Australopithecus sediba - completing Karabo (politikh kouzina)
(video inspired by god of star)



(Mistsuki had noticed this most important truth before down of documents of Heaven)

This article is that humankind having atomic energy is lead to ruin under competing system of capitalism.
Mistsuki had noticed this most important truth before down of documents of Heaven.
Theory of IUrii Ivanovich Semenov  which developed monkey ruined by having tool is truth.
Repeated ruin of developed monkey having tool, gods of heaven did soul project.
This time being developed human being have atom energy, gods of heaven do project of socialist earth government in order to save human being and lives on earth.
This article of mitsuki is very important.


この論文は,原子力エネルギーをもった人類は資本主義の競争システムのもとで絶滅する,です。
ミツキはこのもっとも重要な真実に天の文書をおろすまえに気づいていました。
進化した猿が道具を手にもったことによって絶滅したというセミョーノフの説は真実です。
道具をもった進化した猿が絶滅を繰り返したので,天の神々は魂プロジェクトをおこないました。
今回,人間が原子力エネルギーをもつところまで発達したので地球の人類と生命を救うために天の神々は社会主義地球政府プロジェクトをはじめたのです。
ミツキのこの論文はきわめて重要です。




人類史の現局面で「協力原理と平等原理の社会」を高次復活させる意義について

第一部

(1)人類史をもっとも大きなサイクルで振り返ってみましょう。

1)前原始社会・・・猿の社会(競争原理)

(猿人)オーストラロピテクス 猿のタイプの一夫多妻制、直立二歩行の猿社会 メスめぐる闘争の猿社会が石器をもっため殺しあってしまい自滅した。
群婚による協力原理の社会へと変革した種が次の段階へ進んだ。

2)人間の原始社会(協力と平等原理、ワンネス思考)

a、前期
(原人、旧人) ネアンデルタール人 洞穴で暮らした、無規律群婚(男女入り交じって生活)であった。
b、後期
(新人)現生人類 原始的家屋と規律ある群婚(母系制) 男グループと女グループが別居

3)人類史の第一サイクル

   階級社会(家族・私有財産・国家の成立、支配・被支配関係、二元論思考)
( 「階級社会」というのは富と権力が一部に集中するシステムになったという意味)

日本での群婚以後を高群逸枝説を参考にすると
ウチビニ・スビチニから7世紀半ばまでは妻問婚で夫婦別居(母系制)
9世紀末(平安中期)から婿取り婚で、夫婦が妻の家で同居(母系制)
武士勢力の台頭とともに嫁入り婚が生じ(父系制)
室町時代から本格的に嫁入り婚が広がります。(父系制)
1945~ 「日本国憲法」 の男女同権の単婚家族
(日本国憲法のスピリットは,人類史の次の段階につながる)

4) 人類史の第二サイクル

 惑星地球社会と民主主義経済
(富と権力の分有、すなわち経済民主主義とグローバル社会)・・・
ここから人類の本史がはじまる。

(2) 人類史の20世紀と21世紀の比較、21世紀は惑星社会の成立への時代となる

20世紀は、
a,資本主義強国による植民地の取り合いの
第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験しました。
b,植民地にされた国々が民族の独立を求めて支配する国と
民族解放戦争を戦いました。
c、資本主義強国の中でも民衆の連帯した運動が
労働や生活や環境の向上をもとめて展開していました。
その結果、192(193)の独立国というネイション(国民国家)体制が確立し
国民国家(ナショナリズム)と資本主義が発展し、地球をおおいました。

21世紀は、
「国民国家(ナショナリズム)と資本主義」を超えて
惑星地球社会と民主主義経済(富と権力の分有)に成功し
人類の本史が出発する時代になるとみます。
(というか、そうならないと人類は多大な苦難の中に突入します)

そんなわけで、私たちは、人類史のマクロな波の第一サイクルの終り
第二サイクルという新しい人類文明の夜明け前にいます。

(3)猿人⇒原人・旧人⇒新人

そこで、私たちが一つのマクロな歴史サイクルの終りのはじまりにいるということは
この歴史サイクルが始まる前の段階を振り返り、
人類文明史的に自分たちの位置を確定する必要があります。

1)猿人(オーストラロピテクス)は手に石をもつことで滅びた

セミョーノフ『人類社会の形成(上、下)』法政大学出版局は
このことについて深いインスピレーションを与えてくれました。

二本足の直立して歩いたたために手が自由になったことが
猿と人間の分岐点とされるのが通説です。
エンゲルス『猿が人間になるにあたって労働の役割』

セミョーノフはこのエンゲルス説を「含んで超えている」のです。
つまり、二本足で立って手が自由になった段階では、
まだ猿の社会だったのです。
ある意味人間とは言えません。

