224『顕在存在と意識』
2013年1月27日9時20分~10時20分
顕在存在と意識の関係をめぐって哲学は二つの陣営に別れた。
顕在存在は意識に先行するととらえたのが唯物論であり、
意識が顕在存在に先行するととらえたのが観念論であると
エンゲルスは『フォイエルバッハ論』で述べている。
適切な問題設定である。
人間の意識に限定すれば、顕在存在が意識に先行したのは事実である。
宇宙の根底から論じるならば、顕在でも非顕在でもない無属性の意識から
顕在である時空と非顕在である思念体が同時に対立の統一として成立した。
人間においても物的身体とその時空は、「私」意識の思念体と対立の統一の関係にある。
物的身体とその時空は、「私」意識の思念体を前提としている。
「私」意識の思念体は、物的身体とその時空を前提としている。
物的身体とその時空は、「私」意識の思念体ではなく
「私」意識の思念体は、物的身体とその時空ではない。
「私」意識の思念体は、時空をもたない。
「私」意識の思念体は、繰り返し時空の中に物的身体と重なって現れた。
非顕在の「私」意識の思念体よりも二本足で立つ猿の存在が先行する。
唯物論は、顕在存在が意識に先行するととらえるだけでなく、意識は顕在存在に規定されるととらえる。
「私」意識の思念体は、非顕在の存在である。
物的身体をもって顕在世界で体験した内容のすべてが非顕在の思念体の中に収納される。
顕在世界で経験した摂理に反するふるまいは非顕在の思念体の中に収納され魂の苦悩となるのである。
非顕在の「私」意識の思念体は幻影を見て存在と錯覚することができるけれども、顕在世界に対して無力である。
意識が顕在存在を規定するのではないのである。
意識は顕在存在に規定されるという唯物論哲学の観点にたったとき、魂の苦悩から解放される道筋が見えてくる。
魂とは非顕在の「私」意識Sである。
非顕在の「私」意識Sが、顕在世界の中でVO活動をおこなう。
VO活動が摂理にそったものであるとき、魂は喜び、
VO活動が摂理に反したものであるとき、魂は苦悩の中で呻吟する。
意識の根底にある魂の解放を考えるとき、意識は顕在存在に規定されるという見方は重要である。
個人のレベルでは、相手がどういう態度にでても摂理にそったふるまいを貫くことが魂の解放につながる。
集合体において、すべての人に敬意を払い、すべての人と分かち合い、協力しあい、自由意思を尊重し、すべての人をわけへだてなく待遇する社会が、個人の魂の解放に貢献する社会である。
摂理にそった社会をめざして摂理にそった言動をもって革命運動をおこなうことは魂レベルを向上させる。
いかなる顕在存在であるが意識の根底の魂レベルを規定するのである。
文書224『顕在存在と意識』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は224『顕在存在と意識』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n243-224.html
意識とは、非顕在の思念体の「私」意識が時空に確保した特定点である。
時空に確保した特定点は顕在存在の法則に従う。
顕在存在の法則とは時空の法則の弁証法である。
弁証法は時空のあらゆる存在が生成維持崩壊を繰り返しながら高次構造へと展開していることを意味する。
意識は、顕在存在の弁証法的発展法則に規定される。
資本主義と国民国家が弁証法的発展法則に従って高次構造である社会主義地球政府へと展開することを意識が止めることはできない。
顕在存在に意識は規定されるのである。
224『顕在存在と意識』から紹介する。
摂理にそった社会をめざして摂理にそった言動をもって革命運動をおこなうことは魂レベルを向上させる。
いかなる顕在存在であるが意識の根底の魂レベルを規定するのである。
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