Unity in Diversity (video inspired by god of star)



(it is significance in human history for Tibetan leaders to take way aiming to advanced autonomy rather than independence)

Dear
I am comic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce article of assistant Mitsuki which was issued to social forum movement.
We write article of view of true gods.

This article is that it is significance in human history for Tibetan leaders to take way aiming to advanced autonomy rather than independence.
This view of Mitsuki is important to make eternal peace earth.

( 国民国家とは何か、なぜ、独立より「高度な自治」を支持するのか)

(1)
チベット亡命政府の指導者が、
分離して国民国家をつくる路線ではなく
一つの中国の中で高度な自治を実現する道を
公言していることは、
今後の世界史にとてもよい影響を与えると
思っています。
だから、「一つの中国の中での高度な自治」
の路線が成功してゆくように望んでいます。

ダライ・ラマを支持するというより
ダライ・ラマが亡命政府に独立闘争路線を放棄させ
中国の一員としての高度な自治をもとめる方針に
転換したことについて支持しているわけです。

20世紀、民族自決権を基礎とした民族解放闘争の結果
192の国民国家(ネイション、民族国家)が形成されました。
それは近代における資本主義帝国主義による植民地支配を崩壊させるものでした。
全世界で旧型の植民地支配は終了したと言えると思います。

あらたな性格をもつ民族運動が20世紀末から登場してきました。
多民族国家旧ユーゴや旧ソ連は、その崩壊の中で
ナショナリズムが噴出しました。
さらにさらに最近の中国のチベットでも、
おそらく中国の漢民族優位の統治への反発から
世界に訴えたいチベット人の運動が展開しました。

ダライ・ラマは北京オリンピックを妨害するなというメッセージを発しました。
しかし、そのコントロールはきかず、各地で妨害運動が展開されました。
運動の背後に、ダライ・ラマ派でないチベット独立をめざす
チベット人の組織があるのかもしれません。

チベットの宗教、言語、文化を擁護し、チベットへの漢族の移住に反対する
チベット人の要求は、私は当然のことだと思います。
平和の実現のためには、そのチベット人の当然の要求が実現される必要があると思います。

そのさい、ダライ・ラマが、中国からの独立をもとめず、
「高度な自治」を要求する路線に転換していたということは、
今後の世界史に大きな影響をもつ、肯定的な出来事だと考えています。

なぜなら、このまま自治を建前として行っている多民族国家が、
ユーゴスラビア、ソ連のようにナショナリズムの中で崩壊してゆくならば
諸民族が混住している分割不能な領域に強制的に区分線を引くために
世界は血の海を続けることになるからです。

例をあげましょう。
イランは、東北地方のアゼルバイジャンはトルコ系で、
旧ソ連の南部にあるアゼルバイジャン共和国と同じ民族です。
パキスタンの近くの南東部は、バルチスタン人
イラクに近いクルデスタンはクルド人
イランは多くの様々な民族から成り立っています。

ペルシャ人の中央権力が弱まった時には、
アゼルバイジャンやクルデスタンに独立の動きがあったこともあります。
1979年のホメイニー革命の時には革命政府とクルデスタンが
激しい戦闘になり、クルド地域は鎮圧されました。
ペルシャ人のほとんどはシーア派イスラムですが、
クルド人はスンニ派イスラムです。

これは一例ですが、国民国家の意識のメガネをはずして、
国民国家を構成する下位集団(エスニックグループ)に目を向けるならば
192の国民国家の下位レベルに
きわめて多様な地域集団やエスニックスグループが
あることがわかります。

(2)
国民国家への帰属意識(ナショナリズム)の発生の条件は
外部との関係と内部の人間交流の成熟の二つがありえます。
外部との関係とは
たとえば、黒船が来るような外部との対抗関係とか
その地域を抑圧する外部の者との対抗関係です。
内部の人間交流の成熟とは
江戸時代の関所のような封建的分散を
打ち破って広範囲の市場が形成され
印刷などのマスコミの発達という経済的基盤が
住民の交流を促し、人々の共属意識を高めることです。
これは、ナショナリズム意識の発生の条件であって
ナショナリズム自体ではありません。

ナショナリズムは、ナショナリストのイデオローグたちが
自分たちの集団を一つの民族、ネイションだと定義をつくり
人々に広めたことによって発生します。

つまり、最初から「ネイション=近代民族」が客観的に存在したわけでなく
集合的心理の内部にナショナリストのイデオローグが
「我がネイション=民族」意識を作り上げたということです。
そして命にかけるにふさわしい聖なる存在なのだと
形ある有限の存在を最高のものとするドグマを
民衆の心の中に浸透させゆきます。

そして、分割することができない人類を分割するために
自分たち民族と他の民族を区別する考えを普及するために
ナショナリストは、
「歴史的メモリー」「宗教」「言語」「共通の風俗習慣」の
いずれかを材料としてネイション意識を作り上げました。

明治期の日本のナショナリストは天皇の歴史的メモリーを
最大限に活用しました。

チベット人が国家を作る権利があるかどうかが、
中国の歴史的王朝への帰属の
度合いという歴史的メモリーにもとめる議論がなされています。

しかし、歴史的メモリーは、人々を民族国家成立に
駆り立てる要素にはなりえても
自他を区分するネイション国家を正当化するものではありません。
たとえば、アメリカ合衆国が独立した時、
その13の州の人々の歴史的メモリーは、
反抗しているイギリス帝国と共通でした。
沖縄は琉球王国という独立国の歴史的メモリーをもっていますが
今のところ沖縄民族?ナショナリストの運動の基盤にはなりえても
今日までそのような沖縄独立運動は生じてきませんでした。

宗教も分離したネイション国家形成を正当化する根拠にはなりません。
これは説明を要しないと思います。
チベット仏教は尊重される必要がありますが
チベット仏教の存在をもってチベットがネイション国家として
独立する根拠になりません。

言語についても分離したネイション国家を正当化する根拠にはなりません。
スイスは、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロマネッシュ語だったと
思いますが、複数の言語で一つのネイション国家を作っています。

先程述べたイランの例では、
東北地方はトルコ系のアゼルバイジャン語、
西南部は、クルド人のクルド語です。
その他いろいろな言語があります。
あるいは、インドはきわめて数多くの言語があることで有名です。

言語が民族国家建設を正当化するものだと考えると
世界各地で、ユーゴ崩壊のバルカンの民族浄化のような
悲劇に見舞われるでしょう。
私たちは、その道をとるべきではありません。

また、様々な国民国家の中で領域をもたない少数民族について
言語や文化の公的保障が探究されていると思います。
日本のアイヌ人も今回の国会決議で
アイヌ語やアイヌ民族の文化の尊重が
領域をもつ自治共和国でないやり方で探究されるだろうと思います。

したがって、言語の違いをもって分離したネイション国家を作る
正当な根拠にはなりません。

すなわち、ネイション国家として分離独立する正当な根拠は
どこにもないのです。
あるのは、ある国家で、抑圧された人々が、
その抑圧からの解放にあたって
どういう道を選ぶのかという
自分達の集団についての自己定義だと思います。

領域をもつ分離したネイション国家をもとめるか
領域をもった自治を求めるか
領域のない少数民族として言語や文化の尊重を求めるのか

(3)
多言語、多文化の人々が入り交じって暮らしていた
旧ソ連やユーゴが崩壊した後、
分離ナショナリストたちは、各ネイション国家の国境線を引くために
その領域設定の渦中で人々を血みどろの戦闘の中に導きました。
私は、中国やインドや世界各地でそのような事態が発生しないことを望んでいます。

20世紀初頭、アジア・アフリカ・ラテンアメリカは、資本主義諸国列強の
植民地化政策の中ですべての地域が、植民地、半植民地、従属国にされました。
この抑圧からの民族の独立と解放の歴史において、
私はその抑圧からの解放運動を支持します。

しかし、ほぼそれらの地域が独立した現在、
多民族国家において劣勢におかれている民族の
自覚が高まり、闘争が展開してゆく時代が始まりました。
旧ユーゴスラビア地域、旧ソ連地域だけでなぐ
中国、インド、イラン、様々なところで
優位にたつ民族が、少数派の経済や言語や文化を尊重せず
抑圧が強まることが当然ありえますから
抑圧された人々の闘争が生じるのは自然の理です

しかし、その闘争の終点を国民国家においても
問題の解決にはならないことを旧ソ連の地域や
ユーゴの地域が教えてくれています。

20世紀型の民族解放闘争とは違った
アプローチが必要となっています。
21世紀は「人類社会の多様性における統一」
という観点から民族問題の解決を探求すべき時代に来ていると
思います。

したがって、私は、亡命チベットの指導者が、
それまでの分離独立路線を捨て
一つの中国、中国人の仲間として
高度な自治を実現するという方針を取ったことは
今後、予想される世界史の展開に
影響してゆく
とても重要な英断だと考えているわけです。
その意味で私は、チベット人の闘いによって
一つの中国の中での、高度な自治が実現し
チベット人が心から納得する形が
実現してゆくことを期待するものです。

それは、中国、朝鮮、モンゴルに
加えて、日本も参加する
将来の東アジア連邦への土台にもなりうるものです。
私たちは、将来、近隣諸国とも仲良く
一つの国をつくり
最終的に一つの世界を作ることがいいと思うのです。
そして、私たちが、地球上、どこでも自由に旅行でき、
引っ越しもできる世界になるわけです。
「人類社会の多様性における統一」を探求しましょう。



補論

ヤマトンチューがウチナンチューを構造的に抑圧する事態が
あったら沖縄民族ナショナリズムが歴史に登場するかも
しれませんが、
沖縄では、構造的抑圧は、今日、ヤマトンチューではなく
米軍による支配構造にある故に表面化しないと思います。

私は、米軍なきあと琉球のリーダーが
ダライ・ラマのように
「一つの日本」における「高度な自治」要求をもち、
「自由貿易」地域をめざすのもありだと思います。
琉球の分離独立運動は、
日本ナショナリズムとの間で流血が生じると思います。
「一つの日本」における「高度な自治」路線が
ベターだと思うのです。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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