227『時間と空間』
2013年1月28日5時15分~12時00分
顕在存在は時間と空間の対立物の統一である。
時間であれば、空間でなく
空間であれば、時間でない。
時間は、空間を前提とし
空間は、時間を前提とする。
顕在存在は、時間と空間の中に位置をもつ。
人間は、顕在存在と非顕在存在の対立物の統一である。
思念体は非顕在存在である。
人間は、非顕在の思念体と顕在の身体が重なったものである。
身体は時間と空間の中で位置をもつ。
空間の中に構造をもつ身体は時間の中で生成発展崩壊を遂げる。
思念体は非顕在であり、時間と空間の中に位置をもたない。
思念体が身体と重なり、時間と空間に位置を獲得したのが意識である。
意識は、非顕在と顕在の境目にある。
顕在の中に位置を獲得した非顕在が意識である。
意識は、時間の中で位置を移動し、空間の中で位置を移動する。
時間空間の中での意識の位置の移動が体験である。
顕在の中での意識の体験は非顕在の思念体の中に収納される。
顕在における意識の位置移動の体験は認識を深める。
顕在存在は時間の中で変化し、認識の根拠となる体験は過去に流れさる。
意識は、時空の中の新しい位置に絶えず置かれる。
意識は、非顕在の思念体が、顕在の身体に重ねて得た時空の特定点である。
時空における意識の体験は、非顕在の思念体の中に収納されつづけている。
思念体は、時間空間をもたないため、収納された意識の体験は時間の中で消えることはない。
時間と空間は顕在であり、時間と空間をもたないものは非顕在である。
意識は、顕在であると同時に非顕在である。
意識は、顕在にあらわれた非顕在の「私」意識である。
非顕在の「私」意識は、顕在存在の特定点から離れ、時間空間を超えて自由に想像できる。
意識が顕在存在によって規定されるという唯物論哲学は真理である。
非顕在の「私」意識は、顕在存在の体験を収納し続ける魂であり、顕在存在の体験の質の向上が魂の向上の中身である。
文書227『時間と空間』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、227『時間と空間』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n73-227.html
ヒッグズ粒子の充満が空間であり、ヒッグズ粒子の流れが時間である。
ヒッグズ粒子の充満は全宇宙を渦を巻いて回転している。
全宇宙はヒッグズ粒子の流れとして存在している。
全宇宙を回転するヒッグズ粒子が分化して多様な素粒子が生れた。
多様な素粒子は場をつくる素粒子と渦をつくる素粒子に分化して、場にもとづいて多様な渦の構造が成立した。
顕在宇宙は多様な素粒子の渦の構造として存在する。
人間の体を構成する原子も、原子からなる分子も、分子からなる細胞も、細胞からなる臓器も、すべて素粒子の渦である。
素粒子の渦はヒッグズ粒子の分化したものである。
ヒッグズ粒子の流れが先行し、そこから成立した多様な素粒子の階層は、先行するヒッグズ粒子の階層に規定される。
ヒッグズ粒子の流れに規定されるのである。
ヒッグズ粒子の流れである時間に規定されるのである。
顕在宇宙にあるすべての存在はヒッグズ粒子の流れである時間に規定されており、時間の法則である弁証法から離れてあることはできないのである。
227『時間と空間』から紹介する。
意識が顕在存在によって規定されるという唯物論哲学は真理である。
非顕在の「私」意識は、顕在存在の体験を収納し続ける魂であり、顕在存在の体験の質の向上が魂の向上の中身である。
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