231『魂と社会』
2013年1月29日9時45分~14時50分
魂とは左渦巻き「私」意識実体である。
左渦巻き「私」意識実体は非顕在であり、時間空間を持たない。
生産力は、時間空間の中で展開する顕在存在の発展を構成する。
生産関係は生産における人間と人間との関係であり、非顕在の左渦巻き「私」意識実体がかかわっている。
非顕在の左渦巻き「私」意識実体とは魂である。
生産関係には魂がかかわっているのである。
生産関係が摂理に合致していることは、日々の労働の場で質の高いVO活動をしながら生きることを可能にする。
生産関係が摂理に反していることは、日々の労働の場でのVO活動の質を低下させ、魂の苦悩を生み出す。
生産関係が摂理に反していることから生み出される魂の苦悩は、関係者全員に及ぶものであり、経済的に搾取されているかどうかの問題ではない。
分かち合いと協力の生産関係は、労働そのものが摂理にそったVO活動として組織される。
労働そのものが魂の喜びとして組織されるのである。
生産手段を共有し、分かち合いと協力のもとに生産が組織されることは、労働者階級のみならず、経営者を含めて関係者全員の魂を救うことである。
左渦巻き「私」意識実体(魂)は、非顕在であり、時間空間をもたない。
時間空間の中でなされる日々の労働の中での経験はすべて「私」意識実体(魂)の中に収納される。
分かち合いと協力ではなく利益、地位、成果を競わされる労働は、劣化したVO活動として魂の中に収納される。
劣化したVO活動は魂を低下させ、魂を苦悩の中にさらすのである。
資本主義の生産力は生産の社会化を高度に発展させた。
社会化の意味は、誰一人自分個人の労働の成果であると言うことができないということである。
協業と分業の生産力は、分かち合いと協力の摂理の原理に合致しているにもかかわらず、人間は、利益、地位、成果をめぐって日々競争のもとに置かれているのである。
社会的生産力であるにもかかわらず、個人的生産力であるかのように経済が運営されている。
生産の社会化にふさわしく生産関係も社会化されなくてはならない。
生産関係の社会化は、生産手段の共有によってもたらされる。
生産手段の共有は、分かち合いと協力の原理にもとづく社会化を可能にする。
生産手段の共有だけが、分かち合いと協力の原理にもとづく社会化を可能にする。
生産手段共有という社会主義の理想の実現が摂理にもとづいた社会を可能にする。
魂は生産手段の共有を願っている。
魂は生産手段の共有の下で摂理にそった生き方をすることを願っている。
魂は、分かち合いと協力の原理のもとで生きたいと願っている。
今、魂の願いを実現する社会運動が始まった。
その名はユニバーサル フォーラムである。
文書231『魂と社会』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は231『魂と社会』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n71-231.html
魂とは、非顕在の「私」意識である。
非顕在の「私」意識が顕在時空に特定点を確保して人生を過ごす。
確保した特定点の維持のために社会に参加して他の「私」意識とかかわりをもつ。
他の「私」意識とのかかわりは、非顕在の霊的関係である。
「私」意識は常に非顕在にあるので顕在時空でかかわる関係は時空を超えたものとしてあるのである。
顕在時空でかかわる「私」意識の関係が、
時空根底の星の神の「私」意識の関係である摂理にそうものであるならば
「私」意識は時空根底に近づく。
摂理にそった社会をめざして摂理にそってふるまうならば、
「私」意識は、身体の崩壊後も時空にそのまま生きる。
魂は永遠の生命になるのである。
231『魂と社会』から紹介する。
今、魂の願いを実現する社会運動が始まった。
その名はユニバーサル フォーラムである。
John Sokoloff. Allow Me wmv (video inspired by god of star)