341『世間』
2013年2月24日10時30分~12時00分
世間とは日本語で、他人の目を意味する。
世間が見ているとは、他の人々によって見られていることを意味する。
他人の目で自分がとるべき行動を決めることは魂レベルを向上させない。
意識する他人の目が自分の魂レベルよりも低かったら魂を低下させる。
世間は、顕在存在に対応物がない抽象的概念である。
非顕在の思念体の中にのみある概念であるので世間変革は不可能である。
世間は、社会ではないのである。
社会は、時空の中に特定ポイントを確定して構造物を検出できる。
世間は、時空の中に特定ポイントを確定できない。
顕在存在に対応物がない世間の目を意識して生きることは、魂的には意味のない人生を送ってしまうことである。
世間は、左渦巻き「私」意識実体の思念体が確保している特定ポイントの周囲に特定ポイントを確保している左渦巻き「私」意識実体の集合を意味する。
非顕在の思念体が時空に確保している特定ポイントの上に立脚するのが社会である。
世間は非顕在の思念体が時空に確保している特定ポイントの上ではなく「下」の非顕在の思念体の集合を意味している。
世間は、非顕在の思念体の集合であるために特定点を確定して構造をつきとめ、時間の中での変化の法則を解明することはできない。
世間話は、時空の中に特定点を確定できない話であるために虚偽の話を多く含む。
虚偽の話をきいて虚偽の話を広めてしまう世間話は、質の低いVO活動である。
質の低いVO活動である世間話は魂レベルを低下させる。
時空の中に特定点を確定できる根拠あるコミュニケーションのサークルに加わり、時空の中の特定点に立脚する思念体構造を身につけるべきである。
世間の目でなく守護神の目を意識すべきである。
守護神は、魂の幾千回の人生をすべて知っている。
今も自分の心として魂の旅をともに体験している。
魂のすべての瞬間を余すところなく見ている。
摂理に反する思考をするその瞬間に良心の呵責を感じるのは守護神からのメッセージである。
世間の目を意識して生きるのではなく、守護神の目を意識して生きるとは良心にそって生きることである。
世間の目にそって生きるのではなく良心にそって生きるときに魂的に成功した人生となる。
良心にそって生きるとは摂理にそって生きることである。
①すべての人に敬意を払い、②分かち合い、③協力し、④他者の意志を尊重し、⑤誰に対して分け隔てなく対処するとき、魂は向上し、喜ぶのである。
世間が、非顕在の思念体の集合が摂理に反することを是としても摂理にそって生きることである。
摂理にもとづいて組織された社会をめざすべきである。
それは守護神の思念体に近づく道であり、守護神からの全面的なサポートを得る道である。
文書341『世間』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、341『世間』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n67-341.html
世間は日本語で社会をさす言葉である。
社会は時空に特定点を確定できるが、世間は時空に特定点をもたない。
世間は非顕在の思念体の構成する集合体をあらわす。
社会は、非顕在の思念体が時空に確保した特定点の集合からなる。
時空の特定点の集合から社会が成立しているため確定した複数の特定点から思念体構造をつくリあげ、確定した複数の特定点を増やして思念体構造を精緻化させながら生きていくことができる。
世間は思念体の中にあり、特定点をもたないために世間についての思念体構造をつくって生きていくことはできない。
特定点をもたない世間の目に従って生きていくことは嘘、偽りにもとづいて生きていくことを意味する。
嘘、偽りにもとづいて生きた人生の後は魂の後悔と苦悩が待っている。
341『世間』から紹介する。
世間の目でなく守護神の目を意識すべきである。
守護神は、魂の幾千回の人生をすべて知っている。
今も自分の心として魂の旅をともに体験している。
魂のすべての瞬間を余すところなく見ている。
Nights of Silk and Tears - Ernesto Cortazar (video inspired by god of star)