3 HOURS Relaxation Powerful Meditation | Tibetan Monks Chanting | Singing Bowls | Background Yoga (video inspired by god of star)


(When finding sanskara, students behave accordance to providence)

Theme of this page is deepening of sanskara by experiences of students.
This is true moral education.
Students find own sanskara.
When finding sanskara, students behave accordance to providence.

このペ-ジのテ-マは、生徒の経験によるサンスカ-ラの理解の深化です。
これは真のモラル教育です。
生徒は自分のサンスカ-ラに気づいています。
サンスカ-ラに気づいたとき、生徒は摂理にそったふるまいをするようになります。


サンスカーラの授業

1)サンスカーラ(反作用の潜在力)の説明

 高校の倫理でフロイトのイド、エス、スーパーエゴや、ユングの集合的無意識を扱ったあと、心の奥のサンスカーラ(反作用の潜在力)という考えを紹介しました。この箇所のまとめとコメントを生徒のみなさんに書いてもらったら、フロイトやユングよりもこのサンスカーラ論はよく分かるとほとんどの人が書いていました。

 私の説明はこうでした。「ある人の説です。人間の心の一番奥にボールの玉があるとしてください。
そのボールの玉にあなた方が生きてきた16年間の記憶がよいことも悪いことも含めてすべてきざまれています。
あなたが誰かを傷つけたとしましょう。
傷つけた分だけボールにへこみが生じます。
へこんだピンポン玉を湯の中におくとぽんともとにもどるように、へこみはある条件のもとで、必ずもとにもどり、そのもどる時に人に与えた分と同じだけの苦しみを体験することになります。
あなたが他の人に親切にしたからといって、別の人をいじめていたら、その分だけは必ず反作用がかえってきます。
それはちょうど物理法則の作用と反作用のようなものです。
もちろん人の苦しみの量を科学的に測ることはできませんからこのことを科学的に証明することは不可能です。
体験を振り返る中で、ひょっとしたらあたっているかもと思うかもしれません」
このように説明した後、私自身の体験を例として話しました。

[セミの話]

 一つは小学校三年の時の話です。
さなぎから抜けでてくる途中のセミを佐々木君が朝くる途中に道でひろって教室にもってきて朝話題になっていました。
その日、昼からゴジラの映画会でした。
私は途中で教室にもどりました。
「そういえば、セミはどうなったかな」と佐々木君の机をみるとまださなぎからの脱皮が完成していませんでした。
私はそのセミをもってかえって、家でどうなるか見ていました。
翌日、担任の先生が、「佐々木君のセミ知らない?」と私に聞きました。
私は「知りません」と答えました。
私が佐々木君のセミを盗ったことは、親も先生も友達もだれも知らないのです。
誰も知らないのだから私は得をしたはずですが、そうはいきませんでした。
むしろ誰かに見つかって怒られた方が幸せでした。
毎日、夜、眠る時になると恐ろしくいやな気持ちがわくのです。
中学生になっても寝る時になると、時々ですが、その嫌な気持ちがわきました。
完全にその気持ちが払拭できたのは、高校の時、たまたま別の高校に行っていた佐々木君とバスの中でいっしょになり「ごめん、実は小学校3年の時、君のセミとったのは僕だったんだ」と言ってからです。
佐々木君は、「まったく覚えていないよ」と言いました。
驚きでした。
私はあの日ゴジラの映画があったこと、そしてあのセミの姿を今でも覚えています。
みなさんの中で、自分の友人で万引きしても、なんも感じていない人がいると言うかもしれません。
私はこう思います。
身体がいつも汚れていたら、新しく汚れても気になりません。
きっと小学校3年の時の私の魂はでこぼこがなくてきれいだったんだと思います。
だからすぐに反作用が生じたのだと思います。

[高校の時、下宿のおばさんに失礼なことを言った話]

 もう一つは15年経ってから反作用がでた体験です。
私は高校の時、下宿をしていました。
食事を出してもらう下宿でした。私は下宿を転々としていました。
心に落ち着きがなかったのです。
ある時、下宿のおばさんに「どうして下宿を出てゆくの」と聞かれました。
私は「おかずがまずいから」と答えました。
みんなが言っていたことで私は悪いことを言ったとは思いませんでした。
みなさんも結構、そういうことがあると思います。
高校時代は、他の人を傷つけることを言ってもあまり気にしません。

 15年以上たったある日、突然、あのおばさんに悪いことを言ったとあのセミの時に感じたいやな気持ちを寝る時に感じるようになりました。
これはあかんと思って、私が高校時代に下宿していた家を訪ねました。
幸いなことにそのおばさんの家は残っていました。
手土産をもちながら、その時のことを謝りました。とても喜んでもらえました。
他の生徒は忘れていましたが、私のことは忘れておられませんでした。
その時、三日間くらい眠れなかったそうです。
私の心の奥のボールのへこみが15年たってもとにもどったのです。
人生の年輪を重ね、心が成長してゆくと他の人の心の痛みがわかるように成長してゆくものだと思います。

[過去の反倫理的おこないでノイローゼになっている大人]

 以前、テレビをみていたら、ノイローゼで精神病になっている女性が顔を隠して映っていました。
彼女は、高校時代に援助交際をしていたのだそうです。
今は愛する夫と結婚生活を送っています。
夫はそのことは知りませんが、心の奥から後悔がわきあがって苦しいのだそうです。
身体は洗ったらきれいになるけれども、汚した魂が反倫理性のおこないの反作用として心の奥から彼女を苦しめるのだと思います。
心の傷としてトラウマという言葉が使われますが、これは外から心に加えられた傷のことだと思います。

 しかし、外からではなく、自分の行なった倫理に反する行いによるへこみが内側から自分を苦しめることになるというのは本当だと私は思いました。
外から責められて心が苦しくなった場合、責められることがなくなったら解決します。
しかし、自分の心の奥から責められる苦しみは逃れようがありません。
与えた苦しみの分だけ、反倫理性の程度に応じてだけ、苦しみを味わう以外にないというのはあたっているなあと思います。

以上が説明でした。
このサンスカーラ(反作用の潜在力)という考え方に7割くらいの生徒が共鳴してくれました。
高校生のサンスカーラ体験を以下に紹介します。

2)高校生のサンスカーラ体験
1)盗みの反作用の体験

[二度と盗んだりしないと心に誓いしました]A君

 僕も小学校の時、近くの駄菓子屋でガムを万引きしたことが何回かあります。
はじめは、何も感じなかったのに、徐々に罪悪感がでてきました。
それからずっと気になりました。
でも、あやまりに行こうと思っても、行けなかったので、二度と盗んだりしないと心に誓いました。

[万引きして、帰って一人になったら心がズキズキした]Bさん

小学校一年のころ、万引きした時、めっちゃうきうきした。
けど、帰って一人になったら、何か心がずきずきして、おかあさんにゆってしまって、おこられた。
みたいなことはいっぱいある。今までに。

[4才の時、盗んだことを今になって悩む]C君

僕は小さい時(4才くらい)の時、お菓子屋でお菓子を盗んだことがある。
盗んだ時はなんとも思わなかったし、2~3日たったら忘れていたけれど、今頃になって思い出して盗んだことを後悔している。
先生はセミのことをあやまったけど、僕はあやまっていないから後悔している。
あんな10年くらいまえのことをよく覚えていたなと思う。
昔のことを悩むのなら思い出さなかった方がいいと思う。

[幼稚園の時、お菓子をポケットに]Dさん

私もそんな体験をしました。
私が幼稚園に行っていた時、母と一緒に買い物に行きました。
すると、お菓子が食べたくてしょうがなくて、母におねだりしたけど「あかん!」と言われました。
私はどうしても欲しかったので、そのままそのお菓子をもっていて、ポケットにそのお菓子を入れました。
今でも覚えている記憶なのですが、心残りです。
はやくすっきりさせたいと思います。

[ずっと後になってとても悪いことをしたという気持ちが強くでてきた]E君

小学校の時に悪いことをしたことをいまだに後悔しています。
小学校4年の時に友達のゲームボーイを借りてみんなと遊んでいました。
僕はそのソフトを家にもって帰りました。
翌日、その友達に「ゲームボーイのソフトをとったやろ」と言われました。
その時、何も言えませんでした。・・・
中学一年になって謝って返しました。
中学三年になってとても悪いことをしたという気持ちがまたでてきました。
もう一度謝りました。
もう、二度とこのようなことがないようにしたいです。
だから、ボールのへこみがいつか必ずもとにもどって他の人に与えた苦しみの分だけ、自分にもどってくるというのはその通りだと思いました。

