(video inspired by god of star)


(honest people should unite even if difference of opinion)

This article is that honest people should unite even if difference of opinion.
This is very important for social movement.
Social movement develops when united people appear in core portion of social movement.

この論文は、正直な人々は意見が違っても団結すべきである,です。
これは社会運動にとってきわめて重要です。
社会運動は,社会運動の核の部分に団結した人々があらわれるときに発展します。




社会サイクルの中心軸と大衆革命

(1) 社会サイクルの中心軸になろう!

「市民社会フォーラムは、社会の回転の永続的な中心軸として発展してゆく」という観点で、
私はこのフォーラムに参加しています。
この宇宙の一切は、波、回転の形で存在し、
社会も歴史的に波動、回転の形で存続してゆくと考えています。
インドのヨガの聖者のサーカーは、サンスクリット語で次のように定式化しています。

Cakrakendre sadvipra'h cakraniyantraka'h
「社会サイクルの核に位置して、サドヴィプラは社会サイクルをコントロールします」

このサドヴィプラこそ、市民社会フォーラムが該当すると考えています。
サーカーは次のように説明しています。
「信頼できるモラリスト、誠実な精神主義者(スピリチュアリスト)であり、力(force影響力)を用いることによって不道徳や搾取を終わらせたい人は サドヴィプラと呼ばれます。
彼らは社会サイクルの周辺部に属しません。
なぜなら彼らは社会サイクルの核にしっかりと確立しつづけて社会をコントロールするはずだからです。
社会サイクルは確実に回転してゆきます。
しかし、そのときどきの支配階級が、慈悲深い為政者としての役割を果たさないで、 強欲な搾取者に堕落する時、
サドヴィプラの神聖な義務は、高潔な人や搾取された人を守り、
よこしまな者や搾取する者を力(force影響力)を用いて服従させることです。」

私は、この役割を、この市民社会フォーラムの発展に期待しているわけです。

(2) 大衆革命を含む社会サイクルへ

歴史を振り返ると、大衆革命なしに次の社会サイクルが始まったケースは多々あります。
しかし、サーカーは大衆革命(シュードラ革命)の準備をしなさいと言います。
社会サイクルの完全な回転についてサンスクリット語で次のように定式化しています。

Pu'rn'a'vartanena parikra'ntih
「社会サイクルの完全な回転を『全周進化』(Peripheric evolution)といいます」

趣旨
 「シュードラ(大衆)革命」を含む社会サイクルの完全なローテーションを『全周進化』parikra'nti (Peripheric evolution)と言います。」

(3) 大衆の中の勇者と知者が団結して大衆革命をおこす

しかし、大衆(シュードラ)革命を指導するのは、シュードラ(大衆)ではなく、 シュードラの生活しているクシャトリア(勇者)とヴィプラ(知者)ですよ とサーカーは注意を促します。
「経済的な視点から、社会がただ二つの階級、
すなわち搾取するヴァイシャと搾取されるシュードラに分かれた時に革命はおこります。
しかし、心理的な視点からはヴィープラとクシャトリアがいないならば、
言い換えると、経済的にはシュードラだけども、心理的にはヴィープラもしくはクシャトリアである人々がいないならば、 シュードラ革命は不可能です。
革命をおこすのはシュードラのメンタリティの持ち主の仕事ではありません。
シュードラは闘争を避けます。
彼らはヴァイシャから好きなように扱われている人々です。」
さらに、この点についてサーカーの言葉を見てみましょう。
「肉体労働者だけの助けによってプロレタリア革命をおこしたいと思っている人は、 かかわっている人々のメンタリティを考慮に入れなければ成功しないでしょう。
シュードラの心の持ち主の人々は自分たちの抱えている問題を理解できません。 彼らは問題解決について夢見る勇気さえもちません。
どんなに上手に労働者の指導者が 彼らに問題を説明しても、どんなに熱心に闘争の必要性について説いても、 シュードラの心には届かないでしょう。
彼らは自分の時間を食べること、飲むこと、ひどい酔っぱらいになることで過ごしています。・・・
そのような人々はシュードラ革命を起こさないし、 起こすこともできない と私が言っているのはこういうことからです。」
「人々は次のように考えて、革命を嫌がるようになります。
『運命として定まっていることが起きているだけだ。
闘争して何になるだろうか』
『どうにかこうにか自分の人生を過ごせている。
だからどうしてわざわざ面倒なことにかかわる必要があろうか』

「私がクシャトリアの心やヴィープラの心を持ったシュードラが人民の革命をおこすだろう と述べたのはこういう理由からです。
そのため、そのようなシュードラは、徹底した準備をしなくてはなりません。
彼らは多大な損害と大きな犠牲を払わざるをえないでしょう。
彼らは敵対するグループ、その教義と闘わなくてはなりません。」

私は、サーカーはきわめてリアルに人々を見ているなあと感心します。
シュードラすなわち大衆レベルの生活をしているクシャトリア(勇者)とヴィプラ(知者)こそ 革命(社会サイクルの前進)にむけた中心的に担い手になります。

(4)

私は、民衆勢力の「多様性における統一」の実現のために、 次のサーカーの指摘はとても重要だと思います。
不正直な人については好きであっても手を切りなさい。
正直な人については嫌いであっても手をつなぎなさい。です。
「しかし、実際に革命をもたらすことは容易なことではありません。
革命のパイオニアであるクシャトリアの心をもったシュードラやヴィープラの心をもったシュードラは、
規律を身につけ、適切な革命の訓練をし、自分の人格を確立し、モラリストにならなければならないでしょう。
一言で言えば、 私がサドヴィプラと呼んでいるものにならなくてはなりません。
サドヴィプラは、たとえ、嫌いであったとしても正直な人々に敵対する運動には着手しません。
しかし、サドヴィプラは、不正直な人々に対して、
たとえ彼らのことを好きであってもきっぱりと行動をおこしてゆくでしょう。
そのようなことではどんな類の心の弱さにも引きずられることはないでしょう。」

私たちの政治運動、社会運動はこれまでの経緯から意見が違うたびに衝突してきました。
サーカーは「衝突と結合」こそ発展をうながすものだと言います。
しかし、幾多の衝突から、「あいつらは嫌いだ」と感情的な沈殿物ができてしまって いつのまか、意見が違っても 正直ものが手をつなぎ、不正直な人々と闘うということを忘れてしまったと思います。
普通は、同じ意見の人がグループをつくるわけですが
サドヴィプラ集団=市民社会フォーラムの理念は
意見は違うが、正直ものが集まりましょう。
正直に思っていることを言うと、誰も意見が違うわけですからそれはそれでよしとし、
私たちは、不正直ものと闘ってゆきましょう。

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