toward Bright
This poem is that everything in this universe is unity of conflict between dark and light

kizuna311 #46 松田美由紀「明るい方へ」朗読 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩をおくります。

あかるいほうへ

あかるいほうへ
あかるいほうへ

一つの葉でも
ひのもるほうへ(つまり、太陽の光のほうへ)

やぶかげの草は(つまり、木がしげっている下の草は)

あかるいほうへ
あかるいほうへ

はねは焦げよと
灯のあるほうへ(つまり昆虫は羽が焦げても、火にむかってゆく)

よるとぶ虫は

あかるいほうへ
あかるいほうへ

いちぶもひろく
ひのさすとこへ(つまり、ちょっとでもひろく、日(ひ)がてっているほうへ)

都会に住む子らは


高校生用コメント
この「明るい方へ」という詩の題名は、まつたかこ主演のテレビドラマの「明るい方へ」という題になりました。
わたしはみていませんけど、どなたかみた人いますか。
葉は明るい方へ伸びてゆきます。
決して暗い方にはのびてゆきません。
虫は明るい方にむかって飛びます。
決してくらい方には飛びません。
草も少しでも明るい方へ伸びてゆきます。
子供たちも、(夏のあつい時は別として)明るいところで遊びます。
まっくらな暗がりにはゆきません。

考えてみるとたしかにそうですね。
この世のすべては、あかるい方にむかっていますね。
暗いところからでてきて明るい方にむかっていますね。



〇〇先生、メールありがとうございます。
本格的に論じたらとてもむずかしい文章になりました。
でも、もし、他に関心もたれて、読まれる方がおられたらうれしいのでみなさんにもおくらせてもらいますね。

〇〇先生のメールです。
「"明るい"と言う概念(であれば)の意味をもっとはっきりさせないと誤解を招くでしょう。
根が地下暗いとこりに広がり、根のお陰で木、枝、花が咲き成長を続ける。
胎児が暗いお母さんのお腹で生き残り立派な赤ちゃんとして生まれる。
夜がなければ昼が成り立たない。
イランの古代文化(女神文化)では太陽が月から生まれた。
つまり明暗の調和が大事であり一方を排除しないことですね。
ちょっと思いつきで許してね」


わたしのコメント
メールありがとうございます。
〇〇先生のおっしゃるとおりだとおもいます。
「明るい」という概念をより深い文脈から述べてみたいとおもいます。
イランは、イスラム圏の独自の精神的波動をおもっており、それは7世紀に生まれたイスラムの勢力下に入っても続きました。
そのイラン(ペルシャ文化)の伝統の一つは、ゾロアスター教に典型的にあらわれている二元論です。
この世界を暗黒の勢力と光の勢力の闘争の場とみます。
(光はアフラマズダの神で、日本の自動車会社の名前のマズダはそこからきていると聞いたことがあります)
〇〇先生にも、この二元論が脈々と流れているなあとおもいます。
もちろん、これは非二元であり、光と闇は、一つの存在の裏表です。
光なしに闇はなく、闇なくして光がありません。
ワンネス(非二元)で考える時に、二つの側面を一つのものとしてみる重要性が理解できます。

でも、イランに古代から脈々とつたわる二元論は、他の文明でもみられます。中国の陰陽説、この世界は陰と陽からなりたっているという説です。
韓国の国旗の太極も二つの陰陽をしめしています。
陰陽が一つで太極(ブラフマ)です。
ヨーガの伝統の中でも、プルシャ(理)にプラクリティ(気)が影響して万物が展開するという思想がながれています。
わたしは、中国の朱熹が、理に気が影響してこの世の万物(太極)をつくっていると論じているのもインドのヨーガ思想の影響ではないかと推測しています。
さらに、現代において、サ-カ-は、光の方向と闇の論に対応するサインチャラとプラティインチャラを論じています。
サインチャラは究極の精妙な状態のプルシャ(意識=理)にプラクリティ(エネルギー=気)が影響して、究極の粗大な物質にいたる過程です。
プラティサインチャラは、粗大な物質がプラクリティの影響を減じてゆき、ついにはプラクリティに対して意識(理)が優勢なってゆく過程です。
光と闇が実は同じ材料からなりたっているようにこの世界のすべては理(意識=プルシャ)が材料です。
材料にエネルギー(プラクリティ=気)が影響をおよぼして、この世界の無限の多様性(多)が生まれるのです。

イランの古代思想が光と闇の勢力は互いに闘争しているように、理(意識、プルシャ)と気(エネルギー、プラクリティ)は、どちらが優勢になるかとたたかっています。
進むべきは、理(プルシャ)の優勢の方向です。
すべての人に理がそなわっています。
プラクリティの影響から脱して、理の方向に進む時、人はより理性のある人になってゆきます。
これは明の方向です。
そしてプラクリティ(気)の影響がつよいほど、心は粗大化して濁ります。
この心が濁った粗大化した方向は、闇の方向です。
サ-カ-のサンスクリット語ではアヴィディヤーの方向とヴィディヤーの方向です。
実は、固体とはもうこれ以上エネルギー(プルシャ)をつめこむことのできない究極の粗大化した段階です。
そこから生命が生まれ、心が成立し、プラクリティの影響から脱しつつあるわたしたちの意識(理=プルシャ)が成立しました。
この天地万物は、粗大から精妙へ、いいかえれば暗黒から明へとすすんでいるのです。
スピリチュアルな意味においては、まさしく「明るい方へ明るい方へ」と万物はすすんでいるのです。

「明るい方へ」と進んでいるからといって暗黒を否定しているのではないです。ホロン構造です。
物質世界(固体=暗黒)があるから、菌の世界、動植物の世界、人間の世界、さらに進むスピリチュアルな世界(明)があるのです。
それは前者が消えたら後者はなりたちません。
後者が消えても前者はなりたちます。
万物はさらなる無限の輝き(無限の意識、無限の愛)の方向に進んでいるのです。
しかし、ペルシャの伝統が言うように、サーカーの言うように、それは「闘争の過程」です。
暗黒の方向に進む動きと明の方向に進む動きは、たえず闘っています。
「生命は闘争」の中に存在するというのがサ-カ-です。

金子みすゞは、この詩では、「明るい方へ」すなわちホロン階層の上昇を詩にしていますが、
前々回に紹介した「土と草」の詩では、土に着目し、ホロン階層の低次のレベルの果たす役割の重要性について述べています。
つまり、土という「暗黒」があって、「草」が明の方向に進むことを示しており、「暗黒」の側面も正当に評価しています。
そして、土を正当に評価できる彼女の心にはアガペー(多者への愛=慈悲、下位ホロンレベルへの愛)があることがわかります。
エロス(一者への愛=上昇、明)の方向だけではないことがわかります。


付録
高校三年生の感想
「いつも詩ありがとうございます・
いつ読んでも・ぃぃ詩ですね(^-^)/
今回の詩も読みました。・
何か!!「やぶかげの草は」の所で草や花も
やっぱり暗い方へは咲かずに・明るい方へ咲く・
私もその通りだと思いました。・
よく考えたら!全てが明るい方へ行っている・
自ら暗い方へ行くものなんて無いな!って思いました(^-^)/」


This poem is that everything in this universe is unity of conflict between dark and light.
Dark means to leave away from god.
Light means to close to god.

