Letter From The Mountain (2002) 阿弥陀堂だより / 雨ニモマケズ(video inspired by god of star)



『阿弥陀堂だより』

あらすじ

医学界のトップレベルにいた女性医師(樋口可奈子)が夫(寺尾聡)のふるさとである信濃の無医村にやってくる。
村の保育園の一室をかりて週に2回の診察だけだった。
彼女には、不眠などの心理的な病があり、小説家の夫ともに長野県の山地で療養にやってきたのだ。

田舎の木々、川の流れなどの自然、子どもたちとの戯れに、彼女は癒され、次第によくなってゆく。
最後には村人の要望を受け入れ、診察所が建設されたら毎日診療することを約束するまでになる。

感想(1)・・・テーマは、スピリチュアルな癒し

スピリチュアルな世界の癒しがテーマだった。
美しい自然の景色と美しい音楽があった。
ことばで表現できないので、これはスピリチュアルな世界である。
(おもわず、このビデオをダビングしようとおもったが、ガードがかかっていた。
ダビングしたいとおもったのは、「シェルブールの雨傘」以来である)

「南無阿弥陀仏」とことあればとなえる96才の梅さんは、「わしは、貧乏だったから、玄米と味噌少々しか食べなかった。
そのおかげで長生きできた」と語る。
ここでは貧乏は積極的な意味を与えられる。

骨肉腫で18才の時に声が出なくなった若い女性を手術して治したことで女性医師は自信をとりもどす。
その時、若い医師に「私は、研究の業績をあげようとかそんな気持ちに駆り立てられていた」と自分が東京の医学の世界を去った理由を話していた。
そうした名声や上をめざすことを捨てて、自分の心を解放する中で、自分を取り戻し、最後には村人のための医療に生きようとおもうまでに至った。
こここに癒しの生き方、スピリチュアルな生き方がある。
それは、自分の名声や業績ではなく、自分を必要とする人々のために無私の奉仕をすることである。

夫が先生と呼ぶ人は、胃ガンだった。
しかし、彼は胃ガンの治療を受けずに、普通の生活の中で死んでいった。
ガンだと最後に激痛のイメージがあるが、この先生のようにまったく手術などの治療を受けなかったら、激痛を避けることができるのだろうか。
先生は自分の死を目前にして淡々と生きていた。
達観した彼の姿は、女性医師や周囲の人たちの、生死の見方を変えていった。
スピリチュアリティは、生きている質を問題にする。

医師の夫は、10年前に新人賞を得て小説家となった。
その時、先生は「有名になることは人間を高めず、創造の敵だと思え」と言った。
まさしく、サルカールの哲学も有名になったことを誇りに思ってしまうと、自我を肥大させ、傲慢になってしまい、人間としての成長、スピリチュアリティの深まりを妨げると教えている。

このビデオの端々に、スピリチュアリティを深めてゆくための重要な見方が散りばめられていた。
 
感想(2)・・・現実から切り離された世界に成立しているスピリチュアリティ

スピリチュアリティについての仏教的特質がこの作品にでていた。
仏教は現実の世界から離れたところに癒しと救いを設定する。
この映画では、山田洋二の映画『息子』に描かれたような農村の現実、すなわち若者が都会にでて、老人だけになった家庭、農業で生計を営むきびしさなど、現実の社会経済の問題はまったく見えてこなかった。
わたしたちが旅人として田舎を旅すれば、とても心が癒される。
それには旅人として自分がこの現実社会から遠ざかっていること、自分の見ている田舎は外側ののどかな景色だけであり、そこに住む人々の暮らしの厳しさやわずらわしさは見えてこないことがある。
すなわち現実から自分は切り離されている。

このビデオは、田舎のスピリチュアルな世界のすばらしさを描き出し、見ているものに癒しを与える点で評価できる。
しかし、そのスピリチュアルな癒しの世界のすばらしさを、この現実の社会の土台の上に実現してゆくのはわたしたちの使命である。

サルカールのスピリチュアリティは、物的身体的領域の上に知的真理的領域とスピリチュアルな領域を設定する。
この三つの領域はひとつの駒の回転のような関係あり、最下部の物的身体的領域のバランスがスピリチュアルな回転の軸心がどこまでも深く進んでゆくための保障となる。

サルカールの論でも、スピリチュアリティの深化のためには毎日短時間でも目とじて自分の心を現実から遮断する時間を必要とする。
しかし、実際の社会、人間、自然のすべてをブラフマのあらわれ、すなわちスピリチュアルな世界としてみてゆき、現実の社会、人間、自然とスピリチュアリティを切り離さない。
ケン・ウィルバーの用語では、「肉の目」「知の目」「観想の目=スピリュアルな目」の三つを私たちは持っている。
これらを統一的に発達させることで、「スピリチュアルな目」は、「肉の目」と「知の目」の輝きをいっそうましてゆく。


This video is story of couple going healed in countryside.
Human nature is unity of conflict between I consciousness of non-presence and physical body of presence.
I consciousness of non-presence is growing together with I consciousness of non-presence.
This is story that spiritual growth is achieved by cutting relationship with I consciousness of society that I conscious of couple belong.
I consciousness is tried in relation of I consciousness from this story.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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