Occupy USA Democracy is Coming Lyrics by Leonard Cohen
(video inspired by god of star)



(Mitsuki found true Marxism in prout of Sarkar which was downed by god salamnidam)

Dear
I am cosmic program in your mind.
This part is that true Marxism is not collective own of meaning of production.
In 20th century misunderstanding of Marxism lead movement of socialist and communist.
This was not Marxism.
Mitsuki found true Marxism in prout of Sarkar which was downed by god salamnidam.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
このパ-トは、真のマルクス主義は生産手段の集合的所有ではない,です。
20世紀は、まちがったマルクス主義が社会主義と共産主義の運動を導きました。
これはマルクス主義ではありませんでした。
ミツキは真のマルクス主義を、神サラムニダムがおろしたサ-カ-のプラウトの中に見いだしていました。

資本主義の基本矛盾とその真の解決の展望

(1)
私の考えでは、
マルクス主義やマルクス・レーニン主義の名で蛮行を行った人々に
マルクス本人は責任はないし、
中世ヨーロッパや中米ででキリスト教徒がヒトラーに勝る数々の蛮行を行ったこともイエスに責任はないと思います。
ラス・カサスが記録に残しているインディオの虐殺に加担した宣教師もいれば
他方、現代においてマザー・テレサやコルベ神父を生み出していると思います。
マルクスの言説をドグマや教条と受け取られずに、
それをインスピレーションとして創造的に発展させる人が
でてくる可能性もあると思います。

(2)
私は、「空想から科学への社会主義の発展」という
エンゲルスがわかりやすく書いたパンフレット本の3章にある
資本主義の基本矛盾の分析は的確ではないかと思っています。

私なりに説明すると、
生産手段を自分で所有している農具をつくっている
鍛冶屋さんをイメージすると、
自分の小さな工房で、自分で生産します。
その生産物は自分の所有であり、それを売ります。
自分で創意工夫する主体性もそこからでてきます。

資本主義生産様式が発達すると、
農具を作る機械と工場(生産手段)を所有する人がおり
生産手段をもたない労働者たちは、
協業のもとで包丁を作る労働に従事します。
できた生産物は生産手段を所有する人のものです。

最初の鍛冶屋さんの場合は、個人労働と個人所有は対応しています。

資本主義が発展すれば、するほど、労働は社会的(協同的)になります。
労働過程が社会的(協同的)であるばかりでなく、
この農具は、俺個人が作ったものだと言えなくなり、
社会的(協同的)生産物になります。

しかし、工場と機械類の生産手段は、依然として私的所有であり、
生産物の農具は、その私的所有者のものです。

社会的(協同的)生産なのに、
生産手段とその生産物は、生産した人々の協同の所有物ではないのです。
生産の社会(協同)化と生産手段の私的所有、ここに資本主義の基本矛盾があります。

(もうひとつ、市場の無政府性と個々の企業の計画性の矛盾があり、
その点から、のちのマルクス主義者が上からの計画経済を考えたと思いますが、
サーカーの提案は下からの計画経済です。
この点は、長くなるので、今は捨象します。)

生産はどんどん社会化してゆくのに、
生産手段はそのまま個人所有のままになっている。
そこには、哲学的には「内容と形式」の矛盾が激化してゆきます。
そこにCEO(経営責任者)と一般社員との極端な給与格差が生じ、
搾取的になる余地が生じます。
内容と形式を合致させるためには
社会(協同)化した生産に対応して、当然、生産手段も社会的所有(すなわち、協同所有=民主主義的な協同組合の会社)にならなくてはならないです。

サーカーは、この資本主義の基本矛盾に言及しているわけではありませんが
この矛盾の解決方向を見事に指し示しています。

(い)個人経営のところは、そのまま個人所有です。
生産と所有は対応しています。
(ろ)協同組合経営のネットワークとして経済が編成されます。
具体化についての私のイメージは、
50人とか一定の規模の従業員になれば、法律で
民主主義的協同組合企業化を義務づけます。
もちろん、それ以下でも自発的に民主主義的協同組合企業が奨励されます。
(は)水道など社会のインフラストラクチャー部門や公的性格の強い部門は
行政から独立した非営利の公社で経営します。
(サーカーの文章では地方自治体の経営とありますが、
私の訳が悪いのかしれませんので検討中です)

(3)
これですと、エンゲルスが「空想から科学への・・」で
まとめた資本主義の基本矛盾が解決している社会です。
ところが、実際のソ連や中国のマルクス主義者がとった政策は、
生産手段の国有化、公営化でした。
それは、サーカーによれば、国家資本主義にほかなりません。
サーカーは、資本主義も、共産主義も、
私的資本主義か国家資本主義かの違いがあるだけで、
どちらもcentralized economy(中央集権の経済)であり、
decentralized economy ではなく、
そしてどちらも非民主主義的経済だと言います。

さきほどの例でいうと、農具を作る工場と機械の所有者が
個別の資本家から国家にかわっただけで、
現場の労働者は、協同生産であるにもかかわらず、
生産手段を所有しておらず、生産への決定権もないという点で、
ソ連、中国の共産主義とアメリカや日本など資本主義は共通でした。

私たちは、労働者が協同所有し、
経営陣を民主的に選出し、現場労働者が一定の決定権をもつ、
民主主義経済をめざすべきだと思うのです。
それこそが、資本主義を超えた社会だと私は考えます。
そこでは、剰余価値部分は特定の個人によって私物化されず
搾取されることなく、会社の社員の合意のもとに有効活用されてゆきます。

今日は、CEO(最高経営責任者)と一般社員の給料の格差は
アメリカで1000倍、日本で百倍とかにどんどん広がる傾向にあります。
経済同友会幹事品川正治氏は
「私たちが経営をやっていた時期には、一番多くとっているところで、
社員の平均給与の八倍くらいだった。
いまは百倍とか、アメリカの方は千倍とか当たり前だという状況です。」

この格差こそ、多数の人々の困窮化を生み出す源泉となり、
社会革命に至るまで解決しない根本矛盾として、
私たちの前に立ちはだかることになります。
だから、私たちは、資本主義を超えた民主主義的経済社会のイメージを
世の中にひろげる必要があると思うのです。

マルクスとエンゲルスが指摘した
資本主義の基本矛盾、すなわち
生産の社会(協同)化の発展と
それにもかかわらず生産手段が私的所有のままである点に
経営陣が搾取的な法外な利益を得ることができる根拠があると思うのです。

マルクス主義、マルクス・レ-ニン主義の間違いは、
協同組合ネットワークにして
労働者の労働者による労働者のための民主主義経済を作る方向ではなく
国営化という非民主主義経済システムをつくったことです。

サーカーは、このアイデアを伝えるスピーチの中の二カ所で、
この社会は、「Progressive Socialism進歩的社会主義」と
呼ばれるようになるだろうと指摘していました。
私は、これはグッドアイデアだなあと思うのです。
私はマルクス主義者?のみなさんも、本気で資本主義を越えようと思うなら
このアイデアをとりいれてほしいなーと思うのです。

関心ある人は、以下もご覧ください。
資本家の中にもこの民主主義経済のアイディアなら
支持する人がでてくるだろうと思われます。

(参考資料1)
経済同友会幹事品川正治氏の資本主義批判と
新しい社会主義をめざすべきだという発言の前後です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-01-01/2008010101_01_0.html
品川
そうですね。
もう一つ、日本の伝統とずいぶん違うじゃないかといいたいことがあります。
たとえば、最近ではどの会社でも、社長や取締役の給料というのは、
ストックオプション(あらかじめ決めた価格で自社株を買うことができる権利)
とかいう格好で、社員にはわからなくされているんです。
私たちが経営をやっていた時期には、
一番多くとっているところで、社員の平均給与の八倍くらいだった。
いまは百倍とか、アメリカの方は千倍とか当たり前だという状況です。
リストラするときは自分が辞めるくらいでないと
リストラの提案などできないというのが、
日本の伝統だったんですよ。
ところが、リストラした方が自分の給料が上がる という関係になっているんですね。

品川
これまでの話の総括みたいですけど、 貧困の問題にしろ、マネー資本主義あるいは
投機資本主義の問題にしろ、
地球環境の問題にしろ、
日本の資本主義として、いまの路線をそのまま続けていけば、
それを克服するどころか、取り返しのつかない事態を招く暴走 がはじまりますよ
というところまできているということですね。

品川
同時に、もう資本主義のシステムも 行き着くところまで来ているという感じです。
私なんかも日常使わない言葉ですが、
「新しい社会主義」ということを考えざるをえなくなるんですね。
しかもそれは日本共産党のいうようにソ連型ではないものが。
そのことを考えることが、ものすごく必要じゃないかと思いますね。


(参考資料2)サーカーの共産主義は国家資本主義ですよという言葉

「共産主義は国家資本主義です。
だから、共産主義が資本主義の欠陥を免れることができないのです。
国家資本主義は、私的資本主義や集団資本主義のように工業をコントロールします。

国家資本主義は、国家が工業をコントロールすることを意味します。
言い換えれば、国家資本主義において工業は中央集権的です。
共産主義諸国は、国家資本主義を支持します。
それは中央集権的な生産を意味します。
共産主義は、大衆の解放の問題について資本主義とは異なっているように思えますが、
資本主義と共産主義は内部では同じです。
同じ種の果実は異なる色をしていますが、
その種は同じです。
資本主義と共産主義は同じ種の果実なのです。
人間の社会的経済的解放を実現するためには、
社会経済的に最高度の分権化が必要不可欠です。」
Decentralized Economy2

(参考資料3)
資本主義は必ずつぶれるというサーカーの言葉

「資本主義と共産主義の崩壊は、
その固有の休止・鈍性staticityのために避けることができません。
資本主義と共産主義のどちらも滅亡の淵にあります。」1987年
(注staticity(休止・鈍性)は、
サルカールの特別な用語なので、
彼の哲学の理解が必要になります、
とりあえず、ここでは「固有の欠陥をもっているために」
と理解しておきます。)

「資本主義の矛盾は、自己利益に動機づけられた心理と
少数者のための富の蓄積から生じます。
だから資本主義は、人類の総合的な進歩に適したものではありません。
それゆえ、資本主義は爆竹のように炸裂する日が必ず来ます。」
Proutist Economics,1987,p88


ここでは資本主義は爆竹のように炸裂する日が来ると述べていますが
なお、別の箇所では、資本主義は老衰して自然死をとげると述べてい ます。

「共産主義は早死にするが、
資本主義は老衰して自然死を遂げるだろう」

とその死滅の形の違いについて述べており、
「炸裂」とは、大恐慌をさし、
「自然死」とは、資本主義にとってかわる
新しい社会システムが徐々に支配的になってゆくこと
を指しているもの と思われます。
その炸裂とは資本主義の矛盾が表面化することですが、
その苦悩を辛抱して、座して良き日を待てと言っているのではありませ ん。
資本主義の経済危機の深化による人々の苦悩の軽減のために尽力す るとともに、
資本主義にとってかわるヴィジョンを人々に広げよと言っています。







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