Declaration of Independence - Hear and Read the Full Text - Thomas Jefferson (video inspired by god of star)
(Mitsuki see human right as unity of conflict between concept of non-presence and social structure of presence)
Dear
I am comic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce article of assistant Mitsuki which was issued to social forum movement.
We write article of view of true gods.
This article is generation, maintain and collapse of concept of human right.
This view of Mitsuki is truth.
Everything of this universe is moving base on law of dialectical materialism.
Concept of human right is also under law of dialectical materialism.
Mitsuki see human right as unity of conflict between concept of non-presence and social structure of presence.
This is true Marxism.
I am comic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce article of assistant Mitsuki which was issued to social forum movement.
We write article of view of true gods.
This article is generation, maintain and collapse of concept of human right.
This view of Mitsuki is truth.
Everything of this universe is moving base on law of dialectical materialism.
Concept of human right is also under law of dialectical materialism.
Mitsuki see human right as unity of conflict between concept of non-presence and social structure of presence.
This is true Marxism.
(人権思想の生成・発展・消滅)
(1)
中華人民共和国の問題として人権問題とチベット問題が話題になりました。
このコスモスに存在するものは歴史的にある時点で成立し、展開し、さらには 崩壊、もしくは、より高次の存在の中に吸収され、消滅してゆきます。
資本主義という経済システムがある時点で成立し、ある時点で消滅すると 論じたのがマルクスでした。
国民国家(ネイション=民族)も、近代において成立し、
今日192もの国民国家システムとして展開し、
そしてより高次のものの中に消滅してゆきます。
国民国家システムが登場したヨーロッパでのEUは
その消滅の萌芽を示していると思います。
「人権」という概念も、国民国家と同じく
近代において成立し、展開し、
より高次の概念の中に吸収され、消滅してゆくと
私は考えています。
(2)
ヒューマン・ライト(人間の権利)は、
その思想が発生したヨーロッパにもありませんでした。
中世にもありませんでした。
その奴隷制や農奴制は人権と無縁でした。
ロックやアメリカ独立宣言や
フランス人権宣言に示されるように
歴史的に発生してきたのであって
その生成・展開の歴史として見るべきだと思うのです。
決して、どこの国でも最初からあったものではありません。
人権概念の発生・展開について
社会思想史(集合体の心の内側)の側面と
社会経済(集合体の心の外側)の側面の
二つの面からの考察が必要だと思っています。
(3)
社会思想史(集合体の心の内側)の側面ですが
なぜ、西欧にヒューマン・ライトの思想ができきたのかは
自然権の思想の背景を述べるのがアカデミズムだと思いますが
私は、神対人間の対抗関係でみるギリシャ的発想
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/personal/shariati.htm
が、人間中心主義(ルネッサンス)の思想を生んだとする
アリ・シャリアティの観点もいれて理解するようになりました。
神中心の中世世界に対する人間中心の思想が生まれたわけです。
これは、以前に紹介しましたので割愛させていただきます。
(4)
社会経済(集合体の心の外側)の側面について言いたいのです。
奴隷制や農奴制のもとでは、人権思想は発生しません。
アメリカ独立宣言の文案を書いたトマス・ジェファーソンが
「すべての人間は、生命、自由、幸福追求の権利をもっている」
と書いた時、
それに共鳴する人々がいたはずです。
南部の奴隷は主人に所有されていると思っているから
受け付けませんし、もちろん奴隷主は共鳴しません。
共鳴したのは、西部開拓のために
片手にピストル、片手に斧をもった開拓者(独立自営の農民)
だったと思います。
イギリスでも、マルクスが資本論の中で
14世紀のヨーマンという独立自営農民を「必須の通過点」
として評価したと思います。
彼らは、小作人や農奴や奴隷と違って
畑に何を植え、どんな手入れをし、いつ収穫したらいいか
そして収益はひとまず自分のものになります。
そこには、まず生命(life労働も含む暮らし)があり
その次に自由に何を植え、いつ収穫するかとか
自分で決定できる自由があります。
その上で自分の幸福な生き方を追求できます。
こういう人々が広範に成立していることが
「すべての人々が、生命、自由、および幸福追求の権利を
もっている」という考え方の社会的土壌になります。
ロシア革命前、農奴制がやっと崩れるかの時期でした。
中国革命前、農民は地主制のもとにありました。
せっかく革命が成功したものの
その後、独立自営農民を創出することなく
上からの命令的な集団化が進んでしまいました。
(レーニンはネップで独立自営農民をつくろうし
すぐ亡くなりました。)
さて、人権発生の土壌となった独立自営の農民には
限界がありました。
それは、西洋近代の人権の限界だと思います。
「片手にピストル、片手に斧をもった西部開拓者」
のピストルは、インデアンに向けられていて
侵略者であったことを象徴しています。
片手の斧は、森林伐採で、環境破壊ですが
(これは当時としてはやむなしとしましょう。
しかし、今日の時点は、自然と生物を尊重する
人権思想ではなかったことに注目しましょう。
つまり、欧米の人権は、
その後のアジア・アフリカ・ラテンアメリカの植民地化が
示すように
自国民だけの人権であるという特徴をもっていました。
さらに動植物などを命の仲間と見る視点はありませんでした。
(5)
集合体の内面(社会思想)の側面からみると
自国民だけの人権から、人類全体を含む概念へ
人間だけの人権から、生命世界すべてを含む概念へ
すなわち、ヒューマン・ライト(人間の権利)は
より普遍的な愛の思想である
ネオ・ヒューマニズムというより高次の概念の中に
吸収されて、将来はその歴史的役割を消滅してゆくものと
私は見ています。
さらに集合体の外面(社会経済)の側面においては
上意下達のヒエラルヒー階層構造の資本主義企業は
奴隷制、農奴制と同じく、
自分の頭で考え、工夫し、主体性をもつ人間類型を
発生させません。
ベトナム侵略戦争継続集会などに動員されていた
保守的労働者層をテレビでみた時、まさしくそのような
指令のもとに働く訓練をされた労働者層だなあと
思いました。
労働者を革命に動員して革命に成功しても、
その後の経済システムが、上意下達の非民主主義構造なら
人権と民主主義と平和の思想の発展に制約がかかります。
サーカーの提起する資本主義経済後は
協同組合企業(民主主義企業)のネットワークを
土台としてなりたつ経済民主主義の社会です。
そこでは労働者同士の対等、協同の関係があり
労働者が、独立自営農民のように
集合的な独立自営労働者になります。
これが、次の時代の新しい普遍的人権思想である
「ネオ・ヒューマニズム」の担い手の社会的基盤になります。
(まとめ)
以上、人権(ヒューマン・ライト)思想とその実体も
歴史のある時点で生まれて、広がり、展開し
将来、消滅してゆく歴史的なものであるという
私の意見を述べさせてもらいました。
付録
一応上記で言いたいことを短くまとめたつもりですが
教科書風に解説しておきますと
アメリカ独立宣言の
「すべての人は生命、自由、および幸福追求の権利」
また、黒人奴隷、女性、貧しい人々が除外されていました。
黒人について言えば
1776年の独立宣言の100年後1862年、
リンカーンの奴隷解放宣言
その100年後の1963年に
キング牧師の公民権法と展開してきて、
1963年というついこの前に
やっと法的に完全に
白人と黒人が平等になったのですから
私は、中国などの地域での人権問題についても
歴史的スパンでも(すなわち未来を信じて)
考えてみる必要があると思うのです
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)中華人民共和国の問題として人権問題とチベット問題が話題になりました。
このコスモスに存在するものは歴史的にある時点で成立し、展開し、さらには 崩壊、もしくは、より高次の存在の中に吸収され、消滅してゆきます。
資本主義という経済システムがある時点で成立し、ある時点で消滅すると 論じたのがマルクスでした。
国民国家(ネイション=民族)も、近代において成立し、
今日192もの国民国家システムとして展開し、
そしてより高次のものの中に消滅してゆきます。
国民国家システムが登場したヨーロッパでのEUは
その消滅の萌芽を示していると思います。
「人権」という概念も、国民国家と同じく
近代において成立し、展開し、
より高次の概念の中に吸収され、消滅してゆくと
私は考えています。
(2)
ヒューマン・ライト(人間の権利)は、
その思想が発生したヨーロッパにもありませんでした。
中世にもありませんでした。
その奴隷制や農奴制は人権と無縁でした。
ロックやアメリカ独立宣言や
フランス人権宣言に示されるように
歴史的に発生してきたのであって
その生成・展開の歴史として見るべきだと思うのです。
決して、どこの国でも最初からあったものではありません。
人権概念の発生・展開について
社会思想史(集合体の心の内側)の側面と
社会経済(集合体の心の外側)の側面の
二つの面からの考察が必要だと思っています。
(3)
社会思想史(集合体の心の内側)の側面ですが
なぜ、西欧にヒューマン・ライトの思想ができきたのかは
自然権の思想の背景を述べるのがアカデミズムだと思いますが
私は、神対人間の対抗関係でみるギリシャ的発想
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/personal/shariati.htm
が、人間中心主義(ルネッサンス)の思想を生んだとする
アリ・シャリアティの観点もいれて理解するようになりました。
神中心の中世世界に対する人間中心の思想が生まれたわけです。
これは、以前に紹介しましたので割愛させていただきます。
(4)
社会経済(集合体の心の外側)の側面について言いたいのです。
奴隷制や農奴制のもとでは、人権思想は発生しません。
アメリカ独立宣言の文案を書いたトマス・ジェファーソンが
「すべての人間は、生命、自由、幸福追求の権利をもっている」
と書いた時、
それに共鳴する人々がいたはずです。
南部の奴隷は主人に所有されていると思っているから
受け付けませんし、もちろん奴隷主は共鳴しません。
共鳴したのは、西部開拓のために
片手にピストル、片手に斧をもった開拓者(独立自営の農民)
だったと思います。
イギリスでも、マルクスが資本論の中で
14世紀のヨーマンという独立自営農民を「必須の通過点」
として評価したと思います。
彼らは、小作人や農奴や奴隷と違って
畑に何を植え、どんな手入れをし、いつ収穫したらいいか
そして収益はひとまず自分のものになります。
そこには、まず生命(life労働も含む暮らし)があり
その次に自由に何を植え、いつ収穫するかとか
自分で決定できる自由があります。
その上で自分の幸福な生き方を追求できます。
こういう人々が広範に成立していることが
「すべての人々が、生命、自由、および幸福追求の権利を
もっている」という考え方の社会的土壌になります。
ロシア革命前、農奴制がやっと崩れるかの時期でした。
中国革命前、農民は地主制のもとにありました。
せっかく革命が成功したものの
その後、独立自営農民を創出することなく
上からの命令的な集団化が進んでしまいました。
(レーニンはネップで独立自営農民をつくろうし
すぐ亡くなりました。)
さて、人権発生の土壌となった独立自営の農民には
限界がありました。
それは、西洋近代の人権の限界だと思います。
「片手にピストル、片手に斧をもった西部開拓者」
のピストルは、インデアンに向けられていて
侵略者であったことを象徴しています。
片手の斧は、森林伐採で、環境破壊ですが
(これは当時としてはやむなしとしましょう。
しかし、今日の時点は、自然と生物を尊重する
人権思想ではなかったことに注目しましょう。
つまり、欧米の人権は、
その後のアジア・アフリカ・ラテンアメリカの植民地化が
示すように
自国民だけの人権であるという特徴をもっていました。
さらに動植物などを命の仲間と見る視点はありませんでした。
(5)
集合体の内面(社会思想)の側面からみると
自国民だけの人権から、人類全体を含む概念へ
人間だけの人権から、生命世界すべてを含む概念へ
すなわち、ヒューマン・ライト(人間の権利)は
より普遍的な愛の思想である
ネオ・ヒューマニズムというより高次の概念の中に
吸収されて、将来はその歴史的役割を消滅してゆくものと
私は見ています。
さらに集合体の外面(社会経済)の側面においては
上意下達のヒエラルヒー階層構造の資本主義企業は
奴隷制、農奴制と同じく、
自分の頭で考え、工夫し、主体性をもつ人間類型を
発生させません。
ベトナム侵略戦争継続集会などに動員されていた
保守的労働者層をテレビでみた時、まさしくそのような
指令のもとに働く訓練をされた労働者層だなあと
思いました。
労働者を革命に動員して革命に成功しても、
その後の経済システムが、上意下達の非民主主義構造なら
人権と民主主義と平和の思想の発展に制約がかかります。
サーカーの提起する資本主義経済後は
協同組合企業(民主主義企業)のネットワークを
土台としてなりたつ経済民主主義の社会です。
そこでは労働者同士の対等、協同の関係があり
労働者が、独立自営農民のように
集合的な独立自営労働者になります。
これが、次の時代の新しい普遍的人権思想である
「ネオ・ヒューマニズム」の担い手の社会的基盤になります。
(まとめ)
以上、人権(ヒューマン・ライト)思想とその実体も
歴史のある時点で生まれて、広がり、展開し
将来、消滅してゆく歴史的なものであるという
私の意見を述べさせてもらいました。
付録
一応上記で言いたいことを短くまとめたつもりですが
教科書風に解説しておきますと
アメリカ独立宣言の
「すべての人は生命、自由、および幸福追求の権利」
また、黒人奴隷、女性、貧しい人々が除外されていました。
黒人について言えば
1776年の独立宣言の100年後1862年、
リンカーンの奴隷解放宣言
その100年後の1963年に
キング牧師の公民権法と展開してきて、
1963年というついこの前に
やっと法的に完全に
白人と黒人が平等になったのですから
私は、中国などの地域での人権問題についても
歴史的スパンでも(すなわち未来を信じて)
考えてみる必要があると思うのです
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods