JAI MATA DI - LAKHBIR SINGH LAKKHA (video inspired by god of star)


(This article of Mitsuki closes truth of base of universe)


Theme of this page is how is base of universe.
Base of universe is unity of conflict between ectoplasm of gods of star and flow of Higgs particle.
This view of documents of Heaven is truth.
This article of Mitsuki closes truth of base of universe.
Vacuum space is not vacuum.
Vacuum space is made up by full of flow of Higgs particle.
This understanding is very important.

このページのテーマは宇宙の根底はどうなっているかです。
宇宙の根底は,星の神々の思念体とヒッグズ粒子の流れの間の対立の統一です。
この天の文書の見解は真理です。
ミツキのこの論文は,宇宙の根底の真理に近づいています。
真空の空間は,真空ではありません。
真空の空間はヒッグズ粒子の流れの充満からなっています。
この理解は非常に重要です。


真空と心、サーカーの哲学

はじめに

 先日、電車にのっていると「ニュートン」という大衆的な科学雑誌のつり広告の見出しに「真空、素粒子の世界へ、無の空間は沸き立つ、素粒子生成と消滅の場!」とあったので、その雑誌を入手しました。
これは、心と無空間とこの世の関係を解明する科学的一歩のような気がします。
どういうことか説明します。

1)きわめて微細なレベルについてのウィルバーとサーカーの考え

 これは、超微細なレベルにおいて、サーカーとウィルバーの考えについて紹介します。

 まず、ウィルバーです。原子ホロンがあつまって、分子ホロンになります。
分子ホロンがあつまって細胞ホロンになります。
この世はホロン階層構造(ヒエラルヒーと区別するためにホラーキーという)でできています。
ウィルバーは、原子ホロンのより下位のホロンレベルとして素粒子、さらに科学がすすめばより微細な方向に無限にホラーキー構造がつづくとしています。

 次に、サーカーです。
ホロン構造であることは、ウィルバーと同じですが、微細なレベルにおいては説明の仕方がずいぶんとちがいます。
サーカーは、「意識(プルシャ)」と「エネルギー(プラクリティ)」からこの全宇宙(コスモス=ブラフマ)は成り立っていると考えます。
「形質付与の力」が「意識」に形を与えます。
この物質世界も「意識」が材料で「形質付与力」が多様な形を与えています。
中国の朱子学の言い方では、「意識」=理です。
「形質付与力」=気です。
理と気は一つでわけることができません。
その理と気をあわせたものを「太極」といいます。

 さて、細かい説明はやめて、ポイントだけいいます。

 サーカーは、もともとの材料である「意識」に「形質付与力」が形質を付与し、大宇宙の心が生じ、さらに形質付与力が加わり、無空間(エーテル体=場)が生じ、さらにそれに形質が付与され、気体が生じるとします。

 以下、エーテル体(真空)→気体→燃体→液体→固体の順です。
それは、すべて材料は同一の「意識」です。
形質付与力のタイプと付与したレベルの違いでこの千差万別の宇宙が誕生しています。

2)サーカーの哲学のポイント

 さて、サーカーは、大宇宙の思考過程は今も続いており、「意識」は形質を付与され、エーテル体(真空=場)が生まれ、その場がさらに形質を与えられて原子、分子が誕生しているとのべています。
私たちの細胞が21日くらいで生成・消滅をしているのは、たえず、エーテル体→気体→・・・という大宇宙の思考過程によるものだというわけです。・・・・
そんな馬鹿なとおもっていたら、天文学では、この大宇宙の真空が広がっていることが観察され、その真空にエネルギーが発生していることが観測されました。
さらに「無の空間」=真空の研究が進みます。
原子と原子の間、原子の内部の無空間はどうなっているのか。
実は真空は、素粒子が沸き立って生成・消滅している場だったというのです。

 この科学研究の発展は、無空間よりも精妙なレベルが存在し、それが大宇宙の心だ。
人間の心は大宇宙の心を材料としているというサルカール説に近づきます。
ちょうど、人間の体が大宇宙のエーテル体(=無空間、場)、気体、燃体、液体、固体を材料としているように、人間の心理体は、大宇宙の心を切り取って使っているというサーカーの説明に説得力がでてきます。
私たちの心は見えません。
同じように大宇宙の心が見えないからといって、それが無いことの証明にはなりません。

 私たちがレモンを心の中に思い浮かべると、レモンの想念をもつ心理体の波動が、エネルギー場(真空の素粒子の生成・消滅の場)に影響します。
心理的波動が素粒子の波動に影響し、原子の動きに影響を与え、分子の化学反応をひきおこし、唾液(つば)をつくりだします。

 同じように、万物の背後に、大宇宙の心があり、その思考が、形質付与の中で、あの星になり、あの山になり、あの木になり、風になり、花になり、雲になりしている。
そして、そのもっとも精妙なエネルギー場(エーテル体)のレベルでの素粒子の回転に大宇宙の思考の波動が影響を及ぼしつづけている。

 サーカーの教えは、個人の心の底の底は、大宇宙の「私」である。
ちょうど自転車の車輪の軸からスポークをイメージするとスポークは個人の「私」で、軸の部分は大宇宙の「私」です。
一本のスポークでなく、大宇宙の「私」として生きよ。
「私はブラフマ」として生きよ。
すなわち心を無限大にした究極のアイデンティティをもって生きよということです。

 この論の前提には、大宇宙の現象世界の深部に大宇宙の思考があることを前提としています。
真空とは何も無いのではなく、それはエネルギーの活発に活動している場であるという科学的知見の前進はサーカー説が正しいのではないとか思わせられます。

3)以上の論へのコメント

(天野)ウィルバーが言っていることは、普通イメージする宇宙とコスモスは違うということです。

(著者)マクロ・コスモス(大宇宙)にも心の外(物質宇宙)と心の内側があるということです。
この点についてはサルカールもウィルバーの同じ観点です。
ここで私が言っているのは、大宇宙の心、小宇宙の心、それらと、物質(身体)の境目にエーテル体(真空、エネルギー場)があるということです。

(天野)ホロンで無限に下までいくということはそれの世界ではない。世界に究極的なものはないということです。

(著者)ウィルバーの四象限ホラーキーの論は、微細なところは、分子、原子、素粒子と発見されてきたようにどこまで言ってもあらたな極小のホロン階層が発見されるだろうということです。
しかし、それは、四象限とは右側象限が物的世界として顕現した現象世界の領域を考察する時の枠組みです。

 科学研究の発達は、素粒子のレベルが真空の場では生成・消滅しているということを解明してきているようです。
素粒子のレベルは、エネルギーの渦らしいですが、観察するもの、主観の影響、たぶん想念までが影響するので、右側象限の発生地点だと思います。
つまり真空のレベル、真空(エーテル体)とは、想念が生み出している第一段階です。
そこには大宇宙の想念だけでなく、私たちの想念も影響します。・・
私たちの想念の波動がバランスを崩していれば、身体のバランスをくずすのはそのためだと推測します。

(天野)究極的な物質を考えればそれの世界にすべて還元されてしまうのではないでしょうか。

(著者)サルカールの論は、すべてが「意識」を材料に、コスモスの内側から外側までできあがっています。
この世界の究極的な材料は、形質付与されていない純粋の意識です。
世界は、「意識」に還元されるのが、サルカールの論です。
意識に形質が付与されて「意識」が固まって、まったく意識が見えなくなっている究極の状態が固体物質です。

 そして固体物質までできたこの世界から生命世界がはじまります。
しかし、そのすべては、一貫したひとつの「材料」である「意識」で説明しています。・・・
四象限は一つの説明原理であって、無空間(エーテル体)のレベルにゆくと、サルカールの論の方が一貫した説明が可能だと感じます。
もちろん、ウィルバーも、大文字のスピリットがブラフマにあたり、サルカールと同じことですが、四象限の説明の枠組みでは無空間発生までの説明にゆくと苦しくなるのです。

(天野)スピリチャルな真理と科学的な真理を混同してはいけない。
また科学的な説明でスピリチャルな真理を説明してはいけないのではないでしょうか。

(著者)原子、素粒子、真空という世界は、心の領域よりも粗大な領域であり、スピリチュアルな領域の真理にしてしまってはいけないと思います。
そこの部分は経験科学と交差する領域です。
そして心と物質身体のかかわりについてもこれから科学が解明してゆくでしょう。

(天野)この文脈では科学的な説明の正さイコールサーカーの論の正しさになっていないでしょうか。

(著者)科学が進むと解明される領域が膨らんでくるのです。
たとえば、光の波動は、紫から赤までしか望遠鏡の時代には観測できませんでしが、今や、紫外線、赤外線が観測できます。
私たちによって見えない領域も実験・観測の科学が少しずつは解明領域をひろげてゆきます。・・・
科学の明らかにするのは相対的真理の顕現した世界の領域であり、「人、場所、時代」の要素によって、含んで超える形でホロン的に無限に進んでゆきます。

 私たちは、スピリチュアルな立場をとるといっても、現実世界については観察的事実、経験事実をふまえるべきです。
それをふまえた議論が大切です。
ウィルバーは、心理の次元を超えたスピリチュアルな領域について、黙想科学の経験にもとづいた議論でないとだめだと述べていると思います。
つまり、すべての領域、象限にわたって、経験的観察的事実にふまえることが重要です。
近代を「含んで超える」文明をめざす私たちは、この点を捨てては前近代に後戻りする立場に後退してしまいます。




H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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