Anna Karenina & Vronsky -Waltz / Dvorak Romance for Piano and Violin (video inspired by god of star)
This movie impressed Mitsuki age of University.
P.R.サルカールの『映画』についてのスピーチ
When people take art as raising soul level, art cannot be existed as commodity for profit
「映画」
今日、映画は、すべての年代の人々に非常に人気があります。
結果として映画技術はかってないほど発展しています。
人々のよい関係を確立するために映画を教育的目的に活用することができるはずです。
心の隠れた奥底にある獣のような本性に引かれて、人々は卑しい性質に降伏します。
教育と社会環境の向上はこの獣性をコントロールし、それを自分の命令に従わせることを助けます。
このために最初に人々はその獣的性質と戦わなければなりません。
それは容易なことではありません。
狡猾な搾取者が、動物性をあおることによって、人々を自分達の影響下におこうとします。
映画産業はこの病気にかかっています。
この産業は大衆の好みと要求にしたがって映画を作る一握りの実業家によって支配されています。
一般の人々は、考え、言語、イメージにおいてその卑しい性向を満たすこのような映画の影響を当然受けます。
そのような考え、言語、イメージは、理想主義者の理想を見る影もなくゆがめてしまいます。
それは、自分の利益のために人間の弱点を利用するまったく純粋に商業的な映画プロデューサーのためです。
まさしくこれが今の状況です。
「成人向け」と明記されている映画を一般的には青年の方が年輩者よりも見ています。
「成人向け」という言葉が魅力的な言葉を演じて、青年がより引きつけられることもあります。
社会教育のためには、そのような事態がずっと続くことか許されることではありません。
もし、私たちが社会に有益なように映画を活用する意図を少しでも持つならば、映画は、実業家や政府の手にではなく、民間の文化団体の手におかれるべきです。
なぜなら、映画が政府のコントロール下にある国では、教育の普及よりも政党の宣伝のために利用される可能性があるからです。
それが宣伝のために使われた場合には、映画にドラマ性と文学性の美の十分な発展の余地がありません。
映画は党の宣伝を全面に出すメガフォンのレベルに堕してしまいます。
経験ある有能なデレクターによい映画を作る機会と完全な自由を与えることは悪い結果をもたらしません。
むしろ、それは喜びと教育を広げることができます。
西ベンガル政府によってつくられた映画によってこの事実は十分に実証されています。
最後に、次のことを述べておきます。
劇作家、俳優、作家、ラジオ芸術家は、子供たちの心に真の発達の種をまき、芽を出させ、茂らせ、豊かな葉、花と果実をつけさせる、なくてはならない教師です。
そのすべてのエネルギーと能力が完全に正しく活用されるためには彼らが世俗的な心配事から解放されていなければなりません。
私たちが、彼らの問題を解決しようとすることなしに、彼らの責任の重大性を彼らに繰り返し語ったとしても何の益もありません。
(P.R.Sarkar.Discourses on Neohumanist Education.P33.)
コメント
1)以上が、サルカールが、映画について直接に語っている箇所です。
彼の映画論や文学論の特徴は、それらの作り手を、社会の教師(教育者)としてとらえていることにあります。
実際、今日の子どもにとって、テレビ、ビデオなどは、良い意味でも悪い意味でも多大な影響を及ぼします。
サルカールに学んで、テレビ番組の制作者、出演者、ビデオ、映画などなどの類にかかわる人々を「社会の教師」としてとらえることは大切です。
2)映画の作り手が「社会の教師」として、人間の獣性を利用(搾取)する役割を果たしているのか、人間の獣的性質をコントロールし、人間性を高める役割を果たしているのかを見定めることは重要です。
サルカールは、映画産業が病気にかかっていると言います。
「狡猾な搾取者が、動物性をあおることによって、人々を自分達の影響下におこうとします。
映画産業はこの病気にかかっています。
この産業は大衆の好みと要求にしたがって映画を作る一握りの実業家によって支配されています」・・・
今日、暴力的なビデオや性的な欲求をあおるビデオがあふれています。
3)私たちは、動物界から進化してきました。
だから、私たちの心を玉ねぎにたとえると、玉ねぎの芯の部分に、猿の性質(食欲、性欲、力の強さを示し、グループの支配的地位につきたい欲求などなど)をもっています。
玉ねぎの二枚目の皮、三枚目の皮、四枚目の皮をかぶせてゆくのが教育です。
(これはついては、最近おくった、「全レベル・統合アプローチ」という文章で論じましたので玉ねぎ論は省略します)
一般大衆は、玉ねぎの芯に二枚目の皮がかぶっているだけですから、芯の猿の性質の部分を容易にコントロールできなくなります。
大衆の受けだけねらってもうけようという作品は、猿の性質のコントロール力を弱め、人々に飲み食い、セックス、あるいは、出世などの現世的な猿のレベルの喜びしか経験しない人生に導きます。
そして人間の社会は低下してゆきます。
4)それに対して、作品は「真に心の発達の種をまき、芽を出させ、茂らせ、豊かな葉、花と果実をつけさせる」ものではなくなりません。
玉ねぎにたとえると、二枚目の皮をしっかりかぶせ、人々が、三枚目、四枚目の皮をかぶるように導かなくてはなりません。
そのような導きをもったビデオを発見し、人々に伝え、俗悪な文化の影響に打ち勝ってゆかねばなりません。
5)そのようなわけで、人々の獣性でなく、人間性を高めるビデオを発見し、ひろげてゆきたいとおもいます。
これを送っているみなさんが、この作品は、人間性の向上に役立つ作品だわというものがあれば、教えてください。
みんなで、いい作品を世の中に広めてゆきましょう。
Art is exists evidence to raise soul level and to lead human being to eternal life.
Social system of maximizing profit of capitalism lead to deal with art as commodity.
When being created as commodity and sold as commodity, it is not art.
When people take art as raising soul level, art cannot be existed as commodity for profit.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)今日、映画は、すべての年代の人々に非常に人気があります。
結果として映画技術はかってないほど発展しています。
人々のよい関係を確立するために映画を教育的目的に活用することができるはずです。
心の隠れた奥底にある獣のような本性に引かれて、人々は卑しい性質に降伏します。
教育と社会環境の向上はこの獣性をコントロールし、それを自分の命令に従わせることを助けます。
このために最初に人々はその獣的性質と戦わなければなりません。
それは容易なことではありません。
狡猾な搾取者が、動物性をあおることによって、人々を自分達の影響下におこうとします。
映画産業はこの病気にかかっています。
この産業は大衆の好みと要求にしたがって映画を作る一握りの実業家によって支配されています。
一般の人々は、考え、言語、イメージにおいてその卑しい性向を満たすこのような映画の影響を当然受けます。
そのような考え、言語、イメージは、理想主義者の理想を見る影もなくゆがめてしまいます。
それは、自分の利益のために人間の弱点を利用するまったく純粋に商業的な映画プロデューサーのためです。
まさしくこれが今の状況です。
「成人向け」と明記されている映画を一般的には青年の方が年輩者よりも見ています。
「成人向け」という言葉が魅力的な言葉を演じて、青年がより引きつけられることもあります。
社会教育のためには、そのような事態がずっと続くことか許されることではありません。
もし、私たちが社会に有益なように映画を活用する意図を少しでも持つならば、映画は、実業家や政府の手にではなく、民間の文化団体の手におかれるべきです。
なぜなら、映画が政府のコントロール下にある国では、教育の普及よりも政党の宣伝のために利用される可能性があるからです。
それが宣伝のために使われた場合には、映画にドラマ性と文学性の美の十分な発展の余地がありません。
映画は党の宣伝を全面に出すメガフォンのレベルに堕してしまいます。
経験ある有能なデレクターによい映画を作る機会と完全な自由を与えることは悪い結果をもたらしません。
むしろ、それは喜びと教育を広げることができます。
西ベンガル政府によってつくられた映画によってこの事実は十分に実証されています。
最後に、次のことを述べておきます。
劇作家、俳優、作家、ラジオ芸術家は、子供たちの心に真の発達の種をまき、芽を出させ、茂らせ、豊かな葉、花と果実をつけさせる、なくてはならない教師です。
そのすべてのエネルギーと能力が完全に正しく活用されるためには彼らが世俗的な心配事から解放されていなければなりません。
私たちが、彼らの問題を解決しようとすることなしに、彼らの責任の重大性を彼らに繰り返し語ったとしても何の益もありません。
(P.R.Sarkar.Discourses on Neohumanist Education.P33.)
