(video inspired by god of star)
(Now humankind face to huge last revolution in earth history)
This article is explanation of revolution.
Understanding of revolution of Mitsuki is exact.
Revolution is process of social development.
Now humankind face to huge last revolution in earth history.
この論文は,革命の説明です。
ミツキの革命の理解は正確です。
革命は社会発展のプロセスです。
今人類は地球の歴史上巨大な最後の革命に直面しています。
革命と選挙(政治民主主義)の概念
(Sさん)
それに至るには革命が必要なのか?
あるいは選挙で大きく変わるのか?
(私)
社会サイクル論においては、革命と選挙は
別の次元の問題になります。
まず「革命」の概念です。
社会サイクル論は、このコスモスのすべての構造は
GODの原理で動いていると見ることから来ていると教えます。
GODとはgeneration(生成)⇒operation(展開)⇒destruction(崩壊)
の頭文字です。
ある構造が成立し、展開し、崩壊し、次の構造が成立し、展開し、崩壊し
をくりかえしながら、より高次の存在をこのコスモスは出現させている
という考えです。
この一つの構造から次の構造に進むことが「革命」です。
弁証法の用語を使うと
構造の成立が定立(テーゼ)⇒構造の展開にともなって
矛盾が顕現し、反定立(アンチテーゼ)が生まれる
⇒その二つの対立をアウフヘーベン(揚棄)し、
より高次の構造が生まれる統合(シンテーゼ)
この統合が新しい定立(テーゼ)となり
次のサイクルを開始する。
サーカーの考えでは、
単一で不可分の人類社会の実現は革命によって実現します。
「これは、革命を通じて実現するでしょう。
それは民主的な革命になるかもしれませんし、
非民主的な革命になるかもしれません。・・・
革命はイデオロギー的目的を持たなくてはなりません。
本質的に、革命は、物的身体的核、知的心理的核、精神性の核という
天地万物の三つの核のすべてをコントロールすることを意味します」
(Talks on Prout)
ここでの深遠な表現による「革命」は、
明治維新が藩をなくして一つの日本をつくったように
ネイション国家をなくして、一つの人類社会への
マクロヒストリーにおける次の大サイクルにむけた
革命を意味していると思われます。
②政治民主主義(選挙)の概念です。
(上記の引用がマクロヒストリー(大波の歴史サイクル)の表現だったのに対して
以下は、中波の歴史サイクルにもあてはまります)
選挙は平和的な移行のために不可欠な制度だと考えられます。
20世紀には民主的に選出されたチリのアジェンデ政権への 1973年のピノチェト将軍のクーデターのように 反革命の暴力が頻発しました。
しかし、21世紀に入り
同じラテン・アメリカの地域では
ベネズエラ、ボリビア、ブラジルなど
選挙を通じて平和的に政権獲得に成功しています。
ホンジュラスでは大統領をとりもどす闘いが
継続していますが、20世紀にありえなかった
選挙を通じる平和的革命の道がひらかれつつあります。
サーカーの言葉です。
「クシャトリアの心を持ったシュードラのリーダーが多数を占めていたり、 彼らの影響力が強いならば、革命は現実に流血の衝突を通じて起きるでしょう」
「しかし、流血のない知的衝突だけの革命はありえない、 と明確に言いきることはできません。
ヴィプラの心を持ったシュードラが多数存在する場合、それは可能です。」
(Shudra Revolution and Sadvipra Society)
すなわち資本主義的搾取に不満を持っているシュードラの中で ヴィプラ的メンタリティの持ち主の影響力が強い場合は、 革命は平和的に展開する可能性があるということです。
つまり私たちが革命に向けて人々が知的にめざめることを 促進してゆくことが、平和的な革命の前進のために 不可欠ということです。
(ラテン・アメリカの平和革命の前進にも 人々の知的発達が背景にあると思います)
サーカーは、政治民主主義を通じた、
すなわち選挙を通じた革命について
次のように述べています。
「民主主義構造の内部で高い水準のモラルを達成し、
社会主義を確立することは不可能ではありませんが、
きわめて困難です。」
(Shudra Revolution and Sadvipra Society)
「知的革命は、理想の普及を前提とします。
