One Flew Over The Cuckoo's Nest (1975) Official Trailer #1 - Jack Nicholson (video inspired by god of star)



One Flew Over the Cuckoo's 『カッコウの巣の上で』

あらすじ

アメリカの精神病院の話だった。
暴力五回、未成年者へのわいせつ行為で農園刑務所にいたマックが主人公。奇怪な行動をとるので、狂言か本当に精神病かを究めてほしいと刑務所側から要請があり、強制入院。
マックは、看護婦をちゃかしたり、患者といっしょにかってに海に魚釣りにいったり、あげくのはてに友人の娼婦?を病院にいれてどんちゃんさわぎ。
若い男性の患者にその友人の娼婦をあてがい、自分たちは寝て、朝になった。
婦長はかんかんに怒り、若い精神病の男性に「母親にいいつける」という。
若いその男性は、それを苦に自殺。
それで怒ったマックは、婦長の首をしめる。
あわや婦長を殺しそうになるところで、他の警備員につかまる。
そして、電気ショックで、廃人同様の本物の患者にされる。

背の高い大男のインディアンの入所者のマックの友人の男が、マックの首を占めて殺し、窓を破り、その精神病院を脱走した。


感想

1) プレヤ(おもしろさ)20点、 シュレヤ(深まる喜び)20点、 と感じました。
それなのにどうして、この作品が、アカデミー賞を受賞したのでしょうか。
それはわたしにはわかりませんが、少なくとも次の点は言えます。

2) 舞台が精神病院であり、主役級の登場人物がほとんど精神病の患者でした。
これはたぶん(わたしは映画に詳しくないので知りませんが)映画史上はじめてではないでしょうか。

3) そして何よりも、精神病の患者たちは普通の人間の一人として描き、見ているものに、精神病の患者の心に共感させます。
これは、「今、死につつある病気の老人も、活躍している一国の指導者も、人間として同じ価値をもっています」というサルカールの思想と共通するものがあります。
付け加えると「娼婦も見る人の心に共感の気持ちを残すように描きなさい」とサルカールがいうように、この映画でも、マックのつれてきた娼婦とマックにおもわず、拍手してしまうように描かれていました。

4) 疑問点としては、どうして、最後、インディアンの大男はマックといっしょに逃げずに、マックを殺す話にしてしまったんだろうか。
絶望的な話にしたのだろうかという気がします。
たぶん、作者は、精神病というものについての問題提起もしたかったのかもしれません。
リアリティの追求かもしれません。
そして精神病院が本当に入院患者の精神病を治してくれているのかという問いかけでもあったかもしれません。

5) 数年前、 大阪の長居にあった精神病院が法律よりも少ない看護士で経営していたと、処分されました。
入院患者を不当に扱っていたような報道もありました。


6) このビデオをみて、わたしがこれまでに出会ってきた精神病の友人や知人を思い出しました。
今、入院している友人にもこんど会いにゆこうとおもいました。

(ア)
中学時代のクラブの後輩で中が良かった吉田君(仮名)は、高校時代に入院しました。
そしてその時は回復しました。
大学を卒業して、結婚して、子どもまでいました。
数年前の正月前に、彼の年賀状の住所の家をたずねると、奥さんがでてきて、ここには彼はいないとのことでした。
そこで田舎の彼の家にいくと、彼がでてきました。
まったく気力がなくなり、働く気もなくなり、妻からも離婚されてしまい、また入院するんだと言っていました。
まったく気力が失せている感じでした。
その病院の名前をきき、「見舞いにいくわな」と言いました。
次にゆく時は、彼の病院に見舞いにいこうとおもいました。

(イ)
大学時代のサークルの知り合いで、狂死郎というニックネームの人がいました。
法学部で、浪人していたために一年年上でしたが、人格的な貫祿と落ち着きで、誰からも尊敬されていました。
彼の下宿に4~5人集まっていっしょに何度かすき鍋を食べたことがあります。
突然、彼がおかしくなったという話をきき、「そんな、まさか」とおもって、彼の下宿にゆきました。
彼は、それまでの風格ある人格とは別人のようになって、何かにおびえていました。
「自分がゲバ学生に襲われる」と本気でおそれていました。
その当時、国士館大学で、そんな事件もあり、彼のところももそんな学生がいましたが、彼をねらってそんなことはありえないとおもいましたから、「そんなことはないよ」と言いましたが、彼はおびえつづけていました。
その後、大学のゼミの先生が心配されたそうで、親元と連絡をとり、とりあえず、故郷にもどることになりました。
ところが、後できいた話では、瀬戸内海フェリーの上から彼は消えてしまったそうです。
彼は、わたしが学生時代に出会った尊敬できる人格者でした。

(ウ)
わたしが新任一年目の教員になった年でした。
三年生の授業ばかりもち、二年生の担任を、授業を持たずもちました。
授業を持たない担任なので、しんどかったです。
クラスの生徒との人間関係がどうしても希薄になるからです。
しかも、新任です。
一人、斉藤さん(仮名)という女の子がいました。
きれいなかわいい子でちょっとつっぱったようなところがありました。
ある日の放課後、「わたしの机の中にナイフが入れられている」と訴えていました。
翌日だったと思います。
彼女は、突然、学校に登校せずに違う町に行きました。
家庭を訪問したりしました。
結局、彼女は精神病院に入院しました。
両親によると、身体が熱いといって、夜中にプールにとびこんだりしたのだそうです。
(その時、狂死郎も身体が熱くなり、海にとびこんだのだろうかと思いました)
病院に見舞いにいった時、幼児的な雰囲気になって気がしました。
今は、もう30代の半ばだと思うけど、回復して元気でやっているのだろうかと彼女のことを思い出しました。

(エ)
わたしが小学校の時、いつも幼児の時から、いっしょに遊んでいた一つ上の友だちの三つの上のお兄さんがいました。
わたしの家では彼はかしこいし、働きものだとほめられていました。
ある日、「彼がおかしくなった」とききました。
彼の家にゆくと、彼は別にかわったふうはなく、いつもの彼でした。
しかし、入院しました。
それから彼とあったのは、10年前、つまり20年後でした。
彼が病院を一時外出の時、たまたまふるさとにもどっていたわたしとあったのです。
いつもの彼でした。
病人には見えませんでした。
しかし、その後も、ずっと病院暮らしです。
本人が水に飛び込んだりして命が危ないとか他人に危害が及ぶとかのケースは、やむをえないけど、そうでないなら、治癒して家族のもとで生活ができかったものだろうかと思います。

(オ)
10年くらい前、田舎の兄のもとにたどたどしい字で「退院したのでよろしく」というはがきがきていました。
聞いてみると中学時代の友人だった人みたいで精神病院に入院していたのだそうです。
2、30年ぶりに退院したようでした。
兄のフォロウが必要だったろうが、その後、その人はどうなったのだろうか。
治療は家族のもとにもどって、あるいは自立して社会生活がおくれるようにすることが基本目標だとおもう。

(カ)
少し、文脈からはずれていますが、ケン・ウィルバーの文章からです。
統合が失われることはホロン階層構造が崩れていることを意味し、正常な構造にすることが問題の解決であるという見方を書いたカ所です。

「ものごとが、かくもひどく、まずくいってしまうのは、まさしく世界が階層的に順序づけられているため、まさしく場の中に場があり、そのなかに場があるという構造のためである。
すなわちある一つの場における分裂や病理現象が、システム全体に反響してしまうのだ。
あらゆるシステムにおいて、病理現象を治癒する方法は同じである。
病理的なホロンを探り当て、階層をもとの調和した状態にもどすことである。
階層それ自体を根絶することは治癒にはならない。
たとえば、精神分析(統合を拒む影というホロン)、批判社会理論(オープンなコミュニケーションをゆがめるイデオロギーというホロン)民主的な革命(政治総体を抑圧する君主制、あるいは全体主義というホロン)医学における治療的な介入(良性の組織に侵入するガンというホロン)など、治療は階層それ自体を無くすことではなく、不当なホロンを探り当て、統合することである。
簡単に言えば、病理的な階層の存在は、階層自体の存在を否定するものではないということである。・・・」
ウィルバー『進化の構造1』春秋社、40ページ


This video is that patient of psychosis is protagonist.
Human mind repeats reincarnation in ectoplasm of gods of star.
Cause of psychosis comes from experiences of past lives.
Heaven healing by all gods of whole universe can heal psychosis easily because of ability of healing past life.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