Karl Marx - The Dialectic Process
(video inspired by god of star)



(As long as being state philosophy, it is not dialectical materialism.)

Dear
I am cosmic program in your mind.
This part is problem of 20th Marxism.
Dialectical materialism became state philosophy.
As long as being state philosophy, it is not dialectical materialism.
Dialectical materialism is thinking activity based on specific point of time-space.
It is impossible to become philosophy to support social structure.
Specific point of time-space is always flowing.
When specific point which built up structure flows to past, structure collapses.


こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
このパートは,20世紀のマルクス主義の問題です。
弁証法的唯物論が国家の哲学になりました。
国家の哲学であるかぎり,それは弁証法的唯物論ではありません。
弁証法的唯物論は時空の特定点にもとづく思考活動です。
社会構造を支える哲学になるのは不可能なのです。
時空の特定点は常に流れています。
構造を打ち立てた特定点が過去に流れるとき,構造は崩壊します。

弁証法の見方を発展的に受け継ぐ「21世紀の社会主義」

(1)
マルクス、エンゲルスがヘーゲルからひきついだ弁証法哲学の側面は、
「21世紀の社会主義」においても、発展的に継承した方がよいと考えています。

エンゲルスは、弁証法と形而上学の説明方法も
二項対立的に次のように説明していますが
その趣旨にはうなずけます。
「形而上学的な考え方は、
個々のものにとらわれてそれらの連関をわすれ、
それらの存在にとらわれてそれらの生成と消滅をわすれ、
それらの静止にとらわれて、それらの生成を忘れるからであり、
ただ木だけをみて、森をみないからである」
(エンゲルス『空想から科学への社会主義の発展』

発展的に継承した方がよいと思うのは二点あります。
一つ目は、あらゆるものを、その「連関」において
すなわち、直観的にその全体性においてとらえることです。
ことは私たちがすべてつながっているという認識でもあり
一なる地球社会をめざす上で不可欠のものだと思います。
10億人が飢えていたり、
異常気象がひどくなったり、
アフガニスタンでのアメリカの戦争も
沖縄をはじめとする米軍基地問題も
私たちの社会生活と密接に関連しているととらえる
前提となる見方でもあります。

二つ目は、生成、発展、消滅のらせん的運動を通じるコスモスの発展という見方は、
フラクタクルの図のように入れ子構造的になっている形で
その見方を継承することです。
すなわちちょうど心電図のようにすべての波は
大波の中に中波があり、中波の中に小波が存在する形で展開していることです。

(2)
具体的に大波と中波の例を考えますと

原始共産社会⇒古代奴隷制社会⇒封建社会⇒資本主義社会⇒社会主義社会
と、それぞれ一つの構造の生成、発展、消滅として
人類の各歴史展開をとらえたとき、それは
経済における支配被支配関係からみた
マクロヒストリー(大波の歴史)の叙述でした。

資本主義を超えることを目標にすることは賛成にしても
「20世紀の社会主義」の一部の潮流には
中波のレベルのテーマである革命に
「社会主義革命」を目標とするものがありましたが
私の考えでは、社会主義は、あくまで労働者が生産手段を共有する
経済システムです。
それは中波の目標設定とはずれたところにある性格の問題だと
みます。

ですから中波のレベルに注意して観察すると
1603-1868年、徳川幕藩体制  (265年)
1868-1945年、絶対主義的天皇体制 (77年)
1945-20??年、日本が目下の日米軍事同盟体制
20??-      日本国憲法の平和、民主主義、人権の理念が花開いてゆく時代

(アメリカの軍事力によって安全保障を保った時代とみる人は
20??年を憲法9条を変えて日本の軍事によって
他国と対抗してゆく時代と見るでしょう。

いずれの立場にしても20??年の到来は不可避です。
265年、77年ときていますから
2017年で72年ですから
そのあたりから変革への動きが強まり、
2022年に民主主義革命政権が成立するとみます。
もちろん国際的な脈動も勘案して、そんな気がします
まったく科学的根拠はありませんが。)

したがって、日本の当面する民主主義革命は
日米軍事同盟を日米友好条約に変えることが
変革の核心部分になります。

(今は北朝鮮問題がブレーキとなって
「やはりアメリカの軍事力があってこそ対応できる」
という国民世論が強いように思えますが
北朝鮮も今のままではありえず、
いずれ変化は避けられないとと思います)

そこで20??年の日本民主主義革命の実際の担い手を
イメージしますと
社民党、日本共産党、みどりの党、新社会党、民主党の一部
などが、統一したイメージが浮かびます。

それを統一する大衆的ベースは
おおさか社会フォーラム運動のような
多元統合(多様性における統一)を趣旨とする
フォーラム運動が各地に展開されて
その民衆的パワーがその統一を支えてゆきます。

地域フォーラム運動では
各地域のことを中心に意見交換され
世界のこともテーマにのぼります。

(3)
弁証法を受け継ぎ発展させる立場で
対象をつながり(連関)の中でとらえる視点をより深めること
そして生成消滅の運動を
もっと多次元的、脈動的にあらゆるものをみてゆく視点として
受け継ぐことを提案しました。


(参考)
そもそも
ものごとを歴史的プロセスの中で見る
弁証法の見方とはどのようなものなのか
サーカーのスピーチから紹介します。

 社会は、定立thesis、反定立antithesis、総合synthesis の三つの混成で前進します。
定立している特定の理論が、集合的福利に及ぼすその適格性と力を失う時、
その一般化している理論の反定立が生みだされます。
これらの二つの対立する諸力の衝突と結合の結果として、
ひとつの合成が生じます。この合成が総合 synthesisです。

 社会の福利は総合の段階でのみ可能だというのは本当でしょうか。
社会の福利を実現する義務と責任をもつ人々が、
少数者や一般の人々を軽視する時、ある時代の総合は、
それ自体が次の時代の定立に変化します。

 社会正義の問題にかかわる根本的な原理は次のようなものです。
全宇宙は動いているパノラマのように動きつつある現象です。
この経験世界のあらゆるものは相対性の中に根ざしています。
そしてあらゆるものが時、場所、人の活動範囲の内部で動いています。
総合の段階において、ある社会、経済、政治理論は、
特定の場所や集団において有益であるかもしれません。

しかし、これは、同じ理論が、異なる時、場所、人の中で
同じように有効であることを証明する保証はありません。
変化した状況の中で、社会的不正義の犠牲者として
絶望と気晴らしの中で日々を過ごしている抑圧された人々は、
その時代の総合に対して反定立を提出します。

数の上での大多数と物理的な力が
反定立の出現の唯一の前提ではありません。
もし、抑圧された人々が知的なグループなら、
どんなにその人数が少なくても、彼らは反定立を提出できます。
反定立が生み出されるや否や、
その前のイデオロギーは、総合であることを止めます。
それは、次の段階の定立になります。

そこで、第二段階において、反定立が、
ふふたびそのまさしく定立に対して現れるでしょう。
この段階において、総合が現れないかぎり、
闘争が衰えずに続くでしょう。
理論的に総合は
絶対的な要素、最後の衝突もしくは最後の言葉
ではありません。
というのは定立、反定立、総合は、相対性の限界内で起きるからです。
P.R.サーカー「弁証法的唯物論と民主主義
 DIMDEM.3 DIALECTICAL MATERIALISM AND DEMOCRACY-1  . A few problems solved - I 」より

基本的にはこのスピーチは、
ソ連が健在であった時に述べられていますから
弁証法的唯物論という20世紀型社会主義の正統哲学を
念頭にしていると思われます。
それは、弁証法的唯物論が
反搾取の立場にたって社会革命をめざしている
段階の歴史的時点では人間社会の幸福に適切なであるが、
20世紀型社会主義体制のように国家の運営原理となった時に
搾取の野蛮な道具となると述べたものだと思われます。

上記のサーカーのスピーチです。

「弁証法的唯物論は、
ある特定の時代の人間社会の幸福のために適切であり、
ふさわしいものでありえます。
しかし、まさしく次の時代においては、
それは、搾取の野蛮な道具となりうることが判明するでしょう。
プラウトは唯一の解決策です。
というのは、それは、時、場所、人の変化の不可避性を承認し、
受け入れているからです。
それは継続的に定量ratio を維持し続けるでしょう。
ある時代のある場所のある人々のために
策定されたプラウトの政策と綱領は、
新しい条件の下では同一ではありません。
時、場所、人の変化と合わせて変えられます。
そのようなものがプラウトによって提唱される根本的原理です。
このように、弁証法的唯物論は、
人間社会にとって良いことをできないでしょう。
ただ特定の時代、場所、人にとっていくらか役に立つだけです。」

・・・・
要は、弁証法の側面を発展させ、
この世は絶えざる変化のプロセスの中にあり
、 時、場所、人という変化の要素に応じて
政策を変化させなくてはならない
ことを強調しているのだと思います。

インターネットでマルクス主義関係の人の論じているのを見ると
〇〇は、マルクス主義者なのに
マルクス主義からはずれているから
けしからんというタイプの批判をみかけます。
マルクスをドグマ化してしまう人は
マルクス自身の多元統合的な思考パターンから
学び、
マルクスが決して先行の理論をドグマとせず
それを「含んで超えよう」とした
そのスタンスからこそ学ぶべきだと思います。

そうしたドグマ的マルクス主義者は
「・・・であらねばならない」という
思考パターンを
「私は・・・を選ぶ」という思考パターンに
置き換える必要があると思うのです。








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