なぜか、猿山の猿を観察すればわかりますが
一匹の強いオスがたくさんのメスの妻と子供をつれたグループをつくっています。
一匹にメスが集中するので、あぶれたオスたちは森の中で分散して 一人さびしく暮らします。
猿山にいって最初に出会うのはそうしたオス猿です。

オーストラロピテクスとは二本足で歩いた猿でした。
手が自由になって石をもって戦うことができます。
たくさんのメスを妻としてセックスしている最中の
ボスを背後から忍び寄って、
頭に石をなげつけて、殺し
自分がセックスしようとします。

食欲本能と性欲本能は動物として生存するために
衝動がわき上がります。
男性のたいていの人は青年期に衝動がわきあがると
思います。

猿の段階で、手で石をもつことができなかった段階には
性衝動をもとにボスのオス猿と戦っても
相手の頭蓋骨を粉砕し、殺すことはできませんでした。

しかし、両手が自由になった猿である
オーストラロピテクスのオスは、手に石をもって
ボスを殺すことさえできました。

その証拠にオーストラロピテクスの頭蓋骨は
セミョーノフの研究によれば、壊れているのです。

猿人のオーストラロピテクス 段階では、
直立二歩行の「猿」社会であったのです。

2)「群婚と協力原理」の旧人の社会
石という道具(武器)を手にもった人間が生き延びるには
性衝動を超えて、協力原理を確立することが死活の課題でした。

そこで特定のメスをオスが独占しないシステムである
群婚のシステムにして群れ集団から性衝動による
紛争を無くすことができた原人、旧人が
存続することができました。
氷河期にマンモスをおって狩りをした人々は
内部から性的相手をめぐる「競争原理」を排除し
「協力原理」を確立することによって
困難な時期を乗り越えたのでした。

つまり、今の文明の時代に先行する
数万年にわたる人類の社会は
群婚であり、「協力と平等原理」の社会であったわけです。

群婚の時代も大きくは次の二段階にわかれます。
(原人、旧人) ネアンデルタール人 洞穴で暮らす、無規律群婚
ただし、無規律といっても、セックスが許される一定の期間があり、
ルールはあったと推測されます。
祭りの時に許される形で世界各地にその痕跡があります。
(新人)現生人類
原始的家屋と規律ある群婚(母系制) 男グループと女グループが別居

これを前提として、日本列島では「妻問婚」に展開してゆくわけです。

(4)「否定の否定の法則」から考える人類史

まず猿社会の一夫多妻制が「否定」され
群婚(母権制)になります。
それが「否定」され
人間社会の父権制になります。
(それは事実上の「一夫多妻制」を許容しました)
そして1946年の日本国憲法では「両性の平等」が確立します。

すなわち
定立(群婚と母権制)⇒
反定立(父権制社会)⇒
統合(日本国憲法の「両性の平等」)
となります。

したがって、今、私たちが手にすることができている
日本国憲法のスピリットは、人類史における
次のサイクルのベースになるものであることがわかります。

さらに
(定立)
人類文明第一サイクルが始まる以前の原始社会は、
競争原理を排除して成立した「協力と平等の原理」でした。

(反定立)
人類文明第一サイクルは、人間関係に「競争と対立、上下関係」を持ち込み 富と権力(決定権)を集中させるシステムでした。

(統合)
これから始まる第二サイクルは、
現在の「競争と対立、上下関係」を「否定」し、
原始社会にあった「協力と平等の原理」が、
地球規模で高次復活すると考えられます。

※、
ここでは競争とは一般にイメージされる「切磋琢磨」的な「上向きの競争」ではありません。

相撲取りと大人と子供があったら、別々のルールで競技しないと 結果は見えています。
地域の生活にねざした農林業や中小企業など、
同じルールで競争させる今日の資本主義のあり方は
「新自由主義」であり、
あらゆるところにそのような強者に有利な「下向き競争原理」が
あらわれているとみるわけです。

それにかえて、「協力と平等の原理」を高次復活させることを
めざすのが、次の人類文明の開始の準備をしているものの
使命ではないかと思うのです。

第二部

一般に流布していない説なので少し補足させてもらいます。

(1)サル社会論

セミョーノフの本は動物社会論について40ページがさかれていますが
猿の社会って、本当にセミョーノフの言うようなオス同士のメスをめぐる対立を
孕んだ社会だったのだろうかと思って手にした本が
杉山幸丸『サルはなぜ群れるのか 霊長類社会のダイナミズム』中公新書でした。
セミョーノフのものは性欲という本能を軸にして考えられていて
杉山の本は、食欲と性欲という本能を軸においていて基本的には猿社会についての 見方は共通していると思いました。

「これまでの日本の霊長類社会構造論は、
優位の個体から見た統合論だったのではないだろうか。
一見して協調の絆の上に築かれ、役割分担と協力によって
維持された、大変調和が見えているようにみえた社会構造論が、
じつは、たいへんな競争と上昇志向を前提とした
勝ち残り社会構造論だったというとだ。」杉山、15ページ

(2)
アウストラロピテクスの頭蓋骨に石で打撃を加えられた跡が本当に残っているのか
という点についてです。
セミョーノフ『人類社会の形成(上)』の中に、紹介してあるのは
アウストラロピテクス研究の一人者であるダートの研究です。
発見された56の頭蓋骨のうち、50個以上に
「先の鋭い石の打撃によってつくられるがごとき・・・陥没孔が発見された。・・」
です。
たった56個の発掘された頭蓋骨でそんなことが言えるのかと思われると思いますが
仮説の域を超えることはできませんが、
私は説得力を感じます。

(3)自滅の構造からの突破が「協力と平等の原理」社会への転換

重要なことは、セミョーノフは、猿の「競争と勝ち残り社会構造」が
直立二歩行になったアウストラロピテクスに受け継がれたが
その猿社会構造は、手に石という道具をもったことで
自滅する構造にいたっていたということです。

生産力の発達は生産関係(個体と個体との関係)に影響します。
素手から石という道具(生産力)をもったことは、
それまでの猿型の「競争原理と上下社会原理」(生産関係)と衝突し、
生産関係(個体と個体の関係性)を「協力原理と平等原理」に変更するしか、 存続の道がなくなります。
ここに人類進化の発展法則の一つの側面があります。
(生産力と生産関係の矛盾を発見したのがマルクスの史的唯物論だと 考えています)

今、人類社会は、猿と人間の過度期の存在であったアウストラロピテクスの 段階と似ている状況になっています。

猿が二本足で立って石という道具をつかえるようになりますが
「競争と勝ち残り社会構造」という猿社会は、石がつかえると言う
生産力の発達のために自滅の危機に至ります。
その危機を救って人類の存続と進化を可能にしたのは
石をつかわない猿に戻ることではなくて
社会構造を群婚という形にして紛争を排除して
「協力と平等原理」の初期人類社会を形成したからでした。

今日、地球規模で生産力が大きく発達しました。
「競争と勝ち残り社会構造」という人類社会は
核技術や遺伝子改造技術(生産力)などを
競争と勝ち残りの社会構造(生産関係)の中で活用し
アウストラロピテクス社会と同じ矛盾に陥っています。

マルクスもーサーカーもウィルバーも同じですが
弁証法的な見方は、
技術の(生産力の)発達は止めることはできないと考えます。
アウストラロピテクスに石をつかわず
猿にもどれというのは、
歴史を後にまわそうとすることで、成功しません。
弁証法的矛盾論の教えるところは
前に向かって打開するしか道がないということです。

原発事故で人々が被害にあっているのは
ちょうどアウストラロピテクスの頭が陥没しているのと
同じ意味を私は読み取るわけです。

猿型社会の高次復活である
「競争と勝ち残りの社会構造(生産関係)」
すなわち、資本主義とナショナリズムの克服が
問われているのだと思います。

経済決定権が少数のものに集中し
営利追求のシステムの中で
国益と企業利益追求型で推進されている。
その中で原子力技術が未完成なのに
実用化がなされているのが問題なのだと
という見方を私はしています。

原発をやめさせるために
その反対で一致した大衆行動が必要です。

この放射能汚染や気候変動など地球環境、遺伝子操作など
国家主義と企業営利主義の今の人類の社会システムでは
人類はさらなる危機状況にさらされます。

私たちは、「競争と勝ち残りの社会構造」をもつ
今日の文明では制御できない生産力をもってしまったのです。
ちょうど、猿のアウストラロピテクスがその手に石をもってしまったように。

今日の生産力を制御し、人類と生命世界のために、
その生産力を「有効活用」できる「協力と平等」の社会構造に
人類世界を変革してゆくことが
急務になりつつある段階を迎えているのだと思います。

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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