UVU: The Social Individual: Collectivity and Individuality in Capitalism (and Marx) with Jason Read
(video inspired by god of star)



(ectoplasm structure having equal solidarity structure of independent individuals is established historically)

This article is that ectoplasm structure having equal solidarity structure of independent individuals is established historically.
Argue of Mitsuki comes from Junichirou Morimoto who was only one true Marxist in 20th century.
So this argument is true Marxism.

この論文は、独立した個人の対等な連帯構造をもった思念体構造は歴史的に成立した,です。
ミツキの議論は20世紀にただ一人の真のマルクス主義者であった守本順一郎からきています。
だからこの議論は真のマルクス主義なのです。




プレ(前)とトランス(超)

プレ(前)とトランス(超)のテーマについてです。

『ワン・テイスト(上) ケン・ウィルバーの日記』181ページからです。

これらの人々(ニューエイジ運動)の人々は、
善良かつ慎み深い意図をもっているにもかかわらず
幼児的、幼稚的、自己中心的な状態を取り上げ
単に、それらが「非合理的」であるという理由で
「神聖なもの」あるいは「スピリチュアルなもの」とラベルを 張り替える。
これはあきらかに問題である。

本当の成長は、
一般的に前合理的から合理的へ、そして超合理的へ・・・
潜在意識から自己意識へ、そして超意識へ・・・・
前慣習的から慣習的へ、そして脱(ポスト)慣習的へ・・・・
前個人的(プレパーソナル)から個的(パーソナル)へ
そして超個的(トランスパーソナル)へ・・・
と進む

しかし、「前(プレ)と超(トランス)」の混乱下では
「前」はしばしば「超」に引き上げられ、
ナルシズム的自己没頭が、
純粋な成長と変容に必要な過程を浸食してしまう。

悲しいかな。私にはこの国におそらく破竹の勢いで 広まっている「スピリチュアル・ルネッサンス」の多くが 実際には前合理的な退行であり、
超合理的な成長でないように思われる。
これは深く懸念すべきことだ。・・・・

ウィリアム・アーウィン・トンプソンは
この「スピリチュアル・ルネッサンス」の、
およそ80%が前合理的であり
超合理的なものは20%以下しかないと推計している。
・・・
私自身の分析では、真に超合理的なものは
人口の一%にも満たないことが示されている。・・・
(以上、引用)

(1)
私は、守本順一郎の思想史の視点に共感してきましたが
近代以前の思想を本にした段階で亡くなった人ですが
別の角度から「個」のプレとトランスについての
問題意識をもっていました。

マルクスのイギリスの資本主義成立にあたっての
必須の通過点としたヨーマン(独立自営農民)を
思想史の側から読み替えて、
前近代の集団に個が埋没あるいは服従した個
という思惟構造(思考パターン)ではなく
自立した個と個の連帯構造としての思惟構造の成立を
未来社会を展望する上での必須の通過点と考えた人であると
守本思想史を理解しました。

その後の「個」のゆくえですが
対等な連帯構造をもった個は、
資本主義の発展に、ただ流されるならば、
生活の場で個はバラバラになり、利己主義となり、
労働の場で個はバラバラの競争原理の中で
集団に埋没(上意下達)となります。

私たちの頭の中に「自立と連帯」の思惟構造(思考パターン)を どう形成してゆくかは、依然として私たちの思想的課題として 横たわっていると考えられます。

(2)
ケン・ウィルバーの問題の立て方も勉強になりました。
時事問題に応用して論じたものが次です。

「NHK幹部と朝日新聞社の件は、どちらが道徳レベルが高いか・・・.愛するNHKへ」
という文章を書きました。

1月15日(2005年)7時のニュースは、虚偽報道をしたとして一方的に朝日新聞社を攻撃しました。
・・・・
今日、道徳発展の理論として誰もが、一致する大雑把なラインを示すと三段階になります。
「道徳的な発展のレベルには、
前慣習的(私が望むことは正しい・・・自我中心的)、
慣習的(グループが望むことは正しい・・・社会中心的)、
脱慣習的(人種、性別、信仰にかかわらず、すべての人々にとって正しい・・・世界中心的)です」
ケン・ウィルバー『ワン・テイスト(下)』123ページ、
・・・
かつての日本のアジアへの加害の証言を偏向として放送させないNHK幹部や安倍、中川氏も、 日本という国(集団)を中心に考える社会中心思考の段階の道徳レベルにあります。
長井氏、朝日新聞記者たちは、脱慣習的な世界中心的な道徳レベルにあり、
当然、北朝鮮の拉致事件も報道しますが、
だからといって過去の日本の加害の証言をあいまいにすべきではないと考えます。
問題の本質はこの道徳レベルのずれにあります。

前慣習段階にある不道徳な若者たちについて、 社会中心的な慣習段階に高めなくてはならないという点では、両者は一致します。

そして北朝鮮による日本人拉致事件も許すことのできない犯罪ととらえる点で、 そして平和的なあらゆる方法で拉致されている人の救出をはかる点でも、意見の違いはありません。

道徳レベルはさらに発達します。
脱慣習レベルの道徳意識では、
仮に在日韓国人の人が北朝鮮に拉致されたとしても同じように見るでしょう。
そして半世紀前に日本が朝鮮の人々を強制連行(拉致)し、
また従軍慰安婦にしたことも同じように見えます。

そして日本が過去の強制連行や従軍慰安婦の問題について再確認する姿勢を示してこそ
全世界の人々の共感のもとに北朝鮮の拉致下にある人々を救出する取り組みを進めることができ、
より有利な環境をつくりだすと考えるでしょう。

すなわち、今回のNHK対朝日新聞の対立の構図の背景には、
慣習道徳の意識レベルに対してさらに一歩進んだ道徳意識のレベルの断層差があるのです。
NHKの幹部や安倍氏や中川氏にとっては、
長井氏が一歩進んだ道徳意識から良心の呵責をおぼえてやむにやまれず、
告発したことが理解できません。
記者に対して本当のことを言って、はめられたという意識しかもてません。
(以上、以前に書いたものの部分ペーストです)

それに対して、私の論は進歩的ファシストだと反論している人のブログがありました。
「進歩的ファシストの黄昏」
http://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20050217/p1
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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