Karl Marx Part 6
(video inspired by god of star)



(Mitsuki wrote clearly that socialism of Marx is sharing means of production)

This article is about socialism of Marx.
This article shows that view of Mitsuki is same to documents of Heaven.
Mitsuki wrote clearly that socialism of Marx is sharing means of production.
This understanding is truth of Marxism.
Mitsuki thought in young age that socialism of Soviet become true socialism although it is not socialism.
But after Soviet collapsed, Mitsuki studied prout of Sarkar which god samnimldam downed.
Mitsuki found that prout is original Marxism.
After down of document of Heaven, Mitsuki knew that Marxism was downed from gods of heaven.

この論文は,マルクスの社会主義についてです。
この論文は,ミツキの観点が天の文書と同じであることを示しています。
ミツキは,マルクスの社会主義は生産手段の共有であると明確に書いています。
この理解がマルクス主義の真実です。
ミツキは若いとき,ソ連の社会主義は社会主義ではないけれども本当の社会主義になることを期待していました。
ソ連の崩壊後,ミツキは神サラムニダムがサーカーにおろしたプラウトを研究しました。
ミツキはプラウトがもともとのマルクス主義であることを見いだしました。
天の文書がおろされてから,ミツキはマルクス主義が天の神々からおろされたことを知りました。




社会主義思想とマルクス

(1)資本家の蓄財と貪欲にブレーキをかける運動が必要だった。

さて、「天賦人権と民主主義」の思想が切り開いた社会は、
今日、私達が目の前に見ている資本主義社会でした。

「生命、自由、および幸福追求の権利」とあるように
自由の権利は、すべての人の生命と生活(life)の権利が保障された上に成り立つ権利なのですが
経済的な営利追求と蓄財の「自由」が優先されてしまい、
有限の世界で一部に富と貨幣が集中しますから
他方でその不足を生み、
人々の暮らしlifeが脅かされるようになりました。

今日の議会制「民主主義」のあり方が、大資本家たちがその蓄財した財力で
政治家たちの背後にあって、自分たちの蓄財に有利な政治をさせていることが
格差の広がりを促進します。

したがって資本主義社会では、蓄財と貪欲へブレーキをかけ、
人々の全般的な生活水準の向上をはかるには
広範な民衆の反搾取の集合的な運動が必要でした。

この運動の必要性に応えて反搾取の経済理論を作り上げたのが
カール・マルクスでした。
彼の「資本論」は、働く人々の苦境を
理論、実証の上でも深く追求しており、
彼以前にも彼以後にも働く人の立場からあそこまでの研究の深みに
達した人はいないように思えます。

(2)労働者による生産手段の所有回復を考えた

マルクスの理論は多領域にわたっていますが
独立自営の小経営者の話を論じます。

「労働者が自分の生産手段を私有しているということは小経営の基礎であり
小経営は、社会的生産と労働者自身の自由な個性の発達のために必要な条件である」
マルクス『資本論』2巻、大月書店、991ページ

このように彼は労働者が所有する小経営を評価しますが
資本主義の発達が、この小経営を破滅させてゆきます。
しかし、労働者による生産手段の所有は
資本主義の発達の中でいったんは否定されますが、
再度、労働者による生産手段の共同所有として復活することになます。
否定の否定の法則です。

「資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。
すなわち、協業と土地の共有と・・
生産手段の共有とを基礎とする個人的所有をつくりだすのである」
マルクス『資本論』2巻、大月書店、995ページ

これは文脈からは、労働者による生産手段の共有、
すなわち協同組合所有による個人所有の復活と読みとるべきです。
個人所有とは、協同組合への出資者としての自分の持ち分です。
労働者の生産手段の所有が復活すると読み取らずに
労働者の消費手段の所有の復活と読みとった文章を見かけたことがありますが
そのように読み取るならば、一部の人が経済決定権をもつ非民主的な経済を克服できず、
旧型社会主義(=国家資本主義)の誤りを克服できません。
(と私は思うのです)

このようにマルクスの問題意識は、労働者が集合的に生産手段を再び所有して
労働過程における主人公にさせるにどうしたらいいかということにありました。
働くもののための経済や政治をつくることが、
マルクスの問題意識の根幹にありました。
この労働者大衆への愛に導かれたこの問題意識こそ、
私たちは受け継いで、資本主義物質文明を克服する事業に生かすべきだと思うのです。

(3)ヘーゲル、マルクスのワンネス哲学

マルクスの労働者大衆を含めた普遍的な愛は、若き日から最後まで一貫していただろうと思います。
17才のころの若きマルクスは次のように書いています。
「神が人類および人間自身を高貴たらしめる普遍的な目的をあたえたのであるが、
神はこの目的を達成しうるための手段をさがしもとめることを人間自身にゆだねた」
そして彼にとって追求すべきは
「人類の幸福であり、われわれの自身の完成」です。
「歴史は、普遍的なもののために働くことによって自己自身を高貴なものとした人々を偉人と呼ぶ。
経験は最大多数の人を幸福にした人をもっとも幸福な人としてほめたたえる。」
(『マルクス・エンゲルス全集40巻』515~519ページ)
ここに彼が生涯追求しようとしたものが書かれています。

自分を高貴たらしめるには普遍的なもののために働くことだとあります。
普遍的なものとは、ワンネス哲学では、一者にほかなりません。
一者が多者として展開しているが故に、
万人に奉仕することが自分を高貴たらしめるのです。
このように17才のマルクスは事実上ワンネス哲学を語っています。
すなわちマルクスの人生の根底に「全人類に尽くす」という高いスピリチュアリティが流れていたと考えられます。
その困窮する大衆への強い愛のスピリットがその文章の背後にあったが故に
世界中の人々に強力な影響力をもったと考えられます。

そして唯物論に転じた後にも、自分たちの立場は、理想主義(idealism)を否定した物質主義ではないとエンゲルスが説明しています。 すなわち マルクスとエンゲルスは、物質主義materialismではなく、哲学的唯物論materialismであり、
観念論idealism ではなくidealism理想主義であったのです。

そしてマルクスの唯物論はヘーゲルのワンネス弁証法を唯物論的に読み替えたもので
ヘーゲルのワンネス哲学との違いは、同じものを表から見るか裏から見るかの違いだったと思います。
ヘーゲルの本に『精神現象学』があるように
「絶対精神」なる形と属性のない無限の一者が、多として現象しているのが、この世界なんだというワンネス哲学です。
弁証法とは一者が多者として展開している過程を見ることにほかなりません。
したがって、後にレーニンが『哲学ノート』の中で、
ヘーゲルの「精神」概念は「物質」概念とほとんど同じであることを指摘したのだと思います。

言葉はとても重要です。
命名した本人は分かっていても、
materialismという言葉は一人歩きします。
哲学的ネーミングであった唯物論materialismは、
スターリンや毛沢東のようにまったく物質主義的に理解されて
宗教迫害に用いられてしまうことになり、
マルクスがまったく予想だにしていない展開となってしまいました。

立命館大学の経済学者の藤岡惇氏は、唯物論哲学の立場から、
マルクスがヘーゲルの観念論的弁証法を唯物論的に組み換えたように
「宗教的な系譜のなかで形成されてきたアニムズム的思惟を唯物論的に組み換え、・・・
「アニミズム(自然の弁証法)」にもとづく哲学を築くことは可能だし、火急の課題だと考える。」
(藤岡惇「唯物論的アニミズム」の世界観の構築」『唯物論と現代36』2005.1182ページ)
と述べておられます。
藤岡氏の論は、大宇宙物質自体(一者)が、多の小生命体に転化するというマルクスがヘーゲルから
その哲学を受け継ぐ時の原点であるワンネス哲学にもどろうとする貴重な理論化であると思います。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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