Richard Clayderman-Secret garden (video inspired by god of star)
(Mitsuki argues that way of life of high level Buddhist was based on desire to save suffering people in the age)
This article is Buddhist in age of ancient of Japan.
Mitsuki argues that way of life of high level Buddhist was based on desire to save suffering people in the age.
This is most important point.
Project of Heaven and gods spread this view in human society.
この論文は、日本の古代の仏教徒についてです。
ミツキは高いレベルの仏教徒の生き方はその時代の苦悩する人々を救う願いにもとづいていたことを論じます。
これは最重要な論点です。
天と神々のプロジェクトはこの観点を人間社会の中に広げます。
仏教とシャーマニズム(呪術)
(1)
原始社会、古代農耕社会は、豊かな実りのための降雨、疫病を防ぎ、病からの回復を、
天にお願いするか、石や山や大木の精霊にお願いするしかありませんでした。
その段階と呪術の社会意識は対応しており、それは決して迷信ではありません。
それどころか、シャーマンが驚くべき豊富な有益な知識をもっていることが
明らかになってきています。(注1)
ブッダの教えには、意志をもって私たちを救う「大宇宙の私」にあたる一者は出てきません。
その一者のパワーを引き出して、雨をふらせたり、病気を治したりするシャーマン的思惟はでてきません。
しかし、仏教が日本に入る時は、それまでの古神道の呪術よりも
仏教の霊力の方が勝っているとして信頼を得ただろうことは
容易に推測できます。(注2)
そもそも蘇我氏が物部氏に戦さをして勝利したことは
仏教の呪術力の勝利として当時の人には意識されます。
したがって、日本に仏教が入る時には、
シャーマン的に優れたすなわち呪術の優れた指導者が
時の朝廷から信頼を得ます。
日本に仏教の基礎を築いた比叡山の天台宗の最澄と高野山の真言宗の空海には
シャーマン的要素がありました。
とりわけ空海は呪術にとてもすぐれた才能を発揮しました。
(2)
空海の教えも、一者が多者として顕現しているものとしてこの世界をみるワンネス哲学です。
スピリチュアル・プラクティスを通じて一者の中に確立することを目指す私たちと同じ思想構造です。
大日如来が空海にとっての形なき無限の一者です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5
「大日如来(だいにちにょらい)は、
密教において宇宙そのものと一体と考えられる汎神論的な如来(法身仏)の一尊。
その光明が遍く照らすところから遍照、または大日という。・・・
空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。」
理論的に考えると、究極の形無き無限の実体(一者)に
そこに自分の意識を合体させるならば天地万物に影響を与えることが可能になります。
実際、空海は病気のヒーリング、怨霊を鎮める、雨を降らせるなどの呪術の実績が言い伝えられています。
(注3)
(3)
比叡山の最澄の天台宗の流れは、鎌倉仏教と言われる多くの日本型仏教の祖を生み出しています。
シャーマン的要素をもっとも切断しているのは親鸞です。
①
親鸞は絶対他力という究極の一者にゆだねきるという教えを実践します。
ナミアブダブツと唱える時にその心にほんのわずかの願望も捨てよと言います。
絶対他力、究極の一者に私たちは生かされている、
そのことに感謝のみもって生きてゆきなさいと説きます。
病気を祈りや祈願で治そうという事は、自力の道であって、
絶対他力、すなわち究極の一者の絶対的な力を信じ、そこにゆだねきっていないことです。
病気や怨霊や降雨に対してシャーマン的な実践によって対処することは、絶対他力の道ではありません。
日本の歴史における深いレベルの純度の高いスピリチュアリティの思想への前進でした。
そしてその教えは宗教界の中で、人々を迷信に導く可能性からもっとも遠くに位置することになります。
②
さらに親鸞は、民衆の中に入り、民衆のスピリチュアルな救済に人生をかけます。
それまでは、比叡山という山のてっぺんに修行にゆかないといけませんでした。
一般庶民には縁のない世界だったのです。さらに女人禁制でした。
親鸞は師法然に従って民衆の中で布教をはじめただけでなく、
それまで僧侶が禁止されていた妻帯をし、子どもまでもうけます。
そのために朝廷から僧籍を剥奪され、弾圧されます。(注4)
(朝廷が僧の許認可権をもっていた)
(4)
さて、日本に入ってきた他地域からの最初の普遍思想である仏教を
真言宗の空海と浄土真宗の親鸞に代表させて見てみました。
私たちは、彼らから何を引き継いでゆくべきでしょうか。
①空海の(一者=多者)のワンネス哲学、親鸞の絶対他力の精神を、
私たちは未来につながるものとして受け継ぐことができると思います。
②親鸞などの鎌倉仏教が積極的に一般大衆の救いのテーマに目を向けた姿勢を受け継ぐことができます。
③空海のシャーマン的な呪術=ヒーリング力も、
私たちは自分たちの最下部のホロンとして適切に受け継ぐことができます。
しかし、空海の呪術についていくつかの点を考える必要があります。
第一点目は、シャーマニズム的要素は、近代の達成した科学的合理的な見地をもとに
迷信と仕分けしつつ学ぶ必要があります。
ただし、「科学的な方法」として
通常の「肉の目」による観察とデータにもとづく科学、
「知の目」の目による内面のデータから判断する科学
に加えて、瞑想によってつかって精妙な心を作り上げ、その心によって観察する科学を 付け加える必要があります。
それは、ウィルバーの「黙想科学」、サーカーの「直観科学」の方法をです。
(詳しくは、ケン・ウィルバー『科学と宗教の統合』春秋社)
第二点目は、権力者の側に目を向けるのか、民衆の側に目を向けるのかという問題です。
イエス・キリストが、貧しく人々からさげすまれた女性をヒーリングしたのと対照的に
空海は権力者にヒーリングして取り入ってゆきました。
「816年(弘仁7年)、嵯峨天皇の病気平癒祈祷を行ったときのことです。
祈祷のあと密教法具で加持した神水を嵯峨天皇がお飲みになると、
重病はアッという間に全快しました。この奇跡で空海の名声は益々高まります。」
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%80%80%E7%97%85%E6%B0%97%E3%80%80%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%80%80&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&meta=lr%3Dlang_ja&aq=f
空海に対して、親鸞は民衆の側に目を向けています。
私たちは、民衆の側に目を向けた親鸞やイエス・キリストのような姿勢こそ継承すべきだと思います。
空海の呪術的なヒーリングなどを継承するにあたっても、誰のために得た力を生かすのかの理念が重要だと思います。
(もちろん空海が権力に取り入ったのは民衆を救うための方便ではありましたが)
第三点目は、空海の時代に密教というスタイルをとらざるをえないことは理解できますが、
21世紀の今日の時代にふさわしいスピリチュアル・プラクティスとスピリチュアル集団の運営を創造することが必要です。
空海は伝授の根幹の部分は厳密な秘密にして今日まで来ています。
通りで托鉢していた真言宗のお坊さんにたずねたら、今でも空海の後継者たちは
弟子が数千人いても、その中の一人だけ選んで、次の世代につたわるように
秘伝を伝授するシステムだとおっしゃっていました。
たしかに、高いレベルの秘伝を下手にもらすとオウム真理教のようなカルト団体が多々でてくる可能性があります。
私の研究したところでは、一者に合体した聖者たちは、一者との一体化自体を目的とすべきであって
その副産物であるヒーリング力のような特殊な能力を追求するな。
それは転落への道であると繰り返し警告しています。
したがって、密教、修行方法の秘密伝授は空海にとって重要なことであったとは理解できます。
(5)
21世紀の今、近現代が達成した「民主主義の精神」を
「含んで超える」形のスピリチュアル社会運動の運営方式を考案する必要があります。
もちろん、スピリチュアリティは一者につながる人間存在の深さを追求するものですから
完全にオープンにすることや単純な多数決的民主主義はなじみません。
人間存在の深みを達成したものが自然とリーダーシップを発揮できるような
集合的リーダーシップが発揮できる民主的システムの考案が必要です。
そしてグループ外の諸団体に対しては、違った考えの人々と幅広いネットワークを組んで
閉鎖的な閉じた集団ならないようにすることが必要です。
私たちがめざす民主主義的スピリチュアル社会運動は、
近現代の達成した「民主主義と科学」を「含んで」
かつ、古代からの「スピリュアルな精神」の復活をめざすものです。
そしてスピリチュアリティの発達
(一者に近づく、深い存在次元に進むという意味でのスピリチュアリティの発達)
を基本的人権の一つとして認められる社会をめざすことです。
それは、富と貨幣の追求を最高の価値と見る資本主義物質文明から
生命愛中心思考の世界を探求することでもあります。
それば粗大な物質を念じなくてもすむような社会であり、
一者、すなわち多として顕現する多様なる生命の根源にある
この大宇宙の生命の源への愛が人類社会の普遍的ベースになっている社会です。
(注1)
証明されているシャーマンの叡知
http://jp.mongabay.com/rainforests/1007.htm
「雨林シャーマンはどのように薬の植物のそれらの限りない知識を得ましたか? 短い答えは誰でも知りません 2005年5月14日
民族植物学者は、以前から、雨林住民が薬の植物の驚くほどの知識を持っていることに気づいていました。
数千年の間、先住のグループはそれらの健康ニーズのために雨林植物を広く使ってきました。
東南アジアの森林の民族は6,500の種を使った一方、ノースウェストアマゾン川では、使われた森林住民 薬の目的のための1,300の種を使っていました。
今日 薬学者 と民族植物学者は、新しい薬の開発のためのネイティブの治療者とシャーマンと働きます。 」
「そこから得た知識で作れた薬の収益の多くは先住民に 返却されべきです。・・資金がないため、薬研究開発は、工業国により支配され続けます。」
残念ながら、機械翻訳のようですが
、この記事は、シャーマンの知的所有権が冒されていていることを述べていると思います。
(シャーマンの豊富な叡知の出所は謎とありますが
私は、シャーマンの叡知の出所はラズロの言うAフィールド(一者)でないかと推測しています)
(注2)
仏教が日本に入ってくる時、物部、曽我の争いは、同時に呪術力(シャーマン的技量)の争いでもありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E5%AE%88%E5%B1%8B
病になった蘇我馬子は敏達天皇に仏法を信奉する許可を求めた。
天皇はこれを許可したが、この頃から疫病が流行しだした。
物部守屋は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたとほほ
これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。
・・・
廐戸皇子は仏法の加護を得ようと白膠の木を切り、四天王の像をつくり、戦勝を祈願して,勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努めると誓った。・・・
(ちなみに四天王寺という寺はそのために作られました)
(注3)
空海の加持祈祷(シャーマン的実践)
観光ガイド学習用のホームページによると
<雨宝院>
821年、空海が、親交の深かった嵯峨天皇の病気平癒を歓喜天を祀り祈願・・
<乙訓寺>
811年
嵯峨天皇により、早良親王の怨霊を鎮めるため、空海が別当(統括管理の僧官)に任命される
<神泉苑>
824年「雨乞い合戦」 長期間雨が降らず大干ばつとなり、淳和天皇は、東寺の空海と、西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に、神泉苑での降雨祈祷を命じる
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%80%80%E7%97%85%E6%B0%97%E3%80%80%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%80%80&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&meta=lr%3Dlang_ja&aq=f
密教法具を売る店のページの宣伝の文章にも具体的に空海の呪術が書かれています。
816年(弘仁7年)、嵯峨天皇の病気平癒祈祷を行ったときのことです。
祈祷のあと密教法具で加持した神水を嵯峨天皇がお飲みになると、
重病はアッという間に全快しました。この奇跡で空海の名声は益々高まります。
824年(天長元年)、畿内は大干ばつに見舞われていました。
事態を憂慮された淳和天皇は東寺の空海と西寺の守敏に請雨法修法を命ぜられ、
神泉苑(写真・現在の京都・二条城の南)で二人の対決が始まりました。
最初に祈祷したのは守敏で、必死に祈った結果17日目にわずかに雨が降っただけでした。
次は空海の番です。守敏の妨害を阻止したあとこの金剛鈴と五鈷杵を手に祈祷をはじめると、 たちまち黒雲がわきおこり三日三晩大雨が降り続いたと伝えられています。
密教法具を使った空海が勝ったのです。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%80%80%E7%97%85%E6%B0%97%E3%80%80%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%80%80&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&meta=lr%3Dlang_ja&aq=f
(ブッダの説いた仏教は、呪術で雨を降らせたり、病気を治したりはありません。
ここでは空海が、一つ前のホロン文化構造であるシャーマン的なるものを全面的に活用していることを見ておきます。
ここで宣伝しているグッズをつかうから奇跡?がおこせるわけでもありませんので、グッズを推薦しているわけではありません)
(守本順一郎の『日本思想史』では、呪術的なるものを否定的文脈に語っているよう思えます。
私は、すでに述べましたように、シャーマン的文化を下位ホロンとして適切に位置づけることが必要だと考えています。)
(注4)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E
建永2年[22](1207年)2月、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の停止(ちょうじ)と 西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名を死罪、法然ならびに親鸞を含む7名の弟子が流罪に処する。
この時、法然・親鸞は僧籍を剥奪される。・・法然は、土佐国番田へ、親鸞は越後国国府(現、新潟県)に配流される。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Mitsuki argues that way of life of high level Buddhist was based on desire to save suffering people in the age.
