遙かなる山の呼び声  (video inspired by god of star)



『遙かなる山の呼び声』  

Dear
I am cosmic program in your mind.
This corner is consists of recommended video and happened video in shop.
We project of Heaven and gods introduce all impressions statements of videos when resting in home in order to cure cerebellum infarction.
Theme of this corner is love and life.


こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
このコーナーは、推薦されたビデオと店にたまたまあったビデオからなります。
ミツキが小脳梗塞で脳を休めていたときに見たビデオ感想文を全部紹介しています。
このコーナーのテーマは愛と人生です。


あらすじ

夫に先立たれた妻(倍賞千恵子)が牧場を一人で経営し、小学生の一人息子を育てている。

暴風雨の夜、道に迷った一人の怪しげな男(高倉健)を物置にとめた。
たまたま夜、牛の出産があり、彼が手伝ってくれた。
数カ月後、その男が訪ねてきて、農場で働かせてほしい。
食事だけで、給料はいらないと言った。

物置で生活しながら、男はよく働き、奥さんを助けた。
小学生の子どもも男になついた。
祭りの時、村で馬のレースがあり、牧場の馬をあやつって、男は優勝した。

警察の手が迫ってきた。
男は、田島耕作という二年前の函館の殺人事件の容疑者だった。
妻がサラ金から金をかりて、追い立てられて自殺し、その葬式の時、そのサラ金業者がきて「自殺で保険がおりない」どの暴言を言ったので、男が殴ったら死んでしまったのだ。

祭りの日、男の服を買って、もう物置ではなく、家族の一員として二階で寝てほしいと言った時、警察に気付いた男は、でてゆくことを伝える。
しかし、牛が病気になったりして、その世話をしていたら、ついに警察につかまった。

裁判の結審で、二年間の懲役になった。
警察官によって網走刑務所に鉄道で護送されている時、奥さんは、その列車に乗り込み、男にハンカチをわたし、二年後、あなたがもどってくるのを待っていると伝えた。


感想(1)

男(高倉健)が奥さん(倍賞千恵子)の牧場で献身的に働いた。
給料もいらないというのは、男の奥さんへの愛であった。
怪しげな男だと思い、警戒しながらも、息子が男を信頼するようなり、奥さんも次第に男にひかれていった。
人をなぐり殺した男なのに、きわめて自制心の強い人間に描かれていた。

しかし、そのまま、男と奥さんをいっしょにさせないのがドラマである。
奥さんが心からこのまま男にこの家にほしいと願った時、男は警察につかまった。
そして刑務所暮らしとなる。
それでも、男への奥さんの愛の気持ちは強いものになっていた。
刑務所からでてくるまで待つというメッセージを伝えられた、男の目に涙が浮かんだ。

赤の他人の作り話なのに、それを見ているわたしは、ふたりの気持ちと同じように、奥さんの愛に共感してしまう。


感想(2)

高倉健扮する田島耕作は、「男らしく」かっこよかった。
高倉健扮する男のかっこよさは、次の点などにあらわれていた。
①奥さんを襲っていたチンピラをなぐりつけ、仕返しにきた3人のチンピラをなぐりとばしていた。
つまりやたらケンカのつよい男、
②馬を見事に乗りこなしていた。
③病気で倒れた奥さんを軽々と抱き抱えていた。
これらは、すべて、肉体的な力、粗大な力である。
④そして奥さんの子どもに「自分の子どもの時に父親が自殺して、その死体を運ぶ時に兄から『かっこわるいから泣くな』と言われ、泣くのをこらえたというふうに、精神的にも自制心の強い人間であった。
彼のその心の強さは、身体的強さに対応している。

昨今のジェンダー論からすると「男らしく」という言い方は問題なのであるが、ケン・ウィルバーの『進化の構造1』の252ページから253ページには見事に説得的により、「男らしさ」の意味が高いレベルから論じてある。

ウィルバーは、男性優位の社会への転換を次のように説明します。
農耕の初期段階で、クワをつかって耕し、穂をつんでいる段階では、女性が畑で働き、食べ物を生産する役割を果たしていた。
そのために女性の社会的地位は高かった。
ところがスキをつかって牛に耕す段階になって、女性には重すぎて、体調をこわすし、とりわけ流産をひきおこすので、男性が農作業の領域を担うことになった。
それは、女性が望み、両性の合意で進んだことであるが、次第に男性の社会的地位を高めることになった。
すなわち男性優位になった社会的背景として、スキ農耕の経済段階に力仕事に向いていたという男性の身体的要素があった。

この映画で、倍賞千恵子扮する奥さんは、家畜の世話をする仕事が重労働で、ついに腰を痛めて倒れてしまった。
ウィルバーのいうとおりであった。
家畜を飼って牧場を経営するにはどうしても男の手がほしいのである。

現在のコンピューターをはじめとする科学技術の発達は、そうした男女の肉体的な差異によって労働の領域を分かち合う必要をなくしました。
倍賞千恵子扮する奥さんも、コンピューターのボタンをおすような労働なら、男に頼る必要はなかった。

しかし、北海道での牧場経営は力仕事である。
男は奥さんにとって、かっこいいを超えたたよりになる存在であったに違いない。
たよりになるということは、depend onであり、依存するということであり、それは従属関係が発生する基礎でもある。


感想(3)

男は、自分のもっているそのかっこいい粗大な身体的なパワーを奥さんに対して無償で活用していた。
奥さんに対する「無償の奉仕」「無償の愛」である。
もし、それが無償の愛でなかったら、逃げるための資金としてわずかでもお金もらって、貯めたであろう。
粗大な身体的パワーを奉仕に生かすのは、サルカールの用語では、「クシャトリア的奉仕」である。

サルカールの考えでは、高倉健扮する男の愛する奥さんは、ブラフマのあらわれである。
天地万物すべてブラフマのあらわれである。
奥さんを愛するようにこの世のすべてを愛することである。
そうするとあなたは愛する対象にちかづき、愛する対象そのもの、すなわちブラフマになる。

あなたのもっているパワー(力)で、あなたはこの世のすべて(ブラフマ)を愛さなくてはならない。
愛するとは、無償の奉仕をおこなうことである。

あなたも、この映画の高倉健のように愛することができる。
なぜなら、あなたは次の四つのパワーのいずれかをもっているからである。
すなわち、人間は次の四つのタイプのパワーをもっているという。

①身体的パワーに非常にすぐれたタイプ(クシャトリア)、
②知的なパワーに非常にすぐれたタイプ(ヴィープラ)
③営業や蓄財に長けたタイプ(ヴァイシャ)
④普通の人のタイプ(シュードラ)
(なお、これは、インドの差別的なカースト制度とは無関係で、人間のタイプの分類である)
それぞれの人がもっている、これらの四つのタイプのパワーを奉仕に生かさなくてはならない。

そして、あなたが、ブラフマのあらわれたるこの世の対象に奉仕、すなわち愛する時、時、場所、人によって、パワーの種類を変えないといけない。

たとえば、④のシュードラ的奉仕は、病気で寝ている人に献身的な看護が必要な場合、普通の人(シュードラ)の力によるやさしい世話が必要である。
③のヴァイシャ的奉仕は、お金が無くて、食べ物が買えないという状態の人を緊急に救うには、あるいは地震で家を失った人を緊急に救う時に必要となる。
その時には、お金が助けになる。
募金しなくてはならない。
②のヴィープラ的奉仕とは、研究者が、地震予知の情報を与えること、あるいは、建築家が地震で傾いた家がまだ使用可能で、危険性がないかどうかボランティアで検査して歩いていたが、それは知を用いたヴィープラ的奉仕である。
①のクシャトリア的奉仕とは、悪いやつにおそわれている時には、腕力の強さでその人を救う時などに必要である。

それぞれのタイプのパワーを時、場所、人によって適切に活用する必要がある。
それは、あなたのもっている力で無償の愛を与えること、無償の奉仕をおこなうことである。
それは、あなたのスピリチュアリティを高める。


This video is issue raised about human love.
Love is born from exchange of human beings.
Exchange of human being is based on money of capitalism or relation without money decide quality of relation, which is critical.
This movie created high quality of relation because it is relationship without money.
This movie evoke excitement of watching people because creating high quality human relationship.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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