TRIO LOS PANCHOS - VAYA CON DIOS (video inspired by god of star)


(Universal thinking of Mozi made their stance of universal love and peace)

This article is universal thinking of Mozi .
Universal thinking of Mozi made their stance of universal love and peace ,
Only universal thinking makes true eternal peace planet society.

この論文は,墨子の普遍的思考です。
墨子の普遍的思考はかれらの普遍的な愛と平和のスタンスを作りました。
普遍的な思考だけが真の永遠平和の惑星社会をつくります。




墨子の兼愛社会

(1)

「罪」という用語ですが
日本語での「犯罪」は、法律を犯した場合に用いています。
「罪」とは、法律に触れていなくても、たとえ合法的であっても用いる用語です。

人間(人類)の「罪」といった場合に、私は二つの論点が浮かびます。

一つの論点は、「罪」には範囲があるかです。
同じことをしても、ある人に対しては罪になり
ある人に対しては罪にならないようことがあるのか
ということです。
これまでの人類の歴史では、人々はグループとして分立し
自分の属する集団の外の人を殺しても「罪」とみなされてきませんでした。

二つ目の論点は、「罪」は、心の中を含むかです。

高校生の時にラジオで「聖書を無料であげます」と
放送していたので申し込みました。
わからないなりに、読んでみたら
心の中で思っただけで姦淫している
「姦淫するなかれ、と命じられていることをあなた達は知っているはずだ。
しかし、私ならば言う、欲情をみたすために女を見る者は誰でも、
その女に対してすでに心の中で姦淫を犯したことになる。」
(マタイ5・21-22、27-28参照)
という箇所があり、
心の中で考えるなら自由ではなかろうか
それがどうして罪なんだろうと
その時、疑問に思いました。

(2)

罪の範囲の問題については
中国古代の墨子の言葉
「人一人を殺せば死刑なのに、
なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」
が、有名で、問題の所在を示していると思います。

今日でも、アメリカのアフガニスタンの戦争で
無人機で誤爆が増えている報道がありましたが
同じ人類の中で敵の集団と設定されたら
そのミスは、「罪」とはみなされません。

イラクやアフガニスタンでアメリカ軍の劣化ウラン弾によるものと
推測されているたくさんの障害者が生まれています。
ベトナムでの枯葉剤散布によるベトちゃん、ドクちゃんのような
被害者が多数でたことを今はアメリカの人は「罪」と
認識しているでしょうか。

今、日本でも「自由主義史観」といって
中国に侵略していったことは侵略ではなく
アジアを欧米の植民地化から解放するための
正義の戦争だったというような2000万人以上の
アジア人の死者をだした蛮行を「罪」と感じない
心性を育てる教育をしようというグループの影響力が
強まってきました。

(それが罪と感じざるをえないような歴史叙述だったら「自虐史観」というわけです)
橋下氏が「君が代」起立斉唱しない教員はクビだみたいなことを
推進している背景に、
そうした右翼運動の支持基盤のひろがりがあり
私は不気味なことだと感じています)

(3)墨子の思想

そこで、中国の古代の墨子について
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0817.html
このブログで松岡正剛氏が分かりやすく解説してくれているので
墨子に学んでみましょう。
その中で確実な情報からきているというところをみますと

① もっとも勢力をもっていた墨家

戦国時代というのは
「儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・
従横家・雑家・農家・小説家」の九流十家に加えて、
兵術・方術・医術を専門とする諸子が、
ある意味ではクリエイティブに、
ある意味ではデスペレートに争っていた時期である。
 そうした諸子百家のなかで、
意外におもわれるかもしれないが、
墨家が最も勢力をもっていた。
韓非子も「世の顕学は儒墨なり」と書いている。


「天」という高次意識実体を認識し、多数の高次意識実体を認めていた墨子

 まずもって、墨家はことごとく儒家に逆らった。
孔子の『論語』が鬼神を相手にしなかったのに対し、
墨子は鬼神をこそ確信すべきだと説いて(天志・明鬼)、
儒家がそもそも祭礼を重んじているのに鬼神だけを排斥するのは自家撞着だと非難した。
 このように儒家イデオロギーに真っ向から対立する墨家は、
天志と明鬼の関与を信じるがゆえに、人は天の志に従うべきだという哲学をもっていて、
そういう天の下にいる人はすべからく兼ね合って博愛に徹するべきだと説いた。
 これが有名な「兼愛」である。

③ 「兼愛」=普遍的愛

 この兼愛主義も儒学的立場からすると甚だもって煙たいもので、
儒家の愛は一家の愛を中心に国家愛にまで高めようとしているのだが、
墨家はこれを「別愛」(差別愛)だと批判した。
 墨家の別愛批判はとことん貫かれたようだ。
世界史上最初の普遍的博愛主義ともいうべきほどである。

しかし「兼愛」は君子と臣下のあいだに
上意下達の制度と哲学をおこうとする者にとっては、
邪魔なものである。
国をつくるにも障害になる。
墨家はこのような事情からも、各派に嫌われ、排斥されることになる。

④ 「非攻」=平和主義

さらに墨家の異様な相貌を代表する思想と行動が「非攻」であった。
 一般に、人を殺すことは、どんな時代の、どんな政治家も思想家も容認していない。
村や町で一人の人間を殺すことは、ただちに犯罪とみなされる。
それなのに戦争となると、多数の殺害が平気で容認される。
一人の殺害を国法や社会の法で裁いている一方で
他方では多数の殺害を正当化する何かが動いている。
いったい戦争とは何なのか。
いっさいの哲学と制度と愛を踏みにじるためにあるものなのか。

 戦争を仕掛ける行為をこそ問うべきである。
相手に攻撃をかけたい社会意識と国家主義こそ打倒すべきである。
 墨子と墨家はこのことに敢然と主張した。

 攻撃による戦争をすべて否定しようとしたものだ。・・・
「非攻」ではあっても「墨守」なのである。
戦いは決して仕掛けないが、
その戦いに屈することも肯んじえない。
墨家はここで立ち上がって、守り抜くための戦争を断固として挑む。

 実際に、墨家がどこでどのように守備戦闘にかかわっていたかという記録は少ない。
しかし、さまざまな史料や見解を総合すると
墨家は頼まれれば、どんな都邑の城郭の防御のためにも傭兵的集団として出向いていた。
けれども、そのいっさいは守り抜くための戦闘だったのである。
(以上引用)

⑤ 普遍的愛の根底に天の思想

墨子は、普遍的高次意識実体である「天」を認めていたというのは
サーカーのパラマプルシャやブラフマと同じ概念です。

人類だれもがその天(ブラフマ)のもとにあると考え
思考を普遍的なものへと発達させることが
できていた集団だと考えられます。

普遍意識をもった人間に発達させることは
上意下達の道徳体制を説き、
自分たちのグループのために命を捧げ
他の集団の人を殺させる倫理をもった人間を
育てる立場からうとまれ
歴史から無視されてきたのだと思います。

私たちは、「罪」の適応範囲は、
普遍的であるべきだという
墨子に学ぶことができるのではないでしょうか。

(4)

すべての文明圏の賢者が叡知の言葉として「人がして欲しいとおもうことをする生き方をせよ」という共通のメッセージあります。

イエス・キリストの「黄金律」
「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、
人々にもそのとおりにせよ。
これが律法であり預言である。」
(新約聖書マタイ伝 )

同じ考えは、中国の老子の流れを汲む「タオ・ヒーリング」の
謝明徳(マンタク・チャ)の言葉にも見られます。
「日々の徳のある行い、善い行いが、
自分を癒し、自分のバランスを保つ一番の近道です。
他の人に親切してあげることが自分にやさしくすることです。
そのようなエネルギーが自分の中に蓄積されていきます。
人を助け、愛や思いやり、優しさをあげれば、
ますます多くの肯定的エネルギーが自分に返ってきます。」
謝明徳(マンタク・チャ)著『タオ人間医学Awaken Healing Light of the Tao』22ページ

この人間としてのあり方を実現するためには競争を原理する資本主義経済を乗り越えるしか道はありません。

100人人間がいたとして
その100人が互いに相手を競争相手として
ちょっとでも自分が上にたとうと競争させられる
システムのもとでは、
相手に親切にするのは
「計算」「打算」があります。
人類が心から純真な気持ちで
誰に対しても親切なやさしい振る舞いの人間として
集合的に成長してゆくには
「競争原理」と「上意下達体制」の強化の中で
育まれる集合的思考パターンは
重大な妨げになります。
私は住んでみて良い社会というのは、
そうした優しい親切な人々に囲まれた集団の
中で働き、暮らすという要素があると思います。
私たちの社会の中にこの温かさを
集合的にどのように取り戻すかは
たいへん、重要な課題だと思います。
これは、物的領域でありませんから
数値に計算することができないものだと
考えています。

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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