(In orer to realize eternal peace planet earth this understanding is most important)

This article is that democratic government of Iran was destroyed by CIA of America.
Understanding of this fact is necessity to study modern history of Iran.
Modern history of Asia, Africa and Latin America was under activity of CIA of America.
In orer to realize eternal peace planet earth this understanding is most important.

この論文は,民主的なイラン政府がアメリカのCIAによって崩壊させられた,です。
この事実の理解は、イランの現代史を研究するときに不可欠です。
アジア・アフリカ・ラテンアメリカの現代史は,アメリカのCIAの活動下にありました。
永遠平和の惑星地球を実現するためにこの理解がもっとも重要です。




1953年のCIAアジャックス作戦によるイランの民主政府転覆

1979年のイラン革命を理解するにあたって国王による近代化改革である「イランの白色革命」の理解が必要です。
それはイラン国王パ-レビー・シャ-が、アメリカ人のアドバイスのもとでアメリカの目下の同盟者としておこなった政策です。

19世紀末からイランではイギリスの半植民地下だった状態で石油産業がイギリス資本のもとに開発されていました。
第二次戦後の民族解放運動の流れの中でその石油の国有化運動がおこり
1951年にモサデク政権が成立します。
若き国王パーレビーシャーは、そのときイタリアに亡命しました。

Mossadegh - Stephen Kinzer - Iranian Democracy


この時にイランの民主主義があったといっているユーチューブ映像です。

最初の段階はアメリカはモサデクを支持ました。
(モサデク政権は、非合法にされていたイラン・ツーデ党(イランの共産党)も支えてゆきます)
そして1953年、アメリカのCIAがお金をばらまいて大衆運動を組織し
モサデク政権を転覆させるクーデター(アジャックス作戦)をおこさせて
国王を帰国させます。
そしてアメリカの傀儡ともいえる国王独裁が始まります。
アメリカ政府とCIAは、イラン民衆に芽生えたイラン民主主義をつぶしたのです。
Investigating 1953 - Operation Ajax - CIA coup in Iran ( False flag operation )


そのとき、なんと、イランの石油は、イギリスにとってかわって
アメリカ資本が支配することになります。
(1954年、英40%、米40%、仏6%、蘭14%)
要するに最初にイランの石油国有化の民衆運動をアメリカが支持したのは
イギリスによる石油支配をまずイラン民衆の力でやめさせて
その後をアメリカの資本によって乗っ取るためだったのです。

(結果的にそうなったわけですが、私は陰謀史観ではありませんが
やはりCIAが民衆にお金をまいてクーデターをおこさせたのですから
歴史に陰謀が入る余地は十分にあります。
歴史は人々の集合意識の総和で進んでゆきますから
集合意識の流れに影響する陰謀的なことは入る余地は十分にあるのだと
思います。だから陰謀がなされた事実を指摘している人が
すべて陰謀史観であるわけではありません)

1949年に中国革命の勝利が確定し、農民の反封建闘争が革命のエネルギーを提供したと
アメリカの反共学者たちは分析していたと思います。
そして教訓として下からの農民革命のエネルギーを共産主義運動の民族解放闘争の エネルギーとして吸収させてはならないという意識をアメリカ政府を支える 知識人は思ったと思います。
そのために、インドでは「緑の革命」、フィリピンでは「進歩の同盟」みたいな形で、農業の近代化、半封建的な地主小作関係を 資本主義的構造に進化する試みがなされたと思います。
イランの「白色革命」はそうしたアメリカによる新植民地主義的政策のイラン・バージョンとして イランにおける前近代的な地主・小作関係の崩壊が革命的な仕方で進んでゆかないように 上からの近代化改革の中でなしとげようとしたものです。
パーレビー・シャーは、西の日本をめざします。


参考
(1)
緑の革命についてコメントしたページ
「「緑の革命」の始まりは、「赤の革命」に対抗するためのものであった。
中国において、1949年に共産党が権力を握ると、地方の農民組合が土地を取り戻し、借金を帳消しにし、富を再分配するように促した。
それに啓発されたアジア新興諸国の農民運動も、共産党が浸透し、土地を取り戻し、それを基盤として平等な農村を作ろうと、もりあがった。
この運動に対抗し、この政治状況を「安定化」させるための手段として、アメリカの財団、アメリカ国際開発局、世界銀行などが、共産主義の魅力を抑えるために集結し「緑の革命」が導入された。
HTTP://ECONGEOG.MISC.HIT-U.AC.JP/EXCURSION/00BENGAL/COLUMN/HYV.HTML」
(ヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』 日本経済評論社 浜谷喜美子訳 1997年 をまとめた文章)
つまりイランの「白の革命」も、この「緑の革命」と同じ問題意識だったと思います。

参考
(2)
「ウィクペディア」の「イランの歴史」は、次のような記述になっています。
・・1952年、モサッデグは辞任を強制されたが、選挙での圧勝により再選、ひるがえってシャーに亡命を余儀なくさせた。
モサッデグは共和国を宣言するが、数日後の8月19日、アジャックス作戦として知られるCIAと合衆国政府の策謀によってシャーは帰国して復位、モサッデグは職を追われて逮捕され、新任の首相はシャーによって任命された。
シャーはこの事件における米国の支持への見返りとして、1954年、英40%、米40%、仏6%、蘭14%の割合でイラン石油利権を分割する国際コンソーシアムの操業を今後25年にわたって認める契約に調印した。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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