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(video inspired by god of star)



('Presence defines consciousness' is correct)

This article is view of true Marxism.
True Marxism see social development as unity of conflict between social structure of presence and collective consciousness of non-presence.
20th century Marxism saw only one side.
Reason of this misunderstanding came from mistranslation.
Marx did not write 'existence defines consciousness"'
This lead huge historical mistake.
'Presence defines consciousness' is correct.
Presence means material world.
Dialectical materialism is not simple materialism.
Dialectical materialism sees development of collective consciousness as independent factor.


この論文は真のマルクス主義の見方です。
真のマルクス主義は社会発展を顕在の社会構造と非顕在の集合意識の対立の統一として見ます。
20世紀のマルクス主義は一方の側だけを見ました。
この誤解の理由は誤訳にあります。
マルクスは、存在existencが意識を規定するとは書きませんでした。
これが巨大な歴史的誤りを生みました。
顕在(presence)が意識を規定するが正しいです。
顕在とは物的世界です。
弁証法的唯物論は単純な唯物論ではありません。
弁証法的唯物論は集合意識の発達を独自の要素として見ます。




「競争に勝つものが支配する」の現在の思考パターンの歴史的位置づけ」

なぜ、マクロヒストリー的にアジア、古代、封建の 支配的思考パターンの特質をとりだしているかというと、
現代の思考パターンである競争原理の歴史的性格づけをしたいからです。
それもかつての思考パターンのように
歴史的に生まれてきて消滅してゆくものであるということが いいたいわけです。

(しかし、ちょっとずつ小出しにすると何がいいたいのかの 焦点がぼけますので、知識のための知識に思われる 可能性かありますので 問題意識を全部、紹介させてもらいます)

1、
(古代思考パターンの特質 民衆にこの世での喜びをあきらめさせる)

古代社会では、戦闘に勝利した部族が、
服従させた部族から生産物や奴隷を貢納させます。
力による支配です。

ローマ帝国の場合は、広大な帝国を一つに統合するには 普遍的な神によって統一する必要がでて キリスト教が帝国の宗教として採用されます。

奴隷的境遇の被支配者に現世的な救いはなく、 肉体的人間としての幸せをあきらめさせることで 人々に安らぎをあたえるものでした。

仏教の現世を虚としてあの世に救いをもとめさせるのも 古代思想の歴史的質(思考パターン)でした。

2、
(封建社会 民衆は人間として認められるが人間の質に上下がある)

封建社会では、個別家族が田畑を耕し、
その生産物を領主が奪うシステムでした。

民衆は、古代の奴隷と違って、生産にかかわって 人間としての主体性がありました。

そこで、現世を虚妄としてあの世に救いを求める 古代的な思考パターンは時代にあわなくなりました。

したがって人間と人間の間には 神に近いものと神から遠いものというふうに ヒエラルヒー階層構造をつくる必要がありました。

中国の朱子学にも同じ構造がみられます。
「理」としてすべての人間は平等であるが、 「気」の汚濁によって人間に貴賤が生まれる。
「気」がもっとも清い聖人が統治する必要があると 「気」における人間の多様性を現世の身分序列に 用いました。
 下位にある人間が上位にある人間に従う内面構造を 作り出すために、子が親に孝の血縁倫理を転用しました。
儒教道徳です。

3、
(独立自営農民の経済民主主義  人々は自由と平等の権利をもっている)

封建社会の農民は、自分の家族経営ですから 領主の支配をとっぱらえば、 自分の頭で工夫する主体的な「個」が発生します。

歴史上、はじめて自立した個と個が対等な関係が イギリスにヨーマンとよばれる独立自営農民が発生しました。

 神に近い人間と神から遠い人間というふうに 人間をヒエラルヒーで見てゆく必要がなくりました。
神のもとで、人間は、平等に人間としての権利をもっている という近代的な思考パターンがうまれます。
トマス・ジェファーソンのアメリカの独立宣言には その思考パターンが典型的にでいます。

