336『偶然と必然』
2013年2月23日13時30分~15時50分
偶然と必然は対立物の統一である。
偶然であれば必然ではなく
必然であれば偶然ではない
偶然は必然の中にあり
必然は偶然を通じて実現する。
時空において生起することは純粋に偶然であるものも純粋に必然であるものも存在しない。
必然は偶然のあらわれを通じて貫徹するのである。
必然とは時空の特定ポイントから別のポイントに必ず行き着き、他のポイントに行き着く可能性がなかったことを意味する。
偶然とは時空の特定ポイントから別のポイントに行き着くけれども他のポイントへも行き着いた可能性があることを意味する。
時空はヒッグズ粒子の充満の流れであり、川の流れの水の分子の特定点から別の特定点に行き着くのは偶然の積み重ねの中の必然であり、純粋の偶然も純粋の必然も無いのである。
人間は、左渦巻き「私」意識実体が右渦巻き物的身体に重なった存在である。
非顕在の思念体が時空に特定ポイントを確保している存在である。
非顕在の思念体は時間空間をもたない。
時空に特定ポイントを確保して幾千回の人生を送ってきた。
生まれて親とかかわり、兄弟姉妹とかかわり、親族とかかわり、子、孫とかかわる。
友人とかかわり、師とかかわる。
自分を誹謗中傷する人間とかかわり、自分を陥れる人間とかかわる。
災難に出会い、涙する出来事に出会う。
すべて偶然であるが、必然でもあり、そうなる根拠もある。
過去生での左渦巻き「私」意識実体間の親しいかかわりは、時空をもたない非顕在の思念体の中に親しい霊的な関係として収納されており、時空に確保した特定ポイントにおいて繰り返し出会いが再現するのである。
自分と敵対関係となってしまう出会いも同じであり、時空をもたない非顕在の思念体の中に敵対的な霊的関係が収納され、時空に確保した特定ポイントにおいて繰り返し出会いが再現するのである。
災難に出会い、涙する出来事に出会うこともまた時空をもたない非顕在の思念体間の過去生の出来事に起因する。
人類の歴史は、5000年前の農業社会に入り、階級社会となって戦争の歴史であった。
人が人を殺す歴史であった。
近代、現代において戦争は一層大量の殺人となって野蛮な時代を人類は続けている。
人間が人間を殺す戦争を正義であるとする考えは今もナショナリズムの形で続いている。
幾千回の過去生の中で自分に殺された相手からの強い念がのろいとなって左渦巻き「私」意識実体にかけられた形になり、運命プログラムとして魂に組み込まれているのである。
運命プログラムが作動し、災難に出会い、涙する出来事に出会うのである。
偶然を通じて必然が実現しているのである。
天と神々のプロジェクトが社会主義人類政府を樹立してゆくのは、野蛮な戦争の時代を終わらせ、人類の魂を救うためである。
文書336『偶然と必然』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、336『偶然と必然』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n39-336.html
偶然とは、人間の「私」意識が認識できない必然である。
人間の「私」意識は、顕在時空の特定点を確保している間は、非顕在世界は認識できない。
存在は、顕在と非顕在の対立の統一である。
非顕在が認識できたとすれば、すべてが必然の中で展開しているのである。
この宇宙に偶然の出来事は何もないのである。
336『偶然と必然』から紹介する。
幾千回の過去生の中で自分に殺された相手からの強い念がのろいとなって
左渦巻き「私」意識実体にかけられた形になり、
運命プログラムとして魂に組み込まれているのである。
運命プログラムが作動し、災難に出会い、涙する出来事に出会うのである。
偶然を通じて必然が実現しているのである。
天と神々のプロジェクトが社会主義人類政府を樹立してゆくのは、
野蛮な戦争の時代を終わらせ、人類の魂を救うためである。
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