Legally Blonde 2 Official Trailer #1 - Bruce McGill Movie (2003) (video inspired by god of star)



legally blonde2 『キューティ・ブロンズ2』

プレヤ80、シュレヤ70である。
これは、ただおもろいだけかなとおもって借りて見たものであるが、意外とみなさんにおすすめできる視野の広さをもっている。

あらすじ

キューティな美人弁護士のエル・ウッズは、自分の飼っている愛犬の母親が、化粧品会社の実験動物として殺される運命にあることを知る。
動物愛護法を改正して、人間の化粧や遊びのために動物を虐待することをやめさせたいと思った。

動物愛護法改正のために、友人の女性議員のスタッフとなる。
そして議員に働きかけ、一定の成功をおさめる。
しかし、友人の女性議員はスポンサーの中に化粧品会社があったために、裏切って、法案改正を阻止する動きにでた。

そこで、全米に組織してあるブロンド美女軍団(名前は不正確)による大衆運動を引き起す。
そしてこの大衆運動を背景に各州の議員の態度を変え、最後にエル・ウッズ弁護は議会の壇上に立って演説する。


感想(1) 議会制民主主義における要求実現の定石

議会制民主主義において正当な要求を実現しようと運動するさいの定石が描かれていた。

第一段階は、正当な要求に目覚めたが、その実現には法律の改正を必要することは多々あることである。
時代とともに社会は変化してゆくために、必ずそうしたことはでてくる。
この映画のケースは化粧品会社による実験動物の虐待をやめさせたという要求であった。

第二段階は、議員に請願し、議員の心を動かすことである。
しかし、議員や政党には財政的なスポンサーがついており、スポンサーの利害と衝突する場合は、議員は、その正当な要求に消極的になるか、妨害する立場に転化する。

この映画のすごいところは、その第二段階であきらめないところである。
全国的な大衆運動をして、その大衆運動の圧力で議員の態度を変えてゆくことである。
議員は選挙に選出されないといけないので、大きな大衆運動がおきれば、その法案についてだけでも態度を変えざるをえない。
ついにエル・ウッズ弁護士は、裏切った知人の議員の立場をも最後に覆してしまう。

この第三段階の大衆運動の展開を成功させたのは、ブロンズ美女軍団という大衆組織のおかげであった。
サルカールも、恒常的に搾取と闘い、社会発展をめざす革命的スピリチュアリストの全国組織が必要だと論じている。
このブロンズ美女軍団の役割を果たす心ある人々による大衆的全国的ネットワークを形成してゆくことは、わたしたちの社会の課題でもある。


感想(2)、アメリカ型民主主義の問題点

このビデオでは、アメリカ型議会制民主主義の限界が描かれていた。

サルカールによれば、議会で活躍するのはヴィプラ(頭脳優秀)やクシャトリア(闘争力優秀)であるけれども、彼らは、スポンサーであるヴァイシャ(財力優秀)の配下にあり、ヴァイシャに奉仕する政治をする。
だから、今日のアメリカ的議会制民主主義は、ヴァイシャ優位の政治を進め、ヴァイシャに富が集中しすぎて、様々な問題を引き起こしている。

このビデオでは、動物実験している化粧品会社がスポンサーの一員であることから議員が運動を裏切るが、経済政策全般にわたる問題では、ほとんどのすべての議員のバックに財のスポンサーがいるためにヴァイシャ(財界)優位の政治になってしまうだろうことに気付かされる。

サルカールは、人類は将来、今日の議会制民主主義よりもベターなシステムを考案するだろうと言う。
私は、今日の議会制民主主義の限界を突破するのにホラーキー階層型民主主義の発想をひろげてゆくことが必要だと考えている。

感想(3) おごり高ぶらなかったエル・ウッズ

自分が率先して行動するエル・ウッズ弁護士のえらいところは、謙虚であり、仲間の中で自分がいることを自覚していることである。
議員の支持がとれて一定の成果がでた時、おごり高ぶらなかった。
協力してくれなくても、スタッフのおかげだと、あくまで、自分をホロン(部分/全体)として自覚していた。
(ホロンとは、一方で自立した主体的個人であるが、他方で、自分は部分であり、他の人との協力のもとで成り立っていることである)

そうしたエル・ウッズの姿勢に、協力してくれなかった議員のスタッフもみんな協力するようになり、スタッフが、法案改正をめざす一つの中心ホロンとして成長し、運動の核となっていった。
エル・ウッズのような有能な人物は、鼻持ちならないおごりをもった女性になりがちである。
そこを、彼女にホロン的自覚をもたせることによって見事なドラマに仕上げていた。


感想(4) 犬の生きる権利

エル・ウッズは、「疲れた自分を家で癒してくるあなたの犬が、虐待されたらどうおもいますか」と犬を飼っている議員に訴える。

P.R.サルカールは、人類は将来、自分の家庭の犬や猫などにも、人間とほぼ同等の生きる権利をもっていると考えるようになるだろうと述べている。
ネオ・ヒューマニズムは、あらゆる生命、非生命の存在を尊重する精神であり、そうした方向に人間の心が進化をとげてゆくならば、犬や猫にも法的な権利を与えることは容易に想像がつく。
この映画は、犬などの生きる権利を法的に書き加える未来を先取りしたものだった。
一歩前進した人間の心を描いている点で進歩的であった。


感想(5) パトリオットの訳

最後に議会の演壇でエル・ウッズは演説する機会を与えられる。
法案成立のために用意していた原稿をやめて、彼女は「法案改正の運動から学んだこと」についてのスピーチをはじめる。
「アメリカのパトリオットのみなさん」とはじめる。
スピーチはパトリオットであるが、翻訳は残念ながら「愛国者のみなさん」になっていて、ナショナリストの意味にも受け止められかないとおもった。
エル・ウッズが、愛国感情に訴えていると受け止めたら、このビデオの趣旨はだいなしになる。
エル・ウッズは国民ではなく犬の生きる権利を認めさせようとした。
国民の枠を突破した拡張した心をエル・ウッズはもっている。
たぶん、自分の愛する犬ばかりか、エル・ウッズはアメリカ人の枠を超えて、他の地域の人々をも愛する心をもつだろう。

そして、それにつづくスピーチの中で、エル・ウッズは、アメリカ民主主義のよい点を訴える。
それは、「政治家におまかせにするのではなく、声にあげて、はっきりと自分の意見を主張すること」である。
それを感動的に語っていた。

サルカールは、社会をよくすることは政治家にはできないと言う。
社会をよくするのはあなた方一人一人だと言う。
実際、おまかせの意識からは決してよりよい社会は生まれない。

さらにエル・ウッズが主張したのは自分の権利や利益ではなかった。
犬の生きる権利を主張したのであり、自分の権利ばかり主張して衝突が生じ、たくさんの弁護士を必要とするアメリカ社会を一歩超える質が提起されている。

そしてエル・ウッズのいいところは裏表がないことである。

サルカールは、心の中で考えること、それを言葉にしたこと、行動することが一致した人間が一流の人間だという。
エル・ウッズは、心の中で自分の犬が愛しいと思い、犬たちの生命も大切だと思う。
そして言葉に出して、犬たちの生命を大切にしようと訴える。
そして行動でそれを示して言った。
まさに一流の人間である。

サルカールは現代人の最大の病の原因は、心の内側と心の外側が遊離していることにあると指摘する。
エル・ウッズの裏表のない生き方の点でも進歩的なビデオである。


This movie is animal protection movement.
Impression statement of Mitsuki is made well.
This is message of project of Heaven and gods also.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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