Rulers of Nations - Behind the scenes of global geopolitics
(video inspired by god of star)




(public broadcasting should raise up morality of people to higher level)

Dear
I am cosmic program in your mind.
Project of Heaven and gods introduce study of human assistant Mitsuki in whole life.
This article argues that nation consciousness drops people damaged by war because of narrow view.
Mitsuki wrote that public broadcasting should raise up morality of people to higher level.


こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
天と神々のプロジェクトは,人間のアシスタントミツキの生涯の研究を紹介しています。
この論文は, 国民意識はその狭い視野のために戦争で被害を受けた人々を視界からドロップさせると論じています。
ミツキは,公共放送は人々のモラリティをより高いレベルにあげるべきだと書いています。


View of history and morality level
歴史の見方と道徳レベル


NHK「歴史が動いた(日露戦争)」と道徳レベル

(序)

NHKの上層部が命じて、長井プロデューサーたち現場の人間がつくりあげた番組を改変させた事件がありました。
その上層部による番組改編にかかわって政治家とのかかわりが取り沙汰されました。

サーカーは、放送、マスコミ、教育は、「政治力」「財力」から独立して、それぞれの現場で働くものが裁量権をもてるシステムをめざして道徳的な闘いをしなさいと述べています。

しかし、では、放送界が「政治力」「財力」から独立していると仮定して、どういうモラルにそって番組を編集してゆけばいいのでしょうか。
かつての日本軍のアジアへ進出が、アジアの人々に多大な迷惑をおよぼした側面をテーマすることは、公平さを欠き、道徳的レベルの低いことでしょうか。
アジアへの加害の側面を可能なかぎり国民に意識させないことが公平で道徳的に高いことでしょうか。

問題になっているNHKの番組は、かつての日本軍が、植民地の人々を慰安婦としたことに対する証言などを上層部が削除して放送したものです。
かりに政治介入がなかったと仮定しても、問題になった二人の政治家やNHK上層部が、加害の側面はなるべくテーマにしたくないという姿勢をもっていることは明白です。
彼らの道徳発達ラインはどのレベルにあるのでしょうか。
それをNHKの「そのとき歴史が動いた」の「日露戦争Ⅱ」について考えてみたいとおもいます。

(1)同じ日露戦争の番組に対する対照的な二つの反応

1) 日露戦争の近代戦術に感心した友人

2005年1月26日(水)にNHKが放映した「歴史が動いた(日露戦争)」ついて友人が次のようにコメントを送ってくれました。
「NHKの『そのとき歴史が動いた』を見ました。
日露戦争の戦いで、バルチック艦隊とどう戦うか作戦を考えた秋山を中心として話でした。
近代戦術T字作戦は、秋山が村上水軍の古い兵法からヒントを得て考え出されたというものでした。
さらに全体の指揮に従うと同時に独自の判断で行動できるかの点が近代戦術であることを指摘していました。
その意味で革新的でした。
近代化のひとつの典型をみる思いでした」
この友人は、戦争と暴力を憎む徹底した平和主義者です。

2) 日本ナショナリズム高揚番組としての危惧をもった私

しかし、同じ番組を見た私は、この作品は、日露戦争を評価することで日本ナショナリズムを煽り、戦争する「普通」の国家に日本国民を導く役割を果たすものだと感じ、すぐにNHKホームページの「歴史が動いた」のコーナーに次の意見を送りました。

「NHKの『そのとき歴史が動いた』の『日露戦争』の二回目の日本海海戦は、歴史の文脈をきちんとおさえず、戦術のところに論点を集中させていた。(前回の一回目もそうだった)
日本の朝鮮、満州への進出はふれず、ロシアだけが満州・朝鮮に進出しているよう描いていた。
日露戦争が、二つの国が他国の領土である朝鮮と満州を奪い合おうとしていた本質をもっていた戦争であることが、まったく二回の放送の中で視界に入っていなかった。
日露戦争は、その後、民衆の間にナショナリズムを高揚させるターニング・ポイントとなった。
同じように、NHKのこの今日の「そのとき歴史が動いた」は、今日の偏狭な日本ナショナリズムを高揚させる役割を果たす。
日露戦争に反対したキリスト教徒の内村鑑三や社会主義者たち、そして『弟よ、君死に賜うことなかれ』などの戦争反対の人々の心に焦点をあてた番組を作って、煽ったナショナリズム意識を少し、冷ましてほしい」

(2)歴史は文脈の中に存在する

1)文脈から切り離すと友人の見解は正しい

ケン・ウィルバーのホロン的真理論からすると、この番組に対する友人の感想と私の危惧という正反対の受け止めかたは、どちらもあるホロンレベルでの真理であり、相違はホロンレベルの深さにあります。

ホロンレベルとは、存在(外的存在だけでなく、内的存在も含む)の階層です。
たとえば、文字はそれ自体独立した存在であり、意味をもつが、単語の中に置かれると、文字を超越し、新たな意味をもちます。
さらに文節は、単語を超え、文章は、文節を超え、パラグラフは文章を超えます。
文字より単語が、単語より文節が、文節より文章が、文章よりパラグラフが、それぞれ「より深い」意味をもっています。

さて、「そのとき歴史が動いた」の日露戦争の番組は、他の文脈から切り離し、日本軍とロシア軍の戦場で対峙している場面だけに焦点をあてていました。
秋山という頭脳優秀な軍人が、古い戦術に学びながらも、近代的な状況にあわせた戦術に改善したという新たな知見を、私たちに紹介するものでした。
そのホロンレベルでは、友人の感想は正しいものであり、私もそのとおりだとおもいます。

2)文脈の中に番組を置いてみると欠落するものが見えてくる

しかし、文字から単語、単語から文節へというふうに、戦闘場面を文脈の中において、ホロンレベルを一歩進めましょう。

番組では、ロシアが満州から朝鮮に進出してきたことにふれていました。
それは正しいです。
しかし、文脈はもう一つあります。
日本の側が、朝鮮に進出し、満州に向っているという文脈は欠落していました。

番組を作っている人々は日本でトップ・クラスの専門家です。
なぜ、その文脈を欠落させてしまっているのでしょうか。
番組の制作者のモラリティの発達レベルは、社会中心思考の慣習段階にあるからです。
社会中心思考では、ロシアは単なる敵であり、朝鮮や満州の人々は、視野に入りません。

(3)他者が視界から欠落する背景

「社会中心思考の慣習段階」とは何かを簡単に説明しておきます。
アメリカの統合心理学の創始者ケン・ウィルバーによれば、人間のモラリティは、前慣習⇒慣習⇒後慣習⇒後後慣習⇒・・・というふうに発達してゆきます。

前慣習段階とは自他が未分離のために「自己中心」的思考しかできません。
私たちは、公共の迷惑をかえりみない傍若無人な若者の中にモラリティのこの段階のものを数多くみます。

慣習段階とは、自他が分離し、他者を認識でき、自分の所属する集団の中で役割を見出します。
しかし、それは自分の所属する集団という「社会中心思考」です。

この番組は、明らかに「社会中心思考」の慣習道徳段階にあるものが作成、編集したものです。
日本中心に描かれ、ロシアは敵であり、朝鮮と満州の人々は視界に入りません。
社会中心思考の慣習道徳段階のものにとっては、自分の所属する日本国に尽くすことが最高の道徳的ありかたです。
日露戦争で活躍した秋山、国のために生命を落した多数の人々の生き方は最高の道徳的あり方です。

慣習道徳段階の目から見る時、前慣習的道徳段階にある自己中心的な公共心の無い若者を見れば、許しがたく見えます。
愛国心教育をおこなって、国のために尽くす社会中心思考の道徳段階の人間に発達させることが重要だと考えます。
慣習道徳段階にある善意ある人々が、教育基本法に「愛国心」を入れることに共鳴してしまうのもの理由はこの社会中心思考にあります。

未発達なレベルの前慣習道徳段階と闘うだけではありません、彼らの目には、自分たちよりも発達した道徳レベルにある後慣習道徳段階の人々が、「愛国心」教育が戦争につながると反対し、生命尊重の教育を唱えるのも、単に自己中心的な前慣習道徳段階にあるものと同一に写ります。
自分よりも発達した道徳段階は理解できないからです。
彼らにとって最高の道徳は自己の所属する集団のために生命を捨てる覚悟です。
それは前道徳段階の自己中心性を完全なまでに超えているからです。
彼らはホロン発達的な見方はできませんから、自らの中にある自己中心性は見ることができません。

(4)社会中心から世界中心の道徳段階へ

1)後慣習道徳段階

後慣習道徳段階とは何でしょう。
慣習道徳段階は、自他、すなわち主観と客観が分離します。
しかし、後慣習道徳段階は、自分の主観をその奥にある「私」が内側から客観的に見ることができます。
そのために、ロシアの側も、朝鮮や満州の人々も視界に入ります。
自分の側を奥底の「私」が客観的に観察するために、公平にロシアや朝鮮、満州の人々の心も見えてきます。
後慣習道徳段階に達している人々の目から見ると、前慣習道徳段階にある若者の傍若無人なふるまいが非道徳的に見えるだけでなく、自国の側だけの視点からみて、ロシア、朝鮮、満州の人々の心が視野に入らない編集は非道徳的に見えます。

2)後後慣習道徳段階

次の後後慣習道徳段階の人は、スピリチュアル・プラクティスなどによって心の奥の「私」をそのさらに奥の「ただ見つめるもの=アートマン」のレベルに達したものです。
人口中、ごくわずかの人しか達していないと考えられます。
内面のより深い域まで達している「私」は、人類アイデンティティをもつ「私」であって、ロシア人、朝鮮人、満州人、日本人は、すべて、同じ人間の多様なあらわれであり、自分の兄弟です。
ロシアと日本の対立した日露戦争を扱うにあたっても、ロシア人、朝鮮人、満州人、を同じ一つの人類としての仲間意識を発達させるという視点のもとに編集します。

(まとめ)
私たちは前慣習道徳段階の公共道徳を無視する自己中心の人を、慣習道徳段階に高めねばなりません。
しかし、それで終わりではありません。
ホロンレベルはかぎりなくつづきます。
ある特定のホロンレベルを絶対化する時、病理が発生します。
その一つが愛国主義(ナショナリズム)です。
自国中心の慣習道徳段階レベルの人々を他国や少数民族を同じように尊重する後慣習道徳段階レベルに高めないといけません。

そしてさらに、私たちは後後慣習道徳段階をめざさなくてはなりません。
それは私たちが一つの人類社会の一員であることを自覚し、その多様なあらわれを尊重する精神をもつことです。
公共放送としてNHKは、国民の道徳レベルをアップする役割を果たさなくてはなりません。
「その時歴史は動いた」レベルの番組を見る人は、慣習道徳段階以上の人々です。
その人々の道徳レベルを高める役割を果たす番組編集が求められます。



H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