コメント
1)以上が、サルカールが、映画について直接に語っている箇所です。
彼の映画論や文学論の特徴は、それらの作り手を、社会の教師(教育者)としてとらえていることにあります。
実際、今日の子どもにとって、テレビ、ビデオなどは、良い意味でも悪い意味でも多大な影響を及ぼします。
サルカールに学んで、テレビ番組の制作者、出演者、ビデオ、映画などなどの類にかかわる人々を「社会の教師」としてとらえることは大切です。
2)映画の作り手が「社会の教師」として、人間の獣性を利用(搾取)する役割を果たしているのか、人間の獣的性質をコントロールし、人間性を高める役割を果たしているのかを見定めることは重要です。
サルカールは、映画産業が病気にかかっていると言います。
「狡猾な搾取者が、動物性をあおることによって、人々を自分達の影響下におこうとします。
映画産業はこの病気にかかっています。
この産業は大衆の好みと要求にしたがって映画を作る一握りの実業家によって支配されています」・・・
今日、暴力的なビデオや性的な欲求をあおるビデオがあふれています。
3)私たちは、動物界から進化してきました。
だから、私たちの心を玉ねぎにたとえると、玉ねぎの芯の部分に、猿の性質(食欲、性欲、力の強さを示し、グループの支配的地位につきたい欲求などなど)をもっています。
玉ねぎの二枚目の皮、三枚目の皮、四枚目の皮をかぶせてゆくのが教育です。
(これはついては、最近おくった、「全レベル・統合アプローチ」という文章で論じましたので玉ねぎ論は省略します)
一般大衆は、玉ねぎの芯に二枚目の皮がかぶっているだけですから、芯の猿の性質の部分を容易にコントロールできなくなります。
大衆の受けだけねらってもうけようという作品は、猿の性質のコントロール力を弱め、人々に飲み食い、セックス、あるいは、出世などの現世的な猿のレベルの喜びしか経験しない人生に導きます。
そして人間の社会は低下してゆきます。
4)それに対して、作品は「真に心の発達の種をまき、芽を出させ、茂らせ、豊かな葉、花と果実をつけさせる」ものではなくなりません。
玉ねぎにたとえると、二枚目の皮をしっかりかぶせ、人々が、三枚目、四枚目の皮をかぶるように導かなくてはなりません。
そのような導きをもったビデオを発見し、人々に伝え、俗悪な文化の影響に打ち勝ってゆかねばなりません。
5)そのようなわけで、人々の獣性でなく、人間性を高めるビデオを発見し、ひろげてゆきたいとおもいます。
これを送っているみなさんが、この作品は、人間性の向上に役立つ作品だわというものがあれば、教えてください。
みんなで、いい作品を世の中に広めてゆきましょう。
Art is exists evidence to raise soul level and to lead human being to eternal life.
Social system of maximizing profit of capitalism lead to deal with art as commodity.
When being created as commodity and sold as commodity, it is not art.
When people take art as raising soul level, art cannot be existed as commodity for profit.
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods