Fremont Afghan War Protest 033012
(video inspired by god of star)



( This point should be considered when struggle)

Theme of this page is about non-violence struggle.
Non-violence struggle is useful when people struggle against enemy who have reason.
But when enemy has no reason, many people are killed.
This point should be considered when struggle.

このペ-ジのテ-マは、非暴力闘争についてです。
非暴力闘争は人々が理性をもった敵と闘うときに有益です。
しかし、敵が理性をもたないとき、多くの人々が殺されます。
闘争についてこの点が考慮されるべきです。


アフガニスタンのタリバン崩壊 (2001年12月22日・記) ▼サーカーの観点とチョムスキーのコメント  アフガニスタン報復戦争がほぼ終結した頃に書いた文章です。
(もっとも、その後も米軍による誤爆で無実の犠牲者が出ていることが報道されていますが)

◎「暴力は暴力を生む」というサーカー

 ウサマ・ビンラディンを匿ったとされるタリバンが消滅した今、一言いわせてください。
 サーカーは、野蛮な暴力で富裕者の富を奪うやり方を、「暴力は暴力を生む」として次のように批判しています。

 「(中略)富裕者の財産を奪うことは、資本主義を壊すことにはなりません。
たとえ強盗が資本家の財産を奪っても、資本主義の種は残ります。(中略)
暴力は暴力を生じさせます。
財産を失った悪魔の群れは人間の血に飢えるようになり、より大きな陰謀を企て、最後には知性のない盗賊を破滅させます。
搾取者(富裕者)は、自分たちが盗賊から受けた罰よりも大きな罰を盗賊に与えるのです」(Defective Approaches)

 この強盗、英雄、盗賊を、ビンラディンとアルカイダ一味に読みかえると、今の状況とそっくりではありませんか。
ビンラディンとアルカイダ一味は、搾取者が盗賊一味にやられたよりも一層大きな罰を受けたではありませんか。
(もちろんニューヨークの犠牲者が搾取者であったということではありません。
テロリストたちにはそう映ったでしょう)

 さらにサーカーは次のように続けます。

 「暴力は何の問題も解決しません。
暴力によって、個々人や集団の心の中にある有害な傾向が破壊されたように見えたとしても、心の中には有害な傾向が深く刻み込まれてしまいます。
状況が変わって圧力がなくなると再び芽を出し、一層深刻な悪となって現われます」(Defective Approaches)

 まさしく、暴力で解決しようとしたビンラディンと、それに対して無実の人を巻き込む形でナショナリズムを発動し、空爆で追い込んだアメリカの暴力に当てはまります。
アメリカは、アフガニスタン報復戦争で悪の種をまいていますが、状況が変われば再び深刻な問題を引き起こしますよとサーカーはいっています。

 「それでは、問題の解決はどこにあるのでしょうか。
心の変化が絶対に必要です。
しかし、心の変化は暴力という手段を通じては不可能です」(Defective Approaches)

 サーカーは、ガンディーの非暴力闘争を非難しながらも、明確に「暴力という手段には解決の道はない」といっています。

◎ガンディーの非暴力主義との違い

 ガンディーが絶対非暴力主義を唱えたサティヤグラハの闘争について、サーカーはこう述べています。

 「人道的な訴えだけが心の変化に効果があるという人もいます。
その原理は非常に高尚ですが、実際にはきわめて難しいことです。(中略)
何が人道的訴え、すなわちサティヤグラハなのでしょうか。
それは状況の圧力を生み出すための特別な威圧力の適用にすぎません。
私たちはそれを力の適用の知的な方法と呼ぶことができます。
野蛮な暴力を用いることなしに、合法的な強制に頼ることなしに、激昂することなしに、流血の道に至ることなしに、人間の福利の道に沿って人々を動員しようとする方法です」(Defective Approaches)

 野蛮な暴力に頼らない、力の知的適用がサティヤグラハ、すなわちガンディーのやり方であるといいます。
しかし、サーカーによれば、それは闘う相手が優しい心や理性を持っている場合に通用することであり、たとえばヒトラーのナチスのような心の持ち主が相手ならば通用しないというわけです。
大阪の池田小学校で起きた児童殺傷事件でも、子どもの命を守るために犯人に非暴力で立ち向かっていたら、自分も殺されていたでしょう。
サーカーは、サティヤグラハ闘争の意義を認めつつも、相手が粗暴な心の人間である時に非暴力闘争を説くことは正しくないといいます。

 「状況の圧力とは何でしょうか。
それは集団の波動の力で個人と集団の心を動かすことを目的としています。
このアプローチは、優しく、人道的な訴えに反応する能力のある人間の心に触れる企てです。
繊細な感受性と合理的判断力を持っている人々は、人道的訴えすなわちサティヤグラハにたやすく反応します。

 しかし、この種の訴えは、粗野な心の持ち主にはあまり価値がありません。
粗野な人々の心を動かすためには、強い打撃によって彼らの心に影響を与えることが必要です。
そうでなければ、彼らの粗野な心の奥底が、高尚な心のアピールによって動かされるまで無限に待つことになります。
そうしている間に、無力で搾取された人々は、彼らのためにアピールがなされているにもかかわらず、屍となってしまいます。
ガンディー主義者によって、心の優しさがどれほど重要だとされても、提唱者がいかに崇高な精神の持ち主だったとしても、利己的で卑しい心の持ち主はその原理を決して受け入れないでしょう。
デモ行進する抵抗者たちの足が傷つき、血が流れても、決して無慈悲な搾取者の心を和らげることはできません。
ガンディー主義は優れたユートピア的モデルですが、世界の厳しい現実においては不合理で独善的なものです」(Defective Approaches)

  ◎人道的訴えと暴力以外の道を追求

 ガンディー主義の非暴力闘争も暴力闘争も否定するサーカーの結論はこうです。

 「人々は、ヒューマニズムのための余地が充分にある、あるいは人道的な訴えがなされる余地が充分にある道を選ばねばなりません。
それは同時に、さまざまなタイプの力の適用を認める道でもあります。
必要な場合には粗暴な物理的強制力すら用いることも含めてです」(Civil Disobedience Movement)

 人道的な訴えをして、相手の心を充分に変える余地のある道を選択すること。
それはさまざまなタイプの圧力をかけて悪にプレッシャーをかけていくこと。
ぎりぎりまで理性に訴える道をとりつつ、それでも相手が悪魔的な心を持つ人間ならば、最終的には粗暴な力を使わざるをえない局面もありうるということ。
これがサーカーの結論です。
粗暴な暴力とは、警察の強制力も含んだ概念です。

◎チョムスキーの発言

 アフガン報復戦争について、新聞にアメリカの「言語学者のチョムスキー氏『アフガン』を語る」という記事がありました。
チョムスキーの語る内容は、サーカーの観点と重なっていました。

 「アフガンにいる誰かが対米テロを行なった疑いがあれば爆撃して罪もない人を殺してよいか。ノーだ」(朝日新聞2001年12月21日)

 「米国は、まず証拠を集め、適切な機関に提出し、犯罪者を裁きにかけるように国際社会に働きかける。
こうした手順は充分に可能だったはずだ。
タリバンは、引き渡しに証拠の提示を求めた。
実に真っ当なことだ。
それを蹴って、攻撃するのはテロ国のすることだ」(同上)

 なんとアメリカをテロ国家呼ばわりしていますが、私もそう思います。
証拠を提示し、国際社会に訴え、裁きにかけるようにして包囲し、圧力をかけていくことができたはずだとチョムスキーはいうのです。

 「米国が反対すれば、国連は何も守ることができない。
先週、安保理がパレスチナ問題で国際監視団派遣の決議を通そうとして、米国が拒否権を使ったのがよい例だ」(同上)

 「今、米国で『テロへの軍事力行使を認めますか』と聞けば、ほとんどがイエスだろう。
私もイエスだ。
しかし、『罪のない人が飢えて死ぬことになっても、アフガンへの武力行使を認めますか』と聞けば、人々はノーといいます」(同上)

 イスラム地域の多くの人々も納得するような国際社会への手順を踏み、理性的なアプローチを最大限にとり、最終的にはテロリストのみに絞って力の行使に踏み切る方法もありうるという道を追求すべきだった。
アメリカはナショナリズムが燃えたために理性を失ってしまった。
私は、このチョムスキーの観点に納得しました。
そして「無実の人々が死ぬような武力行使はノー」というくだりを読んで目頭が熱くなりました。

 なお、ノーム・チョムスキーは、サーカーの弟子が書いた"After Capitalism"(2003)という本に序文を寄せ、サーカーの提起するプラウトは「私たちが真剣に検討するに値する」と述べています。



H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