This is most important point.
Project of Heaven and gods spread this view in human society.
この論文は、日本の古代の仏教徒についてです。
ミツキは高いレベルの仏教徒の生き方はその時代の苦悩する人々を救う願いにもとづいていたことを論じます。
これは最重要な論点です。
天と神々のプロジェクトはこの観点を人間社会の中に広げます。
仏教とシャーマニズム(呪術)
(1)
原始社会、古代農耕社会は、豊かな実りのための降雨、疫病を防ぎ、病からの回復を、
天にお願いするか、石や山や大木の精霊にお願いするしかありませんでした。
その段階と呪術の社会意識は対応しており、それは決して迷信ではありません。
それどころか、シャーマンが驚くべき豊富な有益な知識をもっていることが
明らかになってきています。(注1)
ブッダの教えには、意志をもって私たちを救う「大宇宙の私」にあたる一者は出てきません。
その一者のパワーを引き出して、雨をふらせたり、病気を治したりするシャーマン的思惟はでてきません。
しかし、仏教が日本に入る時は、それまでの古神道の呪術よりも
仏教の霊力の方が勝っているとして信頼を得ただろうことは
容易に推測できます。(注2)
そもそも蘇我氏が物部氏に戦さをして勝利したことは
仏教の呪術力の勝利として当時の人には意識されます。
したがって、日本に仏教が入る時には、
シャーマン的に優れたすなわち呪術の優れた指導者が
時の朝廷から信頼を得ます。
日本に仏教の基礎を築いた比叡山の天台宗の最澄と高野山の真言宗の空海には
シャーマン的要素がありました。
とりわけ空海は呪術にとてもすぐれた才能を発揮しました。
(2)
空海の教えも、一者が多者として顕現しているものとしてこの世界をみるワンネス哲学です。
スピリチュアル・プラクティスを通じて一者の中に確立することを目指す私たちと同じ思想構造です。
大日如来が空海にとっての形なき無限の一者です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5
「大日如来(だいにちにょらい)は、
密教において宇宙そのものと一体と考えられる汎神論的な如来(法身仏)の一尊。
その光明が遍く照らすところから遍照、または大日という。・・・
空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。」
理論的に考えると、究極の形無き無限の実体(一者)に
そこに自分の意識を合体させるならば天地万物に影響を与えることが可能になります。
実際、空海は病気のヒーリング、怨霊を鎮める、雨を降らせるなどの呪術の実績が言い伝えられています。
(注3)
(3)
比叡山の最澄の天台宗の流れは、鎌倉仏教と言われる多くの日本型仏教の祖を生み出しています。
シャーマン的要素をもっとも切断しているのは親鸞です。
①
親鸞は絶対他力という究極の一者にゆだねきるという教えを実践します。
ナミアブダブツと唱える時にその心にほんのわずかの願望も捨てよと言います。
絶対他力、究極の一者に私たちは生かされている、
そのことに感謝のみもって生きてゆきなさいと説きます。
病気を祈りや祈願で治そうという事は、自力の道であって、
絶対他力、すなわち究極の一者の絶対的な力を信じ、そこにゆだねきっていないことです。
病気や怨霊や降雨に対してシャーマン的な実践によって対処することは、絶対他力の道ではありません。
日本の歴史における深いレベルの純度の高いスピリチュアリティの思想への前進でした。
そしてその教えは宗教界の中で、人々を迷信に導く可能性からもっとも遠くに位置することになります。
②
さらに親鸞は、民衆の中に入り、民衆のスピリチュアルな救済に人生をかけます。
それまでは、比叡山という山のてっぺんに修行にゆかないといけませんでした。
一般庶民には縁のない世界だったのです。さらに女人禁制でした。
親鸞は師法然に従って民衆の中で布教をはじめただけでなく、
それまで僧侶が禁止されていた妻帯をし、子どもまでもうけます。
そのために朝廷から僧籍を剥奪され、弾圧されます。(注4)
(朝廷が僧の許認可権をもっていた)
(4)
さて、日本に入ってきた他地域からの最初の普遍思想である仏教を
真言宗の空海と浄土真宗の親鸞に代表させて見てみました。
私たちは、彼らから何を引き継いでゆくべきでしょうか。
①空海の(一者=多者)のワンネス哲学、親鸞の絶対他力の精神を、
私たちは未来につながるものとして受け継ぐことができると思います。
②親鸞などの鎌倉仏教が積極的に一般大衆の救いのテーマに目を向けた姿勢を受け継ぐことができます。
③空海のシャーマン的な呪術=ヒーリング力も、
私たちは自分たちの最下部のホロンとして適切に受け継ぐことができます。
しかし、空海の呪術についていくつかの点を考える必要があります。
第一点目は、シャーマニズム的要素は、近代の達成した科学的合理的な見地をもとに
迷信と仕分けしつつ学ぶ必要があります。
ただし、「科学的な方法」として
通常の「肉の目」による観察とデータにもとづく科学、
「知の目」の目による内面のデータから判断する科学
に加えて、瞑想によってつかって精妙な心を作り上げ、その心によって観察する科学を 付け加える必要があります。
それは、ウィルバーの「黙想科学」、サーカーの「直観科学」の方法をです。
(詳しくは、ケン・ウィルバー『科学と宗教の統合』春秋社)
第二点目は、権力者の側に目を向けるのか、民衆の側に目を向けるのかという問題です。
イエス・キリストが、貧しく人々からさげすまれた女性をヒーリングしたのと対照的に
空海は権力者にヒーリングして取り入ってゆきました。
「816年(弘仁7年)、嵯峨天皇の病気平癒祈祷を行ったときのことです。
祈祷のあと密教法具で加持した神水を嵯峨天皇がお飲みになると、
重病はアッという間に全快しました。この奇跡で空海の名声は益々高まります。」
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%80%80%E7%97%85%E6%B0%97%E3%80%80%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%80%80&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&meta=lr%3Dlang_ja&aq=f
空海に対して、親鸞は民衆の側に目を向けています。
私たちは、民衆の側に目を向けた親鸞やイエス・キリストのような姿勢こそ継承すべきだと思います。
空海の呪術的なヒーリングなどを継承するにあたっても、誰のために得た力を生かすのかの理念が重要だと思います。
(もちろん空海が権力に取り入ったのは民衆を救うための方便ではありましたが)
第三点目は、空海の時代に密教というスタイルをとらざるをえないことは理解できますが、
21世紀の今日の時代にふさわしいスピリチュアル・プラクティスとスピリチュアル集団の運営を創造することが必要です。
空海は伝授の根幹の部分は厳密な秘密にして今日まで来ています。
通りで托鉢していた真言宗のお坊さんにたずねたら、今でも空海の後継者たちは
弟子が数千人いても、その中の一人だけ選んで、次の世代につたわるように
秘伝を伝授するシステムだとおっしゃっていました。
たしかに、高いレベルの秘伝を下手にもらすとオウム真理教のようなカルト団体が多々でてくる可能性があります。
私の研究したところでは、一者に合体した聖者たちは、一者との一体化自体を目的とすべきであって
その副産物であるヒーリング力のような特殊な能力を追求するな。
それは転落への道であると繰り返し警告しています。
したがって、密教、修行方法の秘密伝授は空海にとって重要なことであったとは理解できます。
(5)
21世紀の今、近現代が達成した「民主主義の精神」を
「含んで超える」形のスピリチュアル社会運動の運営方式を考案する必要があります。
もちろん、スピリチュアリティは一者につながる人間存在の深さを追求するものですから
完全にオープンにすることや単純な多数決的民主主義はなじみません。
人間存在の深みを達成したものが自然とリーダーシップを発揮できるような
集合的リーダーシップが発揮できる民主的システムの考案が必要です。
そしてグループ外の諸団体に対しては、違った考えの人々と幅広いネットワークを組んで
閉鎖的な閉じた集団ならないようにすることが必要です。
私たちがめざす民主主義的スピリチュアル社会運動は、
近現代の達成した「民主主義と科学」を「含んで」
かつ、古代からの「スピリュアルな精神」の復活をめざすものです。
そしてスピリチュアリティの発達
(一者に近づく、深い存在次元に進むという意味でのスピリチュアリティの発達)
を基本的人権の一つとして認められる社会をめざすことです。
それは、富と貨幣の追求を最高の価値と見る資本主義物質文明から
生命愛中心思考の世界を探求することでもあります。
それば粗大な物質を念じなくてもすむような社会であり、
一者、すなわち多として顕現する多様なる生命の根源にある
この大宇宙の生命の源への愛が人類社会の普遍的ベースになっている社会です。
(注1)
証明されているシャーマンの叡知
http://jp.mongabay.com/rainforests/1007.htm
「雨林シャーマンはどのように薬の植物のそれらの限りない知識を得ましたか? 短い答えは誰でも知りません 2005年5月14日
民族植物学者は、以前から、雨林住民が薬の植物の驚くほどの知識を持っていることに気づいていました。
数千年の間、先住のグループはそれらの健康ニーズのために雨林植物を広く使ってきました。
東南アジアの森林の民族は6,500の種を使った一方、ノースウェストアマゾン川では、使われた森林住民 薬の目的のための1,300の種を使っていました。
今日 薬学者 と民族植物学者は、新しい薬の開発のためのネイティブの治療者とシャーマンと働きます。 」
「そこから得た知識で作れた薬の収益の多くは先住民に 返却されべきです。・・資金がないため、薬研究開発は、工業国により支配され続けます。」
残念ながら、機械翻訳のようですが
