323『自由と必然』
2013年2月21日7時20分~9時10分
自由とは、非存在の思念体が時空に確保している特定点からどの方向にでも進むことができることを意味する。
必然とは、非存在の思念体が時空に確保している特定点が、必ず別の特定点まで行き着くことを意味する。
自由と必然は対立物の統一の関係にある。
自由であれば必然ではなく
必然であれば自由ではなく
どの方向にも進む自由は別の特定点まで行き着く必然を前提とし
別の特定点に行き着く必然はどの方向にも進む自由を前提としている。
どの方向に進む自由があっても、別の特定点まで達する自由があるわけではない。
自由と必然の対立物を統一するものは「洞察」である。
洞察とは、非存在の思念体が確保している時空の特定点から別の特定点までの道筋を思念体構造の中に組み込むことである。
「自由とは必然性の洞察である」とはこういうことである。
非存在の思念体が時空に確保している特定点からどの方向にでも進む自由がなかった時代があった。
選択の自由の獲得は、自己決定の権利の尊重という摂理の原理にそった社会への前進であった。
特定点からどの方向にでも進む自由は、別の特定点に達することができる自由ではない。
洞察を伴わない自由は道に迷う自由である。
道に迷う自由に導くのが自由主義哲学である。
特定点からどの方向にも進む自由は魂の求めている自由ではない。
魂の求めているのは摂理にそって生きる自由である。
自由主義哲学は、摂理にそった生き方を説かない。
①自由主義は、自分に最大の敬意を払っている。
②自由主義は、自分中心に考え、分かち合わない。
③自由主義は、協力よりも競争中心に社会を組織する。
④自由主義は、競争の中に選択の自由を置くため自己決定権の尊重は欺瞞となる。
⑤自由主義は、人々を競争させ、序列をつくり、分け隔てする。
自由主義に導かれて人生を過ごした魂は苦悩している。
摂理にそって生きる自由が必要である。
摂理にそって組織された社会が必要である。
自由主義は摂理に反して社会を組織している。
21世紀の社会主義の思念体構造は、摂理にそって組織された社会に導く。
21世紀の社会主義は真の自由に人々を導く。
文書323『自由と必然』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、323『自由と必然』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n26-323.html
自由とは非顕在の思念体が確保した時空の特定点からどの方向にも進むことができることである。
必然とは時空の特定点から別の特定点に必ず到達することである。
特定点からどの方向に進むかを選ぶ自由がない時代があった。
どの方向に選ぶ自由は、自己決定権の尊重という摂理にそった社会への歴史的進歩であった。
特定点からどの方向に進むかを選ぶ自由は、別の特定点に到達する自由ではない。
特定点から別の特定点へ進む道筋を組み込んだ思念体構造が必要である。
その思念体構造に導かれて進むとき、別の特定点への到達は必然となる。
「自由とは必然性の洞察である」は、こういう意味である。
資本主義における自由は偽物である。
資本主義は自由を競争の中に設定する。
他者に敬意を払わない自己中心の自由である。
他者と分かち合わず、成果を独り占めする自由である。
他者と協力せず、互いを競争相手とみる自由である。
他者の意志を尊重せず、お金の力で踏みにじる自由である。
競争の中で序列をつくり、差別的に扱う自由である。
資本主義の自由は、摂理に反する自由である。
自由主義の思想に導かれて生きた魂は苦悩の中にある。
生産手段を共有する21世紀の社会主義は真の自由へ人々を導く。
すべての人に敬意を払う社会運営の中の自由である。
共有し、分かち合いながら生きる自由である。
会社内部、会社間における協力を原理とする中での自由である。
地域、企業運営への参加型民主主義の中で意志を尊重された中での自由である。
すべての人間が分け隔てなく扱われる中での自由である。
文書323『自由と必然』から引用する。
摂理にそって生きる自由が必要である。
摂理にそって組織された社会が必要である。
自由主義は摂理に反して社会を組織している。
21世紀の社会主義の思念体構造は、摂理にそって組織された社会に導く。
21世紀の社会主義は真の自由に人々を導く。
John Sokoloff "Valleys"- Dream of a rainy night (video inspired by god of star)