Human Relation  (video inspired by god of star)


(cooperation of production is unseen under capitalism)

This article is that cooperation of production is unseen under capitalism.
Socialism means to change visible relation from unseen relation.
Mitsuki makes clear this point.
This is most important point for project of Heaven and gods.

この論文は,資本主義においては生産における協力が見えない,です。
社会主義は,見えない関係から見える関係に変えることを意味します。
ミツキはこの点を解明しています。
これは天と神々のプロジェクトにとってもっとも重要な点です。




個の対等の協力構造のシステム

集合体における「個」と「個」の協力関係は、 物的な貨幣交換の外見のもとにまったく隠れている。
資本主義という企業間競争と企業内での個人の競争という 「競争原理」の経済社会を「協力原理」の社会システムに 置き換えてゆく必要があることを論じました。

(競争原理は、ゲームやスポーツなどの 限られた領域に縮小されるべきという意見です)

「存在における私たちの本当の姿」である 「協力」のネットワークが見える社会にしてゆく必要があります。

そこで゛ 「今日の資本主義文明を超えて、 『脱集中decentralization、民主主義』の経済が始まる時、 「私たちの本当の姿」が見える社会に向けての大きな前進かあります」 と書きました。

その点でもう少し説明が必要です。

(1)
人々の「見る」と「観る」の能力について考える必要があります。

「脱集中、民主主義」経済では、今、その萌芽として発生している 地産地消や産直運動や農産物商品に生産者の写真の添付が出回るなど 私たちが、横に対等に「協力」しあっている存在であるという 「私たちの本当の姿」が「見え」やすい形に進んでいきます。

しかし、そのような「脱集中、民主主義」経済においても 水道料金、電気料金、インターネット使用料金など、 様々に代金を払います。
だから、代金支払の中で、それらの関連する労働者との協力関係が 「見え」、感じられるわけではありません。

(2) マルクスは資本主義文明が生み出す「豊かさ」と その豊かさを主観的に知覚する能力の発達を テーマとして考察していました。

ちょっと難しくなりますが
「人間的本質の対象的に展開された富を通じて はじめて主体的な人間感性の富が 音楽的な耳が、形態的な美にたいする目が 要するに、人間的な享受をする能力のある諸感覚が、 すなわち人間的本質的諸力として確証される諸感覚が はじめて完成されたり、はじめて生み出されるのである」
マルクス『経済学哲学草稿』岩波文庫、132ページ

資本主義のG⇒W⇒P⇒W'⇒G'の拡大再生産プロセスは G(貨幣)をG'(増やした貨幣)する終ることのない運動、 すなわち、その経済競争原理の中に、 多くの人々の人生を巻き込みます。
人々はその「人間的な豊かさ」を主観的に知覚する能力発達を阻害されます。


「マルクスの言葉は、日本語訳だとわかりにくいですが、 主観Subject 、対象(客体)Objectです。
S+V+Oの主語と目的語ととらえたらわかりやすいです。
以下、私は、
対象(客体)Objectとして展開している人間同士の経済協力のネットワークは Sujectに(私)には「見えない」けれども、 内的直観的には「観える」のだと言いたいわけです。
この真実が観えるようになった人々によって企業競争原理の社会が 乗り越えられることになると論じます」

(3)
もとの話にもどりますと
私たちが、水道の蛇口をひねる時、
水を「見る」だけでなく直観的に水道関係の労働者の労働を「観る」ならば 私たちが、電気をつける時 明かりを「見る」だけでなく直観的に電気関係の労働者の労働を「観る」ならば
私たちが、パソコンでインターネットを活用する時 その画面を「見る」だけでなく配線やコンピューターの様々の労働者の労働を「観る」ならば
私たちが、自分の住居や部屋にいる時、それを「見る」だけでなく 鉄筋を打ち立て、コンクリートを固め、 壁を塗りなどの様々の労働者の労働を「観る」ならば
私たちが、自分が気に入った服を買う時 服を「見る」だけでなく、その服を織ったり、運んだりした労働者の労働を「観る」ならば
私たちが、コーヒーを飲む時 コーヒーとともに、農園の労働者と運送した労働者の労働を「観る」ならば
私たちが、食事でご飯を食べる時 ごはんとともに、農村の田んぼで働く農家の人々の労働を「観る」ならば
私たちが、食事でサラダを食べる時 サラダとともに、畑で育てた農家の労働や流通させた人々の労働を「観る」ならば

私たちがいかに人間同士の「普遍的協力」の世界の中に存在しているかに 気づかされます。
私たちは、「みんなで協力しあって生きている存在」だという本当の姿に気づきます。

学校教育の中での「学力テスト」競争教育は、 私たちの潜在的な集合意識の中に 「俺はあいつより勝った」「俺はあいつに負けた」という 「競争的思考パターン」をしみこませます。
そして企業に入社して競争原理の経済世界を その思考パターンをもとに生き抜きます。
この競争的思考パターンのフィルターで「観る」と、 私たちが「協力しあって生きている存在」だという真実を 観る目を曇らせます。

「みんなで協力しあって生きている存在」ということへの 「気づき」の深化にこそ、最高の真実があります。

(4)
ワンネス哲学では次のように考えます。
一なる普遍的愛の光が、多なる物的世界として展開し
その物的世界の進化を通じて人間構造が生まれた。
人間構造は、一なる普遍的愛の光が個体意識として 投影されて成立しているものである。

私たちは、同じ一つの宇宙的エネルギー(生命)の木の多なる葉です。

上の方にある葉、下の方にある葉、大きな葉と小さい葉と その存在は多様であっても、 葉と葉は「競争関係」にあるのではありません。

すべての葉が「みんなで協力しあって生きている存在」であって もっとも深部においては自分自身である一なる木の生命を強化し、 強化された一なる木によって葉の生命が強められるという関係にあります。
私たち(葉)は、生命の木自体であり、 私たちは、互いに「競争関係」にあるのではなく 私たちは、互いに「協力関係」にあります。

この最高の真実に「気づく」人々が増えてゆく時 企業競争主義と上意下達を組織内部に含む 資本主義文明は消滅の開始を始めることになります。

そして、人類は、普遍的愛のスピリットにもとづく 協力的ネットワークの文明の中に生かされていることを 見いだすことになります。
(一なる木という生命エネルギーは、 普遍的愛のエネルギーと言い換えることができます。)

この時の人々の意識は、風呂の湯沸かしボタンを押す時
水道建設や水道管理の労働者、風呂桶を作る労働者の 存在とその労働が「観える」ようになっています。
客観的に「見える」のではなく
主観的知覚の中で直観的「観る=感じる」ようになっているのです。

(5)
他地域の人が支配する競争原理の非民主的資本主義経済構造に代わって、 ブラジルで展開しているような連帯原理の経済のネットワークが (日本で言えば、地産地消、産直運動、自給的地域再生産構造、協同的企業などなど) 発展する時、
より数多くの人々が、私たちが「みんなで協力しあって生きている存在」であることに 「気づき」ます。
その「気づき」は、連帯原理の経済ネットワークの輪を広げます。
その連帯経済ネットワークの輪の広がりは、 いっそう、人々の「気づき」を深め、広げてゆきます。

すなわち 集合体の心の内面において「私たちが協力的存在」であることへの集合的「気づき」は 集合体の心の外側である連帯的経済の発展を促進し、 またそれによって集合的「気づき」も促進されるという 相互作用が加速してゆく関係にあります。

人間の客体(対象Object)である経済諸関係の発達は 人間の側の主観的知覚(Subject)の発達と平行してゆきます。

そして最後は次のようになります。
「生成しおわった社会は、人間の本質のこうした富全体における人間を
すなわち、ゆたかな、そしてあらゆる感覚を十分にそなえた人間を
その社会の変わることのない現実として生産する」
マルクス『経済学哲学草稿』岩波文庫、140ページ

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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