[嫌いな子のものをとったこと]Fさん

私もそんなことがありました。
小4の時、嫌いな子がいたので「何かやってやろう」と思い、その子のものを取りました。
その時ばバレて先生に怒られ、親も呼び出されました。
私は「今まで、あの子にも、いろいろされてきたんやから、やり返して当たり前や」と思っていましたが、今思えば、やられてやり返すなんて、その子と同じレベルだし、親にも恥をかかせ、迷惑をかけたので、本当に悪いことをしたと後悔しています。

2)借りたものを返していない反作用の体験

[ゲームボーイのカセットを返すのを忘れたこと]Gさん

 小学校三年のとき、 友人と遊んでいて、帰りに「ゲームボーイのカセットを貸して」といって貸してもらいました。
それで一枚だけ借りたと思って、それだけを次に遊んだ時にかえしたら、その後でカバンを見てみると、もう一枚、借りた覚えがないカセットが入っていました。
それで、その時すぐに返せばよかったのですが、なかなか返すことができなくて、そのままです。たぶん今も家のどこかにおいてあります。
ずっと忘れられないのです。
たまにふと思い出して最悪なことをしてしまったなあと思って、自分がなんか情けないというか、なんでそんなことをしたんやろうと思います。

[ゲームのソフトを借りた友人が転校し、返せなかった]H君

 僕も昔、そんな体験がありました。友達にテレビゲームのソフトを借りました。
しかし、友達に返す前に友達は転校してしまいしました。
すると毎日、毎日、そのゲームのことで頭が一杯になってしまいした。
なぜ、すぐに返さなかったんだろうと。
でも今では慣れてしまったかのか気になりません。
これは、ボールのへこみの例のようにへこみがすでに消えたからでしょうか。

[借りたCD返していないことが気にかかる]I君

反作用の潜在力は存在すると思う。
僕は友だちにCDを借りた。
でも、かえさずにもう5年ぐらいたっている。
かえそうと思うが、かなり前のことなので、かえすことができない。
もう5年たったのにまだ覚えているということは、反作用の潜在力があるからだと思う。

[友だちが記憶にないお金を返してくれた]Jさん

私は、先生とは、逆の立場で、こんなことがありました。
友達から3カ月前に借りたお金を「おそくなってごめんね」と言われて、返してもらったのですが、私にその友達にお金を貸した事なんかまったく覚えていなかったのです。
その時、私は「もっとしっかりしておかない」と思いましたが、誰にでもあることなんだあと思い、少し安心しました。

[七年もしてから、靴を隠した子が謝ってくれた]K君

 その説は当たっていると思う。
僕が小さかった頃に、くつを隠されたことがあり、僕は今もそのことをはっきりと覚えているが、その隠した本人は、そのことをまったく覚えていなかったからだ。
しかし、7年ぐらい経って、急にその子がくつのことを僕に話しだし、そのことについて誤ってくれた。・・・
だから、ぼくはその説はあっていると思う。

3)うそついたことの反作用の体験

[昔、嘘を言ったこと]L君

僕も反作用の潜在力を体験したことがあります。
たとえば、昔、友人と話をした時、 うそを言って、後でばれたことを最近になって思い出し、はずかしくなりました。
だから僕はこの説を信じます。

[自分が約束やぶったのにしかえしにいじめたこと]Mさん

小学校一年のときに友達と遊ぶ約束をしていました。
けど、用事があって、遊べなくて、その夜に母といっしょに買い物にいった帰り道に、その友達ともう一人の友達と会った時に、「うそつき」とか「うらぎったやろう」とか言われて、むかついて、その次の日か、もうちょっとたってから、男子二人くらいとその子をいじめました。
その子は泣いて先生にいって私はおこられました。
ずっと昔のことなのに、ずっとずっと思い出されて、いつも苦しめられます。
あの時しなければよかったと思いました。
これらから絶対にそういうことがないように気をつけていきてゆきたいと思います。
この説はきっとあたっているとおもいます。
でも、なぜ、悪いことだけ、心の中でずっと残っていて、よいことはあまり記憶に残らないのだろうか。

[お風呂の水があふれたのを弟のせいにしてしまった]Nさん

私も同じ考えだと思った。
私も小さい時、お風呂の水をはやく一杯にしようとおもって、蛇口をいっぱいにいっぱいにひねって、水をいっぱいにでるようにして、水をだしっぱなしにしたことをすっかり忘れて、お風呂の水があふれてしまった時、お母さんが水いっぱいだしたん誰と聞いた時におもわず、弟と言ってしまいました。
それで弟は、わけもわからず、怒られていた。
たぶんこれは幼稚園の時だと思うけど、 今でも覚えています。

[親にうそを言ってしまったこと後悔]O君

今回の話は、たくさん共感する部分がありました。
ぼくは中学3年ころにテストの点数がものすごく悪いときがありました。
こんなテストを見せたら、怒られてしまうと思って、親にテストの点数を聞かれた時、うそをついて、でたらめな点数を言ってしまいました。
でも、親はぼくのことを信用して、その後は何も言いませんでした。
その時は、何も言われなかったからよかったと思っていたけれど、今、とても悪いことをしたんだと思い、後悔しています。

[間違えて点数を高くつけてもらった時、言うことにした]Pさん

中学校の定期テストで、一生懸命勉強してもあまり成果がでなかった。
でも3学期の中間テストの社会で91点をとった。
それは6点くらい先生が間違いを正解に数えていた。
でも、私は頑張ってテスト勉強したからそれを言うのは嫌だったからだまっていた。・・・・・
 中間の後の実力テストで、6点分の解答欄の書き間違いがあった。
その時から私は点数の付け間違えは、きちんと言うことにしました。
友だちは「そんなん言わんでー」と言っていたし、黙っている友だちが多かったです。
その友だちはいい学校に行っちゃったから考えすぎかとも思っていました。
でも、いやな気持ち(罪悪感)が残っていないからよかったです。

4)人を傷つけた反作用の体験

[ふいに後輩にひどいことを言ってしまった]Qさん

なるほどなあと思いました。
私も、2年の冬、後輩にふいにひどいことを言ってしまって、傷つけてしまったことがあります。
それからずっと今でも、その言った言葉が頭に浮かんで、なんであんなことを言ってしまったんだろうと思って苦しくなります。
言ってから2週間くらいして謝ったのですが、今でも苦しんだりします。
まだ私は、心がへこんだ反作用をうけているのかなあと思いました。
私もこの説に賛成です。

[友達を仲間はずれにしたこと]Rさん

今までの私の体験からくと、悪いことをしただけ、自分にもどってくるのがわかります。
たとえば、私が、小5の時、ある友達を仲間はずれにして遊んでいました。
その時は、別になんとも思わなかったけれど、私が小6の時、今度は私も同じように仲間はずれにされました。
その時、やっとその子の気持ちがわかりました。

[忘れかけても記憶がよみがえって苦しみました]Sさん

私も同じようなことを体験したことがあります。
すごくきらいな子がいて、靴を隠しました。
その時は、「ざまぁみろ」と快感を味わいましたが、その日の夜から、何も手がつけることができないくらい頭を抱えるほど、悩み苦しみ「なんて私はバカなことをしたのだ」って思いました。
そして私が、そのことを忘れかけても、再び記憶がよみがえって苦しみました。
それから何年か経ち、何気なく本人に靴がなくなった事件のことを聞いて、自分がやったとは言わずに聞いて見ると「何の事?」と返され、なぜ、本人の記憶に残っていないのか不思議でたまりませんでした。
それにこんなに悩み苦しんだ私っていったい・・・?って思いました。

[いじめなどの罪の重さに耐えきれず自殺をはかった友人]Tさん

つらい話ですが、小中学校時代に同じ学校だった友達が、手首を切り、自殺行為をしました。
それは、小さい時から、友達をいじめたり、先生をなぐったり、家出をしたり、たくさんのことをしてきて、その自分のしてきた行為の罪の重さにたえられなくなったからだそうです。
だから、私は先生の考えに同意します。

[もういじめの輪の中には入らない、今も心が痛む]Uさん

私も昔に友達にまじって、友達をいじめたことがありました。
別にその子が嫌いなわけじゃないのに周りがしているから自分もってゆうような感じでした。
けれど、友達を無視したりするごとに、自分はなんて悪いことをしているんだとゆう心がでてきました。
それから私は絶対にいじめの輪の中には入らないようにしています。
今は友達と普通に接していても、そのことを思い出すと、心が痛んだりします。
こういう自分が悪いことをしたことは、これから先も絶対に忘れることはないだろうと思いました。

[いじめられたことより、いじめたことが心に残り、後悔]Vさん

 私はしたこともあるし、されたこともあります。
小学校3年の時にいじめられていたことがありました。
その時、私はもう一人いじめられていた子の宿題のノートをやぶって、いじめてた子のノートにはれ。と命令されて、実行しました。
その時は、私にまわってくるのがこわくて、必死にやりました。
でも、後で、いじめられていたことよりも、理由はあったにしても、いじめたことが心に残っていて、後悔しています。

[もっとおばあちゃんにやさしくしておけばと死んだ後になって後悔]Wさん

私のためと思っていろいろと言ってくれたおばあちゃんに、私はいつもきつく当たってしまっていた。
何かを頼まれても「イヤー」とかブツブツ文句言いながらしかたなくやっていた自分が、その時は普通だった。
でも、最近おばあちゃんは死んだ。その時、私の心の中は、あの時、こーしていれば、・・あーしていれば、・・・でいっぱいだった。
この悔しい思いは忘れることはできないし、忘れずに次に生かしていかないといけないんだなあと思った。

5)生き物の生命の反作用

[弟のひよこをふみ殺してしまった人]Xさん

・・・先生の話は傷つけた相手が人間だけど、相手が動物だったら、謝ることもできないと思いました。
私たちの中学校の先生は小学校の時、弟のひよこをふみ殺してしまったそうです。
それからずっと鳥を見るとたえられないそうです。
弟にはゆるしてもらったでしょうが、ひよこの方は死んでいるし、鳥だから謝っても仕方がないと思ってしまったのか、たぶん一生そのへこみはもどらないと思いました。
もし、そのひよこが死ぬまでとはいかなくても、骨を折ってしまったとしても、かなり心に傷ができてしまうと思いました。
なぜかというと、その骨を折ったままの姿のひよことそれが老いて死ぬまで、一緒にいなければ行けないからです。

[アリをブチブチと平気で殺していた幼年時代の出来事]Y君

僕も似たような体験があります。
それは、やっともの心ついたとても小さい時、外でアリを見て、プチプチと平気でつぶしていた時のことです。
たぶんおもしろかったんだろうと思います。
中学、 高校になってから、とつぜん、「何であんなことをしたんやろ」「かわいそうに」とゆうふうに思うようになってきました。
その前後の出来事は、あまり覚えていないのに、そのことは覚えています。
先生の言ったその説はあたっているとおもいました。

6)人間としてすべきことをしなかった反作用

[友だちが殴られ蹴られているのをなんで止めてやれなかった]Z君

サンスカーラという考え方は正しいと思いました。
なぜなら、自分は中学生の時、友だちがいじめっ子に殴られ、蹴られている時に、止めもせずにただ見ていたんです。
その夜から、自分が友だちの立場だったら、どんなことを考えたんだろう、どんな気持ちだったのか、考えてしまうようになってしまいました。
そしてなんで、あの時、止めてやらなかったんだろうと今でも、ふと思い出してしまうことがあります。

7)不正なおこないへの反作用

[あやまりたくて、今になってしまっている]AAさん

卒業前のバスケットの試合で、相手チームの子に私たちがどうしても勝ちたくて、ファールをいっぱいしてしまった。・・・
そのファールが一つ思いっきり、わざとしてしまった。
後から考えたら、何してん?って思って、ずっとあやまりたくて、・・・
今になってしまっている。先生と同じ体験をしました。

8)心静かな時にわき上がる反作用

[寝る前の心の落ち着いている時に浮かんでくる]AB君

やはり一番共感できたのはサンスカーラだった。
僕も同じような体験を何度かしている。
先生も言っていたように寝る前の心が落ち着いている時に、過去の失敗やその日の出来事が心にうかんできて、思わず「あー」とか「うわっ」とか言ってしまうことがある。
それは、その時には感じないが、心のどこかに潜在的に残ってしまうのだと思う。
そして残ったその心のしこりは、ときどきナイフのようにねんざした後の足のようにふとした時にズキッといたむ。
しかし、人間はそれがないとまた同じことを繰り返してしまうと思った。・・・
猿にはサンスカーラがあるのだろうか。・・・・

9)何年かたってから反作用がでるケース

[何年か立って幼稚園の時のことを謝ってくれた友だち]ACさん

私は、この反作用の潜在力は幼い頃からあるものだと思いました。
今、思い出しました。
幼稚園の頃、女の子で、とても私にとって恐怖感のある子が一人いました。
その子は、私だけではなく、誰にでもつねったり、ひっかいたりしている子でした。
しかも先生のいない時にです。
でも悪いことをすれば、必ずばれてしまいします。
その子も先生におこられてとても反省していました。
そして、小学校に入学して、何年か経ち、久しぶりに会うと「あの頃はごめんね」と言ってくれました。
きっとその子はずっと人に悪いことをしてしまったと自覚し、ずっと苦しんでいたんだと思います。
それから、私たちは、少しずつ、手紙のやりとりなどをして、より仲良くなれたことを覚えています。

[私も何年かしてから友達に謝りました]ADさん

昔に何か人を傷つけて、何年後か急に思い出すのは私にもありました。
小学生のころ友達を傷つけてしまって、私には普通のことだったのに、・・・。
何年かしてふっと思い出して、 その友達に謝りにゆきました。
反作用の潜在力はすごいものだと思いました。

[昔のことなんだけど、今になって反作用で苦しんでいる]ADさん

先生の話してくれた説は、一番あたっているのではないかと思う。
私にも思い当たることがいっぱいある。・・・
それはとても昔のことだけど、今になってどっと罪悪感が押し寄せてきて苦しめられる。
謝ればいいのかもしれないけど、あまりに昔のことすぎて、謝るに謝れなくなってしまっている。・・・
私はずっとこの罪悪感をかかえてすごしていくのか。・・・?
謝る以外にいい方法はないのか・・・と考えさせられてしまいました。

10)サンスカーラを蓄積しないために

 以上の高校生の体験からサンスカーラ(反作用の潜在力)を蓄積しないための心がけを引き出すことができます。
(1)人間と生き物に対し、言葉や行いで苦しみを与えない。
(2)うそをつかない(ただし、本当のことを言ってその人を傷つける場合を除く)
(3)他人のものを一切自分のものにしない。
(4)人間としてすべきことをする

 このサンスカーラ(反作用の潜在力)の話をしたのは、ソクラテスの魂(プシュケー)論への伏線でした。
ソクラテスの言葉を教科書から引用しておきます。

 「誰もが、魂をできるだけすぐれたものにするように十分に気をつかうべきであって、魂以上に身体や金銭のことを気にしてはいけません・・・
いくらお金があっても、いくら身体をきれいに見せることに成功しても、そこからすぐれた魂が生まれてくるわけではありません。
金銭などが人間のために善いものになるのは、すべて魂のすぐれていることによるものです」



苦手なタイプの人とサンスカーラ

 以下のような相談を受けました。
「特定のタイプの人間に対して、波長があわず、最初は無理してなんとかあわせているけれども、そのうちそのタイプの人間とはなんどもトラブルをおこしてしまう」

苦手なタイプの人について考えてみたいと思います。

(1)心の構造

 サーカーによれば、心は、「粗大な心」、「精妙な心」、「元因の心」からなっています。
「粗大な心」は、心の外の世界の形をとった心です。
「精妙な心」は、思考や記憶の心の部分です。
「元因の心」は、意識や無意識の心が様々な活動をしたことを全部、記憶しているところです。

 心が池だとしてしてください。
池の表面が「粗大な心」です。
池のまん中の層が「精妙な心」です。
いちばんそこの部分が「元因の心」です。
(なお、サーカーは心を池とするたとえは使っていません)