、この記事は、シャーマンの知的所有権が冒されていていることを述べていると思います。
(シャーマンの豊富な叡知の出所は謎とありますが
私は、シャーマンの叡知の出所はラズロの言うAフィールド(一者)でないかと推測しています)
(注2)
仏教が日本に入ってくる時、物部、曽我の争いは、同時に呪術力(シャーマン的技量)の争いでもありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E5%AE%88%E5%B1%8B
病になった蘇我馬子は敏達天皇に仏法を信奉する許可を求めた。
天皇はこれを許可したが、この頃から疫病が流行しだした。
物部守屋は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたとほほ
これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。
・・・
廐戸皇子は仏法の加護を得ようと白膠の木を切り、四天王の像をつくり、戦勝を祈願して,勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努めると誓った。・・・
(ちなみに四天王寺という寺はそのために作られました)
(注3)
空海の加持祈祷(シャーマン的実践)
観光ガイド学習用のホームページによると
<雨宝院>
821年、空海が、親交の深かった嵯峨天皇の病気平癒を歓喜天を祀り祈願・・
<乙訓寺>
811年
嵯峨天皇により、早良親王の怨霊を鎮めるため、空海が別当(統括管理の僧官)に任命される
<神泉苑>
824年「雨乞い合戦」 長期間雨が降らず大干ばつとなり、淳和天皇は、東寺の空海と、西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に、神泉苑での降雨祈祷を命じる
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%80%80%E7%97%85%E6%B0%97%E3%80%80%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%80%80&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&meta=lr%3Dlang_ja&aq=f
密教法具を売る店のページの宣伝の文章にも具体的に空海の呪術が書かれています。
816年(弘仁7年)、嵯峨天皇の病気平癒祈祷を行ったときのことです。
祈祷のあと密教法具で加持した神水を嵯峨天皇がお飲みになると、
重病はアッという間に全快しました。この奇跡で空海の名声は益々高まります。
824年(天長元年)、畿内は大干ばつに見舞われていました。
事態を憂慮された淳和天皇は東寺の空海と西寺の守敏に請雨法修法を命ぜられ、
神泉苑(写真・現在の京都・二条城の南)で二人の対決が始まりました。
最初に祈祷したのは守敏で、必死に祈った結果17日目にわずかに雨が降っただけでした。
次は空海の番です。守敏の妨害を阻止したあとこの金剛鈴と五鈷杵を手に祈祷をはじめると、 たちまち黒雲がわきおこり三日三晩大雨が降り続いたと伝えられています。
密教法具を使った空海が勝ったのです。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%80%80%E7%97%85%E6%B0%97%E3%80%80%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%80%80&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&meta=lr%3Dlang_ja&aq=f
(ブッダの説いた仏教は、呪術で雨を降らせたり、病気を治したりはありません。
ここでは空海が、一つ前のホロン文化構造であるシャーマン的なるものを全面的に活用していることを見ておきます。
ここで宣伝しているグッズをつかうから奇跡?がおこせるわけでもありませんので、グッズを推薦しているわけではありません)
(守本順一郎の『日本思想史』では、呪術的なるものを否定的文脈に語っているよう思えます。
私は、すでに述べましたように、シャーマン的文化を下位ホロンとして適切に位置づけることが必要だと考えています。)
(注4)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E
建永2年[22](1207年)2月、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の停止(ちょうじ)と 西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名を死罪、法然ならびに親鸞を含む7名の弟子が流罪に処する。
この時、法然・親鸞は僧籍を剥奪される。・・法然は、土佐国番田へ、親鸞は越後国国府(現、新潟県)に配流される。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods