Skellig By Loreena McKennitt (video inspired by god of star)
( collective thinking pattern is formed as horon layer which is defined by historical process)
This article is that collective thinking pattern is formed as horon layer which is defined by historical process.
This is important view when pursuing social change.
To change of collective thinking pattern is done by cultural activities.
この論文は,集合的思考パターンは歴史的経過に規定されるホロン階層として形成される,です。
これは社会変革を考えるさいに重要な観点です。
集合的思考パターンの変革は文化的な活動によってなされます。
パーリア力作型(有能従属型)の歴史的背景
レオニードさん
興味深いテーマをありがとうございます。
「不正を正したのに高い評価を受けないというのは、
アメリカやヨーロッパの社会ではほとんどありえない。
資本主義の矛盾やグローバリゼーションにより発生する問題より
ずっと深刻な病を、日本社会は抱えているのです」(レオニードさん)
このテーマをどの角度から光をあてて考えるかによって
様々な見方が生じます。
まず、さっと頭に浮かぶことを述べさせていただいて
あと少しずつ、長期テーマとして論じさせてもらいます。
(個々人の生き方としては
内面的に自立した個々人、
良心にもとづく生き方を選択した個々人が
増える必要があります。
そのような人々が生きやすいように
そうした人々が形にはあらわれなくても、
心の中で連帯しているような社会的風土をもつ
「市民社会」を形成してゆくように
人々を励ましてゆく進歩的な知的リーダーが増えて
社会の内面風土が変化してゆく必要があると
思います。)
文化的内面的な伝統、経済社会的な歴史的経過を
含めて多角的に考える必要があります。
(1)
レオニードさんの論点の主眼は、その人の能力が
正当に評価され、学歴の低いものが力があれば
幹部にも抜擢されるような人事的流動性のことを
おっしゃっています。
その点から頭に浮かぶのは
なんどか紹介した内田義彦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E7%BE%A9%E5%BD%A6
の『日本資本主義の思想像』という本の中にあった
パーリア型資本主義として日本資本主義についての短文です。
夏目漱石の「坊ちゃん」という小説にでてくる人物を通じて
人間の類型化をおこなっていました。
純粋力作型=坊ちゃん、やまあらし
パーリア力作型=赤シャツ(教頭)、
パーリア型=たぬき(校長)
野太鼓うらなりは、パーリア力作型の赤シャツのしわよせを受けています。
パーリア力作型は、下部に抑圧委譲する特質をもっています。
パーリア型とは上役にペコペコにして、つけ、とどけなどで出世してゆくタイプです。
純粋力作型は、上役に迎合せず、反骨精神があるので、
下部に抑圧委譲をしてゆきません。
パーリア力作型は、実力もっていて、上のものにとりいるのが上手なタイプです。
たぶん、上のものにとりいるのが上手なこのタイプこそ、日本資本主義を発達させた
人間類型だと内田義彦は考えたのではないかと思います。
そして純粋力作型が生かされる経済システムが望ましいと考えたと思います。
(2)
これは資本主義経済社会が歴史的にどのように形成されてきたのか
ともかかわるように思えます。
マルクスが資本主義の発達のための必須の通過点と評した
イギリスの独立自営農民とその商品交換で形成される
局地市場圏で、自立と対等の人間関係の世界を生きた
人々を経由して構成されたのか。
それとも、大地主のもとで農奴や奴隷的な上位下達の世界で
形成された精神構造の人々を経由して資本主義が構成されるのか
近代世界へ達する二つの道の対立に関連していると思います。
上部構造の政治の文脈でいうと
イギリス市民革命、フランス市民革命という下からの変革の道
アメリカの南北戦争は、北部の市民的勢力による下からの資本主義発展の道か
南部の奴隷主勢力による上からの資本主義発展の道か
のテーマとしてもとらえることができます。
ドイツのビスマルクの指導する上からの革命は
ユンカーという東部の大地主の上意下達の勢力がヘゲモニーを握りました。
(ドイツは今日は西側地域の人々がヘゲモニーを握ります)
古い前近代世界を私たちがどのように超えてきたのかは
私たちの集合的な思考パターンに影響を深部で及ぼしつづけていると
思います。
(3)
日本も、上からの資本主義発展の道をとりました。
1868年の明治政権は、鹿児島県、山口県、高知県の元武士層が
リーダーシップを握って上から資本主義化を推進してゆきます。
農村に形成される地主・小作制の小作農を労働者にします。