(tree  everything of this universe is rotating)

金子みすゞの詩による「三つのうた」 I. 木 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩のシリ-ズのつづきです。



お花がちって
実がうれて
その実がおちて
葉がおちて
それから芽がでて
花がさく

そうしてなんべん
まわったら

この木はご用が
すむかしら

コメント
芽がでて、葉が出て、花が咲き、実がなり、落ちて、葉がおちて・・・を毎年くりかえします。
校門のそばのうつくしいさくらの花は四月に咲いてすぐに散りますね。
実は、これは地球が太陽のまわりを一回まわったことなんです。
こんどは四月にさくらをみて、あー、一回太陽のまわりをまわったんだなとおもってください。
地球が太陽のまわりをまわるから、花、夏、秋、冬が、波のようにおとずれるのです。
実はこの世界は、回転と波(リズム)でなりたっています。
朝と晩があるのは、地球が一回するからです。
月の回転も女性の生理という形で影響をあたえているとおもいます。
わたしたちは、この回転とそこから生まれる波(リズム)から、はずれて生きることはできません。
夜おそくまでおきて、不規則な生活をしている人はありませんか。
不規則な生活をする人は、宇宙の回転(リズム)からはずれているので、その人の生命パワーが弱くなります。
20才くらいの金子みすゞが、花が咲き、散ってゆくのを「まわっている」ととらえました。
若いのにすごい観察力の持ち主ですね。
私たちは回転にそっていきてゆきましょう。


感想いただき、ありがとう。
すべてはまわっていることについてさらにコメントをつけくわえますね。

「そうですね~!確かに私は夜更かしすると次の日はとても体がだるいけどたくさん寝るともとにもどりますからね」

実は、両目の奥の方に体内時計という時計があるのです。
体内時計を発見したドイツの人はたしかノーベル賞をもらったとおもいます。朝の光で、12時間後に眠くなるようなメラトニンというホルモンが分泌(ぶんぴ)されるようにセットされるのです。
そのメラトニンというホルモンが体の各部分のホルモン量を調整して体の機能を維持します。
体内時計がくずれると体調もわるくなるのはそのためです。
前の学校で4時間目ころに遅刻してくる女の子たちにきくときまって生理痛がはげしいといっていました。
体内時計の調子がわるくホルモン分泌の不調があるのです。
朝の光、すなわち太陽の光が、メラトニンの分泌にリズムを刻むのです。
地球の回転にあわせて私たちの体はできているのです。
最近の生徒は、異常に遅刻・欠席が昔とくらべて多くなっています。
君らの親の世代の時から、コンビニのような店の夜の営業が許されるようになったとおもいます。
そして若い親が夜遅くまでおきているので、赤ん坊の目に電気の光があたるのです。
つくられつつある赤ん坊の体内時計の性能がわるくなるのです。
そのために、君たちの世代は、体内時計の調子が回復しにくくなっているのです。
目がさめにくく昼ごろまで寝ていたりします。
これは不登校の生徒の激増の原因だとお医者さんがテレビでいっていました。
将来、君たちに赤ちゃんができたら、赤ちゃんといっしょに早く寝てあげてね。


(大人向け)
サーカーの振動(波動、回転、リズム)論の一部を紹介します。

振動  どこから振動はやってくるでしょうか。
活動が起きる時はいつでも、その特質がその波の性質によって確立されます。
そしてそれらの波は振動です。
いろいろな経路を通って流れます。
対象の相対的転移が、私たちが活動と呼ぶものです。
そしてこれが、あらゆる活動がその運動によって振動を持つのかの理由です。
丁度、活動に沢山の種類があるように、振動もそうです。
あらゆる活動はそれ自身の振動をもっています。
二つの活動の振動は、同一ではありません。
そうであったら、二つの活動の間になんらの相違はないことになるでしょう。
振動は、基点から放散する震動の種類によっておこります。
すなわち、基点でおきた活動の種類によってです。
石を池に投げて、その結果を見たことがありますか。
あなたが石を投げるときに加えた速さ、強さに応じて、あるいはその石の重さに応じて、その振動も波長や特徴が異なります。
ここにもう一つのことが明確に理解されるべきです。
すなわち、これらの振動の原因、制御者も振動を吸収するということです。
それはエネルギーの伝達手段でもあり、不活性の受け身的な実体ではありません。
 人間の身体の振動のよい例をあげましょう。
たとえば、怒りの例をあげしましょう。
衝撃的な憤激の大きなインパクトがあなたの心の場におきました。
その結果として大きな振動すなわち興奮があなたの脳の特定部分を占めました。
次の瞬間、脳に生じた 興奮が、光の速さで神経システムを通じて全身を駆けめぐります。
怒りの激発があなたの心を占めたと理解するのはその時です。
あなたの神経システムにおけるこの激しい振動の結果としてあなたの顔は、赤く熱くなり、あなたの手と足はふるえます。
あなたの感覚器官、動力器官,とくに動力器官のどれも、適切に機能できません。
あなたの言葉は乱れます。
ほとんどどもらない人が、著しくどもるようになります。 卑しい性向を抑制している人間の判断力や知性は、激しい振動のインパクトによって鈍くなります。
怒り狂った人間は、場所、時、人物に無関係に、見境のない悪罵を思うままに投げつけます。
過剰な身体と脳の興奮の余波として、彼の脳は熱くなります。
彼は、正しいことか間違ったことかを考えることができません。
彼の身体と内部の腺は、弱々しくなり、沈滞します。
彼は食欲を失います。
このようなことはおこりませんか。  (中略)
 さて、例として、この広大な宇宙を取り上げましょう。(略)
宇宙サイクルの内部では、すべての実体が異なる振動を表現します。
これらの小さい、あるいは大きいサイクル、それは調和したハーモニーの中で回転しています。
すべての律動、テンポをそのまま維持しながら
すべては広大な宇宙の振動に調子を合わせ、調整されています。
その小宇宙の個々の波は、その自己表現を見いだします。
そしてそのまさしく広大な宇宙的な振動の中で発達します。  

This poem is that everything of this universe is rotating.
This is deep truth of this universe.
You should live accordance to law of universe.

( mystery  Base of universe is unity of conflict between ectoplasm of gods of star and time-space of Higgs particle)

『不思議』 詩 : 金子みすず 作曲 : 鳥居サチ (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩の紹介です

不思議

わたしは 不思議で たまらない
黒い くもから ふる あめが、
銀に ひかっている ことが

わたしは 不思議で たまらない
青い くわの は たべている、
かいこが 白く なる ことが

わたしは 不思議で たまらない
たれも いじらぬ ゆうがおが
ひとりで ぱらりと ひらくのが。

わたしは 不思議で たまらない
だれに きいても わらってて
あたりまえだ、 と いう ことが。


解説
どうして、黒い雲から降ってくる雨が、銀色しているんだろう。
どうして緑の葉っぱをたべているのに、カイコは白いのだろう
どうして夕顔の花は、なにもしないのに、自然と咲くんだろう
どうしてみんな「あたりまえのことだよ」というんだろう。
不思議だなあ。
と、こういう意味です。

不思議といえば、あなたが心をもち、私が心をもつことが、一番不思議ではないでしょうか。
そんなことを不思議とおもった人はいませんか。
あなたは何を不思議に感じますか。
地球上に生命が誕生する前は、地球には、土や石、水、空気、光しかありませんでした。
地球の表面の土や石、水、空気、光が、変化して、私やあなたになったのです。
どうして、土や石、水、空気、光の中から心が生まれたのでしょうか。
これが一番、不思議だなあと私は思います。
どんぐりの種が生えて、どんぐりの木になることは、はじめのどんぐりの中に木の要素があったということです。
だから、私が考えた結論は、はじめの土や石、水、空気、光の中に「心」の要素があったというとです。
土や石、水、空気、光などは、「心」が固まってできたものだと考えるようになりました。
土や石が心のもとを持っているから、地球の表面が変化して、私たちが生まれ、私たちの「心」が生まれたのではないでしょうか。


メールありがとう
「 私が不思議と思うのは人間は誰も教えてないのに生まれたての時に息をすることを知ってるのが不思議だと思います」
「私も…ナゼ心が生まれたか…不思議です
誰かを好きになったり…嫌いになったり…悲しくなったり…なんか…スゴィ当たり前のょぅに思えるのですが…とても不思議でなりません…。
でも心があって良かったです…。
嫌いになる気持ちゎィャですが…誰かを好きになる気持ちゎ素晴らしいし…大切な気持ちだから☆彡」


本当にそうですね。
前にテレビでやっていたけど、鳥のたまごを温めてヒナが卵をわってでてくるところをやっていましたが、その時、先に卵を割ってでてきたヒナが、自分の弟の卵だけをつつって、中から弟や妹がでてくるのをたすけるんです。
どうして、生まれたばかりのヒナが、たくさんある卵のうち、自分の兄弟のたまごだとみわけることができるんでしょうか。
不思議でした。

わたしが今、研究している人の見方では、この世界の後ろにひとつの大きな心があるのです。
その心が生まれた時に息をするようにしているのです。

あなたの心がありますね。
心の奥に「私」という意識がありますね。
何も考えなくても心の中心に「私」という意識がありますね。
その「私」という意識は、大きなひとつの「心」の一部分なのです。
だから、本当は、私たちは、「ひとつ」なのです。
と、私は最近、おもうようになりました。
ちょっと、むずかしすぎて、ごめんなさい。


金子みすゞの「不思議」の詩の感想とわたしのコメント

高校三年生の人からいただいた感想とそれに対する私のコメントを紹介します。みなさんも、不思議について何か他に感じることがあったらメールください。

「私はそもそも『私』が本当に『いる』のか不思議で堪らない。
足下がふわふわしていて、でも、銀のドアノブに触れるし、木の感触や、熱いという事も感じる。
今の自分は一種の思春期に入っているのかもしれないけど、考えても切りがないし。
先生がおっしゃった『心』の考えは良いと思う。
面白かったです」

というメールに私は次のようにコメントしました。

 「私はそもそも『私』が本当に『いる』のか不思議で堪らない」

=目をとじます。
花を思い浮かべます。
「私」は「花」を「思い浮かべています」です。
英語なら、I「私は」image「思い浮かべる」a flower「花」 k 順番です。
「私」の心は、思い浮かべるという活動して「花」となります。
 その時、心の材料は、「私」「活動」「花」の三つの部分に分かれます。
目を閉じて、「花」のイメージを消します。
「思い浮かべるという活動」をやめます。
そうすると「私」は存在するという感覚だけがのこります。
心の活動をやめたのに、誰が「わたしは存在する」と感じているのでしょう。実は「私」を奥から見つめている、奥底の「見つめている私」があるのです。その「私」はすべての人の奥底の「私」とつながっています。
隠れてわるいことをしてもどんなことをしても、奥底から常に「見つめて」います。
 人生の道に迷ったら、奥底の「みつめている私」のところまで心を澄(す)ましてから判断すると、良い判断になります。
どんなときでも落ち着いて行動できるようになります。

「足下がふわふわしていて、でも、銀のドアノブに触れるし、木の感触や、熱いという事も感じる」

=感じるのは「私」です。
それを心の奥底の「みつめる私」がただ見守っています。
良いことをしても、悪いことをしても、ただ「見つめて」います。
心の奥底の「見つめる私」は 、すべての人の心を「見つめている私」でもあります。

不思議に感じることについて20歳の人からメールをもらいました。

あなたはなぜ死にたくないのですか?私はなぜ死にたくないのですか?
あなたの生きる目的はなにですか?と問われて自信を持って答えられる人がどれだけいるだろう?たぶん全体の1割にもみたないと思う。
もちろん目的がなければ生きていてはいけないと言う事はない。
ただ食べ、ただ寝、ただ働くだけで生きていける。
現にそうやって生きている人も大勢いる。
私にはそれが動物と変わらないように思えるのだが、自分の価値観を人に押しつける気はない。
長い人生を生きていくうちに、目的をみつけるかもしれないから、死んでるより、生きている方が良い。
と言う理屈もあるだろう。
しかし目的を見つけられなかった残りの9割の人(その内の5割の人は目的を探す事すらしていない)はどうなるか?
小さな目的ならあると思う。
例えば、幸せな家庭を作りたい。
で、その目的が達成されてしまったら、死ぬのか?いや死なない。
また違う目的をたててその目的をめざす。
私の言っている人生の目的はこれが達成できたら、死んでもいい、または死ぬ気でこれに打ち込めるようなやつだ。
死なない理由の一つに自分が死んだら悲しむ人がいるからと言うのもある。
じゃあ悲しむ人がいなければ死ぬのか?死なないだろう…
不思議だ


こころの発達についてこの人のレベルについて次のように考えています。

つまり、かなり発達した、実存的苦悩の段階です。
心の発達について書いた論文の一部をちょっと難しいけど紹介します。

「私6」の病理・・・実存的苦悩

「私6」は、この世の真理が相対的であり、絶対的なものではないことを認識できます。
「あれも正しい、これも正しい」と複数の真理が認識できました。

そして「私6」とは、心の池の最深部にまで達した自己でした。
そこからは自分の心と身体のすべてを見つめることがきます。
その自己は、私のすべてを見る故に、「その終末、死を見る。・・・極度の実存的な不安が忍び込む」

これが、「私6」の特徴的な病理です。
心の中は陰気になります。

トルストイは50歳の時に次のように書きました。

「『なぜ、生きていなければならないのか?
いったいなぜ、それを望まなければいけないのか?』
いや、もう一度言えば、『
私の前に避けがたく待ち受けている死によって破壊されないような人生の意味など果たして存在するのか』

最近、私は同じ言葉を、友人から聞きました。

「おれは、戦争を肯定する風潮に抗して世の中をよくするために最後まで頑張るが、結局、死んだら無になり、意味がないと思っている」 つまり、死についてとらえきれず、ニヒリズムに陥っていました。
その表情は暗くなっていました。
この病理の克服のためには、自己の中心点が、心の池のさらに深い部分に進む必要があります。
それは「超心理=トランスパーソナル=スピリット」の領域です。

瞑想などの継続的なスピリチュアル・プラクティスによって、心の領域を超えて、スピリットの領域に自己を深化させることができます。
それは「私7」です。
「私6」の病理の克服のためには、「私7」に進むスピリチュアリティの道しかありません。


This poem feels mystery about force from base of universe.
Force from base of universe cause various mysterious events.
Base of universe is unity of conflict between ectoplasm of gods of star and time-space of Higgs particle.

( this way  She is appeal to humankind to join to flow to make one world as member of Heaven)

みずほ合唱団みすずこのみち (video inspired by god of star)



この道

金子みすゞの詩のつづきです。
(昔の言葉ですので、今の人にわかるように、少し、詩を変えさせてもらいます。
みすゞさん、すみません。 うしろにもともとの詩を載せています)

このみち

このみちのさきには
大きな森があるでしょう
ひとりぼっちのエノキの木よ
このみちをゆこうよ

このみちのさきには
大きな海があるでしょう
ハス池のカエルよ
このみちをゆこうよ

このみちのさきには
おおきな都市があるでしょう
さびしそうなカカシよ
このみちをゆこうよ

このみちのさきには
なにか、なにかがあるでしょう
みんなで、みんなで、ゆこうよ
このみちをゆこうよ


コメント
木が一本ではさびしいです。
だから、いっしょにたくさん仲間のいる森にいこうとよびかけているんですね。
カエルさんは小さな池にいます。大きな海は知りません。
カエルさん、小さい池だけがあなたの世界ではないだよ。
カカシさんが一人でいるのはさびしいですね
みんなで、たくさんの人のいる町にゆこうよ。
みんなで、この道をゆこうよと言っているんですね。
この道の先には、何かがあるんですね。

人は、狭いところしか知りません。
しかし、もっと大きな世界があることを知ろうよといっているんですね。
道とは、心の進む道をあらわしています。
それは、一人だけで進む道でなく、仲間たちと進む道です。
そして、その道は、とても広い世界につながっています。
それは、心を大きく拡張してゆく道です。


大人用コメント・・・サーカー的な視点での解釈
金子みすゞにとって、エノキの木も、カエルも、カカシも、みんな仲間です。
天地万物は、ほこりの粒さえも、進化をとげて、人間レベルの意識に達し、さらにもともとの出発点であった無限の意識の中に溶け込みます。
無限の意識はもともとの出発点でもあります。
そして人間の意識(私は存在するいう根源にある意識)は、この無限の意識が投影したものです。
この道は、心を精妙にして、心を拡張する道です。
そして、ゆきつく先は、天地万物を仲間と感じる境地です。
だから、この道の先とは、有限が無限の中に融合したニルグナ(無属性)の世界です。


高校一年生の感想とコメント
感想いただいてありがとう。

「そうですね。私も小さい頃は日本しかないと思っていたけどある時に外国があると知った時は行こう思えば行ける道が増えて嬉しかったです」

すばらしい感性だとおもいます。
心の半径が広がってゆくことを喜べる人は、人生の最後まで心の半径がひろがり、最後に心に半径がなく、無限にひろがる心をもつでしょう。
そして無限に広がった心の持ち主は、世界中の人々の悲しみ喜びに心を振動させます。
動物や植物を仲間と感じ、星空まで仲間に感じるようになります。

ありがとう

「すべての物を仲間と感じることができるなんて凄いと思います」

金子みすゞにとって、えのきの木も、かえるも、かかしも、みんな仲間だったんですね。
その感じ方は、考えてみれば科学的だとおもいます。
だって、地球の表面が変化して、あの木ができ、あの森ができ、自分ができているんですから。天地万物本当はみんな兄弟なんだとおもいます。

目を閉じて、心をすませると、感じてくるようになるとおもいます。
だれ一人として、本当は、ひとりぼっちではないのです。

そうですよね!地球があって自然があってこそ成り立ってると思います。

書き直す前のもともとの金子みすゞの詩

このみち

このみちのさきには
大きな森があろうよ
ひとりぼっちの榎よ
このみちをゆこうよ

このみちのさきには
大きな海があろうよ
蓮池のかえるよ
このみちをゆこうよ

このみちのさきには
おおきな都があろうよ
さびしそうな案山子よ
このみちを行こうよ

このみちのさきには
なにか、なにかがあろうよ
みんなでみんなでゆこうよ
このみちをゆこうよ


This poem is appeal to go way to huge world.
She is appeal to humankind to join to flow to make one world as member of Heaven.
Now she has done her mission from Heaven by introduction to whole world by internet.

( Stars and Dandelion  This poet knew fundamental truth of this universe)

kizuna311 #45 南果歩「星とたんぽぽ」朗読 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩です。

星とたんぽぼ

青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまで沈んでる。
昼のお星は目にみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

散ってすがれた たんぽぽの、
瓦(かわら)のすきにだぁまって
春のくるまでかくれてる
つよいその根は目にみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ


コメント
2行目の「海の小石のそのように」は、「海の小石のように」と意味をとってください。

次のような意味だとおもいます。
昼間は、星が見えないけど、たくさんの星があるんだよ。
春を待つタンポポの根は、見えないけど、あるんだよ。
見えないからといって、無いのではなく、あるんだよ。

肉(にく)の目、知(ち)の目、直観(ちょっかん)の目と言われます。

肉の目というのは、色や形を見る目です。
未発達な人は、肉の目しか意識(いしき)しません。
授業中でも電車の中でも絶えず、鏡(カガミ)を見て、化粧している人がいます。
その人は、色と形がすべてです。
肉の目で「見える世界」がすべてです。
「見えないものがある」ということは信じられません。

知の目というのは、「かしこさ」のことです。
学校では知の目の視力を高めるために勉強しています。
たとえば、「ガングロ」といって顔を徹底的に日焼けさせることが、かっこいいと思っています。
その人は、肉の目はあるけども、知の目がないのです。
紫外線で肌を焼くと「老化」が進み、早く、おばあさんの肌になるのです。
いつまでも若い肌に保ちたいならば、ガングロにはすべきでないのです。

直観の目は、「見えぬものを見る目」です。
 「愛」は、目に見えますか。
「友情」は目に見えますか。
見えなくてもあることをみんな知っています。
物質でないから、買うことができません。
どんなお金もちなっても、買うことはできません。
愛のないセックスは買うことができたとしても、「愛」は買うことができません。
いくら勉強しても「愛」のある人間関係を手に入れることはできません。
すなわち「知」の目では、「愛」を得ることではできません。
頭がよくて会社に入ってどんなに出世しても、「愛と友情」のある人間関係を得ることはできません。
出世した人には、うわべだけ、こびをうる人が近づくでしょう。
直観の目は、心を静かにすることによってよくなります。
そして直観の目で見ると、自分が、他の人に「愛と友情」を与える姿勢をもつ時しか、「愛と友情」のある人間関係をつくれないことに気づきます。
愛と友情は、普通の目では「見えないけど、あるんだよ」
みなさんに、目には見えないけど「愛と友情」を感じる人生をつくっていってほしいですね。


This poem is that existence is unity of conflict between presence and non-presence.
This poet knew fundamental truth of this universe.

(loving everything  This poet expressed deep truth)

みんなを好きに (video inspired by god of star)



みんなを好きに

私は好きになりたいな
何でもかんでもみいんな

ネギも、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな

うちのおかずは、みいんな
かあさまがおつくりになったもの

私は好きになりたいな
誰でもかれでもみいんな

お医者さんでも カラスでも
残らず好きになりたいな。

世界のものはみいんな
神さまがおつくりになったもの


私のコメント

好き嫌いしないで、
お母さんがつくってくれる料理は
どれも好きになりたいな

この世のすべて(自分も含めて)は
神さまがつくったものだから、
この世のすべてを好きになりたいな

この世のすべてが好きになれて
人生がおくれたら
どんなにすばらしいことでしょう

神さまがこの世をつくったって!
そんなばかなという人がいるかもしれません。

神を論じる時、
私たちは証拠と体験にもとづいて科学的に判断しなければなりません。
証拠も体験もないのに頭から神様を信じるべきではないと思います。
神様がいないという証明もできません。
だから、神様がいるかいないかは保留しましょう。

その上で、この詩から、金子みすゞが、自分を含めて全宇宙をつくった神があり、いわば、この宇宙にあるすべての人や生き物や存在たちは、すべて「私」の兄弟、姉妹だと考えていたことがわかります。
この大宇宙は、一つの神を父母とする家族です。
あの星も、あの月も、あの木も、あの猫も、私たちは、みいんなこの大宇宙の一つの家族の一員だよ、ということになります。
だから、この世のみいんな、好きになりたいんですね。


大人用コメント

「この世界はすべて神様が作ったもの」という把握は、多者=一者の非二元(ワンネス)の思想としても解釈できます。
つまり、柿の木があるとしましょう。
「この柿の実は、すべてこの柿の木がつくったもの」とすると、柿の実(多者)は、柿の木(一者)の一部であり、多者と一者は別ではありません。
柿の実が、自分は柿の木の一部であるという真実をしれば、柿の実は自分は柿の木であるというアイデンティティをもちます。最大限に大きな心をもちます。

たしかに、これは宗教的な二元論でも解釈できます。
この世界とは別のところに神様がいて、この世界をつくったというのが、宗教です。
神と人間は別です。
あるいは、人間が悟って、仏(神)となるという考えは、人間と仏(神)は別の世界に属しており、二元論です。
宗教は二元論を特徴としており、そこから心の完全なる解放は不可能です。
私たち自身が一者(神)の一部であるという自覚にたつ時、私たちは神の性質に近づきます。

金子みすゞのこの思想を、二元論の方向ではなく、非二元(ワンネス)の方向に発達させてゆきたいですね。


This poem is that everything of this universe is made by gods of star.
This is truth.
Gods of star made earth full of life.
Loving everything means loving gods.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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