息子 田中邦衛 (video inspired by god of star)



『息子』・・・"Son"

『息子』山田洋二監督

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce impression statement of movie video which Mitsuki watched when cerebellar infarction by being attacked by super negative god.


あらすじ

三つの部分にわかれていた。
第一場面は、母が亡くなって一周忌に岩手のふるさとに親族があつまる。
父と子ども三人の長男、長女、次男が主な登場人物である。
心筋梗塞をもっていて、発作を防ぐニトログリセリンを常用していて、子どもたちは、父親を田舎に一人だけにしておくことを心配している。
長女は、岩手の町に嫁いでいる。
勉強のできた長男は大学を卒業して、会社づとめで部長の地位で忙しい。
東京のマンションに妻と子ども二人で生活している。
次男は勉強ができなかった。
高校を卒業して仕事を転々として、父親は心配している。

第二場面は、次男が、新しく金属製造の会社でバイトする。
そのバイトで金属パイプの配送の手伝いをして、ある会社にとどけにいった時、事務の女の子に恋をする。
次男は金属製造の会社の社員になり、配送先のその女の子に繰り返しアタックするが言葉で返事がもらえない。
その子は聾唖者だった。

第三場面は、戦友会に参加するために父が上京する。
妊娠してお腹の大きい長女が車で駅をおくってくれる。
そして東京の長男のマンションにとまる。
長男は妻を説得して父親を6畳の間に住ませる決意をする。
しかし、妻のグチも聞こえる中、父親は、長男の申し出を断る。
戦友会の後、次男のアパートをたずねる。
その時、次男の聾唖者の恋人がくる。
次男はこの人と結婚したいと父にいう。
父は、次男の恋人が気に入って、自分のことのように喜び、興奮する。

最後に、雪の中の電気の消えた我が家に帰る。
ストーブをつけると家族がみんなが生活していたころの我が家が目に浮かぶ。雪の中の父の家に明かりがついた。

感想・・・「時代的文学」の典型である「息子」という作品

私はこの映画は好きである。
自分の生きている時代そのままを暖かい気持ちで見つめさせてくれる。

サルカールは、文学を「時代的文学」と「時代貫通的文学」の二つにタイプ分けます。
(それぞれ直訳すると「時代画期的な文学Epochal文学と「岸辺の文学(Coastal文学)」です)

私は、山田洋二監督のこの作品は、「時代的文学」の典型だと考えます。
「時代貫通的文学」は、スピリチュアリティの深みを表現しており、時代を経ても読者をもちます。

それに対してサルカールは「時代的文学」を次のように語ります。

「時代的文学の特徴は特定の時代の必要を表現するところにあります。
それは集団的心理と手を携えて進み、問題の大小や重要度にかかわりなくその時代に悩む人間の心を伝えます。
この時代的文学は時代の必要を満たすために創作されます。
もし、この文学が、その時代の人々よりも動的になり一緒に進むという性格を失ったら、その誠実な情深い意図にもかかわらず、事実上その価値を失ってしまいます」

まさしく、この「息子」という作品は、このわたしたちが生きている「今」を表現しています。
「今、生きている人たちのため息、悩み、想い」を表現し、「今、生きている人たち」とともに進んでいます。

今日の日本の農村には年老いた老父・老母だけの家庭が多くなっています。
どちからが亡くなると、都市にでている子どもの家族が引き取るか、老人ホームにゆくかとなります。
そして大学に行かしてもらって都会で仕事を見つけ、一定の成功をした息子の住まいも、田舎で暮らしていた老人を引き取ることができるスペースをもった住居をもっていません。
ましてや、嫁がせた娘の家庭に世話になるわけにはゆきません。
この映画には、父親を預かりたい親想いの心を十分もっているけど、十分な居住空間をもたない息子夫婦のため息が表現されています。
まさしく「その時代に悩む人間の心」を伝えています。

感想(2) 一歩だけ時代の前を進む

そしてサルカールによれば、そのような時代的文学は、社会よりも一歩二歩だけ前を進んでその時代の人々を導く役割を果たし、時代に抵抗し、時代を切り開きます。

「良い文学は時代の必要に応えるために社会と調和して動くべきです。
文学は社会を導くものですから、スピードをコントロールしつつ、社会よりも一、二歩前方を進むかもしれません。
しかし、あまり前方を進むべきではありません。後ろに動くことはもちろん論外です」

映画「息子」では、農村に一人残された老父を長男夫婦がひきとることを申し出ます。
妻の不平を説得しながら、長男は、父親想いのところを示します。
老人ホームに預けるリアリティの半歩だけ、レベルの高い思いやりを示しています。
映画では農村に老父が一人という結末となりました。
今日の現実を示しています。

次男の恋人は、聾唖者です。
二人は手話で会話し、結婚しようと決意します。
次男は聾唖であることはまったく気にすることなく、彼女を愛します。
そしてアパートに訪れた老父に、二人は結婚の決意を伝えて、認めてもらいます。
父は、次男に恋人ができたことを心から喜びます。
ここでは、障害者と健常者を隔てる壁はまったく描かれていません。
むしろ、老父は、彼女が帰った後のアパートで、歌まで歌って喜びます。
ここには、現状よりも一歩進んだぬくもりのある「愛」が描かれています。

まさしくこの作品は、社会から一歩だけ前を進み、時代を切り開く役割を果たしています。

感想・・・中央支配の経済構造からホラーキー経済構造へ

この映画のテーマである「老人だけになった田舎」は、今日の資本主義社会の結果です。
それを克服する方向性について紹介しましょう。

サルカールは、資本主義も社会主義も中央集権経済だと批判しました。
東京の本社が地方にある支社の経済活動の「決定」権をもち、富は、中央に集中するシステムとなっています。
(サルカールは、資本主義システムに対する明確な対案を、プラウト(進歩的社会主義)として述べています。
私はそれをホラーキー型社会と呼びます。
上意下達のヒエラルヒーに対してホラーキーです)
サルカールの提案では、基本的な生活必需品はその地域で自給できることをめざします。
そのために地域の人々がその地域の経済活動を決定する権利があたえられます。

それぞれの地域が可能な限り、地域の生活必需品に対して、農業、工業、商業がバランスをもって存在するようにします。
したがって地方に若者の雇用も保障され、この映画の次男も村にもどることができ、老人だけの村になることが克服されます。


This movie draws Japanese now.
This movie saw now of social reality in view of warm eyes.
Mitsuki argues that this work is going together with mind of people of this time and make consciousness of people of this time one step forward.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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