そこには当然上意下達的意識の強い民衆は無権利におかれる
資本主義が生み出されます。
そして天皇家を最大の大地主として大地主と大資本家の
ブロックの上に強いイデオロギー制をもった天皇制国家ができあがります。
1945年からの財閥解体、大地主の土地改革などなど
経済の民主化は日本の歴史上画期的なもので
そこの後の日本社会の良い面を生み出すものだったと思います。
しかし、政治的思惑から日本軍国主義の精神的支柱であった
天皇制が残され、中国で共産党が勝利する情勢の中で
日本を占領していたアメリカ軍は、「戦犯政治」といわれるようになる
日本のもと軍国主義時代の指導者たちを復活させます。
今日、彼らの後継者たちが力をもってきつつあります。
受験競争システムで育ってきたたくさんの良い子たちは
問題自体を自分で考えて問う思考力は発達していません。
与えられた上からの課題をこなす点では優秀メンタリティをもって
育ちます。
社会にでてパーリア力作型の社会になじみ
そして過去からつづくその集合意識の中で教育されます。
橋下氏のいう「上にたつエリートの指令に
異論をとなえず従うのが当然なんだ。
それが資本主義のマネジメントなんだ」という
上意下達思考パターンを当然とする多数の
人々の意識を生み出しているのだと思います。
そうした世界では
「不正を正したことが高い評価を受ける」と
いう風土は生まないとみています。
建前では、勇気あることと評価されるでしょうが
心の奥では「長いものにはまかれろ」で生きていて
そう生きてきた人々の心の「平安」を脅かすものだからです。
(4)
レーニンのロシアの農業発展への問題意識は、このテーマにあると
みています。
つまり、ロシアが、上からの資本主義化のドイツ(プロシャ型)の
道を進みつつあるけれども、アメリカ型の下からの道を
進むように転換をとげようです。
農民を組織して下からの民主主義革命の方向に組織して
その上に立つ社会主義を構想していました。
しかし、レーニンが指導時の「戦時共産主義」は、
革命を守るためとはいえ、もちろん、間違っていたと思います。
それを反省して、元の目標に立ち返った時点で亡くなりました。
そしてスターリンの上からの強制的な「社会主義」化が
押し進められることになると思います。
その時に、一国社会主義が可能かどうかが論議されて
スターリン派の一国社会主義という名前の
強力な上意下達の性質をもった
国家資本主義的計画経済が始まったのだと思います。
(という私の理解ですが、・・・・)
今のロシアは日本以上に、そうした問題が
横たわっているように見えます。
(4)
日本の内面風土は「恥と世間体」で問題のある行いを律します。
たとえば「世間体が悪い、世間体が良くなるように」
親は子供の内面的な成長を願うよりも
より名のとおった学校にゆかせたいと思います。
(これは東アジア地域にも強いのではないでしょうか)
昔、日本人の旅行者の「旅の恥はかきすて」が
話題になりました。
フィリピンの女性との間でたくさん子供をつくりました。
「世間にばれなければ、恥にならないから」いいわけです。
内面の奥に全知の存在があり、
「あなたのやっていることはすみずみまで知っている」
ということで律される内面構造ではないので、
良心にそって生きて損するよりも
長いものにまかれて生きる方がいいという
「現実主義」の生活スタイルが生まれます。
日本の宗教文化の一部の中にあった
悪いことをしたら地獄の責めがあるよというイメージも
その人の内面的自立を促さず、力あるものへの屈伏を教えます。
それに対してキリスト教文化圏での内面構造は
「罪」が問題になります。
それが近代で「良心」に転化します。
(5)
しかし、この説明の仕方も一部あたっているだけと思います。
イタリアの南部地域のかトリックの強い地域だと思いますが
そこは大地主制が強く残っていた地域であり
イタリアの上からの革命と前近代的構造からくる
古い思考パターンの集合意識の残存などが
あるのではないかと「推測」します。
社会経済史を振り返らないと
単純にキリスト教文明圏と日本文化の内面意識との
対比での比較はできないと思います。
したがって、
「アメリカと西洋ではありえない資本主義の矛盾や
グローバリゼーションにより発生する問題より
ずっと深刻な病を、日本社会は抱えているのです」(レオニードさん)
と提起された問題は、
近代的資本主義構造に達する時に
アメリカと西洋は下からの革命的変化の道をとおった。
しかし、それ以外の国々の機械制大工業の生産様式が
その国の経済にはめこまれてゆくプロセスをみるならば
すべてがネイション国家の強化の一環として
上から上意下達的に植え込まれていっています。
20世紀後半に独立した新興独立国もすべてそうです。
富と貨幣を1%勢力に集中するシステムに対して
99%を団結させようという運動が世界中の若者たちの
共感を得ています。
私はこのテーマをも同時に解決する下からの
人類史的脈動が生じはじめているのだと思うのです。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)This is important view when pursuing social change.
To change of collective thinking pattern is done by cultural activities.
この論文は,集合的思考パターンは歴史的経過に規定されるホロン階層として形成される,です。
これは社会変革を考えるさいに重要な観点です。
集合的思考パターンの変革は文化的な活動によってなされます。
パーリア力作型(有能従属型)の歴史的背景
レオニードさん
興味深いテーマをありがとうございます。
「不正を正したのに高い評価を受けないというのは、
アメリカやヨーロッパの社会ではほとんどありえない。
資本主義の矛盾やグローバリゼーションにより発生する問題より
ずっと深刻な病を、日本社会は抱えているのです」(レオニードさん)
このテーマをどの角度から光をあてて考えるかによって
様々な見方が生じます。
まず、さっと頭に浮かぶことを述べさせていただいて
あと少しずつ、長期テーマとして論じさせてもらいます。
(個々人の生き方としては
内面的に自立した個々人、
良心にもとづく生き方を選択した個々人が
増える必要があります。
そのような人々が生きやすいように
そうした人々が形にはあらわれなくても、
心の中で連帯しているような社会的風土をもつ
「市民社会」を形成してゆくように
人々を励ましてゆく進歩的な知的リーダーが増えて
社会の内面風土が変化してゆく必要があると
思います。)
文化的内面的な伝統、経済社会的な歴史的経過を
含めて多角的に考える必要があります。
(1)
レオニードさんの論点の主眼は、その人の能力が
正当に評価され、学歴の低いものが力があれば
幹部にも抜擢されるような人事的流動性のことを
おっしゃっています。
その点から頭に浮かぶのは
なんどか紹介した内田義彦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E7%BE%A9%E5%BD%A6
の『日本資本主義の思想像』という本の中にあった
パーリア型資本主義として日本資本主義についての短文です。
夏目漱石の「坊ちゃん」という小説にでてくる人物を通じて
人間の類型化をおこなっていました。
純粋力作型=坊ちゃん、やまあらし
パーリア力作型=赤シャツ(教頭)、
パーリア型=たぬき(校長)
野太鼓うらなりは、パーリア力作型の赤シャツのしわよせを受けています。
パーリア力作型は、下部に抑圧委譲する特質をもっています。
パーリア型とは上役にペコペコにして、つけ、とどけなどで出世してゆくタイプです。
純粋力作型は、上役に迎合せず、反骨精神があるので、
下部に抑圧委譲をしてゆきません。
パーリア力作型は、実力もっていて、上のものにとりいるのが上手なタイプです。
たぶん、上のものにとりいるのが上手なこのタイプこそ、日本資本主義を発達させた
人間類型だと内田義彦は考えたのではないかと思います。
そして純粋力作型が生かされる経済システムが望ましいと考えたと思います。
(2)
これは資本主義経済社会が歴史的にどのように形成されてきたのか
ともかかわるように思えます。
マルクスが資本主義の発達のための必須の通過点と評した
イギリスの独立自営農民とその商品交換で形成される
局地市場圏で、自立と対等の人間関係の世界を生きた
人々を経由して構成されたのか。
それとも、大地主のもとで農奴や奴隷的な上位下達の世界で
形成された精神構造の人々を経由して資本主義が構成されるのか
近代世界へ達する二つの道の対立に関連していると思います。
上部構造の政治の文脈でいうと
イギリス市民革命、フランス市民革命という下からの変革の道
アメリカの南北戦争は、北部の市民的勢力による下からの資本主義発展の道か
南部の奴隷主勢力による上からの資本主義発展の道か
のテーマとしてもとらえることができます。
ドイツのビスマルクの指導する上からの革命は
ユンカーという東部の大地主の上意下達の勢力がヘゲモニーを握りました。
(ドイツは今日は西側地域の人々がヘゲモニーを握ります)
古い前近代世界を私たちがどのように超えてきたのかは
私たちの集合的な思考パターンに影響を深部で及ぼしつづけていると
思います。
(3)
日本も、上からの資本主義発展の道をとりました。
1868年の明治政権は、鹿児島県、山口県、高知県の元武士層が
リーダーシップを握って上から資本主義化を推進してゆきます。
農村に形成される地主・小作制の小作農を労働者にします。
そこには当然上意下達的意識の強い民衆は無権利におかれる
資本主義が生み出されます。
そして天皇家を最大の大地主として大地主と大資本家の
ブロックの上に強いイデオロギー制をもった天皇制国家ができあがります。
1945年からの財閥解体、大地主の土地改革などなど
経済の民主化は日本の歴史上画期的なもので
そこの後の日本社会の良い面を生み出すものだったと思います。
しかし、政治的思惑から日本軍国主義の精神的支柱であった
天皇制が残され、中国で共産党が勝利する情勢の中で
日本を占領していたアメリカ軍は、「戦犯政治」といわれるようになる
日本のもと軍国主義時代の指導者たちを復活させます。
今日、彼らの後継者たちが力をもってきつつあります。
受験競争システムで育ってきたたくさんの良い子たちは
問題自体を自分で考えて問う思考力は発達していません。
与えられた上からの課題をこなす点では優秀メンタリティをもって
育ちます。
社会にでてパーリア力作型の社会になじみ
そして過去からつづくその集合意識の中で教育されます。
橋下氏のいう「上にたつエリートの指令に
異論をとなえず従うのが当然なんだ。
それが資本主義のマネジメントなんだ」という
上意下達思考パターンを当然とする多数の
人々の意識を生み出しているのだと思います。
そうした世界では
「不正を正したことが高い評価を受ける」と
いう風土は生まないとみています。
建前では、勇気あることと評価されるでしょうが
心の奥では「長いものにはまかれろ」で生きていて
そう生きてきた人々の心の「平安」を脅かすものだからです。
(4)
レーニンのロシアの農業発展への問題意識は、このテーマにあると
みています。
つまり、ロシアが、上からの資本主義化のドイツ(プロシャ型)の
道を進みつつあるけれども、アメリカ型の下からの道を
進むように転換をとげようです。
農民を組織して下からの民主主義革命の方向に組織して
その上に立つ社会主義を構想していました。
しかし、レーニンが指導時の「戦時共産主義」は、
革命を守るためとはいえ、もちろん、間違っていたと思います。
それを反省して、元の目標に立ち返った時点で亡くなりました。
そしてスターリンの上からの強制的な「社会主義」化が
押し進められることになると思います。
その時に、一国社会主義が可能かどうかが論議されて
スターリン派の一国社会主義という名前の
強力な上意下達の性質をもった
国家資本主義的計画経済が始まったのだと思います。
(という私の理解ですが、・・・・)
今のロシアは日本以上に、そうした問題が
横たわっているように見えます。
(4)
日本の内面風土は「恥と世間体」で問題のある行いを律します。
たとえば「世間体が悪い、世間体が良くなるように」
親は子供の内面的な成長を願うよりも
より名のとおった学校にゆかせたいと思います。
(これは東アジア地域にも強いのではないでしょうか)
昔、日本人の旅行者の「旅の恥はかきすて」が
話題になりました。
フィリピンの女性との間でたくさん子供をつくりました。
「世間にばれなければ、恥にならないから」いいわけです。
内面の奥に全知の存在があり、
「あなたのやっていることはすみずみまで知っている」
ということで律される内面構造ではないので、
良心にそって生きて損するよりも
長いものにまかれて生きる方がいいという
「現実主義」の生活スタイルが生まれます。
日本の宗教文化の一部の中にあった
悪いことをしたら地獄の責めがあるよというイメージも
その人の内面的自立を促さず、力あるものへの屈伏を教えます。
それに対してキリスト教文化圏での内面構造は
「罪」が問題になります。
それが近代で「良心」に転化します。
(5)
しかし、この説明の仕方も一部あたっているだけと思います。
イタリアの南部地域のかトリックの強い地域だと思いますが
そこは大地主制が強く残っていた地域であり
イタリアの上からの革命と前近代的構造からくる
古い思考パターンの集合意識の残存などが
あるのではないかと「推測」します。
社会経済史を振り返らないと
単純にキリスト教文明圏と日本文化の内面意識との
対比での比較はできないと思います。
したがって、
「アメリカと西洋ではありえない資本主義の矛盾や
グローバリゼーションにより発生する問題より
ずっと深刻な病を、日本社会は抱えているのです」(レオニードさん)
と提起された問題は、
近代的資本主義構造に達する時に
アメリカと西洋は下からの革命的変化の道をとおった。
しかし、それ以外の国々の機械制大工業の生産様式が
その国の経済にはめこまれてゆくプロセスをみるならば
すべてがネイション国家の強化の一環として
上から上意下達的に植え込まれていっています。
20世紀後半に独立した新興独立国もすべてそうです。
富と貨幣を1%勢力に集中するシステムに対して
99%を団結させようという運動が世界中の若者たちの
共感を得ています。
私はこのテーマをも同時に解決する下からの
人類史的脈動が生じはじめているのだと思うのです。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods