1947 Indian Independence rare color video clip
(independence of India should be done as erase of exploitation and view of nationalism)
Theme of this page is that independence of India should be done as erase of exploitation and view of nationalism.
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このペ-ジのテ-マは、インドの独立は搾取の消去としてなされるべきという論文とナショナリズムの見方の論文です。
これはよくできたミツキによる要約と見解です。
私はあなたに訳して読むことを勧めます。
サーカーの「インド・ナショナリズム論」This is well made summarize by Mitsuki and excellent.
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▼インド独立についての問題提起
◎インド・ナショナリズムの成立と分裂
サーカーは、イギリス支配が初めてインド人全体のネイションを作ったと述べ、反英感情と英語の2つが、インドの人々の統一感情を支える絆となったと考えます。
「インドの人々は、英国のナショナルな精神から実際的な教訓を得ました。
そしてインド人の間にもナショナリズムが育ちました。
異邦人である英国ネイションに対して独立を求めるインド人のネイションの闘争が始まりました。(中略)
しかし、よく知られているように、多数派であるヒンドゥー教徒の支配を恐れるイスラム教徒は、ヒンドゥー教徒と激しく対立しながらパキスタンを分離独立させました」(To the Patriots)
このようにサーカーは、インドの対イギリス独立運動の中でムスリムのネイション意識とヒンドゥーのネイション意識が形成されたことを的確に説明しています。
サーカー独自の視点は、ムスリムとヒンドゥーの分裂を防ぎ、1つのインドのままで独立する道があったとする点です。
(ネイションnationとは「国民国家、国民」、ナショナルnationalとは「国民国家の」という意味です。
日本の江戸時代の人々は、薩摩、長州という帰属意識をもち、沖縄の人やアイヌ人は、日本という国家の国民としての帰属意識をもちませんでした。
言語や生活習慣が相違するそれらの人々が、日本人としての共通の帰属意識を持つ時、日本の近代的な国民国家(=nation)成立が可能になります。
インドでもムスリムが統治者であるムガル帝国時代、シーク教やヒンドゥー教徒の王国が数多く分立し、インド人としての共通の帰属意識はありませんでした。
イギリス統治下になって一つの行政下にインド亜大陸の人々が生活するようになりました。
サーカーは、イギリスの植民地統治に反対する運動の中で、インド人の国家をつくろうとするネイション意識が生まれたと考えます。
彼の文章はほとんどスピーチを弟子が文章化したものであり、「ネイション」を「ネイション意識」の意味で使っている箇所もあります。その場合は、以下、ネイション(意識)とします)
◎政治運動より経済的独立の闘争をすべきだった
ムスリム国家としてパキスタンとバングラデシュ(東パキスタン)が、インドから分離独立してしまいました。
それを防ぐためにサーカーは、政治的独立運動ではなく、経済的独立のための闘争をすべきだったと次のように論じます。
「どこに間違いがあったのでしょうか。
反英感情の結果、インドのネイション(意識)が19世紀に形成された時、インド人の指導者たちは、政治運動に着手するかわりに、経済的独立のための闘争を開始すべきでした。
そうすれば、すべてのインド人が統一して戦えたはずです。
経済闘争には、ヒンドゥー教徒もムスリムも、パンジャーブもマラータ(Marathi)の感情もありません。
結果としてインド人の間に反搾取感情を広げることができていたでしょう。
この感情はインド人をより強くすることができたはずです」(To the Patriots)
インド独立闘争はイギリスから政治権力を奪うという課題を中心にしていたため、ヒンドゥー教徒が政治権力を握り、イスラム教徒は劣等な立場に追いやられるのではないかとの不安がイスラム・ナショナリズムを生み出したという分析です。
経済的独立闘争、反搾取の闘争に焦点を当てていれば、政治権力をめぐるヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立感情は生まれず、経済的搾取廃止に一致して取り組めたはずだ。
つまり、インド独立に向けての政治的独立運動は間違いだったというのです。
この点でガンディーなどの国民会議派の指導者たちは間違っていたと言います。
◎インド人ブルジョアが搾取の継続を願ったことが背景にある