しかし、理想を具体化するためにはかなり長い期間がかかります。
苦しんでいる人々はそれを待とうとしません。
知的な革命は理論においてのみ可能です。
少数者であれ多数者であれ、
あるグループの人々の期待と熱望が
民主主義的枠組みで満たされない時、
非民主的な革命、すなわち血なまぐさい革命が確実に起きます。
このような革命は望ましくありませんが、
否応なしに起きてしまうのです」(Talks on Prout)
ここでの知的革命とは、民主主義的な革命のことです。
私の考えでは、経済民主主義を前面に立てつつも、
政治的民主主義構造に波長を合わせながら、
サーカーのいう「きわめて困難な道」すなわち
ヴィプラ的メンタリティのシュードラの数と影響力を強めることで シュードラ革命の平和的展開をめざしていくしかないと思います。
③
数年に一回、選挙で為政者を選ぶ政治民主主義は
いままでのところ人類が達した最良のシステムであるが
これが歴史の終りではないとサーカーは言います。
数年に一回人々が「選ぶ」権利をもつ政治民主主義から
日々、人民が選択する権利をもつ
「毎日の民主主義」である
経済民主主義をめざしなさいとサーカーは述べます。
経済民主主義は、
地域と職場の二つで実現してゆきます。
一つは、遠く離れたお金をもっているものがその地域で 経済活動するのではなく 地域住民が自分たちの地域の経済計画と 発展をさせてゆく権利をもつことです。
そして
二つ目は、協同組合によって従業員の合意で運営されてゆくこと
があります。
サーカーの社会サイクル論によれば
シュードラ時代⇒クシャトリア優位時代⇒ヴィプラ優位時代 ⇒ヴァイシャ優位時代⇒シュードラ革命
という流れの中で
ヴァイシャ時代は、政治の裏側でお金の力をバックに
政治の舞台のクシャトリアとヴィプラを手先として
あやつるスタイルになります。
ヴァイシャの政治献金を受けている政治家たちは
どうしてもヴァイシャに有利な政治をします。
そのために果てし無くヴァイシャに貨幣が集中し
シュードラ大衆をまわる貨幣が不足します。
シュードラ大衆とシュードラに味方する
クシャトリアとヴィプラが
ヴァイシャとその手先のクシャトリアとヴィプラと
闘争してゆきます。
最終的にこの勢力が勝利し、歴史を前にすすめてゆきます。
サドヴィプラ社会集団の任務は、この対決が表面化し
歴史が次のサイクルに進むように
現状へのアンチ・テーゼを提出することだと
考えています。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Understanding of revolution of Mitsuki is exact.
Revolution is process of social development.
Now humankind face to huge last revolution in earth history.
この論文は,革命の説明です。
ミツキの革命の理解は正確です。
革命は社会発展のプロセスです。
今人類は地球の歴史上巨大な最後の革命に直面しています。
革命と選挙(政治民主主義)の概念
(Sさん)
それに至るには革命が必要なのか?
あるいは選挙で大きく変わるのか?
(私)
社会サイクル論においては、革命と選挙は
別の次元の問題になります。
まず「革命」の概念です。
社会サイクル論は、このコスモスのすべての構造は
GODの原理で動いていると見ることから来ていると教えます。
GODとはgeneration(生成)⇒operation(展開)⇒destruction(崩壊)
の頭文字です。
ある構造が成立し、展開し、崩壊し、次の構造が成立し、展開し、崩壊し
をくりかえしながら、より高次の存在をこのコスモスは出現させている
という考えです。
この一つの構造から次の構造に進むことが「革命」です。
弁証法の用語を使うと
構造の成立が定立(テーゼ)⇒構造の展開にともなって
矛盾が顕現し、反定立(アンチテーゼ)が生まれる
⇒その二つの対立をアウフヘーベン(揚棄)し、
より高次の構造が生まれる統合(シンテーゼ)
この統合が新しい定立(テーゼ)となり
次のサイクルを開始する。
サーカーの考えでは、
単一で不可分の人類社会の実現は革命によって実現します。
「これは、革命を通じて実現するでしょう。
それは民主的な革命になるかもしれませんし、
非民主的な革命になるかもしれません。・・・
革命はイデオロギー的目的を持たなくてはなりません。
本質的に、革命は、物的身体的核、知的心理的核、精神性の核という
天地万物の三つの核のすべてをコントロールすることを意味します」
(Talks on Prout)
ここでの深遠な表現による「革命」は、
明治維新が藩をなくして一つの日本をつくったように
ネイション国家をなくして、一つの人類社会への
マクロヒストリーにおける次の大サイクルにむけた
革命を意味していると思われます。
②政治民主主義(選挙)の概念です。
(上記の引用がマクロヒストリー(大波の歴史サイクル)の表現だったのに対して
以下は、中波の歴史サイクルにもあてはまります)
選挙は平和的な移行のために不可欠な制度だと考えられます。
20世紀には民主的に選出されたチリのアジェンデ政権への 1973年のピノチェト将軍のクーデターのように 反革命の暴力が頻発しました。
しかし、21世紀に入り
同じラテン・アメリカの地域では
ベネズエラ、ボリビア、ブラジルなど
選挙を通じて平和的に政権獲得に成功しています。
ホンジュラスでは大統領をとりもどす闘いが
継続していますが、20世紀にありえなかった
選挙を通じる平和的革命の道がひらかれつつあります。
サーカーの言葉です。
「クシャトリアの心を持ったシュードラのリーダーが多数を占めていたり、 彼らの影響力が強いならば、革命は現実に流血の衝突を通じて起きるでしょう」
「しかし、流血のない知的衝突だけの革命はありえない、 と明確に言いきることはできません。
ヴィプラの心を持ったシュードラが多数存在する場合、それは可能です。」
(Shudra Revolution and Sadvipra Society)
すなわち資本主義的搾取に不満を持っているシュードラの中で ヴィプラ的メンタリティの持ち主の影響力が強い場合は、 革命は平和的に展開する可能性があるということです。
つまり私たちが革命に向けて人々が知的にめざめることを 促進してゆくことが、平和的な革命の前進のために 不可欠ということです。
(ラテン・アメリカの平和革命の前進にも 人々の知的発達が背景にあると思います)
サーカーは、政治民主主義を通じた、
すなわち選挙を通じた革命について
次のように述べています。
「民主主義構造の内部で高い水準のモラルを達成し、
社会主義を確立することは不可能ではありませんが、
きわめて困難です。」
(Shudra Revolution and Sadvipra Society)
「知的革命は、理想の普及を前提とします。
しかし、理想を具体化するためにはかなり長い期間がかかります。
苦しんでいる人々はそれを待とうとしません。
知的な革命は理論においてのみ可能です。
少数者であれ多数者であれ、
あるグループの人々の期待と熱望が
民主主義的枠組みで満たされない時、
非民主的な革命、すなわち血なまぐさい革命が確実に起きます。
このような革命は望ましくありませんが、
否応なしに起きてしまうのです」(Talks on Prout)
ここでの知的革命とは、民主主義的な革命のことです。
私の考えでは、経済民主主義を前面に立てつつも、
政治的民主主義構造に波長を合わせながら、
サーカーのいう「きわめて困難な道」すなわち
ヴィプラ的メンタリティのシュードラの数と影響力を強めることで シュードラ革命の平和的展開をめざしていくしかないと思います。
③
数年に一回、選挙で為政者を選ぶ政治民主主義は
いままでのところ人類が達した最良のシステムであるが
これが歴史の終りではないとサーカーは言います。
数年に一回人々が「選ぶ」権利をもつ政治民主主義から
日々、人民が選択する権利をもつ
「毎日の民主主義」である
経済民主主義をめざしなさいとサーカーは述べます。
経済民主主義は、
地域と職場の二つで実現してゆきます。
一つは、遠く離れたお金をもっているものがその地域で 経済活動するのではなく 地域住民が自分たちの地域の経済計画と 発展をさせてゆく権利をもつことです。
そして
二つ目は、協同組合によって従業員の合意で運営されてゆくこと
があります。
サーカーの社会サイクル論によれば
シュードラ時代⇒クシャトリア優位時代⇒ヴィプラ優位時代 ⇒ヴァイシャ優位時代⇒シュードラ革命
という流れの中で
ヴァイシャ時代は、政治の裏側でお金の力をバックに
政治の舞台のクシャトリアとヴィプラを手先として
あやつるスタイルになります。
ヴァイシャの政治献金を受けている政治家たちは
どうしてもヴァイシャに有利な政治をします。
そのために果てし無くヴァイシャに貨幣が集中し
シュードラ大衆をまわる貨幣が不足します。
シュードラ大衆とシュードラに味方する
クシャトリアとヴィプラが
ヴァイシャとその手先のクシャトリアとヴィプラと
闘争してゆきます。
最終的にこの勢力が勝利し、歴史を前にすすめてゆきます。
サドヴィプラ社会集団の任務は、この対決が表面化し
歴史が次のサイクルに進むように
現状へのアンチ・テーゼを提出することだと
考えています。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods