GIOVANNI MARRADI - Without You (video inspired by god of star)


(Mitsuki learned important fact that human being is unity of conflict between physical body of presence and psychic body of non-presence)

This article is that human being has existence of non-presence.
Non-presence of human is not possible to see by human.
When human being see something in human body, negative gods makes in order to manipulate human being.
Although these cases Mitsuki raises as examples are by negative gods,
negative gods manipulate human beings by showing non-presence of human.
Destiny program of Mitsuki lead to spiritual world in order to receive documents of Heaven.
Mitsuki learned important fact that human being is unity of conflict between physical body of presence and psychic body of non-presence.
Mitsuki argued social theory including non-presence of human.
This is first time of human history.
This point of view is very important to understand documents of Heaven.

この論文は、人間は非顕在の存在をもっている、です。
人間の非顕在は、人間が見ることは不可能です。
人間が人間の身体に何かを見るときは、
ネガティブ神が人間を操作するために見せています。
ミツキがここであげている例はネガティブ神によるものですが、
ネガティブ神は、人間の非顕在を見せることによって人間を操作します。
ミツキの運命プログラムは天の文書を受け取るためにスピリチュアル界に導きました。
ミツキは、人間が顕在の肉体と非顕在のサイキックボディの対立の統一であるという重要な事実を学びました。
ミツキは、人間の非顕在を含んだ社会論を論じています。
これは人類の歴史で始めてのことです。
この観点は天の文書を理解するためにきわめて重要です。




「三方向のバランス回復」の多重的取り組み グローバル経済への対案としての地域循環型経済の哲学的基礎

(1)
ブラジルの思想家のパウロ・フレイレの worldliness (知覚できるこの世界)と
transcendality(超越性)を別々のものとして二分法で見ないという見解を紹介しました。
私たちが存在しているこのコスモスの存在階層を大きく見ると
私たちが普通に知覚できるworldliness と知覚の範囲を超えている transcendality
の領域があります。
バーバラアンブレナンの『光の手』という著書は超感覚視力を発達させた
彼女はworldliness と重なって存在する transcendalityの領域を
人間個人に限って明瞭に教えてくれています。
それは真空領域の深いレベルに層状に存在し、
その領域でクリアになれば、物的肉体の問題も改善されていることです。

バーバラアンブレナン、マッレー、ドロレス・クリーガー
などのヒーラーは、この人間存在の目に見えない深部のエネルギーボディに
超感覚知覚を発達させてアプローチします。
バーバラ・アンブレナンは超感覚視力です。
あとあげた二人は、手の平の超感覚知覚にもとずいて
多重ボディのクリーニングをすすめてゆきます。
それによって物的肉体層や情動層の問題が改善されてゆくのです。

(2)
ここであげた例で、人間個々人の健全さが、
知覚できるworldliness と知覚の範囲を超えている transcendality
の領域において一体であることがわかります。
物的肉体層、情動層、心理層、潜在意識層(深い部分を含む)から
なりたっており、真空存在レベルの深部の浄化と物的表面の問題が
別々のものではなく、一つのものとして密接不可分なわけです。
すなわち、私たちの存在は、目に見えない部分を含む
多重的存在階層一つのものとしてなりたっていることを
理解してほしいわけです。

社会(集合体)も同じ様に
この物的肉体physical層、情動層、心理層、潜在意識層を、
一つの不可分のものとしてなりたっています。

お米より小麦パンが好きという嗜好(情動層、心理層)パターンが
集合心理の中に大衆的に組み込まれたら
同時に経済的に他地域に従属する構造が組み立てられてゆきます。
集合心理における大三角のグローバル資本主義との闘争の自覚なしに
私たちの社会が小三角のバランスを生み出しながらの前進スタイルを
つくることはできないので、存在階層の多重性を自覚することが
重要だということは理解していただけると思います。

(お米よりパンが好きというのは象徴的に述べたので
パンを敵にしているわけではありません。
伝統食と地域産品の重視が必要だと言いたいわけです)

(3)
このように人間社会の多重的存在階層、すなわち
個人で言えば「情動層、心理層、潜在意識層」にあたる層も
それぞれ、集合的にそれぞれの領域の三方向の力(三角形)を
バランスのとれたものにする努力が必要であるわけです。
P.Rサーカーの思想の特徴はまず
集合体として目に見える物的肉体physical層について
バランス回復の取り組みをまず重視しなさいと説くことにあります。

すなわち「衣食住教育医療」など生活必需について
それぞれの地域で自給し、
三方向の力(三角形)がバランスのとれたものになるようにする
取り組みを多重的存在階層のバランスの基底におきなさい
と論じています。

さきぼどの多重ボディのくリーニングをして
物的肉体層の問題の改善をはかるヒーリングとは
サーカーの社会論はまったく逆のアプローチを重視するわけです。

集合体においては、物的経済的階層にまず取り組みなさい。
まず物的経済的階層を小三角のバランスのどれたものとして
多重的に組織しなさいというのです。
そのために説いた哲学が、進歩的活用理論(Progressive Utilization Theoty)
というわけです。

(4)
三角の話がでてくるのは
「 プラマ(バランス)-1「絶えず変化する均衡と平衡」
Trigun'a'tmika' srs't'ima'trka' ashes'a'trikon'a dha'ra'」
という題のスピーチです。

その最後の部分
「いくつかの解決策 Some Solutions」の箇所を紹介します。

一度、社会が堕落の段階に達するならば、
ローカトゥリコーナ(多重的存在階層)のバランスはすぐには回復できません。
むしろ、社会は、堕落の段階から分裂の段階に、
そして分裂の段階から混乱の段階に一歩一歩持ち上げられなくてはならないでしょう。
そして最終的にはプラマトゥリコーナ(バランスがとれた三角)で
バランスがとれた段階を打ち立てなくてはならないでしょう。

物的身体的physical、知的心理的psychic、精神的spiritな生活の
三つの領域は同じ重要性をおびているけれども、
最初の段階では物的身体的領域により大きな重要性が与えられるべきです。
もし、ブラマ(バランス)が物的身体的領域で失われていたら、
反社会的要素が社会の中で力をもつでしょう。

それは、社会全体の環境を汚染するでしょう。
その帰結として、知的心理的、精神的領域におけるプラマが失われ、
知的心理的状況はさらに悪化することになります。
そこで物的身体的領域でのプラマトゥリコーナの確立がもっとも必要です。 」

(ここで、サーカー
物的経済的physical階層にまず取り組みなさい。
多重的存在階層はどの層も同じように重要で、
実は一つのものであるのだけれども
「まず、物的経済的physical階層でバランス確立の努力をしなさい」
と述べていることがわかると思います。)

(5)
ついでに長くなりますが
このスピーチの続きの部分を少し省略して紹介させてもらいます。
「そこでローカトゥリコーナとプラマトゥリコーナを回復するために
何がなさるべきかという疑問が生じます。
(※ローカは、存在階層、トゥリコーナは三角、プラマは均衡、バランス)

まず第一に私たちはそれぞれの階層を様々の亜階層に分割しなくてはなりません。
たとえば、私たちは物的身体的領域を次の亜階層に分割します。
農業、鉱業、交易と商業、医療、灌漑、物的身体的教育などです。
教育に関しては、それが物質世界に直接かかわっているので、
物的階層の領域の内部に科学の項目が入るべきです。

他方で、人間性の主題( 言語、文学、歴史、哲学なと) は知的心理的領域の中に入るべきです。
それぞれの亜階層に対して亜三角形を作ることによって、
よりしっかりしたバランスを作ることができます。

  物的身体的階層は堕落の段階から分裂の段階に次第に高まらなければならないでしょう。
亜三角形でより大きなバランスを回復した後に、
物的身体階層は分裂の段階から混乱の段階に高められるべきです。
すべての亜三角形が完全な均衡にある時、
物的身体的階層のローカトゥリコーナとプラマトゥリコーナにおいて完全なバランスが実現するでしょう。

 同様に、知的心理的階層においても多くの亜階層があります。
・・・(略)・・・・
精神性の領域の問題まできました。それもいくつかの亜階層に分割されます。
・・・(略)・・・

物的身体的階層のローカトゥリコーナとプラマトゥリコーナにおけるバランスを回復するために、
次の四つの要素が考慮されるべきです。

1)現在の物的身体的な必要と予想できる将来の物的身体的必要。
2)現在の物的身体的な供給と予想できる 将来の物的身体的供給。
3)土地の最大限の活用 4)物的身体的領域に適用するプラウトの五つの基本的な原理

 たとえば、どの社会経済単位の食料問題の解決を試みる際にも、
農業の亜三角形を作るべきです。
適切な灌漑システムを導入しなくてはなりません。
そして高品質の多様な種子を用いなくてはなりません。
土地の広範囲な耕作、トラクターと必要な肥料の使用によって、
毎年、三、四回、作物が収穫できるかもしれません。
土壌にふさわしい作物を選ぶべきです。
農業協同組合と農業生産者組合を開始しなくはなりません。
そして農民団体を形成しなくてはならないでしょう。
農業は、利益の原理ではなく消費の原理にもとづいて導かれるべきです。
農産物の適切な貯蔵、配分が必要です。

農業のローカトゥリコーナにおける適切なバランスは
物的身体階層におけるローカトゥリコーナにおけるバランス確立に役立つでしょう。

.同じように、もし、亜階層の亜三角形における完全なバランスがあるならば、
知的心理的階層と精神的階層のローカトゥリコーナやプラマトゥリコーナにおけるバランスもとれるでしょう。

 物的身体階層、知的心理的階層、精神的階層のすべてのローカトゥリコーナやプラマトゥリコーナが
集合的に最終的なローカトゥリコーナやプラマトゥリコーナを形成するならば、
その中心点は、最高のグナトリコナgun'atrikon'a. の中心点と完全なバランスをもって一致するでしょう。

完全にバランスのとれた状態が個人と集団の間に、そして集団と宇宙の間に確立するでしょう。
すべての領域におけるこの最高のバランスはあらゆるところに完全な状態をもたらすでしょう。

・・・・ それは包括的な福利、すべての人間と全生命世界の進歩と完成の段階です。
February 1987, Calcutta Prama'

(6)
このスピーチを始めて訳して読んだ時の感想がでてきましたので紹介させてもらいます。

 最初に読んだ時は、「なんだこれは難しいことばかり述べて」と思ったのですが、
二回目に読むとこれはじっくり読んで理解するに値すると思いました。

  宇宙の創造は、無数の3つの力の三角ができて、
3つの力のバランスがくずれることで宇宙生成の運動が生じた。
というような書き出しは、最初に読んだ時は、そうかもしれないけど、
実証不能なことを分かったふうに言う人だと絶えず抵抗感がありました。
「サーカーよ、あなたはブッダのような人間か」と思いつつも、
全体の論旨で言わんとしていることには説得力がありました。

 プラマとはバランスで、プラマートゥリコーナをバランスのとれた三角形ということかなと思いました。
ですから、小さな数多くの下位三角形があり、
それが全体として大きな力の三角形をしているバランスのとれた状態が望ましい。

 この哲学にもとづいて、サーカーの脱集中decentralized経済論が組み立てられているように感じました。
つまり地方の地域が農業と工業などのバランスがとれていること、
それが全世界に小さなバランスのとれた地域経済圏があり、
それらがより大きな国や国の集合地域としての自由経済圏につながり、
最終的に全世界の自由経済圏となる。

しかし、あくまで、各地域の小地域の経済圏の農業と工業などのバランスがとれている。
無数の小さな下位三角のイメージです。自由に生産を発達させつつ、
下位三角がバランスがとれていることが、
もっとも全体として大きくバランスを崩すことがないことの保障となります。

宇宙の根本原理にもとづいた経済構造づくりをせよとサーカーは考えているのだと思います。

 現在の多国籍企業がバックにあって押し進めているアメリカを中心とする
「自由化」「グローバリゼーション」は、
このサーカーが指し示すと方向と逆の方向に進んでいます。

たとえば、この前ニュースで、日本の企業がタイでブラウン管をつくることに進出しました
とその映像が映っていました。

安い賃金によってより安い製品をつくために国際競争に打ち勝つためです。
もちろん私が会社の担当者なら、それなしには勝ち残れないのですから
、それを推進せざをえませんが、それによって形成されている経済構造は、
小さな無数の下位三角形ではなく、
不安定な大きな三角形で、小さな下位三角形はできません。

ブラウン管だけですから、日本企業の都合でいつでも撤退できますし、
外国に安い賃金の労働者を日本の企業が求めることは、
日本の雇用状況、賃金状況を悪化させ、日本の一般庶民の購買力が減少しさせ、
ますます日本のプラマ(バランス)が崩れさせています。

 私たちには、小さな下位三角形をつくり、
大きな三角形のプラマを実現するための闘いが必要となっています。

 以上は、物的身体的領域のプラマについてのコメントですが、
知的心理的分野のプラマについても、ここでサーカーが言っていることはあたっていると思います。
以前は、私は、あまりプラマについて重視していなかったなあと思います。
ここでは絵や詩や歌、哲学について例をあげていますが、
何事についても同じことが言えると思います。

 精神性の領域においても、宗教のドグマに陥ったらだめですよと
言っているのもそのとおりだと思います。
物的身体的領域でのバランスが崩れていたら精神性の成長はありませんよと
いうのもそのとおりだと思います。
 下位階層(亜階層)に無数のバランスのとれた三角形をつくってゆきましょう。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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