390『生産関係』
2013年3月9日10時15分~11時10分
生産関係とは、生産における人と人との関係である。
生産における人と人の関係は、生産手段を所有するかしないかに規定される。
資本主義における生産関係は、生産手段を私有する階級と生産手段を所有しない階級に分かれる。
今日、生産手段を私有する者は、企業の最大株主であり、株主の利益を最大化するための企業経営がなされている。
企業経営者は、生産手段を私有する最大株主に雇われている労働者階級の一員である。
生産手段をもたないものを労働者階級と定義すれば、企業経営者も労働者階級の一員なのである。
企業経営者は生産手段の所有者の利益を最大化する役割をもって最大株主に雇われているので資本主義を超える立場に立つことができないが、客観的には生産手段をもたない労働者階級の一員である。
今日の金融資本主義においては、生産手段の直接の所有者はほとんど存在しない。
銀行からの借金で生産手段を所有して労働者を雇用している。
実際の生産手段の所有者は銀行である。
金融資本がほとんどの生産手段を所有していると言うことができる。
生産手段の所有者である資本家が誰であるのは、曖昧になっているのである。
生産手段の所有者である資本家は誰もいないとも言うことができる。
今日の資本主義は、資本家のいない資本主義である。
利益を最大化するという資本主義の原理だけが働いて社会を動かしている資本主義なのである。
利益を最大化する資本主義の原理のもとに企業のトップから末端までへとへとになるまで働かされている。
資本家はいないのに資本主義のメカニズムだけが働いているのである。
資本主義の終わりの段階が始まっているのである。
資本家のいない資本主義は、資本主義の次の段階の社会への過度期である。
資本主義の次の段階の社会とは生産手段を共有する社会主義である。
今日の資本主義は、生産手段を関係者で共有する法律を作って実施しても、誰一人として失う人はいないのである。
生産手段の国有化は、生産手段を奪われる人を生み出す。
生産手段の共有化は、生産手段を奪われる人は一人として生み出さないのである。
生産手段を奪われる人が一人もいないということは、誰も生産手段の共有化に反対する必要がないということである。
生産手段を共有化する社会主義は99%の合意と納得で平和的に実現可能なのである。
21世紀の社会主義は生産手段の共有にもとづく。
20世紀の社会主義は生産手段の公有にもとづいた。
マルクス、エンゲルスの社会主義思想は生産手段の共有であった。
20世紀の社会主義国は社会主義ではなかった。
社会主義が人類の危機を救う。
文書390『生産関係』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、390『生産関係』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n28-390.html
生産関係とは生産における人と人の関係を意味する。
生産における人と人の関係が摂理にそったものであるかどうかが魂にとって最大の問題である。
100万年間の魂の旅のうち99万5000年間は生産関係は摂理にそったものであった。
生産手段は共有であり、人々は分かち合い協力して生きた。
5000年前、農業が始まると土地は集団のものとして公有となり、公有する土地をめぐって人間同士の殺し合いが始まった。
生産手段の公有のもとでは、社会を代表する少数者が決定権をもち、構成員に命令する人間関係が始まった。
魂は摂理に反するおこないを強いられ、魂レベルを低下させる階級社会が始まった。
200年前、工業が始まると生産手段の私的所有が始まった。
生産手段の私的所有のもとで会社も個人も競争関係におかれた。
互いに分かち合い、協力し合いながら生きるという摂理に反した生き方を強いられる社会であった。
工業生産力の発達につれて国民国家間の戦争は残虐を極め、殺戮する人数も数千万人にのぼるようになった。
魂は、資本主義と国民国家のもとで深く傷つきながら生きている。
21世紀に入り、IT生産力の段階がやってきた。
IT生産力のもとで資本主義と国民国家のシステムが続くならば、地球の人類と生命が危い段階を迎えた。
天と神々は、資本主義と国民国家を廃止し、社会主義地球政府を樹立し、地球の人類と生命を救うことを決定した。
ユニバーサルフォーラム文書と運動をおろし、地球惑星規模の運動をおこし、神々とともに生きる新しい惑星文明に人類を導くのである。
390『生産関係』』から引用する。
資本主義の終わりの段階が始まっているのである。
資本家のいない資本主義は、資本主義の次の段階の社会への過度期である。
資本主義の次の段階の社会とは生産手段を共有する社会主義である。
今日の資本主義は、生産手段を関係者で共有する法律を作って実施しても、誰一人として失う人はいないのである。
生産手段の国有化は、生産手段を奪われる人を生み出す。
生産手段の共有化は、生産手段を奪われる人は一人として生み出さないのである。
生産手段を奪われる人が一人もいないということは、誰も生産手段の共有化に反対する必要がないということである。
生産手段を共有化する社会主義は99%の合意と納得で平和的に実現可能なのである。
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