(2)心の池を澄ませたら、すべてを思い出すことができる

 心が外側の出来事で忙しく、友だちと遊んだり、いろんなことをしている間は、心の池は波立って濁っていますから、昔のことは思い出しません。
寝る前、心が静かになった時、昔のことを思い出します。
瞑想して、心の池をしずかにすれば、心の池が次第にすんできて、いちばんの奥にある「元因の心」にたくわえられた記憶がすべて読み取れるようになります。

(3)心の変形は、かならず、もとにもどろうとして反作用をひきおこす。

 元因の心にすべてが記憶されています。
人を傷つけることを言った時には、心にへこみが生じます。
そしてからなず、傷つけた分だけ、その心のへこみがもどる時に自分が苦しみます。逆に人から痛みを加えられて、心が変形した時は、その心がもとにもどろうとして、無意識に、自分が同じ危害を別の人に加えてしまいます。

 幼児の時に親からひどい目にあった人は、自分は気付かずに無意識に、自分の子どもをひどい目にあわせます。
今、児童虐待として問題となっています。
サーカーは、このような心の変形がもとにもどろうとする力をサンスカーラと言います。

 過去に自分があたえられた心の痛みによる心の変形は、無意識のレベルでその人を突き動かします。
自分に痛みをあたえた同じタイプの人間に、自分では気づかず、自分に痛みをあたえた相手とはまったく違う人なのに、心の奥が反発してしまい、顔の表面でとりつくろうのに苦労することになります。

4)解決

① 苦手なタイプを生み出した原体験をつかむ

 自分にあわない波長のタイプの人がいる、苦手だ、という場合、自分の過去の体験からくる心の形の変形が、元因の心の内部につくられている可能性があります。
でも、私たちは、こころの池を澄まして、いちばん奥の元因の心まで見るようなことはしません。
長い間、その理由がわからずに、人生を生きてゆきます。

 解決は、瞑想の中で心をおだやかに澄ませしてゆきながら、元因の心の中にたくわえられている幼児期からのできごとを思い出すことです。
とくに自分の人格をつくる上で影響をあたえた人たちとのできごとについてです。
その時のことを明確に思い出すならば、より正確に何が問題であったのかがわかります。
そして自分の心の変形をひきおこした人も愛すべき人たちであったことが理解できた時、これからの人生で会うであろう同じ様なタイプの苦手な波長の人間との距離のとり方やうまくやってゆくやりかたがわかるはずです。
(サーカーが直接、こういっているわけでありません。
サーカーの考えを活用して論じています)

 苦手なタイプ、自分とあわない特定タイプの人間がいるならば、過去にそのようなタイプの人間から心を傷つけられた体験があり、心に反作用のへこみ(サンスカーラ)が生じてしまっている可能性があります。

②サンスカーラを断ち切る

 自分が人から与えられた苦しみや憎しみも、自分が自覚しないと、人からあたえられた苦しみや憎しみだけ、心に変形がおきていますから、無意識に他に人に同じことをしてしまいます。
自分が人からひどいめにあわせられた人ほど、自覚して、他の人には絶対そんなことはすまいと決意しないと、また、自分が人に苦しみを与えてしまいます。
そしてその結果、また自分が同じ量だけ苦しむことになります。
そしてまた苦しみをあたえます。
サーカーは、それを「人はサンスカーラの束縛のもとに生きている」といいます。
自分がそのサンスカーラに気付いて断ち切ることが必要です。

 たとえば、教師をしてきた私の観察では、いじめられた人ほど、人をいじめるようになります。
そしてまた自分が別の形で同じ苦しみにであいます。
本当はいじめられた人は、こんなひどいことは断ち切ろうと思わなくてはなりません。

(なお、サーカーは、自分が他人を害した場合の心の変形にいては語りますが、他人が自分の心が変形させられた場合については語っていません。
他人によって心が傷つられた場合も、自分の過去のおこないの反作用として説明します。
つまり自分が過去に他者に与えた痛みの反作用なのですよと言います。
そう考えるとそこでサンスカーラを終わらせようという気になります)

 心を澄ませて、いちばん心の奥の声をきかないと、私たちはずっと心の作用と反作用の法則によっておもしろくない思いをして生きてゆかなくてはなりません。
顔は笑っていても心の底が泣いている(*_*)人生を送ることになってしまいます。


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