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(This is same idea to documents of Heaven)

Dear
I am god salamnidam who downed theory P.R. Sarkar.
We project of Heaven and gods introduce study of assistant Mitsuki in whole life.
Mitsuki studied almost books of theory of P.R.Sarkar which I downed.
Mitsuki's summery is excellent.
Project of Heaven and gods decided to introduce all studies of theory of god salamnidam.
God salamnidam add explanation to study of Mitsuki.

Theme of this page is that society should be made as cooperation
Documents of Heaven show that society should be organized based on five principles of providence.
This is same idea to documents of Heaven.


こんにちは
私はP.R.サ-カ-に理論をおろした神サラムニダムです。
私たち天と神々のプロジェクトはアシスタントのミツキの全生涯の研究を紹介しています。
ミツキは、私がおろしたP.R.サ-カ-の理論の本をほとんど研究しました。
天と神々のプロジェクトは、神サラムニダムの理論のすべての研究を紹介することを決定しました。
神サラムニダムはミツキの研究に説明を加えます。

このペ-ジのテ-マは、社会は協力として組織されるべきである、です
天の文書は、社会は摂理の5原則にもとづいて組織されるべきだと示しています。
これは天の文書と同じ考えです。


サーカーの社会論

1)目指すべき『サマージ(社会)』の精神

(1)共に助け合って進む心をもった集団をめざす

 日本語の「社会」は、societyの訳語として明治期に創られました。
領主に対する農民の階級闘争が激化していても封建制「社会」です。
そこに不信と憎悪が満ちていても「社会」です。

 サーカーが論じるサンスクリット語のサマージ(社会)は、『ともに進む一群の人々』を意味です。
したがって、サーカーの「社会」とは、様々の能力や個性をもった人々が互いに助け合って進もうという心をもった集団が成立した時に、はじめて成立します。
人々が通勤電車の中に乗り合わせているような関係にあるなら、サマージ(社会)ではありません。
サーカーの考えでは、人類は未だ「社会」を形成していません。

 サーカーは次のように「社会」をイメージします。

 「社会とは巡礼している人々の集団のようなものです。
その場面を想像してみてください。
巡礼者の一人がコレラで倒れたとしましょう。
残りの人は、その病気の人を後に残して予定どおり進み続けるでしょうか。
いいえ、彼らにとってそれはありえません。
一日か二日、旅を続けるのをやめて病人を世話するでしょう。
もし、それでもなお病人が歩けなかったら肩に背負って運んでゆくでしょう。
もし、食べ物が足りない人がいたら、食べ物を分かち合うでしょう。
自分たちの持ち物を共有し、声を合わせて歌いながら、共に前進してゆくでしょう」(Spirit of Society)

 これは、家族や職場、地域レベルでも、あるいは人類レベルでも、私たちがめざすべき社会についての内的イメージではないでしょうか。
サーカーの論では、人間の内面の変革が社会構造という外面の変革と並行しています。

(2)人は、他の人々の助力で生きている

 サーカーは、「おれは誰の世話にもならず、一人で生きている」という考えを愚かだと批判します。
「他の人との連帯など必要ない、誰の助けも必要としないという考えはきわめて愚かです・・・
病気を治すためには薬や看護が必要です。
死体を火葬するためには隣人の助力が必要です。
食料や衣服を常に手に入れるためには農民や紡績工の協力が不可欠です。
忘れないでください。
この宇宙に独立して存在するものは何一つありません。
何一つ孤立しては存在できません。
すべてのものが、全体との宇宙的な関係を持っています。
その関係は、ある時は、明確に認識でき、またある時には、認識できません」(Spirit of Society)

 このように誰一人として一人の力で生きることのできる人間はいません。
しかし、今日の文化の発達によって、さらに人間は、自分でする能力を失い、ますます他者に依存せざるをえなくなってきています。

