Rumi - Didn't I tell you (music: Valdiv)
(video inspired by god of star)



(Tauhid philosophy has ability to unite human society based on unity in diversity)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce study of human assistant of Mitsuki in whole life.
This part is introduction by Mitsuki when uploaded own H.P.
This is fundamental point of aim of study of Islam.
Mitsuki found that Islam philosophy of tauhid is universal pluralism same to oneness philosophy of P.R.Sarkar of India.
Tauhid philosophy has ability to unite human society based on unity in diversity.


こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトは人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
この部分はミツキが自分のH.Pにアップロ-ドしたときの文章です。
これはイスラム研究の目的の基本ポイントです
ミツキは、タウヒ-ドのイスラム哲学がインドのP.R.サ-カ-のワンネス哲学と同じ普遍的多元主義であることを見いだしています。
タウヒ-ド哲学は、多様性における統一にもとづいて人間社会を統一する力をもっているのです。




Second part 第二部
Study note of Ali Shariati
アリー・シャリアティ研究ノート

2002年にH.Pに掲載したときの前書き

以下に紹介する論文は、1995年に発表したものです。
読んでいただけたら、きっとイスラムが身近に感じられると思います。
なぜ、7年も前のこの論文をこのホームページに載せようとする気になったかについてのきっかけを一言述べます。

「イスラムとはタウヒード」『数えきれない多様性の中にある世界』

一昨日、精神性関係の出版物を扱っているナチュラル・スピリットの編集者の今井さんに会いました。
「StarPeople」という彼の出版社の雑誌を土産にいただきました。
その中に「東京大学名誉教授(中東・イスラーム研究)板垣雄三氏の講演をお聞きして」という記事がありました。
次のように板垣教授の話が紹介されています。
「『イスラムとはなんぞや』と問うならば、『タウヒード(=1と決める。1と数える。1にすること)であると語る教授は、そのココロを『多元主義的普遍主義』であると解説する。・・・
ここでは『数えきれない多様性の中にある世界』が『究極の一』によって成り立っている』
なんとこれは、サーカー=ウパニシャッド哲学の「一から多が生まれた」思想と言葉は違うがまったく同じ思想ではないかと思いました。
本質的に1のものからなる無限の多として世界を見るものです。
そして、このアリー・シャリアティについての論文の中にも彼の「タウヒード」解釈論を載せていたことを思い出しました。

キリスト教世界の二分法「二項対立」の思考

板垣教授は、このイスラムのタウヒード(Oneness)に対してキリスト教世界は、「二項対立」「二分法」の思考をとってきたと説明します。
キリスト教は、ユダヤ教の世界に生まれたがゆえに、ユダヤ教ではないものとして自らを確立する必要があった。
あなたはユダヤ人、私はキリスト教徒というふうに区別した上で自らの優位を確立した。
「だから、「『ヨーロッパ二分法』の原点はユダヤ人か非ユダヤ人かからはじまった。
『心か身体か』『精神か物質か』『男か女か』・・・こうした二元論的問いを一切することなく、一日を過ごしている西洋文化圏の人はいったいどれくらいいるだろうか。
これと対照的なのが『心と体』は統合的なものであるというイスラムの世界観である」おそらく、この『二項対立』というのはフランスの哲学者のデリダの影響をうけた分析だと思います。

ギリシャの神々の神対人間の二項対立・・アリー・シャリアティ説

興味深いのは、この論文の中で紹介しているようにイランのアリー・シャリアティは、西洋の「神・人間」の関係は対立関係にあり、その二項対立の思考は、実はギリシャ神話からきていると論じています。
たしかにギリシャ神話の神は人間界と対立します。
「神・人間」の二項対立のギリシャ・ローマの思考こそキリスト教とヨーロッパ人の見方を「二項対立」に思考に導いたのだと論じます。

 これについて板垣教授の見方が正しいか、アリー・シャリアティの見方が正しいかどうかは、さておいて、西洋的思考が「一から多が生まれた」という多元的普遍主義がなく、「二項対立」の見方であり、とりわけてデカルトが「物質」と「心」を分離して物心二元論を確立して以来、近代科学が飛躍的に発展してきたことは周知のとおりです。
イスラム過激派の思考は、キリスト教の二元論的対決主義から来ている

 板垣教授の話は、次のような結論だったと紹介してあります。
ビン・ラディンたちイスラム過激派の敵・味方の対決的二分法の発想法は、西洋的二元論であり、イスラムにもともとあったタウヒード(多元主義的普遍主義)から来ているものではないのだ。
ビン・ラディンがアメリカのCIAによる戦闘訓練を受けていたように、イスラムの多元主義の思想の中に欧米とのかかわりの中で二元論的対決主義を身につけた人々が生まれてきたのだというわけです。

各文明圏の基底にある一致点=Oneness、スピリチュアリティ

 このホームページのとなりに紹介しているアブドル・カリーム・ソロウシュは、各文明圏のもともとのところをもって掘り下げて共通項を見いだしてゆこうと提起しています。
この共通項こそ、Oneness、スピリチュアリティではないでしょうか。
各文明圏の一致点を重視して人類の連帯を作り上げてゆく必要があります。
キリスト教文明圏でも、Onenessの立場から神概念を再構成した「神との対話」がベストセラーになりました。
その本をイスラム文明圏で育ったジャムシードさんが私に紹介したことは、1から多というOneness=スピリチュアリティの普遍主義が人類を一つに結んでゆく未来の思想としての可能性をもっているように思えます。

サーカーにおけるスピリチュアリティと宗教

流血をもたらしてきた宗教の歴史にもかかわらず宗教が強い生命力をもちうるのは、個別が全体の1なるものに近づくというスピリュアリティを宗教が含んでいるからだとサーカーは指摘します。
なぜ、宗教が紛争をもたらすかについての心理的な側面については彼は次のように考えます。
スピリチュアリティの考えなら、イスラム教徒以外の人間もアッラーの神の現れであるので、アッラーの信者だけが天国にいけるということはありえません。
ところが宗教になるとアッラーを信仰しないと天国にゆけません。
心に半径をもうけてしまいます。
スピリチュアリティなら、すべての地が神のあらわれで、特定の地が聖地ではありません。
あらゆる土地が聖なる土地です。
ところが宗教は、聖地をもうけます。
これも心に半径をもうけます。
このように心に半径をつくり、グループ主義に陥るなら、当然、他のグループと衝突がおきてきます。
そして宗教は合理的根拠を示さず、特定の祈りの方法を信者に求めます。
信者がその合理的根拠を疑うことを許しません。
それは不信心になり、救われないと説きます。
そのように宗教は人々の知力、合理性を低下させます。
そして容易に宗教指導者や社会の支配者が人々を利用できるようにします。
そして他のグループとの衝突の戦闘員として役立てます。
そしてまたサーカーは物質的なものばかりを心に浮かべていると心は粗大化して、やさしさを失ってゆくと考えます。
宗教は物質できた像を崇拝させます。
イスラムでは偶像崇拝を禁止していますが、天国のイメージはとても物質的です。
物質的なものを心に絶えず浮かべるならば、心は粗大化し、低下します。
サーカーは宗教がこのような弱点を本質的にもっているとみます。
だからサーカーは自らの思想を宗教と区別し純粋なスピリチュアリズムとして定義します。
「根源は一つ、現れは多様」というスピリチュアリティの思想の拡大がこのような宗教の弱点をとりはらうかもしれません。
板垣教授がキリスト教世界の西洋的二項対立の思考が、ビン・ラディンたちを育てたと述べたと紹介してありました。
他にも西洋的二項対立の思考は、我が国民と外国人というナショナリズムを生み出し、近代の多くの戦争も引き起こしました。
サーカーはこのように区分する思考方法を「分析的思考」とよび、多の中に1と共通点を見いだす思考を「総合的思考」と呼び、「総合的思考」の道を進むことを呼びかけています。
では、以下の文章を「タウヒード」「神・人間の二項対立」を頭において読んでみてください。
(2002年8月4日記)







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