民族」『アジア・アフリカ研究』第328号、2~73ページ
6TIME,JUNE23,1997,VOL.149NO.25 
7CNN Interview with Dr Soroush,June 1997 - following the surprise election of Mohammad Khatami in presidential elections, http://www.seraj.org/cnn.htmCNN - 
8Dr Soroush's Interview with Seraj, http://www.seraj.org/interApr.htm
9the daily kayhan,December26,1995, http://www.iranian.com/Jan96/Opinion/SoroushFarsi.html 
10、 主としてA Biography of Dr Abdol Karim Soroush,First draft - July 1996,http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/biog.htm、そしてMuslim News - 31 May 1996, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/press.htm, そしてRobin Wright,Two Visions of Reformation,Islam and Liberal Democracy,Journal of Democracy - April 1996, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/press.htm
11、 ソロウシュの著作
Tazad Dialectiki (Dialectical Antagonism)
Nahad-e Na-Aram-e Jahan (The Restless Nature of the World)
Cheh Kasi Mitavanad Mobarezeh Konad? (Who can be an Activist?)
Ma Dar Cheh Jahani Zendegi Mikonim? (What World Do We live in?)
Roshanfekri va Dindari (Intellectualism and Religious Conviction)
Elm Chist, Falsafeh chist? (What is Science, What is Philosophy?)
Falsafe-ye Tarikh (The Philosophy of History)
Danesh va Arzesh( Knowledge and Value)
Idology Sheytani yaDogmatism Neghab-dar (Satanic Ideology - or Masked Dogmatism )
Binesh Dini (Religious Studies)
Tafarroj-e Son'a ( Lectures on Ethics and Human Sciences)
Qabz va Bast-e Teoric Shari'at - ya Nazariyeh-ye Takamol-e Marefat-e Dini
(Theoretical Expansion and Contraction of Religion - or TheTheory of Evolution of Religious Knowledge)
Owsaf-e Parsayan ( Attributes of the Pious )
The Story of the Lords of Wisdom (Ghesseh-ye Arbab-e Ma'refat)
Farbeh Tar Az Idology (Sturdier Than Ideology).
Hadees-e Bandegi va Delbordegi (The Tale of Love and Servitude)
Mathnavi Ma'navi (Rumi' s Mathnavi)
Publications of Dr Soroush in Persian, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/persian.htm
12、 News update on Dr Soroush Updated July 1997
,http://www.seraj.org/news.htm
13、 Mehrzad Boroujerd,"Three Philosophical Debates in Post-Revolutionary Iran",,Iranian Intellectuals and the West: The Tormented Triumph of Nativism, from Seraj Homepage,1997, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/borouj.htm
14、 Hossein Kamaly,A Research Program for Islamic Revivalism,February 1995, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/kamali.htm
15、 Mehrzad Boroujerd,Op.cit.
16、 Ibid
17.、Ibid.
18、Ibid. 
19、 Dr Soroush's Interview with Seraj,Op.cit.,
20, Hossein Kamaly,Op.cit.
21, Abdol Karim Soroush,"The expansion and contraction of religious knowledge"Lecture Delivered at McGill University, Institute of Islamic Studies, 13th of April ,1995, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/mcgill.htm
22、 Abdol Karim Soroush,"Op.cit.、
23、 Ibid.
24、 Ibid.
25、 Ibid.
26、 from Notes by Robin Wright on Lectures and Interviews Given by Abdul Karim Soroush, April-May 1995, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/press.htm
27、 Abdol Karim Soroush,Op.cit.
28、 Abdol Karim Soroush,Op.cit.
29、 Q-News International (British Muslim weekly), No 220-221, 14-27 June 1996, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/press.htm
30、 Q-News International (British Muslim weekly),Op.cit.
31、 Ibid.
32、 Hossein Kamaly,Op.cit.
33、 Mehrzad Boroujerd,Op.cit.
34、 Hossein Kamaly,Op.cit.
33、 Soroush speech in Oakland, California,http://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/Oakland.html
34、 Hossein Kamaly,Op.cit.
35、 Soroush speech in Oakland, California,http://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/Oakland.html
36、Mehrzad Boroujerd,Op.cit.、
37、 Dr Soroush's Interview with Seraj,Op.cit.
38、 Mehrzad Boroujerd,Op.cit.、
39、 Dr Soroush's Interview with Seraj,Op.cit.
40、 Ibid.
41、 Dr Soroush , Truth Islam vs. identity Islam, lecture delivered at McGill University,31July 1996, News update on Dr Soroush Updated July 1997 ,http://www.seraj.org/news.htm
42、 Abdol Karim Soroush,Op.cit.
43、 Mehrzad Boroujerd,Op.cit.
44、 Abdol Karim Soroush,Op.cit.
45、 Abdol Karim Soroush,Op.cit.
46, The Guardian, 1 February 1995 (quoted from The Los Angeles Times - January 1995) http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/press.htm、
47、 Muslim News,Op.cit. - 31 May 1996,
48、 Dr Soroush,Two concept of Religios State,lecture delivered at Quebec University,On 17 July 1996, Canada.Updated July 1997 ,http://www.seraj.org/news.htm
49、 Soroush speech in Oakland,Op.cit.
50、 Seyed Fazel Alyasan, Adapting religion for modern times ,http://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/Adapting.html,
51、 Q-News International (British Muslim weekly),Op.cit.
52、 Ibid.
53, Ibid.
54、 Soroush speech in Oakland,Op.cit.
55、 Robin Wright,Op.cit.
56、 Dr Soroush's Interview with Seraj,Op.cit.
57、 Ibid.
58、  Dr Soroush,"Human rights and the Religious man",lecture at Toronto, 2 August 1996,http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/news.htm
59、 Q-News International (British Muslim weekly),Op.cit.
60、 Payman Arabshahi , Soroush in Seattle, http://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/Seattle.html
61、 Payman Arabshahi,Op.cit.
62、 Ibid.
63、 Soroush speech in Oakland,Op.cit.
64、 Dr.Soroush , "Theological barriers of development",lecture at the School of African and Oriental Studies, London University, 18Sepember1996,http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/news.htm
65、 Ibid.
66、 Ali M. ,Soroush speech in Houston, alihttp://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/Houston.html
67,  Dr.Soroush,Op.cit.
68、 Abdol Karim Soroush,Op.cit.
69、 from Notes by Robin Wright,Op.cit.
70、 Ibid.
71、 Mehrzad Boroujerd,Op.cit.
72、 Ibid
73、 Ibid.,"なお、ボロウジェルドは、ソロウシュは実証主義の立場からダバリの歴史主義を批判しているが、彼の「歴史主義」の定義が、すべての人間の知識が時と場所に依存しておるということであるとするならば、ソロウシュ自身が歴史主義者とみなされうると批評していることを紹介しておく。
74、 Haleh Nazeri, "We need to use reason", http://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/NewYork.html
75、 Dr Soroush's Interview with Seraj,Op.cit.
76、 井筒俊彦「イスラーム思想史」岩波書店、1975年、121~124ページ
77、 Kiyan journal - published in Tehran,October,1996, http://dspace.dial.pipex.com/town/parade/ac889/press.htm
78、 Seyed Fazel Alyasan,Op.cit.
79、 Babak Jahromi , He was wrong. But so what?, http://www.iranian.com/Feb97/Editor/Letters/SoWhat.html
インターネット・アドレスは、1997年6月~7月のもの





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