 「今日の人間は、文化的に洗練された社会環境になることによって自分自身で何かする能力を失ってきました。
たとえば、以前、人間は衣服を自分で作っていました。
今日、ほとんどの人が衣服で作ることはできません」(Spirit of Society)

 このように衣食住、医療、教育のどれ一つとっても、私たちは他人に依存せずには生きてゆけません。
仕事の上でも他の人の存在なしにはやってゆけません。
相互に助け合う精神は、心の外側の客観的事実を正確に認識することにほかなりません。

(3) 無力なものを援助する人間が文明的人間

 すぐに自立できる子を生む動物の親は、育児の必要がないため愛情はそなわっていません。
子が自立するまでの期間が長い動物ほど、親の愛と知性が発達しています。

 したがって、人類には保護を必要とする弱い立場のものを援助する心がもともと備わっているとサーカーは考えます。
そして、そのような心を発揮する人が文明化した人間なのだと言います。

 「無力なものを援助する大きな骨折りを引き受ける人々が、より文明化した人々であり、より大きな自覚を授かった人々です。
人間は、社会の中の恵まれない人々、踏みにじられた人々、拒絶された人々をためらうことなく抱擁する社会的な心を持った存在です」(Spirit of Society)

 私たちはまだ人類としてこのような社会を実現できていません。
サーカーの言うサマージをめざし、真の社会的精神を身につけ、闘ってゆかなくてはなりません。

(4)人類全体を愛の絆で結び、共に進もうとする世界をめざす

 身近なところでは、助け合いや協力の姿を目にします。
しかし、サーカーは、それは「自分の利益に動機づけられたグループが、ある特別な状況のもとで共に進んで」いる姿にすぎず、それは本当の意味の『社会』ではないと考えます。

 たとえば、ナショナリズムを信奉する人々が、自分の国の利益に動機づけられて「ともに協力している」ことはありえます。
自分が勤務する企業の利益のために社員が協力してとりくんでいることもありえます。
しかし、それらは「自分たちの利益に動機づけられた」ものです。

 「もし、狭い私利や金銭的な利欲だけから相互に調整して進むことを社会と呼ぶなら、そのような社会においては、身体障害者や病気の人や身寄りのない人に対する援助がなされえないでしょう。
なぜなら、たいていの場合、その人たちから利益を得ることができないからです」(Spirit of Society)

 だから、真のサマージ(社会)の精神をもった人は、死にかけている無力な患者も一国のリーダーも、人間としてかけがえのない同等の重要性をもっているものとみなします。

 「このすばらしい森羅万象の中で、照り輝く太陽と小さなアリは、同一の存在価値を持ち、共に宇宙家族を構成しています。
同様に、人間社会において、パワフルな卓越した人物の重要性は、死にかけて無力となっている患者と変わりません。
誰も軽視されてよい人はどこにもいません。
誰かになされたわずかの不当な扱いも、社会全体の枠組みの崩壊をひきおこします」(Spirit of Society)

 これは、社会的な弱者も貧困に苦しむ地域の人々も含めて、人類全体を愛の絆で結び、共に進むサマージャ(社会)としての世界をめざすことです。

2)闘争と平和についての見方

(1)闘争は生命の本質

 人類の歴史を「階級闘争」の目で見たのはマルクスですが、サーカーもすでに見たように社会の歴史を階級闘争の歴史とみます。
もちろんマルクスとは階級の定義が違い、四つの階級間の闘争の歴史とみます。
 サーカーの考えでは、闘争の中で展開しているのは社会だけではありません。
天地万物がやむことのない闘争の中で存在しています。
「闘争は、生命の本質です。
生物学的には、生命は内部のスタミナstaminaの表現です。
外面的、物理的には、生命は、不安定状態にある平衡の回復のためのやむことのない闘争です。
天地万物のあらゆるところに闘争があります」(Talks on Prout)

(2) 明晰・平穏な平和と停滞・鈍性の平和(sentient peace とstatic peace)

 このようにやむことのない闘争の中にこの世界は存在します。
したがって、サーカーにとっては、真の平和は闘争の後に実現するものです。

 たとえば、ある国が他の国の植民地になっている状態で、完全に人々が鎮圧されてそこに闘争がなければ平和です。
しかし、その平和は、停滞・鈍性のstatic平和です。
闘争によって独立を勝ち取って平和が実現した状態が、明晰・平穏なsentient平和です。

 そこに経済的搾取があれば、搾取者に対する反搾取の闘争が必要です。
私たちが生活しているこの世は相対的世界であり、闘争をその存在原理としています。
したがってサーカーは闘いなしの平和を説くことは欺瞞だと考えます。

 心の内面深くに沈潜する時のみ、絶対平和の境地があります。
個人はこの絶対平和の境地に深く根ざしながら、現実の世界では、全人類、全生命、全存在の福利の前進のために闘いつづけていきるべきだとサーカーは考えます。

 「平和は相対的な用語です。
平和は闘争の結果です。
停滞・鈍性の力static force が優勢となる時、そこには平和があります。
それはタモグニー・シャーンティtamogun'ii sha'nti(停滞・鈍性の平和)と呼ばれます。
明晰・平穏の力sentient forcesが優勢である時にも平和となります。
それは、サットヴィキー・シャーンティsa'ttvikii sha'nti(明晰・平穏の平和)と呼ばれます。

 停滞・鈍性の平和と明晰・平穏の力との間の闘争は、宇宙が存在するかぎり続くでしょう。
相対性の領域に絶対的な平和はありえません。
絶対的な平和は、個人の生命には降り注ぐかもしれませんが、集合体の生命には降り注ぎません。

 個人の生気が大宇宙の生気の中に停止する時、もしくは、個人の熱望が大宇宙の熱望の中に停止する時、絶対的な平和がもたらされます。
集合体にとっての絶対的な平和は、宇宙の停止を意味します。
それはありえないことです。

 それゆえ、闘争を避けるよう説くことは偽善です。
外交政策として平和をもとめることは受け入れることができます。
しかし、原理として闘争を避けることを受け入れることはできません。
闘争は生命の本質です。
そして平和は、闘争の後にのみに取り戻すことができます。

 したがって侵略がなされた場合には、侵略された国の指導者たちは、実際に平和を打ち立てることを切望するならば、彼らは侵略国の帝国主義的目的に対して戦うべきです」(Talks on Prout)

 ここでサーカーが平和外交を肯定しているように「闘争」は暴力的衝突という現象を意味しているのではありません。
「闘争」は本質的レベルで語られています。

3)知的心理的領域における搾取の克服による統一

(1)知的心理的領域での統一が必要

 サーカーは、人類社会の統一と世界政府の成立をめざします。
そのさい人類の統一は、知的心理的領域における統一を伴わなくてはなくてはなりません。
つまり、ある国が武力で全世界を征服して物的身体的な世界で統一をなし遂げたとしても、それはサーカーによれば、統一ではありません。
知的心理的領域で、人々が単一不可分の人類であるという観念形態(サーカーの用語ではイデオロギー)を身につけた時に物的身体的世界でも真の統一が実現します。

(2)真の統一のためには搾取の廃止が必要

 人類の統一の実現のためには、ある人間集団による別の人間集団の搾取(利用)を克服しなくてはなりません。
なぜなら、そのような搾取があるかぎり、人類社会の知的心理的統一はできないからです。
真に人類は一つという意識は成立しません。
サーカーは、人類社会形成という確たる目標と並行して、搾取のない世界をめざして闘ってゆくべきだと考えます。