4、
(資本主義と競争に勝ったものが支配する思考パターン)

産業革命によって一方に労働力をもっている労働者と 他方に生産手段をもっている雇用者は、形式上は、対等ですが、 一歩、企業の内部に入ると上意下達のヒエラルヒーの世界であり、 人間と人間との関係は,対等平等な関係ではありません。

資本主義は、歴史的には個として自立した平等な人間を必須の前提として成立してきました。
したがって、対等で、平等な人間を、上意下達の支配構造に組み込む必要が生まれます。
そのため「競争原理」が資本主義社会の支配的な思考パターンになります。
競争に負けたものが服従する立場になり、競争に勝ったものが命じるのは当然だとする 思考パターンです。

それは、資本主義社会の経済的下部構造に対応しています。

資本主義経済は、競争原理で組織されます。
たえず、機械や技術や製品の刷新と改良を必要とします。
競争の組織化によってすべてが運営されます。
現在は、新自由主義とよばれ、公的な部分までも民営化され、 競争原理にさらされます。
社会のすべての領域が激しい競争にさらされています。
企業内部でも成果主義の競争があり、 個人と個人は利害も伴う競争関係におかれます。

競争に勝利した企業が併合や合併を繰り返し、大きな企業の方が 中小企業よりも待遇がよく安定します。

教育はこの構造に規定されています。
キャリア教育という美名のもとに 大学、高校、はては、中学、小学校という公教育がすべて 、この構造の上の安定した場に入り込めるように組織されます。
その成果がよりすぐれた教育をしているものとして宣伝されます。

学力テストで点数競争をさせ、自分の全体での位置づけを 早期に明らかにさせます。
非正規雇用しか就職がなかったのは 自分の競争努力が足りなかったと思わせます。
正社員すら「残るも地獄、去るも地獄」
(クローズアップ現代で使われた言葉)なのです。

戦後はじまった民主主義教育の理念は 新自由主義という資本主義の悪い性質を露骨に出す政策によって ゆがめにゆがめられてきました。

競争勝利者たちの非人間的なリーダーシップによって 不健全な社会へと私たちの社会は悪化していっています。

橋本氏にいたっては教育バウチャー制などと述べているそうですが その考えのもとは次の議論をみたらわかります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-24/2006092402_03_0.html
「吉川洋東大教授 
学校が淘汰(とうた)される可能性がある。
学校間で競争努力が生まれる。
安倍晋三官房長官 
人気のない小学校・中学校には生徒が来ない。」
という「競争原理」思考パターンにもとづくものです。

5、
(民主主義経済と対等、協力の思考パターン)
民主主義経済では、それぞれの地域にあった農、商、工業の再生産があり、 三つの経営形態(小経営、協同組合(民主的企業)、公的経営)でまわります。

小中学校はそれぞれ地元の学校に進学します。
高校入試はなく、それぞれの地域の高校にゆきます。
総合高校の内部に、それぞれの地域の協同組合との連携の 産業専門学科もあれば、大学に進学することを目標にする生徒もできます。
高校卒業後は、地元の経済委員会の計画経済のもと全員雇用が可能になっています。

(あるいはより看護とか農業、保育とかそれぞれに見合った地域の高校に 専門カウンセラーのアドバイスにそって地域の高校に入学試験なしに入学します。 これはオランダ方式です。
前者の総合高校は、昔の京都方式です。)

これは、資本主義の競争原理から脱出した次の世界です。
「協力とシェア(共有)の原理」が、働きます。
あらゆる社会的場面で対等の人間関係を作り上げる
自治の力が育まれます。

6、
私たちは、この競争原理の思考パターンを身につけている限り 500人が地球人口の半分の資産をもっている(アーヴィン・ラズロ)という 1%勢力に連帯して対決できません。
競争と分裂の意識を克服して 99%の人類との団結と連帯の思考パターンを身につけて 新しい世界を切り開いてゆく必要があります。

H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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