サーカーは、国民会議派の指導者たちがそのような間違った指導をした第一の理由を、自分たちインド人のブルジョアが搾取を継続できなくなるからであったと考えます。
「経済闘争は、英国による搾取だけでなくインド人の搾取者に対しても拡大していったはずです。(中略)
ヒンドゥー教徒の指導者もムスリムの指導者もブルジョア階級出身であったため、この戦略を好みませんでした。
彼らは、資本主義を(社会的、経済的、心理的に)そのまましておくために自由を欲しました。
彼らが(パキスタンと)分離したインドの政治的独立を受け入れたのは、こういう理由からでした」(To the Patriots)
経済的独立闘争をしなかった理由を、さらに2つ挙げます。
1つは、指導者たちは経済的独立を指導するための資質を備えておらず、若い革命家の登場で自分の地位が揺らぐことを恐れたことをあげます。
「理由の1つは、政治的独立の闘争の指導者であった人々が、経済的独立の闘争にふさわしい指導者ではないかもしれないことです。
経済的独立のための闘争は大衆革命と流血に導く可能性があり、革命家の間から若い指導者が出現する可能性が常にあります。
当時の指導者たちはその可能性を好みませんでした。
彼らは、非暴力の理論を説くことによって革命の可能性を阻止しようとしました」(To the Patriots)
もう1つは、自分たちが政治権力を握りたいために早く独立したかったことです。
「指導者たちは(中略)もしも経済的独立のための闘争を新しく始めて、その闘争が長い間続いたら、彼らが政府を掌握するチャンスはこないだろうと考えたと思います。
おそらくこの考えから彼らはインドの分割という憎むべき犯罪に同意したのでしょう」(To the Patriots)
サーカーの指摘が正しいとすれば、20世紀のアジア、アフリカの独立闘争をはじめ、一切の政治闘争を見直す必要が出てくるほどの重大な問題提起です。
経済的独立闘争ならばムスリムとヒンドゥーの対立はなく、イギリスを追い出した後に、インド人支配者による搾取を封じられたはずだというのです。
サーカーは、政治的独立が少し遅れたとしても、経済的独立闘争の発展の中で必ず政治的独立の日がくるはずだというのです。
◎サーカー説の検討の余地
政治的独立なしに経済的な向上をめざそうとしても、英国中心の搾取システムである植民地経済を守るための統治機構があるわけですから、それを政治的に取り払わなければ経済的な向上は不可能ではないかと私は考えます。
経済的独立、反経済搾取に取り組んでいても、その中で政治意識が高まり、やはり「政治的独立をまずしようぜ」というふうになると考えます。
それが、世界史の現実として政治的独立闘争がまず発展した理由だと考えます。
ただ、サーカーのいうように経済的な意識、反搾取感情が発展していなければ独立後も搾取は存続してしまいます。
インド人民だけでなく、政治的独立を勝ち取った国々が、その後、独裁や極端な貧困に苦しんできたわけですから、サーカーの主張も慎重に検討してみる必要があります。
▼現代インド・ネイションについてのサーカーの考察
◎言語による分裂の危機
1960年頃、インドではヒンディー語を国家語とする動きがあり、もしそうなるとインドは分裂するという危惧をサーカーは感じていました。
「ヨーロッパを数多くのネイションに分立させた要因がインドにも当てはまります。
それどころか、1つの地域的ネイションと別の地域的ネイションとの間に存在する相違はヨーロッパよりも大きいのです。
英語という弱い絆が、インドを一つに結びつけている今日も存続しているただひとつのリンクです。
今日、愛国主義(Patriotism)の間違った感覚に導かれている人々は、この英語さえも取り払おうとしています。英語を廃止することで、インドのネイションの弔いが完了するだろうことは明白です」(To the Patriots)
インドでは、ヒンディ語が公用語で他に憲法で認められた言語が17あります。
もし、各言語グループが、インドを一つにまとめている英語を排して自分たちの言語にもとづくナショナリズムを発展させるならば、いわばヨーロッパが様々な言語に応じて独立した多くの国家にわかれているようにインドも小さな国々に分かれてしまいます。
そうなるとインド・パキスタンの分裂が流血の惨事をまねいたように、あるいはバルカン半島での旧ユーゴスラビアの各民族国家への分裂が流血の惨事をまねいたように、インドでも宗派対立などもからんで、出口のない住民同士の衝突を引き起こすことになります。
ここでサーカーが愛国主義(Patriotism)と言っているのは、言語にもとづくナショナリズムのことを指しています。
◎指導者たちのなすべきこと
○1 言語ではなく経済に基づく州の再建を
「今、何がなされるべきでしょうか。
指導者たちは言語に基づいて州を組織することを忘れるべきです。
そのかわりに経済的基礎に基づいて州を再組織する仕事に取りかかるべきです」(To the Patriots)
○2 英語とともにあらゆる言語に最大限の便宜を
「生活の全領域で、英語とともに、各地域で公式言語として、また大衆が用いる言語として、インドのあらゆる言語に最大限の便宜が提供されるようにするべきです。
どれかを抑圧する傾向があってはいけません」(To the Patriots)
○3 1つのイデオロギーに基づく小型の多ネイションを
「インドは、多くのネイションの土地であり、意見の衝突が内部に多い家族の合同です。
共同の努力によって1つのネイションを形成することは不可能だとしても、1つのイデオロギーに基づいて小型の多ネイションの単位を形成することによって、合同した家族として平和に生きていくことができます」(To the Patriots)
ここでサーカーの言わんとすることは、ヨーロッパをイメージするとわかります。
共同の努力によってつくる「1つのネイション」とはEU(ヨーロッパ連合)にあたります。
「小型の多ネイション」とは、スペイン、ポルトガル、フランス、イギリス、ドイツなどにあたります。
○4 反搾取感情を広げることがインドを救う唯一の道
「多ネイションによる単一体の形成に向けて、今日のインドはそれ以上に何をすべきでしょうか。
それは、反搾取感情を広げることです。
(中略)ほとんどのインドの人々は貧困に打ちひしがれています。
彼らは搾取を取り除きたいと思っています。(中略)
もしも反搾取感情が貧困に苦しむインドの大衆の間に生まれたら、強い一つのネイション(意識)もしくはネイション・グループが形成されるだけでなく、一つのネイション(意識)やネイション・グループは相応の連帯感をもって長い間存続するでしょう。
それゆえ、指導者は過去の誤りを修正し、精力的に新しい反搾取キャンペーンに着手していくべきです。
インドを救う他の対案はありません」(To the Patriots)
政府機関の圧力では決して統一はできず、押しつけは紛争を招くだけだとサーカーはいいます。
そんなことをしたらインドのバルカン化になると訴えます。
「今日のインドの人々がなすべき主要なことは、指導者たちによってなされた誤りを正すことです。
そして反搾取キャンペーンを通じてインドを統一することです。
インドは救われるはずです。
反搾取キャンペーンはインドを統一するだけでなく、インド、パキスタン、そして南東アジアの貧しい遅れた国々を統一するでしょう。
それゆえ、1つの強いネイション、あるいは「多ネイションによる単一体」が育つでしょう。
多くのネイションからなるソビエト連邦が統一されたのは、反搾取感情を通じてでした。
この反搾取運動は、中国を1つの強いネイションにしてきました。
資本主義諸国におけるネイションは、反搾取感情ではなく、いくつかの他の要素に基づいて統一されていますが、それらの国々は明らかに内部の多様性を承認することよって統一を維持しています。
インドの指導者たちは注意深くそれぞれの事情を研究すべきです」(To the Patriots)
インドが多民族に分裂する道へ進むことを阻止し、インドと周辺の国々を統一する道へと進むためには反搾取感情キャンペーンを張ることだとしています。
サーカーはここでろロシアや中国の革命時の反搾取感情が小ネイションへの分裂を阻止し、統一を強化した側面を指摘しています。
実際、ロシア革命の中でロシア民族以外も革命を起こし、ロシアとともに旧ソ連を作ったのは、反搾取の社会を作ろうという共通の感情に基づいていました。
レーニンはソビエト連邦を対等の連邦にしようとしましたが、彼の死後、スターリンがロシア中心の連邦に変質させ、実質的に他民族に対する心理的搾取がなされ、その反作用から1990年代初頭に旧ソ連が分解することになりました。
中国も多民族社会ですが、日本帝国主義と地主による搾取を廃止するという反搾取感情の下に、軍閥によって分裂していた全中国が統一されていきました
(ただし、チベット問題などは心理的搾取がその反発を強めているのだと思います)。
このように旧ソ連、中国の例に学びながら反搾取キャンペーンに基づいた感情で統一させることの重要性を説きます。
また、資本主義諸国においては、反搾取感情に基づいてないけれども、内部の多様性を尊重しつつ統一を保っている国について指導者は研究するように述べています。
反搾取感情を広げながら、1つのネイションや多ネイションの連合体を作り、内部の多様性を承認していく。
その延長上として1つの人類ネイション=世界政府を作り、内部の多様性を完全に承認していくという未来像が見えてきます。
▼反搾取による統一感情をスピリチュアルな感情へ
「この反搾取感情は、1つのネイションや多ネイションの単一体を形成するためにもっとも重要な要素ですが、その感情を長期にわたって維持することはできません。(中略)
搾取がなくなると反搾取感情は消えていきます。
その結果、反搾取感情に基づくネイションや多ネイションの単一体もまた存在しなくなります。
その時、何が起きるでしょうか。
精神性を継承する感情と宇宙的イデオロギーが人々を統一し続けるでしょう。
この精神性の感情が、特定の国の内部に1つのネイションを形成するのに役立たないことは確かです。
しかしそれは惑星世界(地球)全体を統一するでしょう」(To the Patriots)
人間の帰属意識は、家族、親族、地域社会、国、宗教など重層的です。
サーカーのナショナリズム論は、この帰属意識をいかに広げていくかに貫かれていると思います。
どの帰属意識も人類を1つにするものではありません。
全人類を1つに包含する意識を形成する以外に、国際紛争の原因を最終的に除去する道はないとサーカーは考えます。
「ナショナリズムの感情が存在する限り、異なるネイション間の衝突がなくならないことをすべての人に説明しなくてはなりません。
人々は武装解除について話し合うかもしれませんが、地下に隠れて軍事的な備えをするでしょう。
もしも彼らが全人類の福利のために専念するならば、自分たちもその中にあるので、自分たちのそれぞれのネイションも利益を得られるでしょう。
精神性の継承の理論に沿って、1つの宇宙的イデオロギーを採用しなくてなりません。
そのイデオロギーは、1つの最高実体(宇宙実体)がすべての生命のゴールであるというものです。
この精神性の感情は人類の統一を維持していくでしょう。
人類を救うことのできる理論は他にはありません」(To the patriot)
サーカーのナショナリズム論の位置づけ
▼ナショナリズム論の2類型
◎機能説と実体説
従来のナショナリズム論は、機能説と実体説という2つの観点で類別することができます。
機能説とは、外部勢力への対抗から生まれる共通感情の意識です。
第2次大戦後、アジア、アフリカで植民地支配を続ける英米仏などに対する民族解放闘争が高まりました。
これらの反植民地感情という対抗関係の中から、言語や宗教、風俗・習慣、起源などの共通性の意識などのいずれかを土台にして民族意識が生まれるというのが機能説です。
この民族理論は、帝国主義支配から独立を勝ち取る面で積極性があったのですが、独立後に第3世界で独裁政治など非民主的な政治が出現し、かつ国内少数民族の抑圧などの否定的現象が現われる中で、機能説だけでは民族理論を見ていくのは不充分な面があることが明らかになりました。
実体説というのは、近代ネイションとしての帰属意識の基盤になる実体を中心に論じるものです。
ヨーロッパで近代ナショナリズムが勃興したのは、そこに起きてきた資本主義的経済を基盤にしています。
実体説はその生産力にかかわってネイションを論じます。
封建社会には、日本でもご存じのように全国的な統一市場がありません。
勃興してきた資本家階級は全国的に自由な経済的取り引きを要求し、分散した経済の統一を要求します。
言語、宗教、風俗・習慣、起源を共通する意識という実体は、近代以前にもありましたが、通説はネイションを成立させる基盤のうち経済に重点をおきます。
ネイションすなわち国民国家の成立は近代の現象であるので、なぜ、近代になってネイションが成立したかに重点をおいて考えます。
ドイツやイタリアの統一において、統一国家を要求し、ナショナリズムの担い手になったのは自由主義的ブルジョアジーでした。
これらの場合、経済的要請として統一市場の必要性が生じ、ナショナリズムが生まれました。このような例から実体説を理解できるように思います。
ただし、実体説にも問題があります。
イタリアやドイツの統一を考えても、その前にナポレオンの侵入があり、かつ英仏に対抗して経済ナショナリズムに基づく工業発展の必要を感じたという側面があり、機能説の側面を無視することはできないようにも思えます。
また、アメリカはイギリスへの経済的対抗意識から独立していますし、最初に資本主義経済を発達させたイギリス人は、植民地の支配者として現地の人々との対抗関係に入る中ではじめて優越意識というナショナリズムを発達させたのであり、機能説の側面は切り離せないように思えます
(以上は、南野泰義著『第三世界研究におけるナショナリズム論の再検討』立命館大学法学部大学院博士論文を参考にまとめたものです)。
◎機能説の立場を徹底するサーカー
サーカーのナショナリズム論は機能説に入ります。
アジア、アフリカで民族意識が発達したのは帝国主義支配への対抗関係に起因しており、必ずしも経済的統一市場を国内で必要としていたわけではありません。
機能説の立場に立つと、ナショナリズムは時代を超えていつでも、外部勢力との対抗が生じた時にいつでも発生しえます。
サーカーは機能説の立場から、アーリア人の侵入という最古の歴史からインド史を説き起こしています。
一般には、サーカーのような徹底した機能説でナショナリズム論を論じた立場はありません。
ただし、サーカーはナショナリズムのスポンサーとしてヴァイシャの存在を見ますから、実体説が取り上げる経済をまったく無視しているわけではありません。
サーカーは、ヴァイシャの概念を近代に登場する資本家に限定せず、古代から存在しているものだとしています。
通説の実体説と機能説のどちらも、ネイションすなわち国民国家が近代に成立したことを前提とする理論ですが、サーカーは、ナショナリズムを必ずしも近代の現象とは見ない立場をとっています。
もともと、ナショナリズムは前近代から存在したものだとして実体としての歴史貫通要素を重視した説がありました。
それをどう考えるかを次に論じます。
▼ナショナリズム論の3類型
◎永続説と近代成立説
従来、ナショナリズム論を論じる際には2つの流れがありました。
1つは歴史貫通的要素を重視する説であり、言語、風俗・習慣、宗教、歴史的記憶、起源の共通性なとの始源的な意識に基づく集団を民族と考えます。
この理論は、ネイション(意識)は近代になってから成立したものではないという永続説です。
もう1つは、ネイションは近代になってから成立したものだとする近代成立説です。
一般の民衆が自分はフランス人であるとか日本人であるとか、○○人の一員であるいうアイデンティティを持ったのは、明らかに近代に入ってからのことです。
その背景として経済的な統一市場の発展、印刷技術の発展、通信、教育の発展など、近代化の中で出てきた諸条件があります。
この見方では、ナショナリズムを合理的なものとして見ることができ、前者の永続説では非合理的なものとして見ることになります。
◎永続説+近代成立説の複合説
この2つの流れに対して、イギリスの学者のアンソニー・D・スミスは両者を取り入れた中間の立場に立ちます。
経済的な統一市場の発展、印刷技術の発展、通信、教育の発展などの近代の実体的要素が、言語、風俗・習慣、宗教、歴史的記憶、起源の共通性などのうちの1つまたは複数の歴史貫通的な実体的諸要素を背景としてナショナリズムすなわち国民意識を成立させたと考えます。
どの歴史貫通的要素がナショナリズム意識を高揚させるために有効なのかは、その時代の対抗関係によって異なります。
つまり、アンソニー・スミスは歴史貫通的要素と歴史的要素の交わるところにナショナリズムを見ます。
◎ネイションをめぐるサーカーの諸見解
サーカーは、インドのネイション論争を次のように紹介しています。
「ネイションをめぐる論争は終わりません。
ある人は、ネイションの構造は言語に依存しているといいます。
他の人は、ネイションの基礎は風俗・習慣の共通性、共通の生活様式や伝統、人種的共通性、宗教的共通性などの要素のうち1つもしくは複数に依存しているといいます。
しかし実際の経験は、これらの要素がとりわけ重要であることを示していません」(To the Patriots)
ここに紹介されている論は、歴史貫通的要素を重視した永続説であり、かつ実体としての個々の要素に注目したものです。
サーカーは、このように永続的諸要素という実体に触れ、その個々の要素を検討し、それが根拠ないものだと明らかにしていきます。
サーカーにとってネイションとは決して個々の実体的諸要素に規定された永続的なものではありません。
◎政治単位説
サーカーは、同一の政治的単位で生活する中からネイションが成立するという説を紹介し、次のように批判します。
「インド人、パキスタン人、ビルマ人は、かつてインドという国の同じ政治単位の土着の住民でした。
しかし、彼らはネイションを作ることができませんでした」(To the Patriots)
◎言語説
言語の共通性がネイションを作るという考えを次のように批判します。
「言語の共通性は、ネイションを作る時の不可欠要素ではありません。
もしもそうであれば、英語を話すアメリカ人は、フランス語やスペイン語を話す人々の協力によって大英帝国の外側に分離したアメリカ人のネイションを作ることはなかったでしょう。
言語がネイションを作る唯一の基礎であるとするならば、スイスは3つか4つに分裂しているでしょう。
ドイツ語を話す人々は自分たちの地域をスイスから切り離してドイツに合併したいと望み、ドイツ人のネイションの一員としての誇りを導入したでしょう。
同様に、フランス語、イタリア語を話す人々は自分たちの地域をフランスやイタリアに併合することを望んだでしょう。
しかし、こうしたことは起こりませんでした。
スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、レト・ロマン語という4つの公式言語を持った1つのネイションです。
同様に、フランス語を話すベルギー人は、自分たちをフランス人のネイションではなくベルギー人のネイションと見なすことを選んでいます」(To the Patriots)
◎風俗・習慣説
共通の風俗・習慣がネイションを作るという説を次のように批判します。
「スペイン語を話す人々とポルトガル語を話す人々との間には、風俗・習慣の相違はほとんどありません。
言語に関してスペイン語とポルトガル語にはほとんど違いがありません。
西洋諸国のほぼすべての国の風俗・習慣はほぼ同一です。
しかし、1つのネイションではありません」(To the Patriots)
◎人種説
血のつながりに基づいてネイションが成立するという説を次のように批判します。
「イベリアの住民の間に人種的相違はなく、スカンジナビアの住民の間にも相違はありませが、彼らはさまざまな国に分割されています。
血のつながりは彼らを統一できませんでした。
それゆえ、人種や血のつながりに基づいてネイションを確立することは、常に有効であるわけではありません」(To the Patriots)
◎宗教説
共通の宗教に帰属する意識がネイションを形成するという考えを次のように批判します。
「宗教がネイション形成の唯一の基礎であったとするならば、世界には6つか7つのネイションしかできていないはずです。
ヨーロッパのほぼ全体はカトリックとプロテスタントという2つのネイションに分かれるはずです。
しかし、このようなことは起こりませんでした」(To the Patriots)
◎サーカーのネイション形成説
では、サーカーはネイションがどのように形成されると考えているのでしょうか。
「国、言語、宗教などのうち1つもしくはそれ以上の要素に基づいて直接的あるいは間接的にある種の感情が作られ、ネイション形成に重大な役割を演じました」(To the Patriots)
サーカーは、国すなわち同じ政治単位、言語、宗教といった実体的な要素を摘出して永続的なネイションとする説をことごとく批判しますが、それらの実体的な要素を無視するわけではありません。
言語、風俗・習慣、宗教、歴史的記憶、起源の共通性などの歴史貫通的な諸要素のいくつかを基に作られたある種の感情が、対抗関係の中でネイションを成立させるというのがサーカーの説です。
歴史貫通的要素と歴史的要因の組み合わせの中にネイションを見ていく点では、アンソニー・D・スミスと同じ見方です。
「ネイションの立脚基盤は、次の諸要素に依っています。
共通の歴史、伝統、領土、種属、信仰、言語、感情、理想です。
これらの諸要素のうち、理想以外は相対的要素であり、一時的な性質を持つにすぎません。
理想という領域の内部に絶対と相対の混交がありえます」(Discourse on Prout)
サーカーとアンソニー・スミスの相違は、普遍的な目で見るか、西欧中心のバイアスを持って見るかにあります。
スミスは近代化の局面のみにネイション成立の契機を見出しますが、サーカーは近代に限らず、時、場所を超えて、対抗関係が生じた時は歴史貫通的要素のいくつかを基にネイションが成立すると考えます。
サーカーの提起はヨーロッパ中心史観を超える新しいものであり、近代成立説でも永続説でもなく、永続説と近代成立説の複合説でもありません。
サーカーの説を位置づけるならば、アンソニー・スミスのように歴史貫通的要素と歴史的条件の組み合わせで見るけれども、その歴史的条件は必ずしも近代だけでないということです。
いかなる歴史段階でも対抗関係が生じた時はネイションが成立する、という徹底した機能説の立場をとっていますが、前提となる諸要素も適切に位置づけています。
単なる機能説と異なる点は、対抗関係だけでなく、統合しうるイデオロギーが普及することにもネイション成立の可能性を見ることです。
◎サーカーはネイション永続説ではない
サーカーのナショナリズム論は、古代にもネイションを認める点では永続説と似ています。
ただし、永続説ではネイション意識が、途絶えることなく存在したことになりますが、サーカーの論では、ネイションが継続的に存在するわけではありません。
サーカーの論は、アーリア人ネイション、非アーリア人ネイション、仏教徒ネイション、非仏教徒ネイション、ムスリム・ネイション、ヒンドゥー・ネイションなど、対立関係の中で部族的なものを超えた共通帰属感情が成立したものをネイションとしています。
あるいは仏教徒が積極的な統一感情をインド人の一部にもたらしたことをもって仏教徒ネイションの成立としています。
統合的なイデオロギーで部族的なものを超えた統一感情を生み出した時にもネイション成立を考えています。
したがって、対立関係にある非アーリア人とアーリア人、あるいはヒンドゥーとイスラムが融合していくとネイション感情は消えていき、ネイションのない状態になります。
すなわち、ネイションは、ある対立状況の中で生まれ、対立状況がなくなると消えていくと見るのです。
統合できるイデオロギーが弱まった時にも消えていきます。
▼主権国家体制への見方――アンソニー・スミスとサーカーの違い
◎健全なナショナリズム論
主権国家体制は西洋近代に始まりました。
第2次大戦後のアジア、アフリカの独立闘争によって植民地が独立する中で、いまや世界全体が主権国家体制になり、180もの主権国家が並立しています。
アンソニー・D・スミスは、ネイションの集まりである主権国家体制はこれからも続くであろう、ナショナリズム感情を適切に発現させることは可能であり、健全なナショナリズムはありうるといいます。
むしろ健全にナショナリズムを発現させて、ナショナリズムが危険な方向に走らないようにすることが大切だと考えます。
◎人類単一「ナショナリズム」「普遍主義」をめざすサーカー
サーカーのナショナリズム論は徹底した機能説です。
機能説は、他者を設定することによって自己を確立するものです。
他者を設定する限り、単一性すなわち人類は一体不可分という意識に到達できません。
機能説では、ナショナリズムは必ず外部と内部に対抗関係を伴い、紛争を引き起こすことになります。
そのため、ネイションという人類を分裂させている狭い感情を促進するべきではなく、高い精神性のイデオロギーすなわち単一性の考えをもとに人類ネイションの意識を形成しなくはならない、そして主権国家体制を克服して人類社会の成立をめざすべきだとサーカーは考えます。
サーカーほどの徹底した機能説に立つと、人類ネイションの形成にあたっては人類共通の敵が必要になります。
人類共通の最大の敵は貧困です。全人類が衣食住、教育、医療という生活必需を保障されなくてはなりません。
機能説は、対抗関係から共通の要素をもとに人々を団結、統一させる思想を必要としています。
サーカーにとっては、それは人々の心を普遍主義に導くものではなく、心理的病です。
「ナショナリズムを求めて叫ぶことが流行となってきました。
実際は、ナショナリズムも心理的な病です。
最大の包容力は至高の我(Supreme Self、ここではとりあえず心を無限に拡張した状態と理解してください)に横たわっています。
個人の包容力は、視野の広がりの角度にかかっています。
角度が小さくなればなるほど、その人はより一層さもしい心の持ち主になります。
カースト主義がナショナリズムよりも悪いものだと考えている人は間違っています。
インドのバラモン(Brahmins)の全人口は、ほぼ2000万人です。
マレー人は450万人近くいます。
バラモンの視野の角度はマレー人のナショナリストよりも大きいです。 ペルシャ(イラン)の人口は1500万人で、
オーストラリアの総人口は750万人です。
オーストラリアの大陸主義(白豪主義)は、ペルシャのナショナリズムよりも悪いです。
インドのナショナリストは、中国のナショナリストよりもよりさもしい心です。
したがって、支持するに値するのは普遍主義のみです。
普遍主義にはイズムがなく、すべてを包括しており、いかなるグループや党派の利益も贔屓《ひいき》しないからです。
普遍主義者の心の投影には範囲の限界がありません。
普遍主義は、現世と現世を超えるあらゆる病の唯一の万能薬です。
それゆえ、プラウティストは必ず普遍主義者です」(Talks on prout)
自分の帰属意識を国民国家におけば、心の半径を自国の人間と他国の人間に分けます。
宗教や国家への帰属意識を高めると、それらへの忠誠心や「奉仕」精神を高めることになります。
しかしサーカーによれば、それは真の奉仕精神ではなく集団精神にすぎません。
それは心の病であり、人類はそれを克服するべきだと考えます。
そのためには心の半径を取り払い、心を無限に拡大する必要があります。
天地万物のすべてに奉仕する精神こそが真の奉仕精神です。
人々が集団精神の病を克服し、この普遍主義的奉仕精神を培う時、人類はバランスのとれた状態に達するとサーカーは考えます。
▼日本ナショナリズム
◎日本ネイションの成立時期
サーカーほどの徹底した機能説で説明すると、近代国家の特質をとらえられなくなる危険性があります。
近代国家の特質は、一般大衆が部族意識などを超えて国民としての帰属意識をもっていることです。
ある歴史小説では白村江《はくすきのえ》の戦いについて「国民意識に燃えた日本最初の国民軍は」などと書いてあり、日本ナショナリズムは古代から存在し、国民意識があったかのような虚構を作り上げていました。
その時代に日本人としての燃えるような国民意識はありえません。
近代国家とそれ以前を区別する視点がなければ、狭いナショナリズムを高揚させようとしている小説やジャーナリズムの虚構を打ち破ることができないのではないかという危惧を持ちます。
日本の今日の国民意識は明治以後に帝国主義的環境の中で作為的に作られてきたものです。
もちろん、サーカーの意図はそのような狭いナショナリズムを打ち破ることにあります。
古代から一貫して国民意識があったという日本のナショナリストの虚構と、サーカーの説はまったく異なります。
サーカーの機能説の立場では、白村江の戦いという対外的な対立関係からナショナリズム感情が日本にある程度発生したことを認めることになりますが、対外的な危機が去るとナショナリズム感情は消え、日本ネイションは消えたともいえます。
◎現在の日本ナショナリズム
今の日本のおかれたナショナリズムの状況は次のようなものだと思います。
古い天皇制ナショナリズムを保持する勢力が一方におり、他方、国際化を口実に「日本人意識」を高める教育を推進している公権力があります。
そして、第2次大戦や日中戦争などの指導者を美化し、日本による侵略を免罪するような論調が一部ジャーナリズムにあり、教育界でも新自由主義史観などと称して高まりつつあります。