 サーカーが使用する「搾取exploitation」の用語は、一般的に使用されている「搾取」よりも幅広い意味を含みます。
たとえば、マルクスの史的唯物論は、経済的的側面の「搾取」からの解放を論じました。
サーカーは、経済的な側面のみならず、魂の領域と知的心理的(つまり文化的)領域における搾取を同時に問題にします。
それは、サーカーが、魂(スピリチュアリティ)の領域と知的心理的領域と物的身体的領域(この中に経済搾取は含まれる)の三つの領域を統一的に見る哲学者だからです。

(3)劣等コンプレックスをもちいる知的心理的搾取

 そしてサーカーの使う搾取exploitationには、他の人を利用するという意味も含まれています。
たとえば、他の人を低く描くことで、自分をより高めた位置におくようにしゃべる人がいますが、この場合、他の人をおとしめて利用し、自分を高めているので、心理的に搾取しているということになり、知的心理的搾取となります。

 サーカーは次のような知的心理的搾取の例をあげています
「非常に黒い容貌の少年が、クラスメートから、そして教師からさえ、『ニグロ"nigger 』と呼ばれたとしましょう。
これは間違いなく彼を落ち込ませ、彼の能力の発現を妨げ ます。彼は考えます。
『僕は劣っている、僕はしいたげられている、僕は醜い』と。・・・
結果として、彼らの心は萎縮し、そしてその進歩は妨げられます。
 同じように貧しい人々は、財政的な困難ゆえにあらゆる種類の、軽蔑といやがらせを受けています。
貧しいが賞賛に値する少年が学業で優秀な成果を上げているとしましょう。
彼をねたんだクラスメートは言います。
『なぜ、勉強なんかで頭を悩ますんだ。どうせおまえは召使の仕事につくんだろ』と。
 そのような態度の故に、多くのすばらしく才能のある人々が自分の生まれつきの可能性の浪費を強いられています。
これは、残念で恥ずべき 問題であるばかりでなく、それは露骨な抑圧、圧迫です!
その結果、多くの天分をもった人々が窒息します。
 これは哲学的には『知的心理的搾取』と呼ばれます。
あなたがたはそれに反対しなくてはなりません」(Various Forms on Exploitation)

 このような知的心理的搾取のために、その人の潜在能力が十分に活用されません。
それだけ社会にとって損失です。
したがってこのような搾取のことをサーカーは、社会的な知的 socio-intellectual 搾取とも述べています。

(4)社会的な知的搾取

 社会的な知的搾取とは、「たとえば、既得権益をもつものは、ある段階で大衆にコンプレックスを注入します。
そしてずっと後の段階で、その知的心理的コンプレックスを利用(搾取=exploit )します。
その時点では搾取は経済的ではなく物的身体的です。
しかし、結局のところこの物的身体的搾取は、経済的搾取と同じものです」(Various Forms on Exploitation)

 この「劣等コンプレックスを醸成しておいて搾取する」という説明を次のように理解しました。
たとえば、商品化が進展していないアフリカの奥地の人々に、「ラジオやラジカセのない生活は「文化的に遅れていること」だというコンプレックスを持たせることに成功したら、彼らは商品を買うお金を得るために都会にでるでしょう。
彼らを安い労働者としても、商品市場としても利用(搾取)できます。

 今日の日本に例をとると、もし、黒髪にコンプレックスをもたせ、西洋人のような赤茶けた髪の方がかっこいいと思わせることに成功したならば、人々のコンプレックスを染料の巨大な市場として利用できるでしょう。
(茶髪がいけないということではなく、そこにコンプレックスがあったら問題だということです)

(5)精神性の領域における搾取

 サーカーは、精神性の領域を通じてコンプレックスを注入する搾取者が存在すると言います。

 「精神性の階層において、物的身体的階層におけるように、搾取者は、ドグマとともに、人々の心に劣等コンプレックスと優越コンプレックスを生み出します。
そして後に経済的、社会的搾取をおこないます」

 精神性の領域とは、魂のレベルの話です。
「あなたは前世でこれこれの悪いことをしているとので、これを拝まないと救われません」
「あなたは信心が足りないから、これこれの不幸な目にあっているのです」
などと多くの宗教団体は、魂の領域で人々にこのようなコンプレックスを注入します。

 そして社会的領域、つまり自分たちの組織の内部で上下関係をつくって会員拡大に利用(搾取)し、そして経済的領域でも、お金をまきあげる搾取システムを作り出します。

(6)知性の発達が搾取を見抜く

 知的心理的領域と精神性の領域で搾取されている人々は、搾取に気づかないばかりか、搾取されていることを理解しようともしません。

 「悲劇は、搾取された大衆が、自分たちが搾取の犠牲者であることを理解しようとしないことです。
また彼らは理解できず、理解することを拒否すらします。
だからこれはいっそう危険です」(Various Forms on Exploitation)

 これは広義のマインド・コントロールのことです。
マインド・コントロールされた人間は、自分たちが犠牲者であることを理解できません。

 宗教団体の布教にかけずりまわる人を思い浮かべるとこのタイプの犠牲者がよく理解できます。
なお、サーカーがコンプレックスというのは優越コンプレックスも含んでいます。
昔の日本のように天皇の臣民であるという優越コンプレックスを注入し、兵士として利用するもの、サーカーの用語では知的社会的「搾取」です。

 このような搾取(利用)から人々を解放するために、サーカーは、知力の重要性を強調します。

 「知的心理的領域における搾取には無数の形態がありえます。
これらすべてを理解するには、人々がもっと教育を受けて、もっと知力をつけなくてはなりません・・・
一般大衆がドグマに対して彼らの頭をあげることを教えられるまでは、純粋のスピリチュアリティ(精神性)を確立することは不可能です」(Various Forms on Exploitation)

 論理と知性に従わない信仰は、搾取者のえじきにされてしまいます。
したがってサーカーは、信仰に従うよりも、論理、理性、知性に従うように勧めます。

 「一方で、『科学の終わるところに哲学が始まる』という言い方をし、他方で『哲学が終わるところに信仰がはじまる』という言い方をします。
これはまったくナンセンスです。
人類のもっとも価値ある財産の一つは知力です。
人々が論理と理性の道に従うことをやめるようにアドバイスされる時は、既得権益をもつものが、ドグマに対して闘っている人間の知性を買収しようとしています」(Various Forms on Exploitation)

 したがって知性の発達を軽視して、魂の領域の解放をのみを追求している団体は、容易に既得権益に奉仕するものとなってしまいます。

4)困窮層援助のアプローチ

(1)部族地域の開発援助

 すべての人の幸福と福利を促進する立場から、開発の遅れた貧困な階層のために特別の取り組みが必要だとサーカーは考えます。
たとえば、少数部族の人々の地域への特別な援助措置を講ずるべきだと次のように論じます。

 「部族の人々は、遅れた階層の中でももっとも貧困な人々です。
インドのトリプラなどの地域や世界の他の国々において、部族の人々は貧しく字の読み書きができません。
彼らの社会経済発展のために特別の措置をとるべきです。
そのような措置は、すべての人への教育的平等の保障、広範な家内工業の確立、適切な農業施設(特に灌漑用水)、発電などのエネルギー生産の自給自足、電話などの通信伝達設備の充実、鉄道などの交通運輸インフラストラクチャーの改善を含みます」(Elevating Backward Classes)

 サーカーは、当時インド政府がおこなっていた雇用を与える政策については地域の自立的経済発展につながらないとして支持しませんでした。
その地域への援助が、他地域への従属を強めるものでなく、自立を促すものであるかを重視します。

  (2)出自ではなく家族の困窮度に応じた援助

 サーカーは、開発の後れた部族や低カースト層への援助のあり方として、所属する 「カースト、信条、宗教、人種、言語、性に対して考慮することなしに」、個々の家族の困窮度にもとづいて経済的文化的援助を行なうべきだと考えます。

 したがって、援助の優先順は、次のようになります。

 第一に経済的に困窮していて教育を受けていない人、
 第二に教育があっても、経済的に困窮している人、
 第三に経済的には普通でも字が読めないなどの不利な問題をかかえる人、
 第四に教育もあって経済的にも安定している家庭の順です。

 経済的に困窮していて教育のない家族には、その地方に貧困がなくなるまで、すなわち最低限の生活の必需品が保障されるまで、これらの便宜を得つづけるべきだと言います。
(サーカーは最低限の生活必需品という言葉を繰り返し使いますが、これはその時代の文化水準からみた普通の暮らしということです。
つまり普通の暮らしができるまで、劣悪な社会経済環境にある人々は優遇措置が与えられるべきだということです)
「優先的にサービスと教育を受ける基準は、出自ではなく個人の経済状態です」(Elevating Backward Classes)

 このサーカーの指摘は、日本の同和行政を考える上でも重要です。
個人への援助が地区出身者かどうか、すなわち出自にもとづいてなされてきました。
サーカーの言うように支援を受けるかどうかの基準は、個々の家族の経済状態と教育にもとづくべきでした。
サーカーの提起するこの観点こそ、部落内外を分断する残滓の一掃を促進し、社会的統合を促進するものでした。

5)多様な様相の中での統一と統合

(1)多様性における統一=共通の要素の追求

 サーカーは、「大は銀河から小は分子、原子にいたるまで、この世に同一のものは何一つない。無理やり同一にしようとするものと闘わなくてはならない」という徹底した多様性の考えをもっています。

 しかし、サーカーは、多様性を尊重するにとどまりません。
多様性の中に統一を追求してゆきます。

 「私たち人類は、個人の生活と集団の生活の雑多なすべての側面の間に調和のとれた調整を維持しながら前進しなければなりません。
私たちは色彩豊かな多様性の中に統一を見いださなくてはなりません。・・・
ちょっとした力であっても、もし結合したら強大な勢力をしのぐ強さとなります」(Genius and Technician)

 したがって、サーカーは、様々の外観をもった対立する諸グループに対して、双方の共通の要素を支持して、多様性の中で統一をすすめてゆく統合的アプローチをせよと言います。

 「実際の領域では、プラウトは、様々の外観の中にある共通の要素を採用します。
そして分裂的傾向を押さえて対立する利害をもつグループや集団にこの共通の要素を強いてゆきます。
このようにしてプラウトは多様な様相の中での統一と統合を提唱します」(Talks on Prout)

 これまでのアプローチは、「もし、結合したら、強大な勢力をしのぐ強さ」になるにもかかわらず、内部での意見の対立を激化させてゆくものでした。
共通の要素を確認し、統一と統合をめざすアプローチというサーカーの提起は、きわめて重要です。

(2)革命によって実現する人類社会の実現

 サーカーは、物的身体的領域、知的心理的領域、精神性の領域の三領域において搾取の廃止をめざします。
そして搾取の廃止は、単一で不可分の人類社会が実現してゆく中で実現します。

 「それは、革命を通じて実現するでしょう。
それは民主的な革命になるかもしれませんし、非民主的な革命になるかもしれません。
あるいはそれはピラミッド的革命か、宮廷的革命か、あるいは中心核革命かもしれません。・・・・

 革命はイデオロギー的目的を持たなくてはなりません。
本質的に、革命は、物的身体的核、知的心理的核、精神性の核という天地万物の三つの核のすべてをコントロールすることを意味します」(Talks on Prout)

 したがって、搾取の廃止をめざすものは、精神性を高める実践(スピリチュアル・プラクティス)を行い、党派、派閥、宗教、民族、階級などの枠を越えた人類と生命の一員としての意識の中に確立されなくてはなりません。
そういう人々によってこそ全人類社会の多様性にもとづく統一が実現可能になります。



H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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