Michael Jackson - Heal the world - Live in Munich (video inspired by god of star)



(All soul of human should be respected as child of god)

Mitsuki wrote that soul of died soldier in war is not comforted by being worshipped in facilities of nation state.
All soul beyond nation should be worshipped.
This is important in view of true gods.
All soul of human is child of god of star.
All soul of human should be respected as child of god.
This is key point to understand human soul.




(小泉首相の靖国神社参拝と魂たち)

1) はじめに

昨日、ニュースを見ていたら、遺族会の人が「その英霊(魂)を靖国神社に祀る約束のもとに国家のために生命を捧げたのだから、首相が参拝することは当然だ。
小泉首相はよくぞ筋を通してくれた」という趣旨のことを言っていました。

私のおじさんにあたる人は、20才で中国戦線で亡くなりました。
不釣り合いな大きな墓石に祀られています。
そして靖国神社にも祀られています。
一度、私は名簿で見たことがあります。
今手元に支那事変武漢攻略戦戦死と書いたおじさんの遺品袋があります。
中に、破れた血だらけの日の丸の旗、千人針、小物などが入っています。
今そっと手をあわせて、この文章を書いています。

魂の存在を認めようが認めまいが、宗教施設に祀った戦争指導者を一国の首相が公的な立場でお参りすることには、「象徴的意味」があります。
その象徴的意味とは、アジアの人々2000万人以上の殺戮と300万人以上の日本人の死をもたらした日本の戦争指導者たちの免罪です。
それは、多くの人々に影響を与え、現代の日本をかつてのような言論を封殺し、戦争できる国へとさらに歩みをすすめることになります。
小泉首相の靖国参拝に批判的コメントを発した加藤紘一元自民党幹事長宅にテロリストが放火して自殺しようとしたことはその象徴的出来事でした。
 恐ろしい日本社会への歩みを一歩すすめた点で小泉首相とその取り巻きの責任は重大です。

2)魂とは何か

死後の魂は存在するという立場から、私のおじさんのような死んだ魂が、靖国神社に祀られて、政府の代表としての小泉首相が参拝することで本当に浮かばれるのかを考えてみたいと思います。
しかし、その前にまず「魂」とはなんぞやということを論じます

(1)人間存在の三領域における魂

さて、スピリチュアリティの基本的世界観は、人間は次元の違う三つの領域が重なっていることを前提にしています。
次の三つです。
①physical 身体的=物質的
②mental  知的=心的
③spiritual  精神的=直観的

 魂とはこの③から②にかかわるところの存在です。
この①と②と③の関係は、ちょうど、綿が水を含んだらひとつになっているようなもので分離できない形で存在しています。
テレビの液晶画面を考えてみましょう。
画面という物的なものが①身体的=物質的領域であり、そこに映る様々の映像や音声の展開が、②知的=心的領域です。
そして③のspiritual  精神的=直観的領域は、テレビやパソコンや様々の電気製品を動かしている電気のようなものです。
電子は、空気から水から土からコンクリート、鉄にいたるまですべての内部に存在しています。

 ③「spiritual  精神的=直観的領域」は、あなたの心を奥から「ただ見つめている実体」(=アートマン=個体意識)です。
どうやったら、その存在を確認できるかというと、まず、目を閉じて心の外側にある物的身体(テレビのハード面の存在)を忘れます。
さらに心のスイッチを自分で切って自分の心の中に何も映らないように毎日繰り返しレッスンします。
それでも「自分は存在している」という意識だけが残ります。
その自分は存在していると判断する実体が、③の電気にたとえたスピリットにほかなりません。

 さて、テレビを破壊してこわしても、もともとの電気とそれに信号をつけて形するプログラムは破壊されていません。
形にあらわれない形で存続しています。

 もとの原因になる電気と電気信号のデータがあるならば、別の物的身体のテレビをえた時にふたたび再生できます。

 ですから、自分は肉体だと思うならば、テレビのハードがいつか壊れるるように誰も死んでゆきます。
 自分はこの肉体といっしょにある心だと思うならば、やはりテレビのハードがこわれる時にいっしょに死んでゆきます。

 しかし、私は、すべてに普遍的に存在する電気だともっとも深いレベルとの同一化に達するならば、個別のテレビ君は、永久の生命を得ることになります。

これがすべての宗教の元祖が述べている悟りとかいう救済の本質にほかなりません。
たいていの人間はそこまで悟ることができませんから、ビデオのカセットテープのように次のハードディスクを求めてさまよいます。
これが魂です。

(2)魂が死後も継続しているという宗教以外の説

 こうした仮説は、体験や事実という客観的データで確かめることのできない領域なので、私自身、論じること自体に嫌悪感がありました。
 しかし、調べてみると一定の根拠をもって発言している人は多々ありました。
 たとえば、アメリカの精神科医 ブライアン・L・ワイスは『前世療法』PHP出版という著書の中で、「自分はまったく前世なんて信じいなかったが、前世があると考えなければ、説明できないケースにたくさん出会ってきた」事例をあげています。
 こうしたことは、時間の中で生成、変化、消滅を繰り返してゆく肉体に対して、魂という継続した実体があるということになります。

(3)死後、身体から分離した心についての聖者P.R. サーカーの説

進歩的社会主義(プラウト)を創始したインドの聖者P.R. サーカーは死後、身体から分離した心は、次のように宇宙を漂うと論じます。
「人間の心には三つの段階があります。
粗野crude , 精妙subtle,元因causal です。
また人間の存在には三つの状態があります。
覚醒, 夢、睡眠です。
粗野な心は覚醒状態の時に活動的です。
元因の心causal mind は無限の知識の貯蔵所です。
覚醒中、睡眠中に再生したサンスカーラは原因の心に蓄えられ続けられます。
原因の心が眠る時、私たちはそれを死と呼ぶことができます。
「カーラナーマナシ ディールガニドラー マラーナムKaranamanasi diirghamidra maranam 」「死は元因の心の永久的な眠りである」

 死後、その実体のない心は、その表現されないサンスカーラをもって広い宇宙を漂います。
生まれ変わりの原理によってその実体のない心は適切な物的基盤を見いだします。
新しい生の最初のほぼ五年間は過去の生の記憶が覚醒しています。
子供は、新しい身体環境の中にあるけれども、心の中ではその前の生の喜びと悲しみを生きつづけています。
子供が時々、眠っている時に笑ったり、泣いたりしている理由はここにあります。・・・・・
この宇宙には、破壊され、消えてしまうものは何もないということもまた真実です。
だからある人物の希望や挫折の歴史も下意識に蓄えられたままになります」サーカー『脳内記憶と脳外記憶』

 そしてカセットテープにデータが記録されていように、魂にあたる分離した心にサンスカーラという反作用の潜在力が蓄積されて残っており、次の生でその反作用の苦しみ味わうことになります。
「人が息を引き取る時、以前の生のサンスカーラ、すなわち反作用の潜在力が、精神spirit,(=魂 soul 、アートマ a'tma')に伴います。
この反作用の潜在力とは何でしょう。
その人の前の生で実行されたカルマ(活動、行ない)の実現されなかった帰結にほかなりません。
すなわち、活動が実行されたけれども、それらは実を結びませんでした。
過去の活動の実現されなかった潜在力は、可能性の種子の形で、心に同伴して眠っています。
その可能性の種子(すなわち実行されたが実を結ばなかった活動の未だ実現していない帰結)は、これらの可能性の具体化のためのもっとも適した次の生の場、基盤を手にいれます。
サンスカーラは、自分の表現にもっとも役立つ身体と神経細胞を捜し、手に入れます」サーカー『脳外記憶』

 このように人間の苦しみの多くは過去の自分のしでかしたことに由来するとサーカーは考えます。
ただし、貧困な家庭に生まれて苦しんだりすることまで、前世の間違った行いのカルマだという人があります。
サーカーはそれは、既得権益をもつ人々の議論であり、社会的公正の問題とは区別すべきだと次のように指摘しています。
これは似たことを言っている論者の中では注目すべき点だと考えます。
「人々が衣食や医療を手にするのに困難がない国々では、心理的な不調和に苦しみつづけるでしょう。
親族の死に泣きます。耐えがたい病気の苦痛にうめきます。
これらの苦悩は社会的公正の領域外のことであるけれども、心に必要なものが欠けているための個人と集団の苦悩の問題は、社会的公正と社会的平等のシステムを実施することによって容易に解決することができます。
だから過去の間違った行為や他の宿命のせいにすることは無益です。
実際、人々の苦しみについて.過去の間違った行為を非難することは、自分の立場を正当化しようとしている既得権を持つ人々によって用いられる議論にすぎません。
なぜなら、これらの苦しみが社会的不公正の結果であると認めることは、すべての人に責任があることを意味することになるからです」サーカー(Social Justice)

3)魂たちを癒すために

(1)戦死した兵士の魂は、靖国神社に祀られ、参拝されることで癒されるか

さて、はたして戦争で人を殺し、殺されて身体から分離した兵士の心(魂)は、靖国神社に祀られて癒されるでしょうか。

 インドの聖者サーカーの説にしたがって考えてみましょう。
身体から分離した心はすぐに一瞬たりとも静止することなく、この宇宙を漂うと言います。
「死後、誰も永遠の地獄や天国に行かないでしょう。
また永遠に墓にいるわけでもありません。
誰も最後の審判の日まで待つ必要はありません」(SUPERSTITIONS ABOUT DEATH)SUPERSTITIONS ABOUT DEATH)

 静止して、その人のお墓の中に存在できるわけでもありません。
同じように靖国神社に戦死した兵士の「英霊」をまつったからといって、霊(分離した心)は、靖国神社にとどまることはできません。

 こう考えると小泉首相が、靖国神社に参拝することで、国が戦場につれて行って殺した兵士の「魂」を決して癒すことはできません。

 もし、私のおじさんのような20才で亡くなった兵士の魂を癒すことができるとすれば、 
小泉首相が、「日本政府が戦場の修羅場に連れて行った魂たちよ、日本政府を代表して謝ります。
悪かったです。
あなたたちはもっと長く生きることのできる生命があった。
中国やアジアの人々を殺させるというようなひどいことをさせて悪かった。
赦してください」
と日本政府の代表として魂たちに謝る時、戦場で国家のために生命を投げ出した魂たちは癒されて、うらみや憎しみから解放されて、よりよい世界に生まれ変われるでしょう。

  しかし、今、小泉首相たちの右派グループが靖国神社に参拝する気持ちはそのような魂に対する謝罪と癒しのメッセージはこめられているでしょうか。
そうではありません。国家がおじさんを教育で洗脳し、そして国家がおじさんを20才で、殺し殺される戦場に強制し、死に追いやったことへの反省はどこにありません。
「英霊」として美化しているのです。
明治国家が、国民を兵士として天皇制政府のために積極的に死んでゆくようにマインドコントロールためにつくった装置が靖国神社であることと判断せざるをえません。
小泉首相の靖国神社参拝は、これから国家が命じる戦争のために死んだ人は国家として敬意を捧げてあげるよという徹頭徹尾に考え抜かれた演出にほかなりません。
そこにはふたたび国民が日本国家のために死んでゆく積極性をもたせようとする国家主義者としての悪魔的笑いがあります。
 もちろん残された遺族が自分たちの墓地にお祀ることは意味があります。
20才で死んだ私のおじさんは本当は実家にもどって、戦争のない人生を送りたかったでしょう。
残されたものが魂にやさしいメッセージを送ることは、おじさんの浮遊している魂に好影響を与えるでしょう。

  (2)戦死した兵士たちの魂を癒す道はどこにあるのでしょう。

 サーカーのサンスカーラ論を正しいとするならば、中国へ戦争にゆき、中国人を殺した兵士の心の奥に中国人を苦しめただけのサンスカーラ(反作用の潜在力)が蓄積しています。
殺した中国人の苦しみだけなく、家族を殺された中国人、アジア人のうらみや憎しみ、与えた苦しみの分だけ、その反作用の潜在力が心の一番奥に蓄積することになります。

 エノラゲイ号で広島に原子爆弾を落とした人は、後に苦痛の余り、狂いました。
また先日、NHKでイラク戦争に行ってもどった兵士が、「俺は無抵抗のイラク人兵士を殺した。俺は殺人者だ」といいながら、苦悩の中で自殺した話をやっていました。

