Bella ciao, Iran
(video inspired by god of star)
(This point of view of Soroush is correct for true gods)
Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant of Mitsuki in whole life.
This part is view of Soroush about science and religion.
Soroush thinks that interpretation of religion should be based on scientific knowledge.
Core point of religion is not change.
This is true from true god which is beyond time-space.
In this presence world all things are changing.
Religious knowledge in presence world changes also.
This point of view of Soroush is correct for true gods.
こんにちは
私はあなたの心の中の宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトのプロジェクトは,人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
この部分は、科学と宗教についてのソロウシュの見解です。
ソロウシュは、宗教の解釈は科学的知識にもとづくべきであると考えます。
宗教の核心部分は変わりません。
これは時空を超えたところにいる真の神々からみても真実です。
この顕在世界ではあらゆるものが変化しつつあります。
顕在世界における宗教的知識も変わります。
ソロウシュのこの観点は、真の神々にとっても正しいです。
第3章 ソロウシュの議論
第1節革命後のイデオロギー状況とソロウシュの登場
第1項[伝統派対ダイナミック解釈派の論争]
ホメイニーは、西洋文化の前にイスラムが死滅の危機に瀕していると説き、「ヴェラーヤテ・ファギー」(イスラム法学者による統治)を実現して、イスラムを守るべきだと考えた。
しかし、実際に聖職者が統治することになった現実のイランは、古代、中世のイランではなくて、パーレビー王朝の時代に導入された西洋起源の近代工業が存在する社会であった。
革命政府はホメイニーの存命中から、統治にあたって依拠すべきイスラム法(シャリーアまたはフェク)を旧来の伝統どおり解釈して適用するのか、イラン社会の現実にあわせるのかの問題にぶつからざるをえなかった。
イスラム法学者(ファキー)の中で伝統派対ダイナミック解釈派の論争が起こった。
「・・・20世紀後半の神権国家の必要にシャリーアをいかに合致させるかの問題についての議論がはじまった。
聖職者は二つの陣営にわかれた。
伝統法学を神聖化する立場、よりダイナミックに法学を解釈する必要を主張する立場である。」13
実際にはより現実にあわせた解釈をしてゆかざるをえないので、ダイナミック解釈派の方が優勢となる。
「しばらくして、とくにシーア派の共同体において、イスラムの教えと世界のダイナミックな要求との調和をもたらすエジュテハードの重要性が認められた。」
しかし、現実のイラン社会についての正確な認識なしに聖職者たちイスラム法学者がコーランやスンナの解釈に向かっても現実に即した問題解決の方針がだせるわけではない。
「このすべては、近代科学の洞察力のある見解なしになされた。
結果は、一貫性のない折衷主義であった。
他方の極に、伝統主義者が初期の時代から続いているものを崇拝するよう主張していた。」14
第2項[1988年、ソロウシュの論文「理論的なシャリーアの縮小と拡大」の発表で論争は認識論へと発展]
このような状況の中で、非聖職者の宗教知識人ソロウシュが1988年4月に、従来の伝統派対ダイナミック解釈派の対立を超えたシャリーアを認識論的にいかに位置づけるかを提起した「理論的なシャリーアの縮小と拡大」を発表した。
このことで論争の論点は認識論へと発展していった。
「1985年にカール・ポパー Popper (1902-1994)の『開かれた社会とその敵』が翻訳されてイランの知識界に波紋をよんだ。
論争はポパー自身についてではなく政治的な方向づけと 認識論的原理に対してであった。」15 とあり、ソロウシュの議論の後景の一つとして見ておく必要がある。
革命にひきつづく時代のイランは、自由主義者と左翼の異端者は排除されていたが「聖職者の優越を認めた非聖職者の宗教的知識人は、それぞれの部署に留まることができ」「政治的には抑圧的時代だったが、知的には花咲く時代であった。」16 とボロウジェルド](Mehrzad Broujerd)は述べている。
この時代の成果としてソロウシュは、「聖職者の優越を認める」枠から外に知的開花の花を咲かせてしまった。
第2節普遍的な科学
第1項西洋文明をどうみるか。イスラムのアイデンティティを保持したままどのように西洋文明に立ち向かうか。
第2項[事実として近代文明は西洋起源]
古代にはなかった近代的な生産様式は、まず西洋で出発したものであり、それ照応する科学技術や法律学を含む社会科学は西洋にその研究の先駆者を生むことになった。
イランには、シャーの時代にすでに西洋起源の近代的工業が持ち込まれている。
その生産力を生かして社会の再生産を行なおうとするかぎり、西洋にはじまった近代的な自然科学と社会科学を修得したものを大量に必要とする。
西洋起源の文化を排斥するためには近代工業を壊滅させるしか道がない。
それは不可能である。
イスラムのアイデンティティを保持したまま西洋文明にどう立ち向かうかという問題が浮上せざるをえないことになる。
第3項[伝統主義者の西洋認識]
この西洋認識の問題をめぐって、非聖書者知識人のダバリ (Reza Davari Ardakani)とソロウシュが論争している。
伝統主義者のダバリは、「西洋近代は、神を捨て人間を宇宙の中心にすえる個人主義とヒューマニズムに堕落したとして、西洋を全面的に否定する。
そして近代科学を否定し、西洋の民主主義モデルを否定する。
美徳ある社会は、預言者の教えに基づくべきだと言う。
次のダバリのたとえは、分かりやすい。
「近代は西洋で植えられて、世界に広がった木である。
何年もわれわれは枯れかけた木の枝のもとに生活してきた。
そしてその枯れかけた葉は、まだわれわれの頭の上にぶら下がっている。
われわれがイスラム(の木)に避難しても、この枝の葉は、我々の頭上から完全に消えなかった。」17
ダバリは枝だけでなく、近代の木それ自体が引き抜かれなくてはならないと考える。
したがって、ダバリは、異なる木である西洋文明との文化交流の可能性を認めない。
第4項[知性には国境が無いとするソロウシュの主張]
このようなダバリの西洋=近代を全面的に否定する原理主義の思考に対してソロウシュは全面的に反論する。
ソロウシュは西洋近代に対してだけでなく、異なった宗教、文明間での交流と協力の可能性を信じている。
哲学、知性に国境はないというソロウシュの主張をボロウジェルドは次のように要約している。
「知性は縛られぬものであり、哲学はコスモポリタンであり、知識には国境がないがゆえに、出生の日付と場所は、その考えの正しさと正当性の評価の基準の役にたつことはできない。・・・
西洋から来るものは、必ずしも汚れたものではない。
人は、自分に害にならないように西洋の技術を取り入れることができると同じように西洋の思想や政治を取り入れることができる。・・・
そして異なった宗教の間で、独断的主張やひとりよがりをやめ、相互の承認と協力を促進すべきだとソロウシュは文化交流の可能性を確信している。」18
第5項[「文明の衝突」を避ける道]
ハンティントン(Hantington)の「 文明の衝突 」という考え方は、原理主義者に有利な考えであるとソロウシュは考える。
イスラムと西洋文明の共生の道を探るために次のような提起をしている。
「問題の根本をつかむためには、両方の文化の持っている根本的な諸前提を考える必要がある。
両方がともに生きてゆくことを可能にするためにどちかの文化の明白な特徴のいくつかを変える企ては適切ではない。
もし、それらの文明の根本的諸前提が調和をもって存在することができないものなら、文明のなんらかの和解は危ういままだろう。」19
ソロウシュは文明のより根源にあるものの考察の中に文明の衝突を避ける道があると提起する。
第6項[キリスト教における近代科学との出会いとイスラムにおける近代科学との出会い]
ソロウシュは伝統主義者の偏狭な西洋文明全面否定論が出てくる背景を文化的政治的な植民地化を避ける必要にあったと考える。
「西欧では近代科学との静かな遭遇の結果としてカトリック、プロテスタント神学を生み出した。
しかし、文化的政治的植民地化をおそれ、ほとんどのムスリムは、ヨーロッパ世界に対して絶対的否定の態度をとった。」
「結果として、無気力な状態となり、近代科学と哲学の挑戦に対決することができなかった。」
このような西洋科学導入の必要性についてはアフガーニー(Afgani)以来の近代的思考をするムスリムに絶えず出てくる論点であるが、ソロウシュは、単純な「西洋文明」観をとらず、西洋文明に多面性・多起源性を見、西洋科学自体、より普遍性をもったものとして見ている。
ムスリムとしてのアイデンティティを保持したまま文化の普遍的性格を信じる背景に彼の理論を貫く科学観がある。
第7項[科学は連続的な人間の経験の蓄積]
「重要なことであるが、今日西洋科学 と呼ばれるものは、イスラムの科学 の後継者である。
そしてイスラム科学は、ギリシャ科学、インド、ペルシャ、バビロニア科学の後継者である。
我々が持っているものは連続的な人間の経験である。」20
このことは宗教であるキリスト教文明と西欧科学文明の区別の指摘でもある。
第8項[ソロウシュの科学論]
ソロウシュによると「自然の科学は自然を理解する人間の営みである、そして宗教の科学は宗教を理解する人間の営みである。」21
宗教の分野以外のところで発達した人間の知識である科学が宗教理解に影響を及ぼすことと宗教の知識自身が科学と同じく変化、発展するものであるというところにソロウシュの主張の特徴がある。
科学論にソロウシュ独自のものがあるわけではないが、科学とはいかなるものかをソロウシュの議論で確認しておこう。
科学的研究では、対象に対して今まで到達した知識・理論にもとづく研究仮説(理論、概念、体系)が、観察や実験の前にあらかじめ存在している。
「連続した出来事の規則的な関係が観察される単純て帰納的研究においてさえ、対象とする要素の完全なリストを確保できない。
これらすべてのケースにおいて、人は、どこからはじめて、どこで終わるべきか、何を含んで、何に注目するべきか、何が重要で、何を除外するべきか。
このような研究の場面のイメージがあらかじめ整っていなけれはならない」22
また観察自体も、「一方では理論によって導かれて、そして他方で同じ理論によって彩色される。」23
「興味深い事に、顕微鏡と原子核磁気共鳴装置のような注意深い観察と測定を提供するように思える科学的道具も、われわれが自然に対して問いを提起して、そこから答えを引き出せるような整理され客観化された複雑な理論的仮説がなければ役立たない。」
それ故、観察のための理論的前提は、自然の理解のために科学の方法が必要とするものであり、また科学の歴史の事実でもある。
そして、この観察のための理論的前提(体系、研究仮説)は不変の神聖なものではなく、それは批判され、修正され、深められてゆく。
したがって、「科学は正誤の考えの混在である。
すべての科学者は、確実な事実と真実の思想を求めるにもかかわらず、科学自体は、特定の科学者の超越的な信念や意見を超えて、確固とした事実や結論とともに間違いや疑わしい仮説や議論などから成り立つ。・・・
科学の発展にとって失敗は成功と同じだけ大切な価値がある。」24
歴史を通じて科学研究の成果としての自然認識だけでなく、研究のための方法としての理論的枠組(体系、概念)自身が変化してゆく。
このような科学と科学史の理解が、宗教の認識にも貫かれるとろにソロウシュの理論の独自性がある。
第9項[宗教的聖典の理解への科学研究の方法の応用]
宗教以外のテキスト(書物)の科学的研究についてソロウシュは次のように述べる。
「テキストもそれだけではなりたたない。
それは状況(context)の中に位置づけられなければならない。・・・
その解釈は変化するものである。
そして(理論的)仮説は、テキストの理解のために積極的に機能する。」
そして「宗教的なテキスト(聖典)も例外ではない。
その解釈は、それに先行する(理論的)仮定、もしくはそれに問いかける質問にそって拡大、縮小するものである。
今、(理論的)諸前提は、時代に規定されているゆえに、実際、宗教的知識、宗教の科学は変化はできるし、変化するものである。
それは、理解の産物であり、変化の状態にある。
人が啓示の声を聞くことができるのは、これらの(理論的)諸仮定を通じてである。
それは知識の分枝であり、それ以上でも以下でもない。」25
第3節 科学的宗教認識
第1項 宗教における不変のものと変化するものの区別
[宗教は神聖であるが、宗教の解釈は人間の認識の問題]
このようにソロウシュは彼の科学観を宗教の考察に適応する。
神の啓示は不変で神聖であるが、人間の認識にかかわる宗教知識、聖典理解は、自然の科学と同じように研究の前提としての認識の枠組みと相互に影響しつつ、無限に変化していくものであるとする。
「どのように我々は宗教の不変の原則を世界の変化している状態と一致させるか?・・・
我々は変わりやすくて、そして同時に不変の何かを見いださなければならない。・・・
それは啓示された聖典それ自身である。
それは不変であると同時に変化することができる。
それは預言者 の心に明らかにされた。
それはそのまましておかれるべきで、誰もそれを変えることは許されない。
同時に、経典の解釈がある。
それは変わりうる。
解釈は(理論的)仮説なしにはありえず、仮説は時代の知識に拘束される。
時代の知識はいつも流動的である。」26
したがって宗教は神聖であるが、宗教の解釈は人間の側に属することで、変化するもので神聖ではないということになる。
[宗教における本質と偶然、宗教を本質に絞り込む企て]
さらにソロウシュは、本質と偶然という角度からも人間の領域に属するものから神聖さをはぎ取り、宗教をその本質的な位置に絞り込む。
「聖典コーランの内容は2つの部分に分けられる。
本質と偶然である。
偶然とは、啓示がなされた時の文化的、社会的、歴史的な状況である。・・・
ハデースの中に病気治療に関するところがある。
しかし、それをイスラムの本質であるとする人はいない。
人間自身が試行錯誤して病気と薬についての事実を見いだしてきた。
もし、そうなら哲学、経済学、政治についてはどうなのか。」27
「本質と偶然を区別する基準はものごとが別の状態でありえたかどうかである。
他の状態でありえた物事は偶然である。」として彼は、偶然の要素は多くあり、コーランの言葉がアラビア語になったのは偶然であり、イスラムがシーア派とスンニ派とに分裂したのもの偶然だったとする。
ムスリムが聖なる不変の要素と考えていたものの多くがその神聖さを失うことになる。
第2項宗教の歴史は不断の解釈と再解釈の歴史
[非宗教的な分野の理解が宗教理解に影響を及ばす]
宗教の歴史とは、不断の解釈と再解釈の歴史であり、人間の側の認識の問題であった。
したがって、宗教以外の人間の認識の発展が聖典の解釈に影響を与えることになる。
人間の知性によって蓄積された知識の総体(科学)によって、宗教に対する人間の理解を純化し、深化させるべきだとソロウシュは考える。
「このすべてが意味していることは、宗教は、常に相互に絶えず影響しあう多くの同時的な情報や議論にとりかこまれている。
その解釈は、外部の要素が変わらないかぎり不変であるが、いったん外部の要素が変化するとその変化は宗教の理解に反映する。
それ故に宗教の科学が変化するのは、不当な操作やとっぴな解釈などののためではない。
宗教の科学の変化は、非宗教的な分野における人間の理解の深化が宗教に違った理解を強いることから生ずる当然の産物である」28
そしてまたある時代に解釈が一貫するのも同じ理由からである。
[問いの深まりが、引き出す解答の深さを規定する]
自然、社会についての人間の理解の概念的な変化がいかに宗教の聖典の理解に影響を与えるかについて、わかりやすく説明している。
「聖典はあなたに語らない。
問l を発することによって、それに語らせる。
あなたが学識がある男の前にいるとしても、あなたが彼に質問をしないなら、彼は黙ったままである。
あなたは彼の知識から利益を引き出せない。
もし、あなたが彼に問を発するならば,あなたは、あなたこの質問のレベルに応じて、知識を引き出すだろう。
もし、質問が深められるならば、答えもまた深まったものであろう。
それゆえに解釈はわれわれの側に依存している。・・・
啓示は、われわれに直接に語ることによってその秘密を見せない。
我々は行って、そしてそれらを発掘して、そしてそこにある宝石を見いださなければならない。
われわれが宗教から得るすべては解釈である。・・・
これらの解釈は歴史的であるから、歴史性の要素がそこにある。・・・
あなたは歴史にむかい、そこからコーランとハデースにいくべきである。」29
[非宗教分野の理解が宗教に影響を与える際の二つのタイプ]
ソロウシュは、宗教(経典)に発する問い自体の変化を促す宗教外からの契機について次の二つをあげる。
その一つは、近代産業と近代社会を事実上導入しているが故に解決を必要とする古代にはなかった問いである。
「最初の一つは、宗教が新しい答えを期待される新しい問いが提起された時である。
たとえば、イスラムにおける人権とは、イスラム科学とは、利子のない銀行業務のシステムが可能か。
統治のイスラム的形態とは。
このような問いは時代の要請にそって出現する。
それらの答えは現在の理解の限界の中で定式化される。・・・」30
もう一つは、コーランの叙述が、科学的の発展による諸発見と矛盾するようになった場合である。
「第二は、人間の知識のより幅広い発展で聖典と伝統から新たな理解が得られた時である。
神が絶対確実であり、真実しか語らないという前提から、人はあきらかに現在の信念体系と一貫しない結論を推定することはできない。
コーランの初期の解説者は、七つの天の意味を説明するには何の問題もなかった。
その解釈は、当時の天文学的な知識では筋が通っていた。
宗教的な経典で使われた用語は、現在の理論から意味的に理解されるべきである。」31
すなわち、「もし、科学が客観的に真実であるなら、そしてもし宗教が客観的に真実であるなら、それらは相互に一貫するべきである。」32
天動説や進化論・自然選択説が正しければ、コーランが意味的に再解釈されねばならないのである。
第3項 以前のモダニストとソロウシュの議論を分ける分岐点
[宗教における不変のものと変化するもの区別]
不変である啓示と変化する宗教的知識のこの認識論的区別が従来のイスラムモダニストとソロウシュの理論を分ける分岐点である。
これまでは、コーランを近代的な枠組みに解釈してみせただけだった。
ソロウシュの理論の意義についてボロウジェルドは次のように述べている。
「たとえば、バザルガンのように、ソロウシュは、科学とイスラムの調和を試みたのではなく、宗教への科学的アプローチを正当化したわけでもない。・・・
宗教的知識と宗教の理解を強調することによってこれらのタイプの企てを超えて進まねばならないと信じていた。
ソロウシュは、科学と宗教の調和を語るのではなく、よりよく宗教を理解するために科学を使うことについて述べる。・・・
聖典とスンナは不変であるけれども、宗教的知識は、永遠の知的な交流過程である人間の知識のより大きな分野の一部である。
このデリケートな区別に注意をむけたことが、革命後、イランの知的思索に対するソロウシュの主な貢献である。」33
[科学を使って宗教を理解]
またカマリ(Hossein Kamaly)もソロウシュの理論の意義について次のように述べる。
「ソロウシュの主張は、人間のつくった科学や知識が宗教におきかわるべきだというものではない。
むしろ、人間の知性によって蓄積された知識の総体は、宗教に対する人間の理解を純化し、発展させるべきであるというのが彼の主張である。
源はそれ自身宗教である、
しかし人間のつくった科学がもっと深く情報源を探求して、そしていっそう洗練された内容を引き出す道具を供給する。」34
[イスラムの概念の縮小をめざす]
イラン革命前、国王打倒のためにシーア派イスラム教の教義を、革命的な教義に再編成したイデオローグにホメイニーとアリー・シャリアティがいた。
ホメイニーのめざした社会は聖職者が統治するもので、アリー・シャリアティのめざした社会は、聖職者は特権をもたず近代的なイスラム知識人がリードする社会であった。
聖職者が特権をもたないイスラム社会をめざす点ではソロウシュの立場は、アリー・シャリアティを継承するものであるが、その論点は根本から異なっていた。
ホメイニーもアリー・シャリアティもともにイスラムを生活の全領域を含む包括的な宗教体系として見ていた。
事実、イスラムは聖俗一致、聖教一致の特徴をもつからこそ民衆の革命動員に彼らが成功したのであった。
しかし、ソロウシュは、そのイスラムのもっている包括性を、認識論によって聖なる不変の部分を限定することによって縮小しようとする。
とするならば、ソロウシュは、イスラム社会が近代的な発展をとげるために必須の宗教改革を開始しようとしていることになる。
第4節イスラム法学論
第1項イスラム法シャリーアは宗教の核心ではなく、変化するもの
[宗教は法学ではなく倫理に依存するもの]
すでに述べたように1988年4月にソロウシュが「理論的なシャリーアの縮小と拡大」を月刊文化誌ケイハーネ・ファルハンギー(Keyhan-e Farhangi)に発表したことが、イスラム法学の伝統派対ダイナミック解釈派の論争を論争を認識論的次元に進めることになった。
ソロウシュの議論は、今までに見てきたように「不変の経典以外、すべての科学と知識の分野は、絶え間ない生成の過程にある。
そしてその変化は、宗教的知識、法学を含めて他のすべての人間の知識の分野に影響を及ぼす。」というものであった。
したがってイスラム法シャリーアも人間の認識の側に属するものであり、本質的に変化するものであり、宗教以外の研究の分野の光にあてて発展させられるべきものだということになる。
イスラム法学は宗教の核心ではないとソロウシュは次のように述べる。
「フェク(イスラム法学=シャリーア)は宗教の本質ではない。
イランにおける問題はフェクの強調にある。
宗教はフェクに 依存するものではなくて、倫理に依存するものである。
フェクは無価値なものではないが、宗教の核心ではないのである。」35
[人間の認識の限界の中にあるイスラム法]
なぜなら、ソロウシュによれば「宗教は、神からのものであり、純粋で、絶対である。
しかしそれが理解されるためには、人間の複雑な社会関係の中で作動する人間の認識能力というチャンネルを通じざるをえない。
だから・・・不完全で、その純粋性と絶対性を失う。・・・
宗教それ自体の神聖さのゆえに、宗教の解釈に神聖さを与えることはできない。
したがってイスラム法シャリーアの理解は、神聖で究極のものではないのである。」36
第2項 イスラム法学者は、社会科学を研究すべき
[イスラム法学の停滞の原因、他の関連した学問の欠如から]
したがってソロウシュは、イスラム法学者が、科学や社会科学を神聖な信仰の確信を害するとして科学的な理論を避けるのではなく、科学を学び、科学者との知的な交流に参加すべきであると主張する。
そしてイスラム法学の停滞は、宗教以外の分野の学問が欠落していることにあると述べる。
「それらの問題を扱うことはかなりの哲学、政治、社会学と歴史(の知識)を必要とする。
そしてそれは宗教の科学に時代の香りを与えるものである。・・・
これは、なぜイスラムの社会での宗教法学が最近の数世紀間ずっと低迷し続けていたのかを示すことなる。
それはイスラム法学フェクの中に内的なダイナミックが欠けているがゆえではなく、他の関連した学問の停滞のゆえである。
たとえば、神学と歴史、その他社会学のような学問が存在しないことである。」37
つまり、イスラム法学者は、自然や社会の認識を深める科学的仮説としての体系(枠組み、理論)を学び、その分野の現代的な知的な光のもとでコーランやスンナを解釈してゆくべきだというのである。
[聖職者の一部も支持]
ソロウシュは、この立場から宗教学校の生徒にもっと科学を学び、宗教以外の分野を学ぶように言い、宗教学校のカリキュラムが宗教に偏るべきでない主旨の発言をした。
このことが、一方で彼に対する迫害を招く引き金になってゆく。
しかし、他方で著名な聖職者のシャベスタリー(Mohammad Shabestari)がソロウシュのこのような論点を支持していることをボロウジェルドは紹介しており、ソロウシュの論が、現実の事件に対応して判断を下してゆく仕事を担うイスラム法学者たちウラマーの中にも一定の共鳴を広げていると推測される。
「我々の宗教学校が、社会科学から分離して、そしてこの学問における発展の認識無しで、自分の職分を守っているという事実は、我々が市民権の哲学あるいは倫理の哲学を持っていない現在の状態に導いた。」(シャベスタリー1988) 38
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant of Mitsuki in whole life.
This part is view of Soroush about science and religion.
Soroush thinks that interpretation of religion should be based on scientific knowledge.
Core point of religion is not change.
This is true from true god which is beyond time-space.
In this presence world all things are changing.
Religious knowledge in presence world changes also.
This point of view of Soroush is correct for true gods.
こんにちは
私はあなたの心の中の宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトのプロジェクトは,人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
この部分は、科学と宗教についてのソロウシュの見解です。
ソロウシュは、宗教の解釈は科学的知識にもとづくべきであると考えます。
宗教の核心部分は変わりません。
これは時空を超えたところにいる真の神々からみても真実です。
この顕在世界ではあらゆるものが変化しつつあります。
顕在世界における宗教的知識も変わります。
ソロウシュのこの観点は、真の神々にとっても正しいです。
第3章 ソロウシュの議論
第1節革命後のイデオロギー状況とソロウシュの登場
第1項[伝統派対ダイナミック解釈派の論争]
ホメイニーは、西洋文化の前にイスラムが死滅の危機に瀕していると説き、「ヴェラーヤテ・ファギー」(イスラム法学者による統治)を実現して、イスラムを守るべきだと考えた。
しかし、実際に聖職者が統治することになった現実のイランは、古代、中世のイランではなくて、パーレビー王朝の時代に導入された西洋起源の近代工業が存在する社会であった。
革命政府はホメイニーの存命中から、統治にあたって依拠すべきイスラム法(シャリーアまたはフェク)を旧来の伝統どおり解釈して適用するのか、イラン社会の現実にあわせるのかの問題にぶつからざるをえなかった。
イスラム法学者(ファキー)の中で伝統派対ダイナミック解釈派の論争が起こった。
「・・・20世紀後半の神権国家の必要にシャリーアをいかに合致させるかの問題についての議論がはじまった。
聖職者は二つの陣営にわかれた。
伝統法学を神聖化する立場、よりダイナミックに法学を解釈する必要を主張する立場である。」13
実際にはより現実にあわせた解釈をしてゆかざるをえないので、ダイナミック解釈派の方が優勢となる。
「しばらくして、とくにシーア派の共同体において、イスラムの教えと世界のダイナミックな要求との調和をもたらすエジュテハードの重要性が認められた。」
しかし、現実のイラン社会についての正確な認識なしに聖職者たちイスラム法学者がコーランやスンナの解釈に向かっても現実に即した問題解決の方針がだせるわけではない。
「このすべては、近代科学の洞察力のある見解なしになされた。
結果は、一貫性のない折衷主義であった。
他方の極に、伝統主義者が初期の時代から続いているものを崇拝するよう主張していた。」14
第2項[1988年、ソロウシュの論文「理論的なシャリーアの縮小と拡大」の発表で論争は認識論へと発展]
このような状況の中で、非聖職者の宗教知識人ソロウシュが1988年4月に、従来の伝統派対ダイナミック解釈派の対立を超えたシャリーアを認識論的にいかに位置づけるかを提起した「理論的なシャリーアの縮小と拡大」を発表した。
このことで論争の論点は認識論へと発展していった。
「1985年にカール・ポパー Popper (1902-1994)の『開かれた社会とその敵』が翻訳されてイランの知識界に波紋をよんだ。
論争はポパー自身についてではなく政治的な方向づけと 認識論的原理に対してであった。」15 とあり、ソロウシュの議論の後景の一つとして見ておく必要がある。
革命にひきつづく時代のイランは、自由主義者と左翼の異端者は排除されていたが「聖職者の優越を認めた非聖職者の宗教的知識人は、それぞれの部署に留まることができ」「政治的には抑圧的時代だったが、知的には花咲く時代であった。」16 とボロウジェルド](Mehrzad Broujerd)は述べている。
この時代の成果としてソロウシュは、「聖職者の優越を認める」枠から外に知的開花の花を咲かせてしまった。
第2節普遍的な科学
第1項西洋文明をどうみるか。イスラムのアイデンティティを保持したままどのように西洋文明に立ち向かうか。
第2項[事実として近代文明は西洋起源]
古代にはなかった近代的な生産様式は、まず西洋で出発したものであり、それ照応する科学技術や法律学を含む社会科学は西洋にその研究の先駆者を生むことになった。
イランには、シャーの時代にすでに西洋起源の近代的工業が持ち込まれている。
その生産力を生かして社会の再生産を行なおうとするかぎり、西洋にはじまった近代的な自然科学と社会科学を修得したものを大量に必要とする。
西洋起源の文化を排斥するためには近代工業を壊滅させるしか道がない。
それは不可能である。
イスラムのアイデンティティを保持したまま西洋文明にどう立ち向かうかという問題が浮上せざるをえないことになる。
第3項[伝統主義者の西洋認識]
この西洋認識の問題をめぐって、非聖書者知識人のダバリ (Reza Davari Ardakani)とソロウシュが論争している。
伝統主義者のダバリは、「西洋近代は、神を捨て人間を宇宙の中心にすえる個人主義とヒューマニズムに堕落したとして、西洋を全面的に否定する。
そして近代科学を否定し、西洋の民主主義モデルを否定する。
美徳ある社会は、預言者の教えに基づくべきだと言う。
次のダバリのたとえは、分かりやすい。
「近代は西洋で植えられて、世界に広がった木である。
何年もわれわれは枯れかけた木の枝のもとに生活してきた。
そしてその枯れかけた葉は、まだわれわれの頭の上にぶら下がっている。
われわれがイスラム(の木)に避難しても、この枝の葉は、我々の頭上から完全に消えなかった。」17
ダバリは枝だけでなく、近代の木それ自体が引き抜かれなくてはならないと考える。
したがって、ダバリは、異なる木である西洋文明との文化交流の可能性を認めない。
第4項[知性には国境が無いとするソロウシュの主張]
このようなダバリの西洋=近代を全面的に否定する原理主義の思考に対してソロウシュは全面的に反論する。
ソロウシュは西洋近代に対してだけでなく、異なった宗教、文明間での交流と協力の可能性を信じている。
哲学、知性に国境はないというソロウシュの主張をボロウジェルドは次のように要約している。
「知性は縛られぬものであり、哲学はコスモポリタンであり、知識には国境がないがゆえに、出生の日付と場所は、その考えの正しさと正当性の評価の基準の役にたつことはできない。・・・
西洋から来るものは、必ずしも汚れたものではない。
人は、自分に害にならないように西洋の技術を取り入れることができると同じように西洋の思想や政治を取り入れることができる。・・・
そして異なった宗教の間で、独断的主張やひとりよがりをやめ、相互の承認と協力を促進すべきだとソロウシュは文化交流の可能性を確信している。」18
第5項[「文明の衝突」を避ける道]
ハンティントン(Hantington)の「 文明の衝突 」という考え方は、原理主義者に有利な考えであるとソロウシュは考える。
イスラムと西洋文明の共生の道を探るために次のような提起をしている。
「問題の根本をつかむためには、両方の文化の持っている根本的な諸前提を考える必要がある。
両方がともに生きてゆくことを可能にするためにどちかの文化の明白な特徴のいくつかを変える企ては適切ではない。
もし、それらの文明の根本的諸前提が調和をもって存在することができないものなら、文明のなんらかの和解は危ういままだろう。」19
ソロウシュは文明のより根源にあるものの考察の中に文明の衝突を避ける道があると提起する。
第6項[キリスト教における近代科学との出会いとイスラムにおける近代科学との出会い]
ソロウシュは伝統主義者の偏狭な西洋文明全面否定論が出てくる背景を文化的政治的な植民地化を避ける必要にあったと考える。
「西欧では近代科学との静かな遭遇の結果としてカトリック、プロテスタント神学を生み出した。
しかし、文化的政治的植民地化をおそれ、ほとんどのムスリムは、ヨーロッパ世界に対して絶対的否定の態度をとった。」
「結果として、無気力な状態となり、近代科学と哲学の挑戦に対決することができなかった。」
このような西洋科学導入の必要性についてはアフガーニー(Afgani)以来の近代的思考をするムスリムに絶えず出てくる論点であるが、ソロウシュは、単純な「西洋文明」観をとらず、西洋文明に多面性・多起源性を見、西洋科学自体、より普遍性をもったものとして見ている。
ムスリムとしてのアイデンティティを保持したまま文化の普遍的性格を信じる背景に彼の理論を貫く科学観がある。
第7項[科学は連続的な人間の経験の蓄積]
「重要なことであるが、今日西洋科学 と呼ばれるものは、イスラムの科学 の後継者である。
そしてイスラム科学は、ギリシャ科学、インド、ペルシャ、バビロニア科学の後継者である。
我々が持っているものは連続的な人間の経験である。」20
このことは宗教であるキリスト教文明と西欧科学文明の区別の指摘でもある。
第8項[ソロウシュの科学論]
ソロウシュによると「自然の科学は自然を理解する人間の営みである、そして宗教の科学は宗教を理解する人間の営みである。」21
宗教の分野以外のところで発達した人間の知識である科学が宗教理解に影響を及ぼすことと宗教の知識自身が科学と同じく変化、発展するものであるというところにソロウシュの主張の特徴がある。
科学論にソロウシュ独自のものがあるわけではないが、科学とはいかなるものかをソロウシュの議論で確認しておこう。
科学的研究では、対象に対して今まで到達した知識・理論にもとづく研究仮説(理論、概念、体系)が、観察や実験の前にあらかじめ存在している。
「連続した出来事の規則的な関係が観察される単純て帰納的研究においてさえ、対象とする要素の完全なリストを確保できない。
これらすべてのケースにおいて、人は、どこからはじめて、どこで終わるべきか、何を含んで、何に注目するべきか、何が重要で、何を除外するべきか。
このような研究の場面のイメージがあらかじめ整っていなけれはならない」22
また観察自体も、「一方では理論によって導かれて、そして他方で同じ理論によって彩色される。」23
「興味深い事に、顕微鏡と原子核磁気共鳴装置のような注意深い観察と測定を提供するように思える科学的道具も、われわれが自然に対して問いを提起して、そこから答えを引き出せるような整理され客観化された複雑な理論的仮説がなければ役立たない。」
それ故、観察のための理論的前提は、自然の理解のために科学の方法が必要とするものであり、また科学の歴史の事実でもある。
そして、この観察のための理論的前提(体系、研究仮説)は不変の神聖なものではなく、それは批判され、修正され、深められてゆく。
したがって、「科学は正誤の考えの混在である。
すべての科学者は、確実な事実と真実の思想を求めるにもかかわらず、科学自体は、特定の科学者の超越的な信念や意見を超えて、確固とした事実や結論とともに間違いや疑わしい仮説や議論などから成り立つ。・・・
科学の発展にとって失敗は成功と同じだけ大切な価値がある。」24
歴史を通じて科学研究の成果としての自然認識だけでなく、研究のための方法としての理論的枠組(体系、概念)自身が変化してゆく。
このような科学と科学史の理解が、宗教の認識にも貫かれるとろにソロウシュの理論の独自性がある。
第9項[宗教的聖典の理解への科学研究の方法の応用]
宗教以外のテキスト(書物)の科学的研究についてソロウシュは次のように述べる。
「テキストもそれだけではなりたたない。
それは状況(context)の中に位置づけられなければならない。・・・
その解釈は変化するものである。
そして(理論的)仮説は、テキストの理解のために積極的に機能する。」
そして「宗教的なテキスト(聖典)も例外ではない。
その解釈は、それに先行する(理論的)仮定、もしくはそれに問いかける質問にそって拡大、縮小するものである。
今、(理論的)諸前提は、時代に規定されているゆえに、実際、宗教的知識、宗教の科学は変化はできるし、変化するものである。
それは、理解の産物であり、変化の状態にある。
人が啓示の声を聞くことができるのは、これらの(理論的)諸仮定を通じてである。
それは知識の分枝であり、それ以上でも以下でもない。」25
第3節 科学的宗教認識
第1項 宗教における不変のものと変化するものの区別
[宗教は神聖であるが、宗教の解釈は人間の認識の問題]
このようにソロウシュは彼の科学観を宗教の考察に適応する。
神の啓示は不変で神聖であるが、人間の認識にかかわる宗教知識、聖典理解は、自然の科学と同じように研究の前提としての認識の枠組みと相互に影響しつつ、無限に変化していくものであるとする。
「どのように我々は宗教の不変の原則を世界の変化している状態と一致させるか?・・・
我々は変わりやすくて、そして同時に不変の何かを見いださなければならない。・・・
それは啓示された聖典それ自身である。
それは不変であると同時に変化することができる。
それは預言者 の心に明らかにされた。
それはそのまましておかれるべきで、誰もそれを変えることは許されない。
同時に、経典の解釈がある。
それは変わりうる。
解釈は(理論的)仮説なしにはありえず、仮説は時代の知識に拘束される。
時代の知識はいつも流動的である。」26
したがって宗教は神聖であるが、宗教の解釈は人間の側に属することで、変化するもので神聖ではないということになる。
[宗教における本質と偶然、宗教を本質に絞り込む企て]
さらにソロウシュは、本質と偶然という角度からも人間の領域に属するものから神聖さをはぎ取り、宗教をその本質的な位置に絞り込む。
「聖典コーランの内容は2つの部分に分けられる。
本質と偶然である。
偶然とは、啓示がなされた時の文化的、社会的、歴史的な状況である。・・・
ハデースの中に病気治療に関するところがある。
しかし、それをイスラムの本質であるとする人はいない。
人間自身が試行錯誤して病気と薬についての事実を見いだしてきた。
もし、そうなら哲学、経済学、政治についてはどうなのか。」27
「本質と偶然を区別する基準はものごとが別の状態でありえたかどうかである。
他の状態でありえた物事は偶然である。」として彼は、偶然の要素は多くあり、コーランの言葉がアラビア語になったのは偶然であり、イスラムがシーア派とスンニ派とに分裂したのもの偶然だったとする。
ムスリムが聖なる不変の要素と考えていたものの多くがその神聖さを失うことになる。
第2項宗教の歴史は不断の解釈と再解釈の歴史
[非宗教的な分野の理解が宗教理解に影響を及ばす]
宗教の歴史とは、不断の解釈と再解釈の歴史であり、人間の側の認識の問題であった。
したがって、宗教以外の人間の認識の発展が聖典の解釈に影響を与えることになる。
人間の知性によって蓄積された知識の総体(科学)によって、宗教に対する人間の理解を純化し、深化させるべきだとソロウシュは考える。
「このすべてが意味していることは、宗教は、常に相互に絶えず影響しあう多くの同時的な情報や議論にとりかこまれている。
その解釈は、外部の要素が変わらないかぎり不変であるが、いったん外部の要素が変化するとその変化は宗教の理解に反映する。
それ故に宗教の科学が変化するのは、不当な操作やとっぴな解釈などののためではない。
宗教の科学の変化は、非宗教的な分野における人間の理解の深化が宗教に違った理解を強いることから生ずる当然の産物である」28
そしてまたある時代に解釈が一貫するのも同じ理由からである。
[問いの深まりが、引き出す解答の深さを規定する]
自然、社会についての人間の理解の概念的な変化がいかに宗教の聖典の理解に影響を与えるかについて、わかりやすく説明している。
「聖典はあなたに語らない。
問l を発することによって、それに語らせる。
あなたが学識がある男の前にいるとしても、あなたが彼に質問をしないなら、彼は黙ったままである。
あなたは彼の知識から利益を引き出せない。
もし、あなたが彼に問を発するならば,あなたは、あなたこの質問のレベルに応じて、知識を引き出すだろう。
もし、質問が深められるならば、答えもまた深まったものであろう。
それゆえに解釈はわれわれの側に依存している。・・・
啓示は、われわれに直接に語ることによってその秘密を見せない。
我々は行って、そしてそれらを発掘して、そしてそこにある宝石を見いださなければならない。
われわれが宗教から得るすべては解釈である。・・・
これらの解釈は歴史的であるから、歴史性の要素がそこにある。・・・
あなたは歴史にむかい、そこからコーランとハデースにいくべきである。」29
[非宗教分野の理解が宗教に影響を与える際の二つのタイプ]
ソロウシュは、宗教(経典)に発する問い自体の変化を促す宗教外からの契機について次の二つをあげる。
その一つは、近代産業と近代社会を事実上導入しているが故に解決を必要とする古代にはなかった問いである。
「最初の一つは、宗教が新しい答えを期待される新しい問いが提起された時である。
たとえば、イスラムにおける人権とは、イスラム科学とは、利子のない銀行業務のシステムが可能か。
統治のイスラム的形態とは。
このような問いは時代の要請にそって出現する。
それらの答えは現在の理解の限界の中で定式化される。・・・」30
もう一つは、コーランの叙述が、科学的の発展による諸発見と矛盾するようになった場合である。
「第二は、人間の知識のより幅広い発展で聖典と伝統から新たな理解が得られた時である。
神が絶対確実であり、真実しか語らないという前提から、人はあきらかに現在の信念体系と一貫しない結論を推定することはできない。
コーランの初期の解説者は、七つの天の意味を説明するには何の問題もなかった。
その解釈は、当時の天文学的な知識では筋が通っていた。
宗教的な経典で使われた用語は、現在の理論から意味的に理解されるべきである。」31
すなわち、「もし、科学が客観的に真実であるなら、そしてもし宗教が客観的に真実であるなら、それらは相互に一貫するべきである。」32
天動説や進化論・自然選択説が正しければ、コーランが意味的に再解釈されねばならないのである。
第3項 以前のモダニストとソロウシュの議論を分ける分岐点
[宗教における不変のものと変化するもの区別]
不変である啓示と変化する宗教的知識のこの認識論的区別が従来のイスラムモダニストとソロウシュの理論を分ける分岐点である。
これまでは、コーランを近代的な枠組みに解釈してみせただけだった。
ソロウシュの理論の意義についてボロウジェルドは次のように述べている。
「たとえば、バザルガンのように、ソロウシュは、科学とイスラムの調和を試みたのではなく、宗教への科学的アプローチを正当化したわけでもない。・・・
宗教的知識と宗教の理解を強調することによってこれらのタイプの企てを超えて進まねばならないと信じていた。
ソロウシュは、科学と宗教の調和を語るのではなく、よりよく宗教を理解するために科学を使うことについて述べる。・・・
聖典とスンナは不変であるけれども、宗教的知識は、永遠の知的な交流過程である人間の知識のより大きな分野の一部である。
このデリケートな区別に注意をむけたことが、革命後、イランの知的思索に対するソロウシュの主な貢献である。」33
[科学を使って宗教を理解]
またカマリ(Hossein Kamaly)もソロウシュの理論の意義について次のように述べる。
「ソロウシュの主張は、人間のつくった科学や知識が宗教におきかわるべきだというものではない。
むしろ、人間の知性によって蓄積された知識の総体は、宗教に対する人間の理解を純化し、発展させるべきであるというのが彼の主張である。
源はそれ自身宗教である、
しかし人間のつくった科学がもっと深く情報源を探求して、そしていっそう洗練された内容を引き出す道具を供給する。」34
[イスラムの概念の縮小をめざす]
イラン革命前、国王打倒のためにシーア派イスラム教の教義を、革命的な教義に再編成したイデオローグにホメイニーとアリー・シャリアティがいた。
ホメイニーのめざした社会は聖職者が統治するもので、アリー・シャリアティのめざした社会は、聖職者は特権をもたず近代的なイスラム知識人がリードする社会であった。
聖職者が特権をもたないイスラム社会をめざす点ではソロウシュの立場は、アリー・シャリアティを継承するものであるが、その論点は根本から異なっていた。
ホメイニーもアリー・シャリアティもともにイスラムを生活の全領域を含む包括的な宗教体系として見ていた。
事実、イスラムは聖俗一致、聖教一致の特徴をもつからこそ民衆の革命動員に彼らが成功したのであった。
しかし、ソロウシュは、そのイスラムのもっている包括性を、認識論によって聖なる不変の部分を限定することによって縮小しようとする。
とするならば、ソロウシュは、イスラム社会が近代的な発展をとげるために必須の宗教改革を開始しようとしていることになる。
第4節イスラム法学論
第1項イスラム法シャリーアは宗教の核心ではなく、変化するもの
[宗教は法学ではなく倫理に依存するもの]
すでに述べたように1988年4月にソロウシュが「理論的なシャリーアの縮小と拡大」を月刊文化誌ケイハーネ・ファルハンギー(Keyhan-e Farhangi)に発表したことが、イスラム法学の伝統派対ダイナミック解釈派の論争を論争を認識論的次元に進めることになった。
ソロウシュの議論は、今までに見てきたように「不変の経典以外、すべての科学と知識の分野は、絶え間ない生成の過程にある。
そしてその変化は、宗教的知識、法学を含めて他のすべての人間の知識の分野に影響を及ぼす。」というものであった。
したがってイスラム法シャリーアも人間の認識の側に属するものであり、本質的に変化するものであり、宗教以外の研究の分野の光にあてて発展させられるべきものだということになる。
イスラム法学は宗教の核心ではないとソロウシュは次のように述べる。
「フェク(イスラム法学=シャリーア)は宗教の本質ではない。
イランにおける問題はフェクの強調にある。
宗教はフェクに 依存するものではなくて、倫理に依存するものである。
フェクは無価値なものではないが、宗教の核心ではないのである。」35
[人間の認識の限界の中にあるイスラム法]
なぜなら、ソロウシュによれば「宗教は、神からのものであり、純粋で、絶対である。
しかしそれが理解されるためには、人間の複雑な社会関係の中で作動する人間の認識能力というチャンネルを通じざるをえない。
だから・・・不完全で、その純粋性と絶対性を失う。・・・
宗教それ自体の神聖さのゆえに、宗教の解釈に神聖さを与えることはできない。
したがってイスラム法シャリーアの理解は、神聖で究極のものではないのである。」36
第2項 イスラム法学者は、社会科学を研究すべき
[イスラム法学の停滞の原因、他の関連した学問の欠如から]
したがってソロウシュは、イスラム法学者が、科学や社会科学を神聖な信仰の確信を害するとして科学的な理論を避けるのではなく、科学を学び、科学者との知的な交流に参加すべきであると主張する。
そしてイスラム法学の停滞は、宗教以外の分野の学問が欠落していることにあると述べる。
「それらの問題を扱うことはかなりの哲学、政治、社会学と歴史(の知識)を必要とする。
そしてそれは宗教の科学に時代の香りを与えるものである。・・・
これは、なぜイスラムの社会での宗教法学が最近の数世紀間ずっと低迷し続けていたのかを示すことなる。
それはイスラム法学フェクの中に内的なダイナミックが欠けているがゆえではなく、他の関連した学問の停滞のゆえである。
たとえば、神学と歴史、その他社会学のような学問が存在しないことである。」37
つまり、イスラム法学者は、自然や社会の認識を深める科学的仮説としての体系(枠組み、理論)を学び、その分野の現代的な知的な光のもとでコーランやスンナを解釈してゆくべきだというのである。
[聖職者の一部も支持]
ソロウシュは、この立場から宗教学校の生徒にもっと科学を学び、宗教以外の分野を学ぶように言い、宗教学校のカリキュラムが宗教に偏るべきでない主旨の発言をした。
このことが、一方で彼に対する迫害を招く引き金になってゆく。
しかし、他方で著名な聖職者のシャベスタリー(Mohammad Shabestari)がソロウシュのこのような論点を支持していることをボロウジェルドは紹介しており、ソロウシュの論が、現実の事件に対応して判断を下してゆく仕事を担うイスラム法学者たちウラマーの中にも一定の共鳴を広げていると推測される。
「我々の宗教学校が、社会科学から分離して、そしてこの学問における発展の認識無しで、自分の職分を守っているという事実は、我々が市民権の哲学あるいは倫理の哲学を持っていない現在の状態に導いた。」(シャベスタリー1988) 38
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