このようなナショナリズムが高まる背景を考えてみると、第一に挙げられるのは、ナショナリズムのスポンサーになっているのが日米ヴァイシャであり、ヴァイシャの僕となっているヴィプラとクシャトリアが日本ナショナリズムの旗を振っているということです。
サーカーは、ナショナリズムを唱えるヴィプラの背後にはヴァイシャのボスがいるといいます。
日本企業はアメリカの軍事力の傘の下で海外に進出し、国外に大きな利害関係を持ってきました。
最近の戦争が示すように、グローバル経済の諸矛盾から過激化する反米の動きをアメリカの軍事力が中心となって制圧しています。
アメリカのヴァイシャには「利益を分かち合う日本も応分の軍事的貢献をせよ。安保条約にタダ乗りするな」という思いが出てきますし、日本のヴァイシャは、日本の軍事力も使ってアメリカ中心の世界体制護持に貢献し、世界経済の中で一層の発言権を持ちたいと思っていると考えられます。
日米のヴァイシャにとっては、日本人が日本人としての自覚を持ってアメリカと共通の経済権益を守るために主体的に世界で軍事的活動をしていくことがメリットとなります。
第二に、ヴァイシャにとっては経済矛盾の深刻さを人々の目からそらす必要があります。
サーカーのいうように現代はヴァイシャの支配する時代です。
ヴァイシャ時代の最終局面は、少数の富裕者を生む一方で多数の人々を貧困化させます。
現在、小泉改革の下で経済的矛盾は一層深化しつつあります。
人々の目を社会矛盾からそらせ、シュードラ革命を防ぐために、ヴァイシャはヴィプラの悪魔的ナショナリストを支援します。
第三に、軍事産業ヴァイシャの願望があると思われます。
現在、アジアやアフリカに対する米日欧の経済的、心理的搾取があります。
その反発から過激な分子やテロ的な部分が出てきています。
一方では紛争地域に兵器を売って儲け、他方ではそれを抑圧するために軍事活動をするという構造もあります。
そうした状況の中で、軍事産業にかかわるヴァイシャは自身の経済的利益のために、ナショナリズムの高揚による軍事的衝突を心の奥で望んでおり、その願望がナショナリストのヴィプラを支援させていると推測されます。
第四に、国際化の進展による外国人労働者の流入と、それにともなう犯罪者流入に対する人々の不安があります。
そうした不安に乗じて有名なナショナリストが「中国人の犯罪は民族DNAのせいだ」という民族を区分した優劣意識のデマゴギーを振りまいています。
こうした人々をサーカーは悪魔的ヴィプラと呼びます。
第五に、ネイションというドグマ(思い込み)を身につけ、心に日本人という半径を設定し、日本と同一化してしまっているヴィプラにとって、かつての日本のアジアに対する侵略戦争を悪として描くことは、自らの人間として誇りを否定する「自虐」に感じることです。
もしも私たちが、中国人、日本人、韓国・朝鮮人であるよりも前に人類の一員であると感じるならば、悪を悪と描いても何ら自虐ではありません。
心に半径を設けることをサーカーは心の病だといっています。
人間、人類の一員、生命の一員という自覚、すなわち心に半径を設定せず、心を無限に広げる中でその心を治癒できると考えます。
第六に、共産主義の崩壊によって思想的空白が生じ、その空白を悪魔的思想が埋めていく危険があるとサーカーはいっています。
日本では、植民地主義と侵略という過去の蛮行を正当化する悪魔的ナショナリズムの形で思想的空白が埋められつつあるとも考えられます。
冷戦構造の崩壊により、共産主義の普遍的理想のプロパガンダと、自由と民主主義の普遍的理想のプロパガンダの戦いがなくなり、「普遍主義」に代わって、世界中に宗教原理主義とナショナリズムというイズム、ドグマが広がっていることの日本的現われです。
◎自立的再生産構造の確立を
サーカーは、中東から石油を日本に輸入するような経済構造自体の変革を呼びかけます。
石油は産出国の人々自身が用いて、作り上げた石油製品を輸出します。
日本のような国は石油資源に頼らず、自国の国土でまかなえるエネルギー資源を開発し、国内で再生産が回っていく社会をめざす。
石油を中東から輸送すればエネルギーの無駄や環境破壊になる。
世界各地が自立的再生産構造の単位として自立していくような世界経済構造を作り上げることをサーカーは主張しています。
エネルギーを国内で自給できれば、日本は安保でアメリカ軍に依存する必要がなくなり、資源確保のために日本軍が外国に行く必要もないわけです。
今のままのいびつな国際経済構造が続けば、どうしてもアメリカ軍と共同で、あるいは日本軍だけで、資源の確保のために(実際には人命救助などの美名をつけて)世界に軍事的に出ていかなくてはなりません。
当面は近隣諸国との友好関係の構築を最大限に優先しながら、人類意識の覚醒によるナショナリズムの鎮静化と自立的社会経済単位としての確立をめざしていくことが平和な未来をめざすことにつながると考えます。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)
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