 このようにこの人生で与えた苦しみの反作用を味わった人は、次の生では反作用はすでに終わっています。
しかし、エノラゲイで原子爆弾を落として何ひとつ苦悩を味あわなかった人と、イラク戦争にいって平気でイラク人を殺して苦悩を味あわなかった人には、次の生でどうようの苦しみを味わうことが待っています。

 この宇宙には何もなくなるものはなく、与えた苦しみの分の量だけ、自分が苦しまなくてはならないからです。

 本当に戦死した兵士の魂をいやすためには、「英霊」をそれ以上、国家が利用しないことです。
かつて日本国家の命令で中国戦線の兵士として利用し、そこで中国人に蛮行をせざるをえない窮地に追い込みました。
さらに魂を「英霊」として利用し、アジアの人々の子孫の感情を害することを行っている小泉首相の行為は、死んだ魂の反作用の潜在力(サンスカーラ)を強化することになります。
魂を解放し、癒しているのではなく、さらに魂の罪を重くし、さらに苦しむようにもっていっているのです。

もし、国として戦争にかかわって死んだ魂たちを癒す施設が必要であるならば、兵士の魂だけでなくすべての戦争犠牲者の魂を祀るべきだと思います。
そして将来的には死んで行ったアジア数千万人の魂たちも、ともに祀り、
「悪かった。もう国家と国家の衝突から戦争を引き起こすようなことは二度としない世界をつくるために全力をつくすから、やすらかに眠っておくれ」
と誓う施設にすべきだと思います。

 かつて被害を与えた中国、韓国・朝鮮、アジアの人々と心からの友好を実現することこそ、真に「英霊」を癒すことにつながります。

 「なんべん、あやまらせたら気がすむんや」ということを言う人がいますが、個人の関係でも、そんなことを言ったら、あやまったことはゼロに帰すでしょう。
 大切なのは心です。
小泉首相は心を踏みにじっているとしか思えません。
魂たちを癒すためには、あれは日本の正しい戦争だったというような2000万人もの中国人の死者たちの魂、そしてその死者の家族である今日生きている人々の心を傷つけるようなことをしないことです。
それ以上憎しみやうらみを加えないことです。
 加えた苦しみの分量だけ、日本兵の英霊たちはサンスカーラ(反作用の潜在力)を重くしてしまいます。
死んだ中国人の魂、今生きている中国人に、日本が攻めて行ったのは悪かった。
もう二度とそういう日本にしないから安心してくれというメッセージを伝えることが何よりも、日本兵の魂を癒すことにつながります。

4)まとめ

『神との対話』でベストセラーになったニール・ドナルド・ウォルシュは『明日の神』という本を書き、次のように言っていることには納得できます。
「いまのあなたがたの世の中でいちばん役にたつのは、現在の社会の仕組みの中でバラバラに分裂した要素を和解させる努力をすることだろうな。
人種やジェンダー、国家、宗教のあいだの和解だよ。
この和解には・・・・過去の『悪行』を認めて、心からその悪行を謝罪することも含まれなくてはならないね。
 たとえば、日本人が朝鮮半島のひとたちを支配し抑圧したことを・・・
さらにはいまのおおくの日本人の態度についても・・・
謝るということですね。
 あるいはアメリカ人がアメリカ先住民の土地を奪い、居留地に押し込めたことを謝り、・・・・・

 人間のほとんどは、いまあげた不正を決して忘れないだろうからね。
そのような不正の物語は世代から世代へと受け継がれて、文化的な物語りになる。・・・
もっと新しい世界をどう創造するか。
新しい明日をどう創造するか。
人として、文化として、国家だけでなく、地球の市民として自分についての新しい考え方をどうする創造するか・・・・・」ニール・ドナルド・ウォルシュ『明日の神』サンマーク出版347~348ページ

 地球の市民として、人類64億人の一員として、人類連邦政府を作りましょう。
地球上のどこに生まれ変わっても飢餓に苦しむことのない永続した平和の地球惑星社会を作り上げましょう。
民族、宗教を超えた友愛の中で戦争で人生を全うできなかった人々の魂を癒してゆきましょう。
2006年8月16日記(小泉首相靖国参拝の翌日)




Canadian Journalist questioned for Japanese's visiting to Yasukuni war ?者??日本右翼参拜靖国神社被?攻



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